42.怪しいお客様
「そ、それでどうなったのよ。聖剣様は結局…?」
「いやー。今回は駄目だったと言いますか、なんと言いますか…。前代未聞のサムシングが起こってるらしいっす。」
場所は変わってとある洋館の一室。
俺に貸与されているものよりも1回りも2回りも大きなこの建物は、ジュリエッタさんとその家人たちに提供されている宿だ。彼女本人は爵位を持っていないものの、侯爵家令嬢ということで爵位なしの俺んちよりもでっかいらしい。あと、単純にメンバーが多いというのも理由らしい。
なぜ俺が彼氏持ち未婚女性の家にずかずかと上がり込んでいるのかというと、それはロミアさんからの約束に従ったというまでである。俺のせいではない。
聖剣による謎のビリビリ(?)に苦しめられた俺は、速やかに上官である書記官に呼び出され、聖剣の祠で何があったのかを事細かに聴取されたのであった。
解放されたのは2時間後、ニアさんが作ってくれていた夕食がすっかり冷め…いや、冷製だから冷めてて当然なのか。ええと、パスタとラーメンのあいの子みたいな謎ヌードルが伸びきったころに解放されたのだった。伸びていてもなお美味かったので特に文句はない。
それから夕食を喫してジュリエッタさんのお宅に向かったのが夜の9時ごろ。この村の午後9時というのは思っていたよりも人通りが多く、ゆえに襲撃者たちが来るにしても街灯が明るいうちはやって来ないだろう。よっぽど意表を突かれなければだけど。
ひとまず、これからの予定としては、ジュリエッタさんの待機している客間にて彼女の使用人たちと共に徹夜で厳戒態勢を敷くという感じである。屋敷の周囲や、出入り口、窓、通気口など人が侵入してきそうな場所では、ロミアさんやウィリアムさんとこの使用人たちも手伝って侵入者を警戒してくれている。ついでに、俺に付いてきたニアさんは厨房を借りてなんかしてるらしい。
今のところは特におかしな事も起こっておらず、警戒係たちからの不審者発見の報も入っていない。何も起こらなさ過ぎて眠くなってきたぐらいだ。
ウトウトしていたら緊張した面持ちのジュリエッタさんにしばかれ、身辺警護に遅れた理由を問い詰められ始めたのがたった今、午後10時過ぎである。
やはり聖剣に並々ならぬ思いを抱いている様子の彼女は、俺が聖剣の謎ビリビリのことについて話すと、えらい勢いで食いついてきたのであった。
「聞いたところだと『聖剣が、抜けるわけでもなく、ただ意思表示をした』ってのは前例のないことらしくて、詳しいことは分かんないらしいっす。」
「それはそうよ。聖剣の精霊様は来たる戦いに備えて力を蓄えていないといけないんだもの、無駄な反応はしないわよ。学が無いのねえ、さすが庶民出身…。」
「庶民ですらないかもしんないっすけどねー。」
久々に煽られたが、この世界においても元居た世界においても、俺に学が無いのは事実である。特に言い返せない。
さておき、聖剣は勇者以外に声を授けないと散々言われてきたわけだが、それには彼女が今言っていたような理由があるらしい。越冬してる熊かなんかなのか?
精霊の本体は8割近くが魔素の塊ということらしい。そして、その状態で他者に話しかける際には、自身を構成している魔素を利用して相手の脳が“話し声”として認識できるような信号波チックなやつを直接送ってくるのだ。つまりはテレパシーだ。
そういうわけなので、徒に魔素を消費していてはいざ波長の合う勇者に出会うことが出来たとしてもその意思を伝えられなくなってしまうかもしれないわけだ。それを防ぐために、勇者の持つ特有の波長的なアレを感じるまで、聖剣の精霊は休眠状態で魔素の消費を防いでいる。すなわち勇者以外には聖剣の声を聞くこと能わずというわけだ。
「であるからこそ、本当に訳が分からないわね…。だって後輩ちゃん、結局、聖剣様は抜けなかったんでしょう?」
「あい。」
「でも、聖剣様があなたに反応を与えた。しかも、“御声”よりもリソースを食うはずの物理的な反応を。……実は静電気だった、とかではないわよね?」
「それはさすがにないと思いますけど…。でも、精霊様の意図を知るためにも、滞在期間中に一日一度は聖剣に触れるようにって言われました。なんか反応が変わるかもしんないですし。」
これに関してはある程度の証拠がある。というのも、書記官に事情を説明する際にどういう様子だったのかを再現しようとしたら、やはりバチバチしたのだ。
静電気説もその時点で浮上しては居たのだが、俺が静電気の起こりやすい衣服を身に着けていなかったこと、俺が雷魔法を使えないこと、そして全ての衣服を脱衣した状態で状況再現を行った際にも同様の現象が起こったことから、明らかに静電気現象ではないという結論に至ったのであった。剥かれ損である。
そして、これから毎日あのバチバチを食らうのだと考えると…。ちょっと憂鬱だ。
「ねえ、第3師団の皆さんと一緒に作戦していた時からずっと思ってたんだけど、後輩ちゃんってなんだかいっつも脱いでいない? 露出狂という奴なのかしら。庶民出身って怖いわねぇ…。」
「いや、自発的に衆目に裸体を晒したことはないっす。何故か服が俺から逃げてくだけで。」
服が失われる原因の5割程度は燃焼であり、燃焼の9割9分9厘は男の娘クソジジイワイバーンの炎が原因である。いつか弁償請求を行おうと目論んでいるのだが、あいつに請求した場合ってどこから予算が下りるんだろうか。
そんな馬鹿話をしていたら、客間のドアノッカーがコツコツ、コツと特徴的なリズムで3度鳴らされた。室内で待機していたジュリエッタさんとこのメイドさんが鍵を開けると、扉の外には外回りの警戒を行っていたウィリアムさんちの執事さんが待っていた。
「クラーダ様、お客様です。」
「うーん、あからさまに怪しいのが来た。どんな人っすか? お名前とか聞いてません?」
「仮面を着けておいでで、暗い色のマントを着けておられました。声も魔法で弄っているのか歪んでいるようでして、年齢や性別すらも分かりません。私どもも怪しいとは思いましたが、万一にも本当にクラーダ様のお客様でしたらと思いまして…。」
ただでさえ知人の少ない俺を名指ししてわざわざ訪ねて来る人物、しかも自身の素性を隠していると来た。こちらには心当たりすらもない。状況も相まって不審でしかない。
筋書きとしては現状で防衛戦力として最有力である俺を誘き出して闇討ち…、いや、誘き出すだけで良いのか。ともかく、俺がジュリエッタさんから離れさえすれば、後はのんびりとターゲットを仕留めるだけの簡単なお仕事だろう。
…という考えを周りと共有していると、執事さんが徐に懐を探り、1枚の紙切れを取り出した。
「その方から、こちらのお手紙を預かっております。」
「いやなんでだよ!!! 受け取っちゃダメっしょ!?!?」
この世界に来てまだまだ短く魔法知識も浅い俺だが、文字で書くタイプの魔法陣や物体を偽装する催眠術の類が存在することを知っている。万が一にもその紙切れに爆発魔法陣が書かれていたり、そもそも紙切れの正体が危険物だったりした場合はえらいことになってしまう。
今日参加してくれている皆さんにはそのことを事前に共有しており、無暗に物を受け取ったりしてはいけないと説明したはずなのだが、どうも彼はそのお客様とやらに強引に押し切られてしまったらしい。
曰く、『これをクラーダ卿に見せれば、自分の素性が分かる』と言い込められたのだそうだ。
ひとまず防御魔法を何重にも重ねた檻で謎の紙片を覆い、爆発に備えたうえでそれを受け取ってみる。
「これって羊皮紙ってヤツ…?」
ただの植物製の紙片かと思いきや、思ったよりも厚みがあって変な感触だ。なんというか、ぺとぺとした動物の革のような触り心地だった。
この国の製紙技術は現代日本のものほどではないにしろ、ある程度は発達している。製法の関係で市場価格は少し高めだが、その価格で安定はしているし、日常の様々な場面における『記述』は植物紙に行われる。
そんな中で、現代日本においてはほぼ見る機会のない“羊皮紙”にも一定の需要があるようである。紙自体の品質が長期保存に耐えうるものではないことや、魔素の影響がどうこうとかいう理由で、長く保存したい文書がある場合には羊皮紙を用いることが多いのだとか。
あと、羊皮紙は原料が魔物の皮ということなので、やっぱりスピリチュアルな利用法すなわち呪物の原料としての需要もあるのだそうだ。
ただどうやら、今回の羊皮紙片に関しては、危険物がどうのこうのには関係なさそうであるということが直ちに判明した。
「あ、蛇マーク…。」
まず、2つ折りにされた羊皮紙の表面を撫でてみると、凹凸が存在していることに気付く。凹んでいる所を指でなぞっていくと、それがとぐろを巻いたうんこ…ではなくて、絵心のない者がとぐろを巻いたヘビを描いたかのような図形になっていることが判明した。
これは子供の悪戯、ということは一切なくて、一種の暗号のようなものなのである。
先に結論を言うと、この羊皮紙の正体はラルポン師団長からの密通である。彼女は公務をする際に林檎のような形をした頭蓋骨のマークを自身の判として利用しているのだが、それは公務用であるがゆえに広く知れ渡っている。偽装しようと思えば偽装できそうなものなのだ。
そこで、周囲に知られず、かつ相手に確実に差し出し主が自身であることを伝える時のため、林檎骸骨とは別のマークをかなりの数用意しているのである。そして、それを自身の腹心や他師団の有力者などに割り当てているのだ。
かくいう俺も日ごろから目を掛けて頂いている(目を付けられているというべきか?)ので、緊急の重要連絡の際には巻きグソ…否、とぐろを巻いたヘビモチーフの印章を使用することをかねがね伝えられていたのである。余談だが印章のデザインは全てラルポン師団長によるものであり、また、あの人には絵心が無い。ぜんぶこんな感じなのだ。
というわけで、この羊皮紙が師団長からのものであることが分かったので、ひとまずは安心である。ただ、周囲に見られたら困る系の連絡とかだったら困るので、部屋の隅っこの方に行き、中を開いて確認してみる。
「あの、クラーダ様。お客様はいかがなさいますか?」
「そういえばそうだった。とりあえず上がってもらっても大丈夫みたいっす。師団長のお使いの方らしいので。」
羊皮紙の連絡の一番上には、師団長自身の直属の部下を1人寄越すことにしたので、警護の役に立ててほしいと書いてあった。その部下にこの書を持たせておくと書いてあったので、途中ですり替わっていたりしない限りは執事さんが対応した怪しげな人物がその人だということになる。
「ちょっと、後輩ちゃん。ここ、私の家なんだけど。なんであなたが主人面して指示してるのよ。」
「あぁ、これは失礼いたしました、先輩。お客様というのは師団長の部下の方であることが分かりましたので、お宅の屋内に入れて差し上げたく存じます。なにとぞ、許可をばいただけませんでしょうか?」
「な、なんなのその喋り方。…それに、師団長はどうして私じゃなくて後輩ちゃん宛にお手紙を送ったのかしら?」
「まあ、色々あるみたいっす。」
お客様が師団長の部下であるということ以外は晒すな、とも書かれてあったので、今はそのように伏せておくしかないのだ。
まあ、確かに。
こんな事がジュリエッタさんたちに知れ渡ったら、パニックが起こってしまうかもしれない。伏せて当然だろう。俺も極めて平静を勤めようとしているのだが、彼女や使用人たちの不安そうな顔を見るに、少なからず驚きが漏れてしまっているのだということが察せられた。
誤魔化せたのか、何かを察せられてしまったのかは分からないが、ジュリエッタさんはそれ以上何も言うことなくお客様を屋内へと入れる許可をくれた。
とはいえひとまずはそのお客様に俺が直接会ってみる必要がありそうだ。羊皮紙の安全性は確認できたが、客人のすり替わり説はまだ払拭できていない。件の暗殺者たちが素人張りに無能集団なのは周知だが、だからといってここで作った穴を通り抜けられたのでは世話ない。
というわけで客人を空き室に通してもらい、部屋の外を使用人たちに固めてもらった上で、俺がマンツーマンで対応することにした。
「失礼しまーす。」
「どうぞ、お入りくだされ。」
気のせいだろうか、客室の中から聞こえてきた嗄れ声に聞き覚えがあるような気がするのは。




