37.エルフの名前は覚えにくい
「いやはや、失敬失敬。」
「あっ、おかえりなさい。どしたんすか?」
グラバーがそうしろと言うので、ロミアさんが戻ってくるまでの間、出迎えに来てくれた人たちと会話しながら待機していた。彼の行方について何か知っている様子だったグラバーは、なぜか頑なに肝心の行き先を語ろうとしなかったのであった。なのでそれに従うしかなかったのだ。
会話ができる存在だとはいえ、グラバーの中身は人間ではなくてワイバーンである。奴の行動に人間的な理性を求めてはいけないのだろうが、そうだとしても黙秘しながら困惑するこちらを嘲笑おうという根性が人間的すぎてムカつくものである。
それは一旦さておき、先ほどニアさんに手酷く振られていた彼を除けば、村人たちの様子は概ね歓迎ムードである。この村は騎士団の駐屯地でもあるし、騎士団とは持ちつ持たれつの関係なのだろう。
それに、以前訪れた時には拘束されていたため気を配る余裕がなかったが、あちこちに景勝地案内や娯楽ビジネスなどの色とりどりな看板が建てられている。新任の騎士は高確率でそういった観光産業に金を落としてくれるわけで、言ってしまえば大事な顧客というところか。観光商売で隆興した村だからこそ、新たな客を大事にするのだろう。
俺たちを30分近く待たせた上でひょっこりと合流してきたロミアさんも、引っ手繰られるように村人たちの歓迎ムードに巻き込まれてしまったのだった。彼に授けられる予定だったお叱りの言葉が行き場を無くしている。
「それでロミア。随分遅かったが、いったい何があったんだ? それに、いつの間にはぐれていたんだ?」
美人の村娘に色目を使われているところをジュリエッタさんに引っぺがされ、ようやくこちらに戻ってきたロミアさん。そんな彼にウィリアムさんが訝しみながら問いかけた。
「いやあ、申し訳ない…。朝に食った魚の干物、アレがそれがしの腹には合わんかったようでな。ちょっと川で用を足してきたのだ!」
「「「あぁ…。」」」
道中でもしばしば思っていたことだが、ロミアさんの消化器官はあまり強くなさそうだった。騎士とはいえ前衛には立たない工兵部隊の所属である上、貴族家の息子だけに野宿料理は食べ慣れていない。
保存食が尽き、狩猟採取生活になってからは毎回のように腹を下していたようだった。
…ということを俺以外の2人も同じタイミングで思い出したらしく、詠嘆の声が3つ重なってしまったのであった。
さて、ここでふと気づいてしまったことが。
「グラたんさっき水分補給してきたって言ってなかったっけ。」
『焼き殺すぞ。』
グラバーの方から炎魔法が飛んできそうな気配を察知、即座に水魔法の球で衆目に醜態を晒すのを防いだ。この作戦の間だけでもいったい何着を灰にされてきたことか。
そんなふうに飛竜畜生と燃やすか消火するかでわちゃわちゃと凌ぎ合っていると、人込みの中からひと際大きな咳払いが1つ聞こえてきた。
「…そろそろよろしいか、第4師団の騎士たち。長旅でお疲れの事だとは思うが、休憩は無しで行かせてもらいたい。なんせ、予定時間よりも遅れ気味なもので。」
大きな咳払いに対して非常に小さな声で俺の事を窘めたのは、この駐屯地の長官を務めている長髪のエルフの男性。エルフとは言っても白っぽい方のエルフであり、ダークエルフの一族出身であるニアさんとの血縁関係はないらしい。
名前は確か…。
「今来た者のためにも、もう一度だけ名乗らせていただこう。僕の名はヤズカチクキアルフニクス。階級は…あえて言わないでおこう。本職は植物学の研究者だが、他に適任者が居ないので、仕方なく本駐屯地の最高責任者を務めている。どうぞよろしく。」
これまた覚えにくい名前。ヤズカチ…なんだっけ…。ニアさんの本名もだけど、どうしてエルフには長くて覚えにくい名前の人が多いんだろう。ラルポン師団長ぐらいしか例外を知らない。
「…ヤズカチクキアルフニクス、だ。覚えにくい名前なもので申し訳ないことこの上ない。」
そんなことを考えてくれたら、ヤズカチクキアルフニクス長官が再び名乗ってくれた。さっき『もう一度だけ』と念押ししていたのに。
揚げ足取りはともかく、長官閣下はまるでこちらの心を読むかのようなタイミングで名乗ってくれた。いや、こんな魔法やら魔物やらが存在しているインチキ世界の住人だ。心を読む魔法を使用出来たり、種族としてテレパシーが使えるタイプの人種なのかもしれない。
もしかしたらこちらの考えが筒抜けになっているのかもしれない。そうだったとしたら色々と不具合が生じてくるので、ここは無知を装って問いただしておくべきだろう。まあ、無知には違いないんだけど。
というか、もし心を読めるのならこの自問自答も筒抜けなのでは…。
「…もしや、読心術にお心得が?」
丁度、俺が尋ねようと思っていたこととほぼ同義のことを、驚愕の表情をしたウィリアムさんが尋ねた。
彼の横を見てみると、ロミアさんとジュリエッタさんが同じ表情で驚愕していた。たぶん、俺も同じ表情なのだろう。すなわち4人ともヤズカチクキアルフニクス長官の名前を覚えきれていないということである。
「…僕が名乗ると、ルクスマレフィコスの人はいつも同じような反応を返してくるので。逆に、シルヴィスとしては有りがちな名前なのだけど。」
ヤズカチクキアルフニクス長官はそう言って、ニアさんやウィリアムさんたちの使用人たちに視線を向けた。使用人のだいたい半数ぐらいがエルフの血を引いているようだが、彼らは漏れなく長官の言葉に同意していた。
「私どもエルフからすると、“クラーダ”とか“ジェフスフィア”というような名前の方が奇妙に聞こえますけれど。“ヤズカチクキアルフニクス”、つまりヤ(青い)ズカチ(狭い)クキ(平原)アルフニ(金色の)クス(爪)という意味でございます。合っていますよね、フレルさん?」
「左様にございます、メル様。強いて付け加えさせていただきますならば、クスは“オオカミトカゲ”の爪に限定されるということでございましょうか。」
長官の視線に対し、代表して答えたのはなぜかニアさんだった。彼女の言葉に同意と補足を入れたのは、眠そうな顔をした女性の白エルフである。どこかで見たような顔なのだが…、まあいいか。
「ちなみにニアさんの名前の意味は?」
「メルファ(紫色の)ディアラ(月)ニア(可愛い)ポン(将軍)、紫月産まれのとっても可愛い女の子ってことです。」
「じゃあ“ニア”さんは“可愛い”さんか。…今度からディアラさんって呼ぼうかな。」
「月も悪くはありませんが、『可愛い』と言われて悪い気がする女性は少ないのではないでしょうか。女性における一般論にまで展開するつもりはございませんが、少なくとも私はそうです。」
エルフの名前の法則について造詣が深まったところで長官閣下の話に戻る。名前の下りをいつまでも引っ張りすぎである。
「とり急ぎ、…と…を置いてきてもらえると。各家の…は、…を…。15分後に再集合してもらおう。」
長官閣下はイマイチ聞き取りにくい声でボソボソと何かを言った。たぶん何らかの指示を出してくれたのだろうが、何と言ったのかおそらく誰も聞き取れていなかったことだろう。
「あの、聞き取れなかったのですけれど。もう少しハッキリと仰って頂けませんこと?」
「…申し訳ない。」
ズバッとそう言いのけたのはジュリエッタさん。言われて気付いたような表情になった長官閣下は、先ほどと同じくやたら大きな咳払いをしてさっきよりも聞き取りやすい小声で言い直した。
「さっそくディスカッションを始めたいんだけど、荷物とマーウーが邪魔になる。各家の使用人に案内してもらい、卿らの滞在中の宿にそれらを置いてくるように。…こう言いたかった。」
▽ ▽ ▽
「こちらです。少々手狭かもしれませんが。」
「でっか。これでも貴族基準では手狭なのか…。」
ニアさんに案内された先には、3階建てのでかい一軒家があった。
確かに王都や外周都市で見た貴族屋敷ほどの規模はない。ただ、現代日本社会的価値観に照らし合わせるならば豪邸と言えるだろう。建築学に心得はないので何坪とかは分からないが、少なくとも貴族屋敷と呼んで差し支えない類だ。
このクソでかい一軒家にしばらく一人暮らしと考えると、色々大変そうである。賃貸だから下手に汚すわけにいかないし、無駄に余ったスペースも毎日手入れしなければならないだろう。敷金礼金が返ってこなくなっちゃう。
「どうぞ、見取り図でございます。」
屋敷のデカさに呆気に取られていると、ニアさんが3枚綴りにされた屋敷の見取り図を持って来てくれた。見方がよくわからないが、それでもいっぱい部屋があるなあと思いました。
「地下室まであるのか…。あれ、3階の分はないの?」
「3階…? もしや旦那様、屋根裏のことを3階と勘違いなさって…?」
「アッ…し、知ってたけどね?」
どうやら、屋根裏部屋のある建物を3階建てとは称さないらしい。紛らわしい所に窓付けやがって。
「私はこちらのお部屋をお借りしています。かつての家主の奥方が使っていた私室だそうで。」
案内される途中の口振りからなんとなく察していたが、ニアさんもこの屋敷で過ごすらしい。なんとまさかの一つ屋根の下。いや、これだけデカいんだし、ある種の集合住宅ということでセーフだろう。
ちなみにニアさんが借りている元家主の奥さんの部屋というのは、この屋敷でいちばん広い部屋のようである。ちゃっかりしている。
「こんなに手入れが行き届いてるのに、今は誰も住んでないんすね。元の住人はなんでこの家を手放したんだろうか。」
「私も気になったので、ご近所さんに聞いてみたのですが…。たぶん、駐屯地設置で村の区画整理が行われた時に騎士団に寄付した、とかなのではないでしょうか。家主は謝礼金を使ってもっといい立地に引っ越したのかもしれません。」
どうやらご近所さんは元家主について教えてくれなかったらしい。まあ、プライバシー問題とかあるだろうし。
「もしくはもっと単純に、住む人が居なくなったからなのかもしれませんね。では、旦那様。中へどうぞ、ご案内いたします。あまり片付いてはいませんが…。」
「片付いてないんだ…。」
外周都市にあるニアさんの下宿の惨状を知っている身としては、その言葉に肝が冷えるばかりである。ちょっと覚悟を決めつつ、ニアさんが悪戦苦闘している重たい玄関扉を押し開けた。
床には畳む前の洗濯物が散乱し、収納する前の荷物が縦積みになっている。しばらく使われていなかったためか家具には薄く埃が積もっており、古家屋特有の黴臭いような埃臭いような特有の臭いが充満している。
てっきり、そんな光景が広がっているものかと思いきや。
「めっちゃ片付いてるじゃないですか。」
「それはまあ、はい。」
玄関のやたら高そうな陶器の花瓶には薔薇に似た黄色い花が生けられており、それがバナナそっくりな甘い芳香を放っている。それに関しては割と混乱させられるが、土間には土粒1つなく、その上のフローリングには内履き用のスリッパが綺麗に並べられていた。
ニアさんはそんなスリッパの列の前にしゃがみ込むと、その中の1つをピックアップして俺の前に置いた。
「ん、しょっと。滞在中、旦那様はこちらの灰色の上履きをお使いください。私の勘によると、こちらがいちばん高価なスリッパなのではないかと。」
「根拠はないのか…。ありがとうございます。」
とりあえず灰色のスリッパに足を通し、ニアさんの先導に付いて行く。彼女のスリッパ目利き云々はさておき、靴下越しにも肌触りの良さが伝わってくるぐらいに良い布を使っていることがわかる。
高そうなものその3。廊下のフローリングの上にはカーペットが敷かれているのだが、それがモフモフしすぎていて逆に歩きにくい。もしも元の家主が騎士なんだったら、これも戦術的なアレなのかもしれない。そうじゃなかったらただただ邪魔なだけだ。
「ちなみにですが旦那様。私は昨日、この絨毯のせいで転んでしまいました。」
「やっぱ歩きにくいっすよねコレ。滞在期間中だけでもどけてちゃダメかなぁ…。」
そんなことを話しつつ、屋敷の中を案内されて回った。
いや、マジででけえよこの屋敷。客間多すぎでしょ。何人招く気やねん。子ども部屋も5つあった。子沢山なことで。いや、貴族社会のお世継ぎ問題的にはこんなもんなのか?
数ある部屋の中でもニアさんが特に熱弁してくれたのはこれまたデカいキッチンだった。家屋のデカさに縮尺感覚が狂っていたその時でも、他の部屋に対するキッチンの大きさに関しては正常な判断を下せた。つまり、超でっかいなぁって。
識者によると、設備もかなりしっかりしているらしい。ただ、年季の入った屋敷本体とは違ってコンロや保冷設備などにはかなり新式のものも導入されているらしいので、これは家主が居なくなってから騎士団によって整備されたものだろうという話だ。
ヤタラ式寒冷気食料貯蓄蔵倉庫、略してヤタラ式冷蔵庫とか。またお前か。
「一年中使える氷室って考えれば、めちゃくちゃ便利だよね。これから暑くなってくるし。」
「そうは言いましても、現状のこの村では半ば無用の長物だと思っています。」
「ほう、その心は?」
冷蔵庫が腐る場面なんて中々なさそうなものだが、ニアさんはそのように断言した。料理上手の彼女がそう言うのだから、何かしっかりとした理由があるのだろう。
「よろしいですか、旦那様。この村に届く食材がそもそも新鮮なものばかりとは限りません。村で作っているのは野菜ばかりですし、それなら毎日、必要な分だけ仕入れれば良いでしょう。腐りかけの食材が延命できるのは非常によろしいのですが。…運送用の馬車にこの設備が付くような未来があったら、また評価が変わってくるでしょうか。」
「そのアイディア、特許取れるんじゃないの。」
いわゆる冷蔵トラックみたいな発想である。異世界ラノベあるあるの『誰か思いついてそうだけど誰も思いついてないシリーズ』だ。実際の所、これがあれば死ぬほど食糧事情が変化しそうなので、本気で開発を一考してみてもいいのかもしれない。大儲けだ。
まあ、日曜大工にすらノウハウがないんだけど。
何はともあれ、これから世話になる屋敷の間取りを確認しているうちに、集合時間が差し迫って来ていた。
途中で屋敷の綺麗な理由がニアさんの尽力ではなくて知り合った使用人の助力である事などが判明したが、これから数週間、何とかやっていけそうなので安心した。
(追記 2021/6/5:36話の前に閑話を挿入しています。)




