35.面倒臭い師団長
「では、私はもう行きますので。道中では護衛の者の言うことをちゃんと守るように。そうすれば、貴女方の身に危険が及ぶことはないでしょうから。」
集落を囲うように巡らされた分厚い土壁の切れ目、すなわち集落への入り口の門。
そこには1台の馬車が停まっており、青緑色のたてがみを靡かせたマーウーが馬具に繋がれながらも草を食んでいた。
馬車の御者台には略式の甲冑を身に纏った男の騎士が座っており、愛用の直剣に錆止めの植物油を塗っていた。
客室には3人の影がある。
1人は御者台の騎士と同じような鎧を纏った女騎士。左目に無地の白眼帯を着けており、無事な方の右目で外の景色を眺めていた。
残りの2人は民間人で、きれいな黒髪に赤いガーネットのような瞳が特徴的な姉妹である。
2人の民間人姉妹とは、すなわちフェートレスとミヅクシの姉妹のことだ。
「ミヅクシも、お姉ちゃんや騎士のお兄さんお姉さんのお話をちゃんと聞くようにしてくださいね。馬車を降りてからも1人で勝手に歩き回ったりしないように。多少の悪戯なら許してくれると思いますから、それで我慢しなさい。」
「はい、わかりました!! 多少、いたずらします!!」
無邪気なミヅクシの宣言に、眼帯の騎士は視線を外に向けたままニヤリと笑った。
彼女たちの向かう先は聖剣の眠るカリバーフォード村。彼女らはそこで任務に就いているクラーダ卿と合流し、以降は彼の使用人として庇護下に入ることになっているのだ。
オリビアはそんな姉妹の護衛役の1人……というわけではない。さすがに指揮官クラスの者が戦場を抜けるわけにはいかないのだから。
オリビアは真面目な騎士である。だが、血も涙もない人間ではない。
この2人とはなんだかんだ関わることが多かったため、自らの手で守り抜いてやりたいという気概はあった。2人への同情心も、もはや無視できない程度には抱いていた。ついでにクラーダと直接的に顔を合わせて言ってやりたいことも色々と秘めていた。だから、カリバーフォードまで自らの足を運ぶのもやぶさかではなかった。
とはいえ、オリビアは公正なる騎士である。真に重要なことを置いて私情に走るというようなことができぬ真面目な女騎士だ。だから、この2人だけにとりわけ目を掛けてやるというわけにも行かなかった。
結局、自身が信頼を置いている直属の部下2名を王都からわざわざ呼び寄せ、姉妹の護衛として就ける程度に収めたのであった。他の住人たちの避難には集落で手持無沙汰になっていた者を護衛としたので、結局オリビアがフェートレスとミヅクシを贔屓したことに変わりないのだ。
「カリバーフォードまでは距離がありますので。野宿が多い分、襲撃のリスクも上がりますし、上級騎士が2人も付いていても何らおかしくはないですよね? 合理的な判断だとは思いませんか?」
これは、過保護すぎるのではないかという指摘を受けた際のオリビアによる反論である。
ちなみに、当の部下たちが集落に到着するまでに数日ほどかかったため、姉妹の避難は他の住民たちの避難し終えた後のこととなった。他の住人たちは何か所かの都市や村落に分散するように受け入れられていった。
「ふぅ…、やっと全員の避難が完了しましたな。」
だんだんと遠ざかっていく馬車に手を振り続けていたオリビアの隣で、じっと敬礼して馬車を見送っていた男性騎士が顔を上げながらそう言った。彼は今回の作戦において、オリビアの指揮する部隊に配属された第8師団からの増援騎士である。
「ええ、中々に骨が折れましたね…。」
オリビアは、彼の言葉によってここに至るまでの苦労を思い出し、げっそりした顔になった。
身元不明の移民がほとんどな集落の住民たちを受容してくれる都市や村落との交渉に多大な労力を要したのだ。それに、避難する側の住民たちの中にも、避難に難色を示す者が少なくなかったのだ。
移民の流入によるトラブルを危惧する受け入れ先の事情は分かるし、自分たちの作り上げてきた集落を赤の他人である騎士たちに委ねたくないという住人たちの気持ちも理解できる。だからこそ、両者のいちばん納得する形になるようにと、騎士たちは奔走したのだった。
とはいえ、いざ両者の妥協点に達したオリビアの心に押し寄せたのは、満足感や達成感という肯定的な感情ではなかった。
「…はぁ。最大で都市予算の半分、でしたか。人の欲は尽きぬものですね。」
受け入れ先都市との交渉において、避難協力に対する謝礼金や補償金など、様々な名目で対価を求められたものである。
いちおう、災害や内乱など、市民の避難が必要な際に受容先へと補償金を支払う慣例が存在している。だが、それは決して法や制度で決まっているわけではないのだ。あくまで騎士団への協力に対して騎士団が謝礼金を送るという、伝統のようなものなのだ。
今回はあまりにも急な要請であったし、受け入れ対象も素性の知れぬ者ばかりであった。受け入れ先の連中はこちらの足元を見たのである。
「自分たちの番になった時に彼らはいったいどうするのか、と言ったところですな。まあ、我々はそんな状況にならないように努めねばなりませんが。っと、失礼。剣士長閣下に高説をいたすつもりではなかったのです。」
「いいえ、その通りですからお気になさらず。今回の件については、我ら騎士団の落ち度とも言えますからね。他師団の穴とはいえ、何も知らぬ者が見れば騎士団の穴です。こんな些末事でいちいち腹を立てている私が至らぬだけですよ。はあ、精進せねば…。」
唇を尖らせながらそんなふうに返したオリビアは、両手で頬を2回叩いた。
本来、ネヴァンファミリアに目を凝らしていたのは第7師団である。そして、最後にモンテルジュ家とキャプレット家の仲裁に当たっていたのも第7師団である。
内情を知る者からすれば第7師団に罰を下すべきと言うだろうが、何も知らぬ国民からすればどうだろうか。
「さて、あなたはヒ…ヤタラ第3師団長の下へ作業完了の報告に行ってください。この時間は確か、作戦室にしているテントを訪問すればいると思います。報告が終わったら適宜、休憩にして構いません。」
「了解しました。ちなみに、剣士長閣下はいかがなさるのでしょうか。」
「私は備品整備班の監督に向かいます。あそこにある、屋根に穴が開いた倉庫で行っていますので、何かご用があればそちらを訪ねるようにしてください。」
「了解しました。失礼します。」
オリビアよりも20は年上の男性騎士は、肩をバキバキと言わせている彼女に対してキビキビとした仕草で敬礼した。そして、そのキレのまま反転すると、スタスタと作戦室に向かって歩き始めた。
かと思うと、おもむろに立ち止まり、クルリとこちらに向きなおした。
「もう一つ、高説を垂れさせていただきましょう。剣士長閣下もまだお若いのですから、ご無理はなさるな。では、今度こそ失礼します。」
男性騎士の姿が見えなくなった後、ストレッチのポーズのまま固まっていたオリビアは、1人、フンッと鼻を鳴らした。
▽ ▽ ▽
その日の夜。休憩室として利用されている家屋で、オリビアが先日届いた蝶を眺めてニヤけていた時のこと。
「あー、だりー…。」
ソファに深々と座り、まるで足置きのように机の上に足を放り出したヤタラが低い声でそう言った。顔をクッションに埋めているために表情は見えないが、機嫌が悪そうな声に聞こえる。ちなみにこの文言はかれこれ3回目である。
「ちょっと、ヒトミ。お行儀が悪いですよ。」
顔をニヤけさせたまま蝶から目も上げず、オリビアはそう返した。この文言はヤタラの恰好を目にした時のぶんがあるので4回目である。
「…そろそろ聞いてくれても良んじゃないの?」
顔の前のクッションをひょいとずらしたヤタラは、少し寂しそうな目でオリビアの方を伺ってきた。
あまりにも構ってほしいオーラが鬱陶しかったためそろそろ場所を変えようと考えていたオリビアは、窓を開けて蝶を放つと、目を吊り上げながらヤタラの方を向いた。
「何か言いたいことがあるのならそのように言えばいいでしょう。なんですさっきから。ため息吐いたりブウたれたり…、女々しいですよ!」
せっかくいい気分で便りを読んでいたのに、先ほどから機嫌悪そうなため息を吐かれるので、台無しである。温厚であると自負しているオリビアも、これにはさすがに怒りを堪えきれなかった。
「え、えぇ…、だ、だって女の子なんだもん…。」
これにはさすがのヤタラもたじたじである。
「…それはそうですけれども。ただ、貴女が女の子とか言い始めると、なんだかムリをしているように見えるというか、キツいというか…。」
「は? おい、表出ろや。」
ヤタラの名誉のために言っておくと、彼女はオリビアと1つしか違わない『19歳』である。
それはさておき、なにやら不穏になってきた空気に巻き込まれまいと、寛いでいた騎士の数名が部屋を後にした。それに乗じて、隅の方で読書をしていたラルポンと、手紙を書いていたアイラが椅子を立った。
「何の相談かは知りませんが、ここは人生経験の豊富なラルポン師団長と、フィアンセ様のいらっしゃるアイラにも意見を伺ってみれば良いのではないですか?」
逃げ出そうとしていたところで襟首を掴まれてしまった2人は、オリビアの言葉を聞いてUターンして戻ってきた。代わりに、彼女ら以外の休憩者たちは空気を読んで全員出ていってしまった。
「え゛っ…、わ、儂はその…、そ、そうじゃ。カリバーフォードと連絡を取らねばならんのを思い出してのう。姪が風邪をひいてしもうたようで、治療の手引きを求められてのう。ほれ、エルフの病気はルクスマレフィコスのとは違うじゃろ?」
普段の飄々とした様子からは信じられないような狼狽え方をしたラルポンは、泳がせた目を最終的にアイラへと流した。
そんな目線を受けたアイラは、ラルポンと打って変わって、困った顔で頬に手を当てた。
「あ、ラルポン師団長もですか? 実はあたしも、魔法の質問を今日も貰ってて。明日からお手紙どころじゃなくなっちゃいそうだし、なんだか急いでるみたいだから、今日中にお返事してあげようかなって思ってるんだけど…。」
「ほう、ちなみにそれはクラーダから?」
狼狽していたラルポンは一転、アイラの言葉にきらりと細い目を輝かせた。
無言で頷いたアイラは、何とも感情の読み取れない目でオリビアとヤタラを交互に見た。
「それで、師団長。何のお話があるんだったかしら?」
「…もういいよ。はああ…」
アイラの視線に気圧された様子のヤタラは、今日一番大きなため息を吐くと、ソファに仰向けに寝転んだ。
「…お姫さ、じゃなかった。第3師団長殿はいったいどうしたんじゃ?」
危うく足を踏んづけられそうになったラルポンには、様子のおかしいヤタラについて心当たりがなかった。軽快なタップを踏みつつ、いったい何事なのかとオリビアやアイラに尋ねたのだった。
「クラーダさん、この人にだけ手紙をよこさなかったんですよ。」
「ううむ、そりゃ昨日聞いた。じゃが、そんなもんじゃろう? 用もないのに無駄に魔素や金を使って蝶を飛ばす意味もないわけじゃし、むしろ、用もないのに連絡が来ちゃあ気持ち悪かろうて。」
「ら、ラルポン師団長…。」
オリビアは、ラルポンの言葉を聞いて額に冷や汗を流した。そして、そんな彼女の口ぶりからすぐさま事を察したラルポンも冷や汗を流した。
「あっ…、ま、まさか…。」
「どうせ気持ち悪いですよーだ!!!!」
半ばヤケクソ気味にそう叫んだヤタラは、逃げるようにして部屋を出ていってしまった。
「なるほど、便りが来んから、自分の方から送ろうと考えた、と。」
ヤタラの姿が見えなくなったのを確認して後、ラルポンは椅子の上に脱力しながらそう言った。
オリビアはそれに対して首を横に振りながら答えた。
「ラルポン師団長がお考えの通りです。しかし、そこに踏み込むまでの勇気がないらしく、我々に背中を叩いて貰いたがっていたのです。それこそ、仰られたように『気持ち悪がられるのではないか』なんぞとクヨクヨしていて。」
「なるほど、それがさっきのアピールじゃったというわけか。そりゃあなんというか…、済まん事をしたのう。」
どうやら本気で気に病んでいる様子のラルポンは、そう言って駆け足でヤタラの後を追いに行った。
それが功を奏したのかどうかは分からないが、次にオリビアがヤタラの顔を見た時、彼女の表情は晴れやかであった。
(たぶん)次回から、再びクラーダ視点に戻ると思われます。
追記:thanks for 6000 PVs




