33.聖剣使い(仮定)の師匠
「聖剣使いの師匠って…。私に第9師団長の指導をしろと?」
オリビアはラルポンからの依頼を聞いて首を捻った。
現在、騎士団に所属している聖剣使いといえば、第9師団の統率者の他には居ないのである。
確かに、彼の剣士としての腕前は他の騎士団上位の剣士に一歩及ばぬという評価だ。だが、彼はその分を聖剣の操作技術に振ることによって埋めている。それこそ外部が下手な口出しを出来ぬほどに完成されている技術なのだ。
「いっひっひっひ…いや失礼。言葉足らずじゃった。儂が言いたかったのはそういうことじゃあない。」
ボッタクリ香具師のような悪どい笑い声を漏らしたラルポンは、ゴソゴソと鞄を探り始めた。そして、その中から数枚綴りの書類を2部取り出し、オリビアとアイラにそれぞれ1部ずつ手渡した。
「これは、儂が昔書いた『ホモ・ルクスマレフィコスにおける走駆後の放出魔素量第1次ラルポン曲線と聖剣所有者・未所有者における反応係数分布表から見た相関関係』を軽く纏めた資料じゃ。そんで、最後のページには本年度入団員の各運動時放出魔素に関するデータが載っておる。」
「うわぁ…。」
膨大なデータ量と幾何学模様じみたグラフの数々に、オリビアは軽い眩暈を起こして目頭を揉んだ。隣に座っているアイラも首を傾げながらただただ頁を捲り続けている。
「印を付けとるページ以外はおまけだと思ってくれい。見る奴が見れば有った方が分かりやすいデータなんじゃが、部下どもには却って不評じゃったわい…。」
少し残念そうに剃り落とした眉尻を下げるラルポンは、そういって同情を求めるように2人の顔を見た。
そもそも2人からすれば、この資料が何のために用意されたものなのかすらわからない。ただ、空気に合わせて曖昧に頷くだけであった。
「…なんかすまんな。この歳になると若いモンとの距離感をはき違えてしまうんじゃ。お姫さんであればこっちの話に付いてきてくれるもんで、ついつい他の者もあんな感じなのか、とな…。」
「あの人がおかしいだけですよ…。」
ラルポンはヤタラが居ないときに限り、彼女の事を“お姫さん”と呼ぶのである。呼び名の由来はもちろん、彼女の出生である。そして、本人が居る時に呼ばない理由は第4師団と第3師団の良好な関係性の為である。
王家に生まれた者であるがゆえか、ヤタラは豊富な学識とそれを応用できるだけの頭脳を持ち合わせている。そんじょそこらの学者であれば軽くいなせるほどであり、専門家が作った資料を見てある程度の議論できる程度には理解力が高いのだ。
学者肌のラルポンとはそういった方面で仲が良いらしく、プライベートで手紙を通じた意見交換をすることもあるようだ。ただ、手紙の厚さが尋常ではなく、内容に遊びが殆どないというのが専らの噂である。
「そんで話を戻すんじゃが、図72-aを見てもらえるかの。」
ラルポンに促され、2人は指定されたページを開いた。何やら複数本の棒が並べられたグラフが掲載されていた。
「えーと、簡単に言うとどうなるんじゃろうか…。まず、結論から言うと、聖剣使いは燃費が悪い体質をしておる、といったところか。この棒グラフは歴代の聖剣使い10名と、そうではない名のある剣士たち31名において、有酸素運動時の魔素循環速度を比較してみた図じゃ。つまり、体を動かした後で、聖剣使いとそうでない者の間に魔素が体中を巡る速さに有意差が生じておるのかを比べたというわけじゃな。」
「なる、ほど…??? ちなみに、それが分かるとどうなるのですか?」
詳しいメカニズムを嚙み砕いてもらったところで、代謝系のたの字も知らぬ者からすれば、未解読の古代語の羅列に同義である。素人が知りたいのはそういうミクロの部分ではなくてマクロの部分なのだから。
「要は、棒グラフが長い者ほど運動時に無駄な魔素を消費しているということで…これも分かりづらいか? ううむ…、棒が長い者ほど、魔素の使い方がヘタクソな体質をしとるということじゃ。」
「ふむふむ…。」
上辺だけでも納得した顔になったオリビアに、ラルポンも安堵の表情を浮かべた。
「それで、左側の水玉模様のグラフが聖剣使いのデータ、右側の斜線で塗られたグラフが一般人のデータじゃ。これを見ると、明らかに聖剣使いの者の方が…」
「あの、あんまり違いが判んないんですけど…。」
今度はアイラからの質問が入る。
確かに、グラフのサイズが小さいこともあって、有意差が視覚的には分かりにくかった。画面の引き延ばされ具合のせいで、誤差程度にも見えるのだ。
ラルポンは再び黙すると、すぐに口を開いた。
「確かに…。図が悪いのう、これは。原本ではもうちょっと分かり易いグラフなんじゃが、ちょっと印刷がよくないわい。両者の差が誤差ではなくて有意差であるということに関しては、フランボワーズ検定という計算式から導出された、ここのHB-Bleistift 値が1<HBl となっていることから明確にわかる。」
「つまり、ここの数字がギリギリ1よりも大きいから誤差ではないってことですね。」
オリビアよりかはこの分野に明るそうなアイラの様子に、ラルポンは文字通り胸を撫で下ろした。
「小数点2ケタ目の値を見るべきじゃから、ギリギリとも言い難い。実際の差はもっとはっきりしたもんになんじゃがのう…。話が長くなったが、この図の通り、聖剣使いやその資格を持っとった者は、運動した時に一般人以上に疲れやすい傾向にあるということじゃ。さて、ここで最終ページの付属データ集を見てもらおうかの。」
わかったようなわからないような心持ちのまま、オリビアとアイラは様々な数値データが掲載された名簿のページを開いた。匿名性の向上の為か、各データには入団員の名前の代わりに番号が振られている。
その中に1行だけ、赤色のインクでマークアップされている羅列があった。一番最後の行に配置されたデータなのだが、パッと見ただけでも全体的に各数値が高いことがわかった。
「一番下の行のG1299番、わかるかの? 赤い印を付けたんじゃが。」
「はい。つまり、この人物が次に聖剣の担い手となる可能性が高いということですか?」
「うむ、そういうことじゃ。さて、ここで見てもらいたいのはこの左から18番目の数値じゃ。これは、さっきのグラフの縦軸と同じ系統の数値じゃ。それを基にしてグラフを書き足してみると…。」
さらさらとオリビアの資料に新たな棒グラフを書き足したラルポン。増えた棒は元々印刷されていたグラフと比較してみると3番目に長かった。
「騎士団史上で歴代3番目に燃費が悪い方ということですか? 場合によっては気の毒というか、なんというか…」
オリビアは右端に除外されている1本のグラフに目をやりながらそう呟いた。この外されたデータは今増えたグラフを含めて歴代で7番目に高い値となっていた。それにもかかわらず、このデータの持ち主は聖剣使いではないのだ。
例外的ではあるが、聖剣使いでないのに棒グラフが長い者がいるということである。必ずしも魔素消費の激しい者が聖剣を担うことが出来るわけではないのではないだろうか。
つまり、ラルポンが目を付けている人物が必ずしも聖剣使いになれるという保証はないということだ。ただただこの人物が他人よりも魔素を非効率的に使いながら生きていくという可能性もあるのである。
ちなみに余談ではあるが、除外されているデータには『Hitomi Prunelle Yatara』と題されていた。
「まあ、それは一理ある。じゃが、この者は剣術も魔法もこの世代では最も優れておる。ちょっと素性が知れんが、精霊様が愛する善良な心の持ち主じゃ。聖剣の器たりえるほどに、な。それに、儂にはなんだか、この者が聖剣を担うという予感がある。」
「…あたし、その人のこと知ってるかもしれない。」
「えっ、誰です?」
ラルポンの話にピンときた様子のアイラと、まだ何も分かっていないオリビア。
「…たぶん、オリビアちゃんも知ってる人よ。そうですよね、ラルポン師団長?」
「鋭いのう…。いかにも、彼の事じゃ。」
どうやら彼女らは1人の男性のことを共通認識としているようである。
「…フレイル訓練生とかですか? 確か、本年度の騎士学校主席卒業生は彼だったと思うのですが。」
「オリビアちゃん…本気で言ってるの? たしかにフレイル君も頑張ってはいるけど、あの子よりも民間出身のグレンヒルデちゃんの方が入団成績は良かったでしょう。訓練でもフレイル君がグレンヒルデちゃんに勝ってるのを見たことないし。」
「じゃあ、グレンヒルデ訓練生が?」
「男の子だって言ってるでしょ…。」
飽くまでも鈍感なオリビアの様子に、アイラは思わずため息を吐いた。漫才でもやっているかのような2人の調子にラルポンは苦笑を浮かべていた。
「ほら、オリビアちゃんが大好きなあの人。つい最近、一緒にお仕事した…。」
そう言われ、オリビアの脳裏にぼんやりと真っ赤な髪の悪鬼のような顔が思い浮かんだ。顔中をピアスで飾ったその男は、彼女の頭の中でへらりと笑いかけてきた。
「…? …あっ!! だ、だから別に気は無いんですってば!!」
理由は分からないが、オリビアの顔が一瞬で熱くなった。火魔法でも掛けられたのかと慌てて顔に手を当てるが、体温が急上昇していただけで炎上しているわけではなかった。
「べっつに何も言ってないけどねー。これで伝わるんなら大好きって証拠よ…。」
まるで初恋を知ったばかりの子供のような反応に、アイラはなんとも言えない顔になった。
「ほう、そうか。オリビア嬢はあの男に…。いやはや、若いのう。青春しとるのう。大いに結構。……じゃが、儂の姪のぶんの余地を残しといてもらえると嬉しいのう。」
若者たちのわちゃわちゃとしたじゃれ合いに僅かに笑みを深めていたラルポン。しかし、彼女はその鋭い目をさらに細め、牽制するようにオリビアを見つめた。
「…ゴホン。ともかく、儂はクラーダが聖剣を抜くことになると思うておる。カリバーフォードに向かわせたのも、そのためじゃからな。」
「クラーダがあのエクスカリバーを…? た、確かに、新兵とは思えないほどに優れた兵ではありますが…。」
カリバーフォード村、通称“聖剣村”。
最古の聖剣にして最強の聖剣。数百年もの間、使い手の選出を拒み続けた『抜けずの聖剣』、エクスカリバーが眠る村である。
最後の聖剣使いが天寿を全うした場所がカリバーフォード村の前身になったと言われており、その逸話ゆえに昔から村の地下には聖剣使いの莫大な遺産が埋められていると囁かれ続けているのだ。
「でも、クラーダさんが聖剣村に着いてからけっこう経ってますよね。まだ挑戦してないってことですか? いくら新人さんだからって、申請が通るのに1日も掛からないと思うんですけど…。」
アイラが首を傾げたのは、ラルポンの話に矛盾を覚えたからである。
聖剣の選抜に挑むためには騎士団本部からの許可を要するのだ。しかし、彼女が述べた通りで、西の孤島に住んでいようとも1日あれば中央の王都と交信できる時代である。
未だに聖剣使いが生まれたという報告が入っていないのは、聖剣選抜挑戦許可が降りていないからなのか、情報伝達が上手くいっていないのか、それとも本人が拒否しているからなのか。
「いや、なんというべきか…。挑戦自体は済んどるというか、それでいてまだ挑戦中というか…。想定外で前代未聞の事が起こっとるんじゃ。何が起こっとるのか誰も分からんもので、詳しいことを断言することが出来ん。実際に見てもらうのが一番じゃ。」
剃り落とされた眉を顰めたラルポンは、そう言って顎に手を当てた。何やら不穏な様子に2名のも釣られて固くなったのであった。
しばらく頬の傷痕を揉みながら口を噤んでいたラルポンは、やがて細い目を瞑って首を左右に振った。
「…ただ、今さえ乗り切れば、クラーダは必ずや新たなる聖剣使いとなるはず。それも、歴代で最優の聖剣使いにな。とはいえ、クラーダの剣筋は、エクスカリバーを握った時に必ず妨げとなる。エクスカリバーに関しては情報が少ないが、直剣ということに変わりはないからのう。」
「なるほど、確かに彼の剣は直剣向きではありません。ふむ、だから私に稽古を付けろ、と。…しかし、実はですね…。」
オリビアは以前、クラーダに稽古を付けようとしたことがある。その時はクラーダの独特な剣筋を下手に崩さない方が良いと考えたため、断念したのであった。今回は依頼されたとはいえ、今更再びしゃしゃり出ていくというのも気恥しく思ったのだ。
「ううむ、そうじゃったか…。ただ、クラーダからの連絡によると、もうちっとばかり時間がかかりそうじゃ。儂と部下たちはしばらくこの集落まわりでお前さんらの手伝いをさせてもらうから、その間に答えを出してくれりゃあええ。」
断りたさそうにも断りたくなさそうにもしているオリビアの様子に気を遣ったのか、ラルポンはそう提案してくれたのであった。
「まあ、こんなところかのう…。なにはともあれ、これからしばらくの間、よろしく頼むぞい。こっちの手が空いとったらそっちを手伝えるじゃろうし、一般兵じゃと思って使うてくれい。」
甘ったるい紅茶を一気に飲み干したラルポンは、木製の軋む椅子を立った。そして、勝手知ったる我が家のごとく外の井戸でカップを洗うと、それを食器棚に戻して、待機させてある騎兵たちの下へと向かっていったのであった。
その後、オリビアはラルポンからさらに詳しい話を聞き出そうとした。
しかしながらラルポンはちょうどそのタイミングで戻ってきたヤタラと会議を始めてしまったのである。会議には重要職の者も招集されたためにオリビアも参加したのだが、とても余計な口を挟める空気ではなかった。そのうえ、会議は次の日の朝まで続き、結局、オリビアは聞きたいことを聞き出すことが出来なかったのであった。
研究に関して語っているときのラルポンのイメージは『学生を置いてけぼりにして自分の分野を熱く語るものの、いちおうは生徒の意見を聞いて足を止めてくれる大学の先生』です。




