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30.悪戯っ子

 赤肌の材を蜜蝋でコーティングした机がいくつか並んでいる。それは各家庭から持ち寄ったものであるがゆえに、大きさや高さがまちまちで段差を作り出している。だが、この辺りの材料だけで作ったにしてはどれも味のある作品ばかりだ。


 立ち並ぶ机たちの上には、様々な色の布地を接いで作った妙にカラフルなテーブルクロスが敷かれている。接合部が少しボコボコしているが、意外にも清潔そうなので精神衛生上非常によろしい。視覚的に喧しいのは難点だが。


 そして、テーブルクロス上には素焼きや木の皿に盛られた様々な料理が並べられている。どれも製作者たちの出身が様々なために、各地方の郷土料理たちが博覧会の様相を呈している。基本的にどれも『地方性』と名のついた何癖もある味わいで、料理人たちはそれぞれの家庭の味を批判しながら談笑している。


 舌が肥えているオリビアは、なんだかんだでヤタラの作った“ヤギ肉の王都風煮込み”がいちばん美味しいと感じていた。ヤギ肉にも独特の獣臭さがあるのだが、料理全体のクセという観点からすればこれがいちばん口に馴染む味わいだったのである。


 しかし、せっかく様々な家庭の味を試すチャンスなのに、結局は慣れ親しんだ味に落ち着いてしまったわけだ。美食家を気取るには己の舌は冒険心が足りないなぁ、などと自虐を浮かべつつも、オリビアはスプーンの動きを止められないのであった。


 そんな彼女の前に、カチリと音を立てて大きな素焼き皿が置かれた。


 数十本の香草の枝が大きな口から飛び出した40㎝ほどの魚が、こんがりと焼き上がって皿の上に横たわっている。この魚は臭い消しをしなければ泥臭くて食えたものではないとつい先刻聞いたばかりだが、それにしても臭い消しに余念がなさすぎるような気もする。


 ちなみにオリビアがさっき入った風呂にもこの香草がふんだんに放り込まれていた。腐臭・死臭が入り混じった体臭を消すのに使った草をこれから食べるのだと考えると…、なんとも食指が動かないではないか。



「フォーサイスさま、おねえちゃんがお世話になりました!これ、フォーサイスさまのためにがんばって作ったので、よかったら食べてください!」



 魚の香草焼きを彼女の前に置いたのは、この集落でいちばん年若い少女であった。この少女はフェートレスの妹なのである。司祭であるがゆえに不潔な恰好をしている姉とは違い、継ぎはぎだらけだが清潔そうな服装に身を包んだ、黒髪赤目の儚げな少女だ。


 フェートレスの妹は曇りなきガーネットのような眼を輝かせつつ、じっとオリビアの顔を見上げた。彼女は両手を胸の前でぐっと握っている。どうやら感想を得られるまで不動の腹積もりらしい。



「あー…、お、美味しそうですね。このソースを付ければいいのですか?」


「はい!フランスターズ草のアリアリネーノ風ソースです!お姉ちゃんがよく作ってくれるんです!」



 フランスターズ草は分からないが、匂いから察するに魚の口から出ているものと同じ香草のことを指しているらしい。これでは魚を食べたいのやら、香草を食べたいのやら。


 ともかく、愛用している持参のナイフで焼き色のついた皮を剥いでみる。ぺろりとめくれた茶色い皮の下から、ホクホク、いや、パサパサとした白い身が現れた。少々焼きすぎなのではないかとも思ったが、ソースの汁気と合わさると丁度良くなるのかもしれない。


 見た目以上にしっかりした身を小さめの一口大に切り取り、鮮やかな緑色をしたソースの小皿を傾ける。


 ぷうんと漂ってくる香気はやはり先ほど入った風呂を彷彿とさせてくる。やはり食欲はそそられない。だが、期待の眼差しに応えぬわけにもいかない。覚悟を決めて口に運ぶことにしたのだった。



「では、………辛っ!?」



 舌にソースが付着した途端、強烈な刺激が味蕾を刺した。そして、遅れてから香草の香気に交じって青唐辛子の青い香りが鼻を抜けた。



「あっははははは!!わあーい!引っかかったあ!!」



 手を叩いて大笑いするフェートレスの妹。実はこの少女、集落内ではいたずらっ子として大人たちを悩ませているのである。普段は姉の存在が抑止力となっているが、当の姉が帰ってきて早々寝込んでしまったので抑えがないのだ。



「これ、ミヅクシ!!大事なお客様に何をしとるか!?」


「べつに悪いことしてないもん!!お姉ちゃんのレシピどおりに作っただけだし!!」



 慌てて飛んできた長老狩人にヨレヨレの服の首根っこを掴まれたフェートレスの妹、ミヅクシは、悪びれない様子で頬を膨らませた。


 どうやらこの料理は、魚の泥臭さを辛みと香気でねじ伏せるもののようである。つまり、こういう料理なのだ。


 なるほど、よく味わってみると辛みが引いた後に川魚特有の旨味がじんわりと滲んでくる。美味と言えなくもないが、あまりの辛味に2口目がすぐには続かない。



「ごめんなさい、フォーサイスさま。この飲み物をいっしょに飲むと、食べやすいと思います。」



 長老狩人に頭をぐりぐりと拳を当てられたミヅクシは、しきりに水を飲んでカプサイシンを洗い流そうとしているオリビアに木のコップを差し出した。声色は反省しているようだったが、彼女の口元はまだにやけている。オリビアは思わず身構えた。



「これも妙な味だったりしませんよね…?」



 妙な味、と言われたのが心外だったのか、ミヅクシは頬を膨らませた。しかし、長老狩人がまだ目を光らせていたので、すぐに相好を崩した。



「大丈夫です!それはただのくだものジュースなので。」



 ただの果物と言いつつも実はすごく酸っぱかったりするのではないかと疑心暗鬼を生じさせつつ、オリビアは辛みにしびれた舌先を恐る恐るコップの中の液体に触れさせた。


 辛みのせいで馬鹿になってしまった舌でもすぐにわかる。粘度の高い黄色の液体は、ペッシェという果物の甘い果汁だった。トロピカルフルーツのような独特の芳香に、まとわりつくような強い甘味が入り混じる。



「これはまた、随分と甘いですね…。」


「ガロアおじさんにお願いして、いちばんうれた実を取ってきてもらったので。辛いのと甘いのを行ったり来たりするのがおいしいんですよ!」



 ミヅクシはそう言うと、オリビアの隣に座って自分の皿に魚を切り分けた。そして、それに豪快にソースを回しかけると、目を細めながらそれをうまそうに頬張り始めた。


 貴族家の者の手前、なかなかに無礼なテーブルマナーだ。


 とはいえ所詮は子供のやる事、それにオリビアは庶民の習俗に忌避感がないので特に咎めないことにした。そして、自身も彼女に倣って、魚とジュースを交互に味わい始めた。




 立場のわりに庶民派なヤタラや庶民出身のアイラとは違い、有名な公爵家出身のオリビアに対してはどこか遠慮していた住民たち。だが、彼らはオリビアがミヅクシと親しくしている様子を見て、徐々に彼女へも話しかけるようになってきたのであった。


 甘さと辛さの極端なコントラストに少しハマりつつ、集落の者たちがこれも食べてみろと差し出してくる料理を少しずつ味見する。彼らと周辺環境に関する会話をしたり、同僚たちと仕事の進捗を報告し合うなどしていくうちにも宴会の時間は過ぎていく。


 ミヅクシはその間中、基本的にはオリビアにべったりだった。


 単にオリビアの事が気に入ったのか、それとも、クラーダに紹介してもらえるという話を姉から聞いているからだろうか。どちらにせよ、甘えていると言っても過言ではないほどにちょこまかと彼女の周りを動き回っていたのだった。


 自分の下に弟や妹がいないオリビアとしては、元気の良い妹が出来たようで悪い気はしなかった。上機嫌なまま彼女の悪戯に付き合ってやり、その笑顔のままでヤタラに応対したせいで気味悪がられたのであった。



「えっ怖っ…。デレッデレじゃん。」


「うふふ、そうでしょうか?」



 逆にヤタラはなぜかミヅクシから怖がられているようだった。


 人さらいに攫われていたところを救い出したのだから、普通ならばオリビア以上に慕われていてもおかしくない。だが、昼間に何か怖がらせるようなことをしてしまったらしく、2人の距離感はなんとも微妙である。


 2人の橋渡しになるつもりはないが、オリビアは先ほど自分が受けた悪戯をヤタラにも仕掛けてみることにした。



「ヒトミも食べてみてはどうですか? クセになる味わいですよ。」



 彼女の意図を汲んだのか、ミヅクシは真顔になった。しかし、その小さな鼻は笑いを堪えているためにピクピクと動いていた。



「ん。…辛すぎん? ココナッツミルクとか入れたら丁度よさそう。」



 あまりの辛さに舌を出したヤタラ。彼女が最近開発した“カレー”という料理もなかなかの辛さだったが、このソースはそれをはるかに凌駕した。



「ここ…? よくわかんないですけど、死んだお母さんヒデンの味付けらしいです!」



 ミヅクシはそれに対して首を傾げた後で、元気いっぱいに重たい話を振りまいた。


 楽しそうに談笑していた周囲の空気が一瞬で重苦しくなる。なんといっても、集落の住人の殆どは故郷を追われて親族と離れ離れになってしまっているのだから。酒を飲んで笑い上戸を発揮していたアイラだけは空気を読めずに賑やかだ。



「あっ、ごめんなさい。不幸ジマンするつもりじゃ…。でも、お姉ちゃんは元気だから私は大丈夫ですよ!お母さんには会ったこともないし!!」



 慌てて口元を押さえるミヅクシ。だが、別に周囲の人々は彼女に同情して落ち込んだわけではない。各々の故郷を思い出してしまったのだ。どうやら彼女、年相応に自己中心的なところがあるらしい。


 それからしばらく、ミヅクシは両親を失ったことや故郷のことをべらべらと語り立てた。子ども目線の歯に衣着せぬ物言いからは、フェートレスが意図的に語るのを避けていた彼女たちを取り巻く事情がありありと浮かんできたのであった。


 その話から察するに、村で唯一の司祭であるにも関わらず、フェートレスの待遇はあまり宜しく無いようである。


 司祭であるがゆえに3人の狩人たちからは頼りにされている一方で、他の住民たちからはあまり良い印象を持たれていないのだとか。それにも拘らずミヅクシだけ可愛がられているのは、完全にフェートレスを孤立させようとしている勢力があるからなのではないかとの話だ。


 よく考えてみると、フェートレスが嫉みを買う材料はいくらでもある。集落の責任者である長老狩人に重宝されていることや、宗派の違いとそれに伴う汚い身なりに対する嫌悪。そして、そのわりには姉妹揃って整った顔をしていることなど。


 最後のものに関しては、数週間前にも農家の妻帯者の不倫相手という濡れ衣を着せられて騒ぎになったことがあったということだ。『それに関しては誤解だったので今は解決している』、と話を聞いて慌てた様子の夫人が割り込んできて捕捉した。彼女こそが当事者だったらしい。



「でも!だったらどうして、マギーおばさんはお姉ちゃんにあんなひどいこと言えたの?だって、本当はおばさんの方が…」



 話を打ち切らせようとする婦人に噛みつくような勢いでまくしたてるミヅクシ。そんな彼女の口を塞いだのは、小麦色に日焼けした細い指だった。



「…余計、なこと、言わないで。」


「むぐーっ!…ぶはっ。お姉ちゃ!…ん?」



 落ち着いた低い声で彼女を制したのは、先ほどまで寝込んでいたはずのフェートレスだった。


 …なのだが、彼女の様子は帰ってきた時とまるで異なっていた。実妹が絶句する程度には。



「えっへへへぇ。王都に来るってお話だったから、オシャレしなきゃねぇ。」


「アイラ…、あなたの仕業ですか。今、着飾らせても仕方がないでしょう。そして、飲みすぎです。」



 オリビアは、アルコール度数の高い地酒で顔が真っ赤なアイラに困った顔を向けた後、自身以上に困った顔をしているフェートレスに目を向けた。



「…これは、その。」



 伸びたい放題の黒髪が、高価なシャンプーやコンディショナーの手入れによって艶やかに変貌していた。これまでの皮脂汚れの油光りとは違い、透き通った黒曜石のような輝きだ。


 顔の上半分を覆うほどの長さの前髪は丁寧に編みこまれ、その下からきれいな丸い形の額が露になっている。アーモンド形の白目の中にあるガーネット色の瞳が落ち着かない様子で左右に揺れ動き、集落の住人たちの嫉妬するような視線を受け止めて最終的には下を向いてしまった。


 普段は肌を隠す格好をしているためか、いつも外気に曝されている腕以外は青白い。それがかえって深窓の令嬢のような儚さを醸し出しているのだ。



「ふむ、なかなか似合っているではないですか。何処ぞやのお姫様のようですね。」


「…姫。」



 オリビアの賛辞を受けたフェートレスは、平民ゆえの引け目か小さくそう呟いて表情を固くした。そして、そのまま逃げるように自宅へと戻っていってしまった。



っっっ!!??」


「ひぃッ!?!?」


「あぎゃあっ!!ご、ごめんよハニー!!!!」



 不意に男たちがこのような悲鳴を上げ始めた。


 彼らは妻帯者や恋人持ちであるにも関わらず、着飾ったフェートレスに鼻の下を伸ばしたのだ。彼女の事をこれまでさんざん見下してきた集落の女たちからすれば面白くないわけである。果たして彼女らは、この行動が却って自身らの格を落としかねないことに気付くことが出来るのだろうか。



「他にもオシャレしたい人がいたら、あたしに言ってください!コーディネートしたい欲が溢れて仕方ないの!!」



 酒のせいでテンションがぶち上っているアイラがそう発言したことで、なんとかフェートレスへ向けられたヘイトは霧散したのであった。


『ミヅクシ』という名前ですが、語源はものすごく縁起のわるい言葉です。

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