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27.襤褸布のフェート

 明くる日。


 早々とヤタラの貸家を出て自分の貸家に戻ったオリビアは、急いで装備を整えて長老狩人の家を訪れた。昨日提案した通り、森林地帯のもっと奥を調査するための人材を紹介してもらうためである。


 挨拶もそこそこに昨晩の一件に関する謝罪を改めて長老狩人から受けつつ、さっそく本題に移った。



「フェートレスよ、フォーサイス卿様にご挨拶なさい。」



 長老狩人が、後ろに控えていたボロ布を前に押し出した。悪臭芬々たるそのきたならしい塊に、思わずオリビアは眉を顰めてしまった。



「騎士様。本日お手伝い、させていただく、巫女のフェートレス、と言います。村のみんな、からは『襤褸布ぼろきれのフェート』、と呼ばれています。ご迷惑、をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いします。」


 ボロボロのローブに身を包んだ女性が、見た目に似合わぬ優雅な礼をした。彼女は世界樹教のとある宗派の神官であり、普段は礼拝室の管理や墓守をしているのだという。



「貴女は確か…」


「はい。妹ともども、ヤタラ第3師団長様、と赤髪の騎士様、には命を救われました。感謝、してもしきれません。」



 彼女は人攫いから救出された住民の一人であった。その恩返しの一環としてオリビアの助手に立候補したのだという。


 …だとしたらなぜ直接ヤタラの手伝いに向かわなかったのだろうか。そう問うてみたところ、邪魔だから他所を手伝うようにと断られたらしい。



「なるほど。では、フェートと呼ばせてもらいましょう。私はオリビア・フォーサイスです。フォーサイス卿とでもお呼びいただければと思います。」


「はい。かしこまりました、フォーサイス卿様。ワタシ、体力には自信があります。荷物持ち、でもなんでも、お任せください。」


 少し喋り方に独特の癖があるが、この集落の住人の中ではかなり受け答えのしっかりしている人物のようである。オリビアは少しだけ頼もしく思った。


 時間もないので顔合わせはさっさと切り上げ、長老狩人も交えてルート確認などの打ち合わせを行った。


 参考資料は30年前に作られた地図。古い物だがそれが最新版なのである。


 それに加えて3人とも森林の奥がどうなっているのかさっぱりだ。打ち合わせというよりかは、統計学的予想や経験則がかなり入り混じった認識のすり合わせが行われただけである。


 前途多難がゆえにため息が漏れそうになった。だが、ここで騎士たる彼女が不安そうな表情を見せるわけにはいかない。


 オリビアは余裕のある微笑を保ってフェートレスに頷いた。



「頼りにしていますよ、フェート。私は剣も魔法もそれなりに出来ますが、死にたくなければ離れすぎないように頼みます。」


「はい。肝、に銘じます。」



 ボロボロのフードの奥から赤い目でオリビアの顔を見つめつつ、フェートレスはこくりと頷き返した。




 ▽ ▽ ▽




 森林への侵入口は昨日と同様である。道中に伐採された枝と焚火跡が残る旧農用道だ。


 かつての敷石が木の根に押し上げられて隆起していたり、逆に陥没して穴が開いていたりする悪路だ。それにつま先を引っかけないようにしつつ、奥へ奥へ、より標高の高い方へと進んでいく。


 フェートレスは力自慢を自称するだけのことはある。必要以上に大きな背負子にたくさんの計器や弁当などを積んで、カモシカのように軽やかな足取りでオリビアの後を付いてくる。

 たまに出っ張った枝に荷物を引っかけて足を止めることがあるが、そういう時はオリビアが鉈で道を拓くのである。フォーサイス流剣術に鉈部門なんてものはないが、持ち前の腕力でサクサクと切り落とすことができるのだ。



 先日降った雨の影響か、木の根元や敷石の隙間から地味な色のキノコが何本も伸びている。オリビアはキノコに関して詳しくないが、軸の太い傘をさしたようなありふれた見た目をしているなぁと思った。


 雑談とばかりにそのことをフェートレスに振ってみると、美味くはないが食べられなくもないというコメントが返ってきた。彼女の故郷では大量に採取して冬に向けた保存食にしていたということだ。



「採取、してゆかれますか?」


「今、採取しなければ集落の者が飢え死ぬ…、というのであれば足を止めていきましょうか。」



 行きがけにわざわざ不味いキノコで荷物の嵩を増す必要もない。あの集落はあれでいて自給自足が成り立っているのだから。


 見た目通りに脆い傘をポコポコと蹴っ飛ばしつつ、キノコの密集地帯を通過する。

 どうして昨日は気づかなかったのかというほど辺り一面に生えているのだが、このキノコは丁度いいタイミングがあったとたんに一夜で生えてくるという話だ。


 オリビアは別にキノコ狩りツアーに来たわけではないし、正直興味も無い。だが、フェートレスが楽しそうにキノコについて話し続けたので、遮るのもなんだか気の毒なような気がしたのだった。


 適当な相槌を打ちつつキノコ談義を聞き流していると、フェートレスはふと思い出したかのように装って、話題を切り替えた。

 『装って』と書いたが、これは『ふと思い出した』というよりも『前もって考えていたことを、意を決して切り出した』ようにしか聞こえなかったためである。



「き、キノコ、で思い出したのですが、数日前に、ワタシもキノコたち、と同じように森の中、で閉じ込められていました。そして、キノコたち、のように収穫されたのです。」



 さすがにそれは前提ありきの連想ゲームである。名探偵でも何を言っているのかさっぱりな例え話だろう。

 そんな皮肉を飲み込んだオリビアは、代わりに微笑に苦笑を重ねて応じた。



「ふむ、もしや人攫いから救出された日のことでしょうか。」


「そう、左様、なのです!」



 我が意を得たり、という表情になったフェートレス。ツッコむか否かとオリビアが逡巡している間に、彼女は新たな言葉を続けた。



「キノコ、であれば子孫、を成すために生まれたところを、刈り取られること、になるわけです。刈り取った者、を恨むことでしょう。ですが、ワタシは人間です。救ってくれた方、に感謝をしたいと考えています。」


「キノコの例えを擦るんですね…。ああいえ、別に構わないのですが。」



 別に上手くもなんともない、むしろ分かりにくい例えである。だが、なんとなくフェートレスがオリビアの手伝いに立候補してきた理由が読めてきた。

 とはいえ、もう少しだけ話を聞いてから判断することにしよう。オリビアはそう考えて、フェートレスのプレゼンテーションを遮らないことにした。



「命の恩人のうちの一人、第3師団長様にはこれから数日でご恩返しの欠片をお渡しすることができます。…数日でお返しできるようなご恩でもないのですが、ご住所をお聞きしたので今後いかようにもお返しできます。ですが、もうお一方の場合はそうもいきません。というのも…。」


「要は、クラーダ卿に自分の事を紹介してくれ、と言うのでしょう? 師団長が渋ったから、代わりに私に仲介役を頼もうとしている、と。」


「……はい。」



 図星を指されたらしい弱々しい肯定に、オリビアはさすがに目を細めるのをこらえきれなかった。


 そら出た、騎士道物語に夢を見すぎている村娘だ。


 命を救ってくれた騎士と結ばれる幸運な村娘は、騎士団の社会的地位が低かった黎明期とホラ話の中だけにしかいないのだ。

 今の時代、人命救助を生業とする騎士たちが毎度命を助けた者と結婚していたらどうなるか。1家族がそれこそ集落のようになってしまうだろうに。


 たしかこの女には幼い妹が居るのだったか。この集落に生まれたという過酷な運命を背負った妹のために、玉の輿に乗って楽をさせてやりたいといったところだろうか。

 気持ちは理解できなくもないが、クラーダの知人として、現実を理解してもらわねばならない。


 そんな義務感の下、オリビアはそれとなく拒否することにした。



「止めておくことをお勧めしますよ。」


「何故ですか? ワタシはただ、クラーダ卿、に恩を返したいだけです。クラーダ卿は騎士、になったばかりで、しかもまだ独身、だとお聞きしています。身の回り、のお世話をする使用人、にはまだ恵まれていないのではないですか? ワタシであれば、タダ働きも辞さないのですが。」



 思ったよりも理性的な反論がすぐに返ってきて、今度はオリビアが言葉に詰まってしまった。


 そういう条件であれば、クラーダは案外食いつくかもしれない。なんせ、つい最近も上司から仕事の出来ないメイドを押し付けられて困っていたようだったし。それに、薄給なうちに格安で雇える使用人が確保できるのであれば飛びついてきてもおかしくはないだろう。


 だが、それ以前に気になることがある。



「どこからその情報を得たというのです? 情報屋でも雇ったのですか?」



 飛竜狩りでわずかに有名になったとはいえ、クラーダは一介の下級騎士に過ぎない。出回っている噂もせいぜい飛竜狩りに関する話に尾鰭がついたものであるし。


 いったい、辺境に住むフェートレスがどうやって彼の身辺のことを把握したというのだろうか。



「外周都市、で療養を受けている間に、騎士の方、が教えてくださりました。噂好きで親切、な方だったので、ワタシがクラーダ卿の事、をお聞きしたらわざわざ調べてきてくださったのです。」


「あいつか…。」



 騎士団付属治療院に所属している噂好きな騎士といえば、有名な伊達男がいるのである。オリビアは、片頬を上げる独特な笑い顔を思い出して自然に苦い表情になった。


 ともかく情報のルートが悪いものではないことは分かった。かといって反対しないわけにもいかないのだ。オリビアは別方向から切り込むことにした。



「あなたは司祭なのでしょう。ならば、この集落を出て適当な礼拝堂にでも就職すればいいのではないですか?」


「やがてここに騎士団の方がいらっしゃる時、ワタシが他の場所、で司祭をやっていたら、ワタシは“集落”の司祭、という場所を捨てた破戒の司祭、ということになってしまいます。ですから、集落、を離れるからには司祭、を辞めなければならないのです。」



 少し理屈としては弱いように感じられるかもしれないが、世界樹教の教義解釈次第ではむしろ彼女は正しいのである。


 司祭をやると決めたからには、司祭という仕事を捨てるまではその場所から離れてはいけないのだ。それは司祭の力を与えて下すったドラゴンへの不義理となるゆえに。

 無論、宗派によってはキャラバンを組んで様々な場所を巡業することすらある。だが、王都にある中央教会は司祭に関して基本的に一か所に留まって天命を尽くすことを推奨しているのだ。


 ところでオリビアは何となく流してしまったが、フェートレスはそもそも移民だ。故郷の司祭という地位を既に一度捨ててしまっている点を突けばよかったのに、なぜ気づかなかったのであろうか。



「ぐぬ…。く、クラーダとて国王陛下直々に騎士爵を授けられた騎士です。酷なことはあまり言いたくありませんが、あまりだらしのない外見の者を侍らせていると陛下の威信にも関わりますので。」



 外見の事を出すのは気が進まなかったが、これもまた一つの事実なのである。


 使用人の品格もまた、騎士の品格なのである。そして、騎士の品格はその根本的な主たる王の品格でもあるのだ。もっと俗っぽく言うと、部下がみすぼらしい外見をしているとその上の者までナメられるという話である。



「………『清く美しき者ほど汚らしくあれ、知る者は飾るべからず』。これがポイゾナスドラゴ派の教義、ですので。僭越ながら、司祭を辞せば勲章騎士様であるクラーダ様、にも相応しい姿を用意できると思っています。……無論、フォーサイス卿や他の皆様に適うなどと自惚れてはおりませんが。」


「な、何か勘違いしているようですが、私は違いますからね?」



 オリビアも動揺したが、フェートレスも少し舌鋒を鈍らせた。突くならここだろう。



「本当にやめておいた方が良いかもしれませんよ。だってあの人、たぶん巨乳好きだし、ぶっとい太ももが好きですよ? 私とてたまに胸への視線を感じますし、足を誉められたことだってありますし。」



 オリビア本人も口に出した後でさすがに人としてどうかと思うような台詞だった。しかし彼女は昨晩のヤタラの『意識している』という言葉のせいでちょっと過敏になっているのである。



「…ぐうっ。」



 フェートレスは苦しげにボロボロのローブの胸の辺りを押さえた。無い胸が苦しいなんてことがあるのだろうか。


 なんだかフェートレスへの説得というよりも、クラーダのネガティブキャンペーンみたいになってしまった。だが、これも彼の為、ひいては国王陛下の為である。きっとクラーダはオリビアの事を笑って許してくれるだろう。



 とはいえ、ちょっと最後の言葉が効きすぎたのか、フェートレスはしょんぼりと黙りこくってしまった。さすがにちょっと大人げなかったと頭の後ろを掻いたオリビアは、罪悪感からついつい口を滑らせた。



「まあ…、貴女は勝手に騎士団に対して恩義を感じているようですが、別に私は貴女に対して何かやってあげた覚えはありませんので。そういうことであれば、力を借りた以上、報酬が無ければなりません。…今回は手を貸してくださったお礼ということで、話ぐらいは通してあげましょう。」


「本当、ですか?」


「ち、近い…。」



 言葉の半分ぐらいから、フェートレスはずんずんと近づいてきた。そして、云い終わるころにはオリビアに口付けせんばかりの距離にまで顔を近づけていたのであった。


 鉈を持っていない左手でそれを押し返したオリビアは、ちょっと後悔しながら進路を塞ぐ細木を叩き斬ったのであった。


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