序4.
「やっべ!」
馬車が進んで行く最中、ぷりゅねるJPが素っ頓狂な声を上げた。
敵襲かと驚いたオリビアが慌てて馬車を止め、自動車で急ブレーキをかけた時のようなGがサクラダの体全体にかかる。
進行方向に慣性が働いたため、彼が姿勢を崩すことはなかったが、首が揺さぶられて危うく鞭うちになってしまうところだった。
「ひゃっ!?」
一方、悲鳴を上げて体勢を崩したのはアイラである。
さて、ここで各員の配置について確認してみよう。
最大4人掛けで2人1組が向かい合うように座る事の出来る馬車の中には、御者台に座っているオリビア以外の3名、すなわちサクラダ、ぷりゅねるJP、アイラが座っている。
初めは馬車の前側の左座席にサクラダが座り、その右隣にはアイラの杖が置かれていた。サクラダの正面には彼を拘束しているロープの先を持ったぷりゅねるJPが座っており、その隣にはアイラが座っていた。
だが、アイラの魔女帽があまりにもぷりゅねるJPの鼻をくすぐるため、何度目かの休憩の時に座る位置を変えたのである。
つまり、左前座席のサクラダの隣にぷりゅねるJP、彼の正面にアイラ、アイラの隣に大杖という配置になったのである。
前のめりに、すなわちサクラダが座っている方向に倒れてきた体の小さなアイラは、彼の腹に頭突きする形で突っ込んできた。
腹部を押される感覚に胃液がこみ上げてきたが、彼は理性の力でそれを何とか飲み戻したのだった。
「だ、大丈夫っすか?!」
下腹部に顔がうずめられているのでくすぐったく、彼は急いでアイラを助け起こした。
胃酸で喉がやられ、声がガラガラになってしまっているが。
「す、すみません!ごめんなさい!怪我していませんか?!確認しないと…!!」
これまで基本的に冷静だったアイラが初めて取り乱している。
その取り乱し方は『失態が恥ずかしくて混乱している』というよりも、パニックに陥っているとでも言った方が良さそうだ。
顔を青くした彼女は物凄い力でサクラダのズボンを脱がせようと手をかけてきた。
「ちょ、ちょっと、何をやっているんですか!?私の目の届かないところで一体何を!?」
オリビアが血走った目を見開き、御者台の後ろの小窓からぎょろぎょろと後ろを覗いてくる。
だんだんと混沌じみた様相を呈してきた。
「アイラさん、落ち着いて!俺は大丈夫っすから!! ちょっとぷネキ、たしけて!」
必死で脱がされまいと両腕に力を込めて抗うサクラダ。
ちなみにぷネキとは即ち、ぷりゅねるJP姉貴を略したあだ名である。
「誰がぷネキじゃ! ってそれどころじゃねえ!! ほらアイラ卿、落ち着け落ち着け!!!」
我に返ったぷりゅねるJPと、どさくさに紛れて加勢してきたオリビアの助けもあり、しばらくしてアイラは落ち着いた。
▽ ▽ ▽
「よく考えてみると、王都に入るためには魔法が使えないといけないんだった。そう考えるとコイツは今のままだと王都に入れないんだよ。」
地面に正座させられたぷりゅねるJPがサクラダを指しながらそう言った。
一番偉いはずの彼女が部下であるオリビアに正座させられているのである。
まあ、全員の命を預かる御者からしてみれば、急な大声で気を散らされて急ブレーキを掛けさせられたのだ。怒るのも仕方がないことかもしれない。
現在、ぷりゅねるJPはその事に関する弁明中である。
「王都に入るための魔法なんてありましたっけ? 門番に事情を話せば通れるではありませんか。」
急ブレーキで馬車に不具合が生じていないか確認していたオリビアは、馬車の泥除けに引っ付いていたバッタを手のひらに乗せて戻ってきた。
「あー…うん、確かに。そうだよなぁ…。生まれつき魔法を使える人間ならそう思うよなぁ…。」
魔法の概念が当たり前だと思っているオリビアにとっては当たり前のことも、サクラダにとっては初耳の事ばかりである。
両者の立ち位置を踏まえた上で上手く説明するにはどうすればいいのか? ぷりゅねるJPは頭を悩ませた。
「でも、ほら。門番に身分証を見せた後で水晶に触らせられるやん? あれって実は、魔法を使ってるんだよ。」
こう見えて元リケジョの彼女は、王都の防御システムに関する説明を始めた。
騎士団の本部が存在している聖都ウロディニウムは、幾重にもわたる防御障壁で魔族や危険な魔物の侵入を拒んでいる。
強固な防御障壁は人間に特異的な要素を検出し、その要素が見いだされなかった者の通過を選択的にシャットアウトすることができるらしい。
まるで選択的透過性を持った細胞膜の中、人が集まってできた機関(または器官)が働いている様子を、他国からは『細胞のような都だ』と称されているのだが、これは余談である。
では、細胞膜である結界魔法は、人間の持つどのような要素を検出しているというのだろうか。
人間に特異的な要素。
それは、人間が魔法を使う際の魔素の流れ方である。
この世に生きる全ての生き物、ひいては魔物が魔法を使えるという話ではあったが、魔法の系統というものは種族によって異なっているものであるそうだ。
魔法の系統の違いを利用して魔物の分類の細分化が行われているほどには異なっているのである。
要するに、人間の魔法系統に特有な魔素の流れ方を『人間である証拠』として検出することで、人か人でないのかを見分けているというのが、この防御障壁の持つ選択性のからくりなのだ。
サクラダはそれを聞いて、新規アカウントを作った時に『自分がロボットではない』ということを証明するため、捻れた文字を打ち込ませられたり、図の特定の位置をクリックさせられたりするシステムを思い出した。
「よく、『聖都生まれの赤ちゃんを聖都の外に出すな』って言うだろ? あれって、赤ちゃんの頃は魔法が使えないから、魔素循環が魔法系統に従ってないからなんだよ。防壁を解除するわけにもいかないから、その赤ちゃんが魔法を使えるようになるまでは中には戻れないんだよな。」
魔法の使えない乳児のうちにやむを得ぬ理由で聖都の外に出ることになった者やその家族たちが、聖都の周りに新たな街を作ったことで、聖都を取り囲むような形で新興の居住区が出来たのだという。
滔々とそこまで語ったぷりゅねるJPは、面倒くさそうな顔でサクラダを見た。
「で、コイツの話に戻るんだけどさ。そういう意味では記憶喪失で魔法の概念を忘れてる人間って、実質的に赤ちゃんと同じだと思うんだよ。」
「ば、ばぶー…。」
サクラダは赤ん坊でもなければ記憶喪失でもないのだが、そもそも魔法という概念が存在していない世界の人間である。
それこそ、ゲームの中で魔法が出てくることがあっても、実際に魔法を使っているのはゲームのキャラクターであるし、魔法の概念を理解しているのもキャラクターである。本人は本質的な所を何も知らないのだ。
ある意味では赤ん坊よりも質が悪いかもしれない。
「まあ、安心しろって!」
正座を解いたぷりゅねるJPはそう言って立ち上がると、サクラダの肩をぽんと叩いた。
そして、彼の耳元に口を寄せると小声で囁いた。
「同じ異世界人のわたしが使えるようになったんだし、Kalk君も絶対にすぐ使えるようになるよ。だって、転生した異世界人は無双するのが物語の流れってもんだからな。」
「俺の場合、厳密には転生じゃなくて転移だと思うんすよね…。」
寝不足でゲームをしていたらおそらく死んでしまって、気付いたらこの世界の上空で全裸である。
生まれたままの姿には違いないが、生まれ変わったとは言い難いのではないだろうか。
「どんな魔法でもいいから、使えるようになったらGGWPってことで。」
耳元で彼女の可愛らしい声で囁かれていると、何を言われていても囁きASMRでも聞いているかのような気分になってくる。そんな感想を内心に留め、サクラダは黙って頷いた。
耳元から顔を離したぷりゅねるJPは、馬車の陰でちぢこまっているアイラの背中を拳で強く叩いた。
金属の小手と鎧がぶつかり合い、銅鑼でも叩いたかのような音が鳴り響く。
「アイラさぁ。いつまでもウジウジしてないで、コイツに魔法の指導でもつけてやってよ。」
「………はい。」
雑な扱いのようにも感じられるが、オリビアが特に何も言わずにバッタと遊んでいることから、こういうことはよくあるのだろうと想像された。
魔女帽の鍔を両手で引っ張って目を隠しているアイラは、フラフラとした足取りでサクラダの方に近付いてきた。
「………ついて来て下さい。」
彼を縛っているロープではなく、縛られている彼の腕をがっしりと掴んだ彼女は、サクラダの返事を待たずにぐいぐいと平原の開けた所まで引っ張って行った。
暫く無言だったアイラは首を振ったり地面を蹴ったりと落ち着きがなかったが、やがて大きなため息をつくと、サクラダの方に振り向いた。
「………そういえば、あなたのお名前をお聞きしていませんでしたね。お名前は、覚えていらっしゃるの?」
「あ、はい。サー…」
サクラダです、と答えようとしたところで、彼はふと考えた。
果たして、正直に答えてしまっていいものなのだろうか、と。
ネット社会におけるリテラシーが身に付いた彼は、実名や素顔が晒されることで人生がめちゃくちゃになってしまうことを恐れていた。
顔を隠したゲーム配信に拘っていたのも、RJSに出るたびに髪の色やピアスを変えていたのも、そのためである。出来る限りサクラダ・シダレという存在を隠そうとしていたのだ。
彼の場合、そういう一見すれば的外れな努力が偶然にも効果的に働いた。それはともかく、その経験ゆえに、サクラダの胸中には『果たして自分の名前を馬鹿正直に語っていいものなのか』とよぎったのだった。
ただ、この世界でわざわざ偽名を使う意味もないような気もするし、名前を知られて困るような相手も居ないのではないだろうか。
「サー…!? もしかして、あなたも騎士…?!」
そんなふうにサクラダが悩んでいると、アイラは驚いたようにそう呟いた。
「えぇ…?」
まさか言い淀んでいたのをそのように取られるとは思わなかった。
ついでに説明しておくと、Sirとは騎士に与えられる称号の事である。原点はイギリスの叙勲制度であるようだが、まさかこの世界でも共通認識だったとは。
色々と訳が分からないことになってきたが、サクラダは取り敢えず乗っかっておくことにした。
「うっ、頭が痛い…!…そ、そう言われてみればそんな記憶もあるような無いような…!ぐっ、思い出せない…。」
なんとなくそういう事にしておけば、後々都合が良いような気がしたからだ。
「サ…クラ…ダ。そんな名前だったような気がします。」
嘘はついていないのだから問題ない。
「サー・クラーダというのね!?」
彼が言い淀んだところにアイラが伸ばし棒を入れてしまったものだから、全く別の名前が完成してしまった。誰やねん、である。
「サー・クラーダ……、素敵なお名前だと思います!」
突っ込むべき点は多いが、花が咲くような笑顔を見ていたら、細かい事などどうでもいいような気がしてきた。
それ故に、サクラダはもう何も気にしないことにした。
なんせサクラダの女性経験などたかが知れているのである。根本的にチョロいのだ。
それはともかく、アイラ先生による魔法講座が始まったのであった。
▽ ▽ ▽
「すごいわ、クラーダさん!」
アイラのはしゃぐ声。
鳥の羽がふわふわと宙を舞っており、それはまるで意思を持っているかのように上下左右へと動き回っている。
異世界なだけに『こういう生き物なのだ』と言われたら疑わないだろうが、しかしこれは、この世界で一般的な家禽の羽毛にすぎない。
「何か…思ったよりも簡単っすね。」
アイラから大杖を借り受け、それを縛られた手でひょいひょいと弄んでいるサクラダは、想像以上に呆気なく魔法を習得できてしまったので拍子抜けしていた。
今となっては、まるで生まれつき魔法が使えたかのように、思い通り羽を操ることが出来ている。
大杖のアシストを受けてはいるものの、RoTでも光っていたキャラコンの上手さが、まさかこんなところで役立とうとは思わなかった。
結論から言うと、サクラダには魔法の才能があったらしい。
今回教わった魔法は、そよ風程度の空気の流れを起こすというものである。
これは魔法の中でも簡単な部類に入るという風魔法の、その中で最も簡単な魔法であるらしい。
聖ヴァイオレット王国では子どもが一番初めに教わる魔法とされており、使い方によっては様々に活躍させることが出来ることから、広く普及している魔法なのだという。
ただ、習得が簡単で単純な魔法とはいえ、一般的には使ったことのない魔法を習得するためには数日を要するものだという。
ましてや、サクラダのように魔法を使ったことのない者や、魔法という概念を忘れてしまった者が、ものの数分で魔法をモノにするというのは、常識的に考えてあり得ないことなのだそうだ。
「やっぱり、クラーダさんが騎士だった頃は、すごい魔法使いだったのかもしれませんね!」
「そ、そうですかねえ…。でへへへ…。」
興奮していると言っても過言ではないほど喜んでいる師匠と、可愛らしい師匠に褒められてデレデレの弟子。
そしてその様子を見ていた外野2名からの御言葉。
「…気持ち悪。」
「あんなに鼻の下を伸ばして…。やはり変質者…。」
一応言っておくと、この2人はこの2人でちゃんと仕事をしているのである。
サクラダが拾われたアンピプテラ平原から聖都までは馬車で丸1日掛かるのだそうだ。
このまま休むことなく進んで行けば明日の午前中には到着することが出来るだろうが、御者を務められるのはオリビアしか居ないらしい。
火急の用があるわけでもないし、サクラダが魔法を使えるようになるまでは聖都に入れない以上、それほど急ぐ必要もなかった。オリビアの負担を大きくして何か事故を起こすわけにもいかないのだ。
そういった判断から、野営の準備を行っているのである。
「アイラ卿、もうその辺で良いよ。聖都に入るために循環経路さえ作れたら良いんだから。」
出来の良い弟子を得て気分が乗りに乗っているアイラの背中に、ぷりゅねるJPは呆れた声を掛けた。
「いや、でも師団長。クラーダさんは本当に優秀でして! 折角ですし、これを機に自衛手段ぐらいは覚えて頂こうかとですね……!」
目を輝かせているアイラは、そうこうしている間に炎魔法を覚えてしまったサクラダに拍手を送りながらそう言った。
「ず、ずるい…! 私だって…、ではなく! アイラ卿、その変質者に魔法など教えても、きっとのぞきなどに悪用するに違いありません! それよりは、剣術を教えて正義の騎士道の何たるかを教えてやれば良いのです! ほら、ここにちょうど良い先生がいるではありませんか!」
魔法を教えていたのは聖都の防壁に弾かれないためだということを、すっかり忘れているオリビアは、先ほど拾った兎に似た魔物の轢死体を捌きながら文句を垂れた。
少なくともその肉の鮮度状態はあまり良さそうには見えないのだが、果たして…。
ぷりゅねるJPは元々大学に通いつつストリーマーとして活動していました。
プロゲーマーにスカウトされてからはそちらに集中するために大学をやめたという話です。
休学なのか退学なのかについて本人の口から語られたことはありません。
追記:2021/03/13 1話から今話までの修正