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26.錆びたナイフ

「ほっ、と。本当に足場が悪いですね…。確か、ここから先はさらに酷くなるのでしたか?」


「へえ。整備さしようと思っても、人手もねえし(だんれ)もやり方さ知んねえから、いつまで経っても直りませんだ。でも、獣どもは飛び移れるもんで。」


「成程、確かに魔獣にとってはこの程度の悪路、関係なしでしょうね。それに、用兵的な面から見ても、この森の隠密性は集落の裏を取るのにちょうどいい。」



 集落に到着して2日目。今日は手分けをして集落や周辺環境の確認を行う日になった。オリビアは村の畑のすぐ側から広がっている森林地帯を狩人たちの案内で見回っている。


 この集落の課題点である治安の悪さは、ひとえにこの森林地帯が原因であると言っても過言ではないのだ。


 中途半端に舗装された旧農用路が木々に埋もれるように残されているのだが、道を邪魔するように伸びた一部の枝がまるでつい最近手入れを受けたかのように伐採されている。集落の住民が立ち入ったという話はなかったので、それを訝しみ奥へと辿っていくと、何者かが焚火をしたような跡が残されていた。


 先日この集落を襲撃した人攫いたちは、おそらくここで準備を整えたのであろう。



「この時期に、この狭さでじっとしていたとも考えにくいですね…。付近に雨風を凌げる洞窟などがあるのでは?」


「どうでしょうなあ…。なにぶん、ワシらもこの地に越してきて日が浅いのです。少なくともワシらが知る範囲にはないはずでごぜえますが、もっと奥の、標高の高いところとなると…。」


「ふむ…。」



 オリビアは顎に手を当てた。


 人攫いたちの暴虐さを聞いていただけに、自分たちにあてがわれた貸家がそれほど被害を受けていないことは疑問に思っていた。もしや、集落の者が生贄的に件の姉妹を含む住民数名を差し出したのではないか、と。


 そのことを住人に尋ねてみると、彼らは被害家屋を案内してくれたのだった。鍵が破られて応急処置されている扉や、砕かれた土壁などなど。一番ひどいものだと柱に打ち込まれた斧が残された傾きかけの小屋であろうか。


 死人も3人出ているらしく、その全員が門番や狩人などの若い戦闘要員だったのだという。残った戦闘員はオリビアを案内している2名の経験の浅い狩人と1名の老狩人だけ。防衛戦力は半数以下にまで減ってしまったことになる。


 死者以外にも負傷者は多く、何名も骨折や打撲を負って足を引きずっていたし、若い女性で攫われなかった者の中には強姦された者もいたのだという。


 集落結成報告の義務にさえ従っていれば騎士団の庇護を受けることが出来ていたのに、彼らは吝嗇でそれを怠ったがゆえに大被害を受けることになったのだ。ある意味で自業自得なのだが、オリビアも鬼ではない。初日は疲労も相まって冷たい態度を取ってしまったが、できることならば何か助けになってやりたいと同情したのであった。



「明日、もう少し奥に行ってみようと思います。できれば体力があって山歩きの得意な方を貸していただけると非常に助かるのですが、心当たりはありますか? ああ、私が守るので戦いが出来ない方でも構いません。」


「うーむ、誰が良かろうな…。」



 一番年を取った狩人が真っ白な顎髭を触りながら唸った。彼は一人息子を襲撃で亡くしてしまったらしい。集落で一番年上なので村長のようなポジションを務めているのだそうだが、お世辞にも仕事が出来るとはいい難い。


 ちなみにこの集落に住む30人ほどの人々は、どこか1つの自治体から移住してきたわけではないようだ。国内外の様々な場所から吹き溜まるように集まって来て、気付いたら自治体のようになっていたらしい。だから、この老人が人選で悩むのも当然のことなのかもしれない。



「帰ってから皆さんでご相談の上、改めて報告してくださっても構いません。できればもうちょっとだけ見回っておきたかったのですが、あと1時間ほどで切り上げることにしましょうか。」


(かたじけの)うございます。そうさせて頂きましょう……おっと、失礼。少々止まっていただけますかな?」



 長老狩人が節くれだった右手を上げ、一同の動きを制止する。


 もしや本当はオリビアが先ほど妄想していた通りで、集落の人間と人攫いたちはグルだったのか。そんな冗談が頭を過ぎった。


 長老狩人はどこからともなく取り出してきた弓に静かに矢を番え、他の2人の狩人に目線を送った。指示を受けた狩人は同じように弓矢を構えると、揃った動きでそれを少し離れた茂みの方に向けた。



「…。」



 ヒュウ、と風切り音を立てて弦が弾かれる。そしてそのわずか後に2つの風切り音が鳴った。


 獣の悲鳴と木の枝を折る音が周囲一帯に響き、それに驚いた鳥たちが一斉にバサバサと飛び立っていった。



「お見事です。」


「いいや、どの矢も急所を外しておるようで。…死んだ倅なんぞは目から入った矢で脳を穿つのが得意だったのですが。腕利きの狩人は、みな死んでしまいましてな。」


「ふむ、そうでしたか。」



 長老狩人の口ぶりからは、まるで人攫いたちが才能のある者を狙い撃ちにして殺害したかのように取ることが出来た。おそらく事前にこの集落の情報を収集していたのだろう。襲撃のつい数日前に現れた怪しい行商人が恐らく情報収集係だったのだろうということだ。



「ほれ、暴れるな!」


「長老様、こいつ、子どもさ持ってたみてえだ。連れて帰って育てんべ!」



 長老狩人からオリビアが話を聞いているうちに、2人の狩人は矢傷を受けたファーゴートを引き摺ってきた。そして、彼らの後ろからは小さなファーゴートの幼体がメエメエと鳴き叫びながら追ってきていた。



「馬鹿者!息のあるまま引き回す奴がおるか!長く苦しめぬのが狩人と言ったであろう?」


「あ、そうか!」


「申し訳ねえです、長老様…。」



 2人の狩人は、長老に叱られてからようやくそのことに思い当たったらしい。慌ててナイフを取り出そうとしたが、片方のナイフは錆びて抜けなかったし、もう片方はナイフを持ってきてすらいなかった。



「…私がやりましょうか? 皆さんばかりにお手を煩わせるのもなんですし。」



 ブロードソードを抜いたオリビアは、体内で折れた矢を取り出そうと半狂乱になっているファーゴートに歩み寄った。そして、剣を地面から垂直に掲げると、落下の勢いを利用して突き立てた。


 鋭く研がれたブロードソードの剣先は見事にファーゴートの肋骨の間を通り抜け、心臓の真ん中を貫いた。



「首は切り落とした方がいいですか? 毛皮を利用するというのでしたら頸動脈だけ切りますが。」


「騎士様、うちに嫁に来ねえですか?」



 あまりにも見事な手際に、錆ナイフの方の狩人は思わずそんなことを口走ってしまった。彼は村で唯一の薬師の女性と付き合っているようだ。




 ▽ ▽ ▽




 さて。


 ファーゴートの肉が夕食に振る舞われ、子ゴートが集落で飼育されることとなったその晩の話。



 オリビアは寝込みを襲われた。



 襲撃者は昼間の錆ナイフの狩人。いつの間にか家の中に入って来ていた彼は、寝間着に着替えようとしていたオリビアをベッドに押し倒そうとした。まあ、オリビアの鍛え上げられた体幹を崩すことなど、ヤタラでもなければ無理だ。


 彼女が反射的に握ったのが箒ではなくて剣だったら、彼の体はきっと真っ二つになっていたことだろう。



「何故こんなことを? 貴方、恋人がいるのではなかったのですか?」



 狩人が気絶しているうちに服を着替え、ヤタラとアイラ、そして長老狩人を呼んだオリビア。彼女は冷たい井戸水を錆ナイフ狩人に掛け、目を覚ますや否やそう云い放った。



「…村の為になると思ったんです。」


「村の為?」



 そして、彼の返答に対して首を傾げた。



「疲弊しているワシらの村には、力が足りねえんです。だから、騎士様みてえに強いお方を無理にでも嫁にしちめえば、死んじまった奴らの分も補えると思ったんです…。」


「愚か者が…!」



 長老狩人が溜息を吐いて、錆ナイフ狩人を殴った。やせ細った老人の腕は弱々しかったが、床に座らせられていた錆ナイフの狩人は床に倒れ込んだ。


 要は既成事実を作ってしまえばオリビアがこの集落に居つくと考えたのであろう。


 そもそも成功する可能性が低いし、仮に成功したとしても彼が望んだとおりになるはずがないような浅はかな考えである。だが愚かな狩人の視点では、それほどまでにこの集落は切羽詰まっているように見えていたのだ。今は3人の騎士が訪問しているために治安維持が成り立っているが、彼女たちが帰った後は再び3人の狩人だけで外敵を退けねばならないのである。


 …否々、そんなわけがない。



「昼間に何を聞いていたんですか…? 集落結成の手続きさえ済めば、防衛に必要なだけの騎士が常駐するようになるという話をしましたよね…? 長老殿、私、云い忘れていませんよね…?」


「勿論でございます、騎士様。まったく、お前は本当に、人の話を聞かぬ馬鹿だのう…。」



 おそらく、馬耳東風というやつなのだろう。昼間に説明を行った時も、もう一人の訛りが強い狩人の方がよっぽど話を理解していた様子だった。



「まあまあ、相手がオリビアでよかったじゃん。ヤられちゃったわけじゃなし、別に損はしてないんでしょ?」



 仲裁するように口を挟んだのはヤタラ。つい先ほどまでは親友の貞操の危機に憤っていたようだったが、事情が分かってからはできるかぎり丸く収めようと努めているのである。



「いえ、着替えを見られたのですが。」



 とはいえこれでもオリビアは公爵家の者。数ある貴族家の中でも、王家を除いて最上位クラスの高貴な血族なのである。その次期当主が肌を少しでも見られたというのだから、事はそれほど簡単ではないのだ。オリビアがもっと苛烈な貴族であったなら、切り捨てられても文句は言えないのである。


 ただ、オリビアがここで彼を切り捨ててしまったら、村の狩人はさらに数を減らすことになる。そして、防衛戦力はますます少なくなってしまい、状況が悪化してしまうだけなのだ。オリビアもそれを理解しているからこそ困っているのだ。



「…去勢しちゃダメでしょうか?」



 だが、このまま罰を与えずに帰すというのもフォーサイス公爵家の威信に関わることになるだろう。なんせ、この事件をここにいる者だけの秘密ということにしても、人の口に戸は立てられぬものである。


 彼女の立ち位置と気持ちがよくわかるだけに、ヤタラとアイラはオリビアを諭した。もっと他の方法があるのではないか、と。



「ちんちん見て平静保ってられるならいいんじゃない?わたしらは関係ないから代行したりしないけど。やるにしても、結成手続きが終わってからとかさ。ねぇ、アイラ?」


「そうね。…集落がもっと大きくなってから、お金にして返してもらったらいいんじゃないかしら? それぐらいがいちばん丸いと思うんだけど、どう?」



 ヤタラとアイラの説得はそれからしばらく続いた。彼女らの言葉に言いくるめられてしまったオリビアは、最終的に溜息を吐きながら肩を落とした。




 ▽ ▽ ▽




 結局、狩人に対する罰はアイラの出した案に準拠することにした。犯人の狩人はそれに同意したし、周囲からの異議も出なかった。


 このことはこれにて一件落着・口外無用となるはずだった。が、なぜか家の外で聞き耳を立てていた狩人の恋人薬師が突入してきて、火がついたように怒り出してまたひと悶着あった。結果的に狩人の鼻柱が折られ、実質的に新たな罰が追加されたようなものであった。


 自分も耳ぐらい引きちぎってやればよかったと思ったオリビアは現在、ヤタラが狩りている空き家のベッドに包まっていた。気丈に振る舞ってはいたものの、男性に無理矢理迫られるのは初めての経験であった。人一倍性欲が強い彼女ではあったが、今回の件はさすがに恐ろしく感じたのだ。


 なんだか1人で寝るのも気味が悪くなってしまい、ヤタラに添い寝を依頼したのである。



「まあ、別にいいけど、ベッド狭いなぁ…。寝てる間にオ〇ったりすんなよ?」


「オ…、私をサルか何かだと思っていませんか?」



 酷い言い草にジトっとした睨みを返しつつ、オリビアは寝返りを打ってヤタラの方を向いた。


 自分で頼んだ手前、沈黙がなんだか気まずくて仕方がない。ふと思いついた話題が精査される前に口を突いたのは一種の反射のようなものか。



「そういえば、クラーダとはどういう関係なのですか? 随分と仲がよろしいようですが…。お付き合いしていると言われても、驚きませんよ。」


「ぶっ!?」



 あまりにもストレートな話題振りにヤタラは噴き出すように咳き込み始めた。背中の代わりに胸をトントン叩いてやったら万力の如き(つね)りを頂くこととなった。



「いたた、ちょっと前と後ろを間違えただけではないですか。それで…どうなのですか? やはり好きなのですか?」


「べ、別に、なんもないよ。ただちょっと波長が合うだけで…。そっちこそ最近、クラーダ君のこと意識しすぎじゃない?」


「ままま、まさか。」



 クラーダの存在がオリビアの頭を過ぎることが多いのは確かだが、それは親友であるヤタラが悪い男に引っ掛けられているのではないかと心配であるからだ。たまにちょっかいを出すのも、いざという時にヤタラの代わりにスケープゴートになるためだし、昨日の早朝の夢談義とて彼の人柄を見極めるためであったのだ。


 それに加えて初対面の時のインパクトの強さが悪さをしている。だから決して、オリビアが彼の事を意識しているわけではない…はずである。


 顔を赤らめながら必死でそのように反論したところ、暗がりで表情が分からないヤタラはくすくすと笑った。



「なるほどね。そんで、彼はどういう人間だったの?」


「それはなんというか…、思ったほど悪人ではなかったのですが…。」



 悪趣味なピアスを顔中に装着し、血潮のように赤黒い髪を伸ばした、チンピラのような鋭い目つきの男。真実の泉で潔白が証明された今でも魔族なのではないかと疑わせる、どこか胡散臭い記憶喪失の男。強大な魔力と独特の剣術を兼ね備えた、明らかにこの国の者ではない男。


 クラーダの第一印象はこのような感じだった。


 だがそんな彼とちゃんと話してみると、それまでの悪印象がガラリと変わったのだ。


 風体や所作のわりにはまともで親切な人間であるように感じられた。たまにヤタラにしか伝わらないような妙な外国語を使うことがあるものの、奇妙なユーモアを兼ね備えた飄々とした人物であると思った。その上、常識のない割には物事の捉え方がしっかりしており、部下の騎士たちのように思考停止することもあまりない。さらに…



「もういい、もういいから。めっちゃ詳しく見てるじゃん…。」



 これを意識していると言わずしてなんと言うのか。ヤタラのそんな言葉に、オリビアは眉を顰めたのであった。


 それからしばらくクラーダをこき下ろしたり持ち上げたりしていた2人だったが、その声はだんだんと小さくなっていき、やがて夜闇に溶け消えていったのであった。


嵌るサブタイトルを思いつかないのでひとまず仮置きです。

更新頻度のわりにチェックが出来ていないため、誤字脱字等が多いかもしれませんが、すみません。

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