24.なんだかんだでなにもない午前
朝。
やけに尻尾の長い小鳥が新しい日の訪れを告げ、玉虫色の小さな蝶が…いや、蛾か? まあいい、よく分からん虫が朝露を啜っている。
新しい朝が来た。
今日は何事もなければいいが、きっとそう簡単にはいかないことだろう。
朝食やミーティングを終え、拠点を撤収する。皆さん随分と手際が良いので、気づいた時には仕事が無くなっている。荷物も既に馬車やアイテムストレージに搬入済みなので、手つかずのテントの回収でもしよう。
「ちょっと、弟子。」
「はい。どうしました?」
そう思って、テントに潜り込んで、中から骨組みを外していたら、オリビアさんから声が掛かった。振り向いてみると、彼女は腕組みをして仁王立ちしていた。
「破廉恥ですよ。」
「え?!」
ちなみにこちらのテントは女性陣が利用していたものであった。荷物が撤収済みなら特に侵入しても問題はないと思ったのだが、どうやら何かあるらしい。
というのも、昨日、落とし穴で泥だらけになった男性陣は川で体を洗い流したが、女性陣は人目もあるのでそうはいかなかった。テント内で温タオルを使って体を拭っていたようだが、ちゃんと身体を洗えたわけではない。体臭が籠っているのではないかと気になったらしい。
別に変なにおいはしないし、むしろフローラルで素敵な香りが…とか言うと気持ち悪いだろう。エチケット的な問題ならばこちらが悪い。大人しくテントから這い出して謝罪することにしたのだった。
「ていっ。」
「痛っ。」
「これで許してあげましょう。」
「ははあ、ご恩情に感謝を…。」
知らなかったとはいえマナー違反だった。ということで、オリビアさんからのチョップを甘んじて受ける。満足そうな笑みを浮かべたオリビアさんは、チョップとは別に俺のケツを叩くとヤタラさんの方に歩いて行った。昨晩の出来事の報告に行ったのだろう。それにしても、なんでケツを…。
「なんか、オリビアちゃんとすごく仲良くなってる気がする。何かあったんですか?」
彼女と入れ替わるようにトテトテと駆け寄ってきたアイラさんが不思議そうにそう言った。今日も鎧姿がまぶしい。
「見張り当番の時に色々あったんすよ。それに関してはたぶん、後ほど説明があると思うっす。」
「ふーん…。」
左右で色の違う目を同時に細めたアイラさんは、何かを納得したかのように頷くと、テントを片付け始めた。手持無沙汰になってしまったので、御者の方を手伝いに行こうとする。
すると、背後からため息が1つ聞こえてきた。
「…あの子と仲良くしてあげてね。ちょっとすけべえだけど、本当にいい子ですから。」
「なんか娘を嫁に送るお父さんみたいなことを仰りますね?」
「言葉の綾よ。クラーダさん、そっちを持ってください。」
よくわからないが、色々あるのだろう。よくわからないがゆえにこれ以上は掘り下げないことにしたのだった。わざわざ藪をつつくこともないからね。
出発の準備が整ったのは午前9時ちょうど。本日は昨日とは打って変わって晴天、洗濯物がよく乾きそうである。
第8駐屯所からの連絡の内容を加味して、少しだけ陣形が変更されている。荷馬車とグラバーの馬車を同時に護衛するのをやめ、グラバーの馬車を特に重点的に守ることになったのである。
具体的には、ウィリアムさんとロミアさんが荷馬車の護衛に就き、俺、オリビアさん、アイラさん、ジュリエッタさんでグラバーの乗る馬車を守ることになったのである。ヤタラさんは相変わらず部隊の先頭で指揮を執るのだ。
こういう陣形になったのは、言わずもがな馬車と同時にジュリエッタさんのことも守るため。防御魔法の使える俺とアイラさんを固めることで、唐突な狙撃にも対応できるようにするためである。
いちおう、昨日の夜のうちにアイラさんがジュリエッタさん本人に護身程度の防御魔法を教えようとしていたらしいのだが、一夜漬けでどうこうできるものではなかったらしい。
「…後輩ちゃんは、1日で出来るようになったんでしょう?」
少し恨めしそうな視線を向けてくるジュリエッタさんに苦笑を返す。確かに、俺が防御魔法を教わった時にはあっさりと使えるようになったのだった。少し前にさわりだけ教えてもらっていた岩魔法の初歩に似ていたからかもしれない。
「クラーダさんがおかしいだけなのよ。ジュリちゃんは自分のペースで頑張ればいいんだから。」
「は、はい!もちろんですお姉さま!!」
ジュリエッタさんはアイラさんに本当によく懐いてるなぁ。お姉さまて。ロミアさんがちょっと寂しそうな顔をしている。
「…よーし。今日も張り切って行くかー。」
気の抜けるような号令が掛かり、本日も仕事が始まったのであった。
▽ ▽ ▽
中継拠点からアンピプテラ平原に近づくにつれて、風景の雰囲気はがらりと変わっていく。生えている植物の種類が変わるし、生息している動物も変わっていく。地形や土肌の色さえも変わっていくので、空の色すらも変わっているのではないかと錯覚してしまう。
今のところ、件の犯罪組織からの襲撃はない。こちらの警戒が功を奏しているのか、はたまた平原に近付くにつれて拓けてきた地形ゆえだろうか。まあ、後者だろうな。
『硬き男よ。』
「はいはい、どうしたんすか?」
護衛している馬車の中から呼びかけられる。厳めしい老人のような声の主は、窓からちらりと顔を覗かせた。何度聞いても、この女の子みたいな顔からジジイの声がするのには慣れない。ラルポン師団長と同じぐらい顔と声にギャップがある。
『まだ着かぬのか? 我はそろそろ羽を伸ばしたいのだが。』
「もうちょっとよおじいちゃん。もうちょっとの辛抱だからねっ。」
『な、何事だ、その気色の悪い話し方は。』
護衛対象の一人、いや、一匹であるグラバーはさっきからずっとそわそわしている。早く解放されたくてたまらないのだろう。
休憩中にエコノミークラス症候群防止のために散歩させてやる機会はあったが、それ以外は基本的に馬車の中だったのだ。退屈だし疲労が溜まるだろうしで、大空を自由に舞うワイバーンからすればさぞかし苦痛だったことだろう。ところでワイバーンってエコノミークラス症候群になるもんなのだろうか?
アンピプテラ平原まではあと3時間ほどの距離である。オウカ卿の幽霊が言っていたゲルドレーの丘は通過済みだ。丘の入り口には馬車が既に数台停まっていたのだが、それは伝書蝶の報告を受けて調査に来ていた駐屯所の設備搬入用馬車なのだと聞いた。
ちなみにこの辺りは第8駐屯所ではなくて第9駐屯所の管轄区らしい。挨拶に行ったら例の変な駐屯所長ではなくて、サラリーマンみたいな風体の中年男性の所長が対応してくれたのだ。
やはりオウカ卿の証言通り、数日前に何者かが争っていた痕跡が散見されたらしい。荒々しくはあったが隠蔽のために手が加えられていたような形跡も残されていた。だが、一面に咲き誇っているクリアエーデルの花の下から指などの体の一部が発見されたようだ。偶然、隠蔽を目論んだ者たちの目を免れたのではないか、とサラリーマンっぽい所長は推測しているらしい。彼はラッキーだったとも語ったが、どうやら体組織はこの世界でも犯人特定の重要情報となりうるようだ。
丘の調査は第9駐屯所の皆さんに任せ、俺たちは引き続き護衛任務である。何度でも言うが、探偵は俺たちの仕事ではないので。
ゲルドレーの丘を後にしてしばらく馬を歩かせたが、やはり襲撃は起こらなかった。いやまあ、襲われないに越したことはないんだけど、無駄に気を張りすぎて気苦労ばかりが募っている感じがする。気苦労はちょっと違うか。なんというか、精神的疲労だ。
とはいえ時間はそれにつれて経過する。勝手に俺が疲れているうちに、でっかいツクシみたいな木や白亜紀っぽいシダの仲間が目に付くようになってきた。
天気が良いからか巨大クラゲのドンテンガイは見えないが、代わりによくわからんでっかい虫が飛んでいる。
うーん、この景色を見るのも2度目。相変わらずよくわからん風景だ。その人間にとっては『よくわからん』と感じる部分がワイバーンたちの琴線に触れるのだろうか?
馬車の中からはドシンバタンと何かが動き回っている音が聞こえてくる。この景色にテンションが上がってきたグラバーが大きな尻尾を動かしまわっているためである。
そういえば、ワイバーンの尻尾はトカゲの尻尾とは違って再生しないらしい。俺があの日ぶった切った(?)尻尾の先っぽはもう生えてこないということだ。そのことに関しては既に菓子折りを持って謝罪しているのだが、当の本竜は特に気にしていないようであった。まあ、この前みたいに陰湿な仕返しをしてくるかもしれないが…。
「後輩ちゃんって、意外とすごいわよね。平民なのに。」
ぼへーっと考え事をしながら馬を歩かせていると、急にジュリエッタさんから褒められた。いや、むしろdisられたのか?
「どうかしましたか、先輩ちゃん。」
「なあに、その呼び方。馬鹿にしているの? …ふと思っただけよ。だってあなた…いえ、なんでもないわ。」
何か言いたげだったジュリエッタさんはかぶりを振って押し黙ってしまった。いったい何だったんだろうか。
ともかく、よくわからないなりにも馬は進んでいく。
彼女の言葉の意図を考えたり雑談している間に、気が付いたら目的地であるアンピプテラ平原に到着していたのであった。
▽ ▽ ▽
「ではグラバー殿。お手を。」
すらり、と音がしそうなほど流麗な動きでヤタラさんが右手の長い指を差し出す。
『…。』
対して、グラバーはまた騙されるのではないかと訝しみながら、所々に鱗の生えた華奢な左手を重ねた。
このまま薬指に指輪でも嵌めれば奇妙な一方で幻想的な風景の中でのロマンチックな結婚式、とでもいったところであるが、これから行われるのは逆の行為。指輪を付けた指から指輪を抜き取る行為である。
グラバーが正式に国との交渉の席に座ったのは、あくまでも指輪によってワイバーンとしての姿に戻れなくなっていたからである。そして、今この瞬間に指輪を外すことによって、2者の条約は効力を発揮するのである。
グラバーの細い人差し指に左手を触れたヤタラさんは、指輪を外す前にニヤリと笑った。
「願わくば、指輪を外してすぐに飛竜に戻るというようなことはご勘弁願いたい。なんせ矮躯なる者ゆえに、貴公の巨体で押しつぶされてしまうからね。」
『…弁えて居る。』
騎士団の駐屯地で何度か面会しているうちに、グラバーは意外と純粋な奴であるということが分かった。元がワイバーンゆえに人間的な冗談を真に受けたりするが、それもまた純粋さゆえである。その純粋さはある意味で誠実さでもあり、悪い人間にコロッと騙されるのではないかと不安になってくることもあるぐらいだ。
ヤタラさんの冗談を真に受けて、すぐには変身しないように配慮してくれることだろう。
「其は―――の翼、且つ―――…。」
何を言っているのか分からないぐらいに小声かつ早口でヤタラさんが何かを呟く。
おそらくそれはグラバーを縛る指輪の魔法を解除するための呪文のようなものだったのだろう。2人の姿がオレンジ色の光に包まれ、白昼だというのに周囲の者の足元に長い影が伸びた。
光は徐々に収まっていき、気付いた時には触れあっていた1人と1匹の手は下げられていた。
ヤタラさんが左手に摘んだ光る指輪を掲げ、それを太陽に透かして多方向から確認した。
「無事に外れたー…っぽいかな。よし、グラバー殿、長旅ご苦労様だったな。この指輪は回収しておこ…、グラバー殿?」
指輪をスカートのポケットに仕舞おうとしたヤタラさんの手をグラバーが掴んでいる。
『……竜に贈りし宝物を奪い返す事、罷り成らん。それは、我の、物だ。』
要するに、その指輪には良い思い出がないが、デザイン自体は気に入っているということだろう。
彼のそんな言葉を聞いて、逆に困惑したのはヤタラさんである。まあ、わかる。
彼女は困惑しながらも指輪をじっと見つめ、そしてそれをグラバーに再び渡した。
「ま、まあいいけど…。はい。」
『…これがあれば、市街に訪れる事も叶うのだろう? お前たち人間は姿というものを大事にするようだからな。』
「ああ、なるほど…。」
外周都市の街並みが気に入った…というよりかは、外周都市で得られる菓子の類を気に入ったということであろう。そして、亜人形態のまま外周都市を巡り、お菓子を買い漁る、と。
たしかに、飛竜の姿にならなければ非力だし、指輪を着けたことで非力の証明になるのならば都合が良いのか。騎士団の者を付ければトラブルも起こりにくそうだ。友好さを示しておけば、同盟の強固さもアピールできるし。
まあ、元の姿に戻るときにはまたヤタラさんの協力が必要になるわけだが。
どこか満足そうに指輪を受け取り、手垢をワンピースで拭ったグラバーは、それをぺろりと飲み込んでしまった。
『…少し離れるがよい。』
ゲップ交じりにそう言ったグラバーは、俺たちが離れたのを確認すると、巨大なワイバーンの姿に戻った。衣服を着けたまま元に戻ったので、周囲に白いワンピースの破片が飛び散る。まるでそれは白い花弁が風に煽られたかのような…そうでもねえわ。
「へー、体の中に入れても効かないんだ。ちょっと勉強になったな…。ちなみにそこから亜人形態になれんの?」
ヤタラさんが途端に研究者の顔になった。やはり開発者としては、普段出来ないデバッグ作業が出来るちょうどいいタイミングといった感じなのだろうか。
金色の巨大な目でじろりとヤタラさんを見たグラバーは、特に難色を示すこともなく、再び亜人形態に戻った。
まあ、服が弾け飛んでいるわけで、オリビアさんが鼻血を吹いて倒れることとなったわけである。
こうして、グラバーはアンピプテラ平原の王となった。
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