14.世界樹から産まれるもの
豚のような大きな茶色い鼻先の下から覗く鋭い大きな牙の生えた口元。毛むくじゃらの顔面に埋め込まれている真っ黒な小さい双眸は、食欲の色に染まっているようだ。
前足を拳に握り、ゴリラのようにナックルウォークしている個体も居れば、完全に2足歩行している個体も居る。
2足歩行している個体はどうやら成獣らしく、大きいものだと身長145㎝ぐらいのアイラさんよりも体高がある個体もいるようだ。
分かりやすく形容すれば、人間よりもちょっと小さいぐらいの大きさの、猪と猿の合いの子のような魔獣が現れたのである。
「うわ出た…。」
猪猿(仮称)を目にしたヤタラさんがげんなりした顔でこちらを睨んでくる。まるでお前らのせいだ、とでも言いたそうに。
それに関しては後で異議を申し立てるとして、とりあえずは眼前に現れた総勢20匹近くの猪猿である。
「ほら、アレですよ弟子。遠征のしおりに書いてあった……。」
オリビアさんが片手で剣を構えつつ、ウィリアムさん、ロミアさん、ジュリエッタさんを背中に庇いながら言った。
「あー……、バイペドゥルボアエイプ。」
師団長から渡された書類の中に入っていた今回の遠征に関してわかりやすく纏められている『遠征のしおり』。
その中には、アンピプテラ平原までの道中までに出くわす可能性のある魔物の情報や危険な場所の情報、ついでに、観光するならここに行けという絶対いらんやろというような情報まで事細かにイラスト付きで記されていた。
著者の欄を見てみると、丸っこい可愛らしい文字で『編集:ラルポン』とだけ書かれていたので、これまたぶったまげてしまった。
それはさておき、このバイペドゥルボアエイプという魔物。普段は森の奥に住み、群れを作って果物や昆虫などを食べて生活している魔物なのである。
恐ろしげな牙に反して知能が高くて温厚な性格をしている個体が多く、動物園ならぬ魔物園では芸を仕込んだボアエイプショーが人気を博している様子である。
色合いは地味だし形相も恐ろしく、見目麗しい類の生き物ではないのだが、そのコミカルで愛嬌のある仕草は人間の同情を買うのに十分すぎるのである。
ただ、それは人間に躾けられた個体だからこその特徴である。
野生のボアエイプが下手に人間から餌をもらって人慣れしてしまった場合、人間にとって都合のいい「人間はおいしい餌をくれるやさしいお友達」なんて認識がなされるわけもなく。
「美味い餌を持っている動物」ぐらいにしか思われていないのかもしれない。
この森に棲んでいる彼らの認識がどうなっているのかはともかく、餌目当てで人間に近づいてきた彼らは、次第に人間から餌を強奪するようになってしまったのである。
それでいて、強奪された人間たちは彼らとの友好を願っているのである。反撃などもってのほかだ。
このように、カモと化した人間を襲えばあとは食べ放題なのである。
街道の脇で無警戒に料理でもしようものならば、あっという間に彼らが群がってくるようになってしまったのである。
つまり彼らにとっては、俺たちもまたカモなのである。
「どうするのですかな? 殺さずに撃退するというのもなかなかに難しいと思うのであるが。特にそれがし達は皆様方やクラーダのように腕が立つというわけでもござらん。手加減なんぞする余裕はないのだがなぁ…。」
困った顔でブロードソードを両手で構えているロミアさんは、指示を仰ぐようにヤタラさんの顔を見つめた。
彼の傍らには『バイペドゥルボアエイプへのエサやり厳禁!』の看板が、叩き割られて打ち捨てられている。
「いや、殺すよ?」
だが、意外にもヤタラさんはあっけらかんとした表情でそう返した。
「奈良の鹿じゃないんだし、近くの農村から苦情も入ってるから。餌の貰いすぎでちょっと繁殖しすぎてるっぽいし、間引く程度に殺しておけば、ビビって近寄らなくなるだろ。」
「「「「「ナラ…?」」」」」
大仏なんて知らない人たちは、揃った動きで小首を傾げている。
ちなみにそうしている間にも、バイペドゥルボアエイプはじりじりと近づいてくる。
ただ、鍛えていない一般人に比べて魔素量が多い騎士たちの集団が臨戦態勢を取っているのを警戒しているのか、話に聞くほど無遠慮に迫ってくる様子はない。
だが、それでも、刃物を向けられているにも拘らず逃げ出す個体は居ないのだ。おそらく、こちらが害してくることはない、と高を括っているからなのだろう。
バイペドゥルボアエイプの群れとの距離が3mほどになったところで、ヤタラさんが重たそうに息を吐いた。
「駆除業者が手を出せない以上、うちらがやるしかないんだよなぁ…。食事前で悪いんだけど、スプラッター注意ってことで。」
▽ ▽ ▽
仲間を殺されて激昂したバイペドゥルボアエイプたちが暴れまわることを警戒して、グラバーの乗った馬車と荷物、そしてその御者を守る厳重な守備陣形をとっていたのだが、それは無駄になった。
ボアエイプたちはヤタラさんの雷魔法が3~4匹を屠ったところで、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったのだ。
あとに残されたのは、焼け焦げた筋肉組織の悪臭と、見るも無残な炭化死体が8つである。
魔物によっては毛皮や皮革などを鎧や衣料品に加工することもあるようだが、ここまでボロボロだと使いようもないだろう。
森側にウィリアムさんが岩魔法で大きな穴を掘り、そこに彼らの遺骸は埋葬されることになった。
「世界樹の幹へと帰り給え。」
神官の資格も持っているのだというウィリアムさんが世界樹へと祈りの言葉を捧げている。
この世界における魂とは魔素の集合体のようなものらしく、それゆえに弔いは実利的な意味を持っているのである。
黒焦げの遺骸から立ち昇った青白い光を放つ8つの塊こそが、バイペドゥルボアエイプたちの魂なのである。魂たちの群れは風に逆らうようにふわふわとどこかへと飛んで行った。
視線でそれを追っていた俺に気づいたヤタラさんが傍に寄ってきた。
「聖都に飛んでったんだよ。弔辞は一種の呪文みたいなもんだから、魔素の動きに方向性を持たせられるんだ。」
「へー、……聖都に飛んでいく?」
思わず彼女の言葉を復唱してしまった。
死んだ者の魂が弔辞の度に聖都に飛んでいくのだとすれば、今頃聖都は魂だらけになっているのではないだろうか。
これまでは幽霊の存在は信じないタイプの人間だったのだが、この世界には明確にゴーストの類が、魔物の一種として存在しているのだ。
溢れんばかりの魂たちが夜な夜な聖都を跋扈して、魑魅魍魎の百鬼夜行になっているなんて話は聞いたことがない。それだけに、不思議に思ったのである。
「世界樹の切り株が魂を食うんだよ。」
「魂を食うって…、そんなヤベーのに国の要所を囲まれてるんすか?」
「言葉の綾だっての。」
俺の驚きに対してあざとい動きで肩を竦めた彼女は、木陰にしゃがみ込んで太腿の上で頬杖を突いた。
ウィリアムさんたちを手伝っていたアイラさんとオリビアさんは何事もなかったかのようにカレーを食べている。
ジュリエッタさんは黒焦げの死骸を見て気分が悪くなったらしくどこかへ行ってしまい、ロミアさんもそんな彼女を心配して追いかけていった。
ちなみに俺もカレーが喉を通らなかったクチである。汚い話ではあるが、感電したボアエイプたちが垂れ流した排泄物を彷彿とさせられてしまったがゆえに。
灰色の空の色は先ほどからますます濃くなっており、とうとうぽたりと雨粒が落ちてきた。
「降ってきたっすね。」
「うん。」
団扇のように大きな丸い葉をつけた大木は、まるで傘のように水滴を弾いてくれる。
ぱたぱた、ぽとぽとと軽快な雨音が頭上から聞こえてくる。
「座れば?」
「ケツが汚れるんで嫌っす。」
「キモ。」
小学校の頃、雨上がりの湿った運動場で全校朝礼があった時などはケツが湿るのが我慢できずに腰を浮かせていた俺である。
その度に教師に怒られていたのだが、今でもロケーションを考えない教師が悪いと思っている。
なので、美人さんからの心無い言葉にもちょっとぐらいしかダメージを受けないのだ。
「結局座るんかい。……世界樹が魂を食うってのはね。」
呆れたように目線を合わせた俺を見た彼女は、ため息をつきながら説明してくれた。
「“世界樹”ってなんていう植物か知ってる?」
「えぇ? 世界樹は世界樹なんじゃないの?」
「それはそうなんだけど……。」
どうやら聖ヴァイオレット王国の聖都を取り囲んでいる巨大な切り株は、数万年の時を生き続けている“リアラ”という植物の一個体らしい。
リアラは世界樹以外にもこの辺りに点々と生えているらしく、もっと田舎の方へ行けば、果樹として栽培もされている植物なのだそうだ。
「実が桃とスモモの中間みたいな感じで甘酸っぱくて美味しいんだよ。花も長寿の薬とか言って食べれるらしいし。」
「へー。」
ちなみに栽培品種として利用されるリアラに祈りを捧げても、死者の魂はその株の方ではなくて、世界樹と呼ばれているあの個体の方へと飛んでいくのだという。
そうなる原因が、世界樹をただの“リアラ”ではなく“世界樹”たらしめている要因に他ならないのである。
これには驚いた。
リアラという植物の中でも、世界樹と呼ばれている個体だけは、なんとドラゴンを産むのだという。
「ドラゴンを産むってどういうことすか?グラバーとかも世界樹から生まれたってこと?」
「うんにゃ、そもそもワイバーンはドラゴンじゃないから。ほら、こないだウチに来て、わたしの横乳見て帰った日があったじゃん。」
「みみみ見てねえし。あ、あれっしょ? 晩飯ごちそうになって、奴隷商捕まえた日。」
「そうそう。あの日、うちの玄関に変なオオカミみたいな彫刻があったのを見たと思うけど、アレ、実はこの世界のドラゴンなんだよね。」
「は?!アレ、ドラゴンなの!?!?」
ドラゴンと言えば、翼や角の生えたトカゲに似た生物という印象が強い。
それに比べて、頭に角が生え、背中にコウモリの羽が生えたオオカミのようなキメラ。ヤタラさんの家で見た彫像はそんな印象的な見た目をしていた。
妙に神々しくて忘れがたい姿をしていたので比較的鮮明に覚えていたのだが、まさかアレがドラゴンの似姿だったとは……。
「ドラゴンが1匹死ぬ度に、世界樹が1個実をつける。そんで、世界樹の実が熟したら、種の代わりにドラゴンが産まれる。ドラゴンを産むためにはめちゃくちゃ大量の魔素が必要になるから、魔素の塊を捧げんだよ。」
「へー、ああ、なるほど……。」
わかるような、わからないような説明だった。
魂が魔素で出来ているから、死んだ魔物や人の魂は、人の祈りによって世界樹に捧げられ、次にドラゴンが産まれるための養分となるということである。
人の営みがある限り魂は世界樹に供給されていくわけで、効率的なシステムだとは思うし、理屈としてもなんとなくわかる。
だが、そもそもなぜ人がドラゴンのために魂を集めるのだろうか。また、どうしてドラゴンは世界樹の実から産まれるのだろうか。それに、世界中の魔素が枯渇してしまったりしないものなんだろうか。
「これは知り合いの神官に聞いた話なんだけど、ドラゴンってのは、魔物というよりかは精霊みたいなもんなんだってさ。あ、これ1個目の質問の答えね。2個目と3個目に関してはようわからんわ。」
要するに、ドラゴンとは神の眷属であり、世界の様々な事象を司る精霊に近い存在なのだということだ。
ドラゴンの誕生を世界樹教徒達が手助けするのにはそういった理由があり、この国の繁栄の理由もそこにあるのだそうだ。
なんせ、ドラゴンの加護を受けた騎士団である。字面だけでもう強い。
「お2人とも、いつまでも喋っている暇があるのでしたらあのカップルを連れ戻してきてください。そしてさっさとご飯を食べてください。洗い物ができないので。」
意外と小食なオリビアさんは既に食事を終えている。
彼女はちょっとゲテモノ好きなだけであって、胃袋の容量は現実的なのである。例の謎の趣味も実は一種の供養の意味があるのだということだ。
一方で、意外とよく食うのがアイラさんなのである。根菜が嫌いなのか、ニンジンやダイコンに似た野菜を避け、肉ばかりをもりもりと食べている。
「む、あいつらはまだ帰っていないのか。……お嬢様方の前でこのようなことを言うのはどうかと思うのだが、おそらく奴ら、2人きりになっている間に催してきたのではないかと思う。」
「その話を詳しくお願いできませんか?」
ウィリアムさんの言葉にオリビアさんが鼻血を垂らしながら食いついた。
いくらなんでも話を聞いてから鼻血を出すまでのタイムラグが無さ過ぎる。鼻の血管にSSD積んでそう。
アイラさんも変なところに米粒が入ってしまったのか、ひどく咳き込んでいる。
顔色が真っ赤になっていて、籠手で鎧の胸の部分を叩くたびにガインガインと大きな音を立てている。
「す、済まない……、大丈夫ですか?余計なことを言ってしまった。お詫びというわけではないが、私が責任を持って探してくるとしよう。」
慌てて頭を下げたウィリアムさんは、そう言って1人ですたすたと森の奥へと進んでいった。
「い、いえ!1人では危険だと思う!のですが!!私でよければお供いたしますよ?!腕も立ちますよ!!」
売り込みの理由が不純なオリビアさんは、咳き込み続けるアイラさんに水筒を手渡しながらそう言った。
呆気に取られてそんな様子を見ていると、ヤタラさんがポンと俺の肩を叩いた。
「クラーダ君、行ってきなよ。」
「えぇー……。」
というわけで、俺がウィリアムさんの護衛につくことになってしまった。
ジュリエッタさんとロミアさんはウィリアムさんの言っていた通りに休憩地点から10分ほどの雨風を凌げる場所で、声を殺しながら盛っていたのであった。
目撃してしまった俺たちも気まずかったし、目撃されてしまった彼らも気まずかったことだろう。
拠点で待機していた3人も気まずかっただろうし、全員が気まずいままに出発することになったのであった。
ウィリアムも既婚者です。妻は騎士や貴族ではなくて故郷の男爵領の名主の娘です。
あと、ヤタラがやたら割り切って魔物を駆除していますが、別にサイコパスというわけではなくて慣れてしまったというだけです。




