2.晩餐会・上
メルファディアラニアポンさん改めニアさんを連れて色々な用事を済ませてていると、あっという間にヤタラさんとの約束の時間になってしまった。
買い物中にわかった事なのだが、彼女には家政婦としての働きを期待しすぎないぐらいが良いのかもしれない。
例えば、荷物持ちを手伝おうとするのでお願いしてみたら、非力な俺以上に非力だった。
年若い女の子に力仕事を期待するのが悪いのかもしれないが、エルフだもんなぁ…。
ちょっと種族的アドバンテージがありそうだと期待してしまったところがある。
名誉挽回のチャンスを求めて特技の値切りをさせてくれと言うものだから任せてみると、少し目を離したすきに家具屋の店主と取っ組み合いの喧嘩になりそうになっていた。
慌てて止めに入らなければ、後で俺が騎士団から怒られるはめになってしまっていただろう。
他にもいろいろと張り切っていたようだったが、悉くそのやる気が空回りしてしまっていた。
彼女はこれまでの遜っているようで尊大な態度に、少しだけしょんぼりした様子を滲ませ、俺の顔色を窺いながら頭を下げてきた。
「も、申し訳ございません、旦那様…。私の本分はお料理なのです。今晩、あの第3師団長様のお家へ行かれるご予定さえなければ、お夕飯で旦那様の胃袋とキ〇タマ袋を鷲掴みに出来ていたはずなのですが…。」
「セリフが酷い…。」
どうやら彼女は故郷の騎士領で料理を学んでいたらしい。
ちなみに故郷の騎士領というのは、ラルポン師団長の妹の夫、つまり師団長の義理の弟でニアさんの父に当たる騎士が戦果を上げた際に与えられた小さな領地らしい。
田舎町のようだが、そのかわりに海や山の幸が豊富で、いつでも新鮮な食材が手に入る良い場所なのだそうだ。他にはラタルニス・シオニムという“花煙草”なる煙草の原料を育てている花畑が有名らしい。
要するに農業の盛んな街だということだ。
他には特に何もない田舎だったが、料理を研究する機会だけには恵まれていたのだろう。
実際、彼女のレースの手袋の下が包丁傷跡だらけになっているのを見せてもらった。
それに、普段は用が無いのでスルーしていた生鮮食料品店を冷やかしながら、色々と食材の見分け方に関する興味深い話をしてもらった。
値切りが得意というのも、食料品に関する話だったのかもしれない。
「せめて一度、私にお料理をさせていただける機会を頂けませんでしょうか?…領内の者たちに送り出してもらった手前、送り返されるというのも非常にその…、戻りづらいといいますか、後ろ指を指されるといいますか。ラルポン叔母様にもご迷惑をお掛けすることになりますし……。お料理もお嫌と仰るのでしたら、…わ、私の身体を好きにしてくださればよろしいので…。」
「あー、うん。いつかそんな時が来たら頼むよ。」
「な、なんだか馬鹿にされたような気がいたします。いえ、馬鹿にしましたよね旦那様?叔母様に言いつけるんですからね?」
ニアさんにも色々あるようで、追い返されたら困るらしい。
幸い、王様から貰った褒美のお陰で当面の資金面にもわりと余裕がありそうだった。
なので、騎士団の宿舎の近くにある下宿に無理を言って一部屋借りさせてもらった。
…むしろ、あの王様はこれを見越して多めに渡してくれたのかもしれない。
彼女にはひとまずその下宿で寝泊まりしてもらい、これから騎士団の仕事で忙しくなってからは日中に家事を手伝ってもらうことにしよう。
この国の成人が何歳からなのかは知らないし、この人が何歳なのかも知らない。
だが、同意の上とはいえ、さすがに騎士という身分で傍から見ればちんちくりんなニアさんに手を出すのは非常に外聞が悪い気がする。
食指も動かないし。
うん、低身長ばいんばいんメイドエルフなんかに負けないんだから。
ともかく、だからこその策である。
「ちぇーっ、意気地なしですね。」
そんな風に伝えると、彼女は額に皴を寄せながら道端に転がっていた石ころを蹴っ飛ばした。
だが、蹴っ飛ばしたと同時に蹲ってしまった。
どうやら、石ころが思っていたよりも大きかったらしく、足首を傷めてしまったらしい。ドジっ子……。
結局、非力な俺は、荷物に加えてニアさんをおんぶして部屋に帰ることになったのだった。柔らかな感触を楽しむ余裕もない。
彼女は申し訳なさそうにしていた。
だがこの際、この人はこういう人なのだと割り切って付き合っていくことにする。
いつか彼女の手料理を食べられる日を楽しみにしておこう。
あれだけ自信満々だったのだから。
少し照れくさそうなニアさんを下宿に置いて来た後、買って帰った物を自室で片付けている最中に、ヤタラさんからの迎えの者が呼び鈴を鳴らしたのである。
▽ ▽ ▽
豪邸である。
聖都や外周都市から少し外れた郊外に建てられたこのお屋敷は、豪邸としか言いようがない。
周囲に商業施設がないために多少の不便はありそうだが、その代わりに広々とした土地が最大限に生かされている。
聖都に居を構える貴族たちが場所の制限ゆえに断念しなければならなかった『広々とした庭』を実現することが出来ており、庭園の造形や植物に興味のない俺でも、ちょっと『面白い』と感じるような枝振りの大樹がシンボルツリーとなっている。
馬車から降りて目に入った屋敷の外景に感心していたら、家屋の方から執事服を着た爺さんが歩いてきて、俺に話しかけてきた。
「クラーダ様、ようこそいらっしゃいました。お嬢様がお待ちで御座います。」
聞けば、この執事はヤタラさんがまだ“プリュネラ第8王女殿下”と呼ばれていたころから王家に仕えていた執事長だったのだそうだ。
年齢のために退職した後、新聞に出されていた求人に半ば趣味のような感じで応募した結果、ヤタラ邸の執事長として再雇用されることになったのだという。
「あ、どうも…。あのう、これ。よろしかったら、使用人の皆さんでお召し上がりになってください。」
そんな老齢の執事長さんに、お土産として買っておいた菓子折りを手渡す。
外周都市中心街の高級店で買った物なのだが、20個入りで目ん球が飛び出しそうな値段だった。それを2包みである。
品質と味に関しては、試しに買ったケーキをニアさんと半分こした時、思わず顔を見合わせてしまったほどなので、折り紙付きだ。
家主への土産は別で用意してあるので問題ない。
「これはこれは良き品を。どうもご丁寧にありがとうございます。後程、皆と頂かせていただきましょう。ささ、こちらへどうぞ。」
この世界にも、訪問の際に手土産を持って行く文化があるのかは半信半疑だったが、どうやら行動もセレクトも間違いではなかったらしい。
執事長の爺さんは抵抗なくそれを受け取ってくれた。
ホッと胸を撫で下ろしながら、執事長に続いてヤタラ邸の門を潜ったのであった。
さて、ヤタラ邸内部である。
まるで絵に描いたような西洋風の貴族屋敷である。
…これでは伝わらないだろう。
教養とこの世界の知識と語彙が足りないなりに、出来る限り詳細に説明してみよう。
観音開きの玄関扉を通って、初めに受けた印象は『白い』である。
白大理石(に似た石材)が敷かれた床が、蔦のような模様のランプシェードから落ちた暖かい光を受けてゆらゆらと輝いている。
床の石材よりも少しだけ暖色の混じった壁紙もまた白く、フルール・ド・リスに似た花の形をした灰色の紋章がいくつもちりばめられている。
玄関扉の上の彫刻壁にも同じような装飾があったし、もしかしたらヤタラさんちの家紋だったりするんだろうか。
壁を支えている、溝の彫られた柱にも同様の意匠が施されている。
様式的にはやはり、中世17世紀ごろのヨーロッパ、バロック建築と言ったところだろうか。
知らんけど。
適当に知ってる単語を列挙してみただけだ。
広々とした玄関スペースの左右には、白樺材に似た黄白色の木材のドアが建てられている。
そして、そのドアの横に並ぶように何枚かの額縁入りの絵が飾られている。
作品様式は印象派に近いのかな?ホラゲーならば中の人物像に要警戒である。
額縁の様式までは分からないので、スルー。
玄関の真正面には2階へと続く大きな階段が備えられており、それは中腹ほどにある踊り場で右側と左側の二手に分かれている。
1階玄関から階段まで途切れることなく敷かれているカーペットもまた高級そうだ。
非常に長いペルシャ絨毯といったところだろうか。
右手と左手に分かれた階段下の空きスペースには、あまり目にした事が無い類の奇妙な動物の彫刻が飾られている。
狛犬みたいな配置だ。
なんというか、コウモリの羽が生え、首が少し長くて、頭に4本の角が生えた、冬毛のオオカミに似た神々しくもモフモフしい獣の彫像である。
これがどういう動物なのかはともかく、彫刻としての完成度は非常に高いと思う。盛り上がった筋肉の躍動感は今にも動き出しそうだ。
総評して、優雅で華麗で豪華な貴族趣味にも拘わらず、非常に調和していて均整の取れた内装だと感じた。
……とまあ、ここまでの言い回しはとあるノベルゲーの受け売りであるが。
キョロキョロと屋内を見渡していると、執事長や出迎えのメイドさんが期待した目でこちらを見ていた。
感想が欲しいと言ったところか。
さて、下手にカッコいいことを言おうとして失敗するのも恥ずかしいので、ここは無難に一つ。
「すごく瀟洒で典麗なお屋敷ですね。…あそこで寝てる人以外は。」
「お、お嬢様…。」
今更になって気付いたのか、老執事が困ったように額に手をやる。
角コウモリオオカミの彫刻の下には、赤いベルベット張りの大きなソファが置かれている。
来客をそこで待たせたり、玄関扉を開け放ってそこから庭の風景を眺めつつお茶するのに使うと考えれば、そこにソファがあろうともおかしくはないのかもしれない。
だが、風通しの良いそこで、うつ伏せに寝そべって納涼している人物が居たらどうか。
それがどんな貴族様であっても、どんな美人であっても、だらしなく、ミスマッチなものだ。
黒地に紺色のメッシュが8本入った無造作なボブカットの女性は、メッシュの色とそっくりな色で光沢のある生地のドレスを身に纏っている。
背中が丸見えなせいで、一瞬、上半身が丸出しなのかとドキッとした。
だが、よく見ると首元にスカーフのような布が巻かれている。
要するに、体の前面はちゃんと布で覆われており、それを首で結んで固定しているという事なのだろう。
非常にセクシーなドレスだと思うのだが、着用者のおかげで『夏バテしたおっさんがヨレヨレになったTシャツとゴム紐の伸びた短パンを着ている』ようなだらしなさを前面に押し出されている。
トドのようにぐったりとうつ伏せに寝ていた彼女は、顔だけをこちらに向けて挨拶してきた。
「あー………、いらっしゃい。飯、飯ね…。」
よっこらせ、と重たそうに体を持ち上げた彼女は、ちょっと、いや、あまりにも無頓着で無防備だ。
うつ伏せの状態から腕をジャッキにして身体を起こそうとすれば、重力を受けるのは身体だけではない。ドレスの厚ぼったい布生地もまた同じである。
そして、よりにもよってその布は非常にゆったりとしており。
布が覆い隠すべきものがつつましいのも災いしてしまい。
…いやいやいやこれはちょっとちょっとちょっと、あーあーあー。
「お嬢様!?お気を確かに、お気を!!」
慌ててメイドが手に持った銀盆でそれを隠す。
お気を確かに、は少し違う気もするが。
加勢(?)に来た新たなメイドもまたお盆を持っており、同じように側面を隠した。
メイドたちの慌ただしい動作によって、ようやく自分がどんなことになっているのか気付いたらしく、ヤタラさんは再びうつ伏せになった。
「……このドレスさぁ。わたしが家に男呼ぶっつったらさぁ。こいつらがどうしても着ろって言うからさぁ…。」
ぐにゃぐにゃした声で経緯を話し始めたヤタラさんは、眠たいのか、普段はぱっちりとしている大きな目をショボショボとさせながらメイド2人を睨み始めた。
「…おう、どないすんねんや。嫁入り前なのに野郎に乳見られとんやぞこちとら。お前らの所為やんなぁ?首切ったろうか?」
やべえ、気にしてないわけじゃなかったらしい。これは俺の方にも『追って沙汰有り』と考えるべきか。
「も、申し訳ありませんでしたぁ!お嬢様に絶対似合うと思ったんですぅ!!やっと、やっと見つけたお仕事なんですううう!!!捨てないで!!!!」
「別のお召し物をご用意しますからぁ!!!何卒、何卒、家族の命だけは…!!!」
号泣…はしてないか。
妙に堂の入った泣き真似を始めたメイド2人が、ぺこぺこと腰を折っては戻すという反復動作を開始した。
だが。
「許すまじ。」
わしゃわしゃわしゃわしゃ。
ヤタラさんはそんなメイド2人の頭を両手で掴んで髪をかき乱した。
よくわからないが、メイドさんたちがクビになることも、首になることもないだろう。
代わりに、綺麗に巻かれていた髪が爆発してしまっているが。
「あー…、変なもの見せてごめん。着替えてくるわ…。先に食堂で待ってて。」
ひらひらとこちらに手を振りながらそう言い残した彼女は、両脇をメイド2人で固めながら、のそのそと猫背で正面階段を登っていった。
取り残された俺は、思わず同じく取り残された執事長の顔を見た。
彼は茫然としていたが、俺の視線に気付くと、気を取り直すように咳払いをした。
「…えー、ゴホン。クラーダ様、お嬢様もあのように仰っておりますので、食堂の方へとご案内いたします。本日のディナーは当家のシェフが腕によりをかけてご用意させていただきました。彼もまた、私と同じくお嬢様を幼い頃から知る者の1人でございます。」
「…王家を出る前からあんな感じだったんですか、第3師団長様は。」
どうせ転生してきた異世界人なのだから、子どものころは『利発で落ち着いたいい子』だったのだろう。
そして、本性を出してからは『どうしてあんな子に育ってしまったのやら…』だ。
「いいえ…。幼い頃はとても利発で落ち着いていらっしゃって、才媛とも呼ばれておりました。私のことも、じいじなどとお呼びになって慕ってくだすったのに……。今のように勇ましくあられるのも、下々に余計な不安を煽らぬためには大変好ましく、ご立派な事ではございますが、……と。お客様に申し上げるようなことではございませんでしたな。これは失礼いたしました。」
ほれ見たことか。
その後、執事長に食堂まで通され、使用人の人たちと雑談をするなどして時間を潰していた。
記憶喪失の人間は魔法があるこの世界でも珍しいらしく、コックさんからメイドさんから執事さんから庭師さんまでもがどんどんと集まってきた。
そして、俺は質問攻めに逢うこととなったのだった。
ボロを出さないように心臓をヒヤヒヤさせながらそれに返答していたところで、ダボダボのロングパーカーの下に、履いているのか履いていないのかわからないぐらい短いパンツという、カジュアルスタイルに変貌を遂げたヤタラさんが戻ってきた。
うん、さっきのドレス姿よりもこちらの方がまだしっくり来る。
「ふいぃ。……お待たせ。飯食おうぜ。」
長い脚を放っぽり出すように足を組んで腰かけた彼女は、手を2度鳴らした。
ボスが戻ってきたので休憩時間は終了と言ったところだろうか。
使用人たちはそそくさと持ち場へと戻って行った。
「いやー。どんな料理が来るのか、楽しみで仕方ないっすねー。」
「わかるー。」
この際、先程の出来事に関しては何も起こらなかったという体で行こう。
それが双方にとってなによりの幸せのはずだ。
この作品をラブコメにするつもりは無い
ありがたいことに、気が付いた時には本作の累計アクセス数(PV数)が900も近くになっておりました(編集時点)。
この場を使って、序章1話から1章1話までを閲覧してくださった皆様、そして本話(1章2話)を開いてくださった皆様に感謝の意を表させていただきます。
皆様、本当にありがとうございます!
これからも本作をどうぞよろしくお願いいたします。