タヌキとイケメン
「なんか来たわ! これはきっとフィールドボスね! 」
『ステータスバーに【タヌキ】って出てますよ。タヌキなのでは?』
「いや、なんか怖い顔してるし、というかもう戦闘始まってるのねこれ。やばいやばい! 」
リアルな動物はよく見ると実は怖い。そしてそのリアルな動物との戦いはもっと怖い。ゲーム内とは言え、現実世界がそのまま表現されているのだから、それは変わらない。
怪我したら痛そう、殴ったり殴られると血が出そう、噛まれたら伝染病に罹りそう、服が汚れそう等々、慣れるまではなかなか大変そうだ。
ステータス補正の掛かってない現実世界で野生動物に勝てる人は限られている。しかも、それは準備万端で戦い慣れているという前提付きだ。大概の動物は人間より動きが早く、しなやかで、ジャンプ力があり、凶悪な爪と牙を持っているものも多いからだ。
人間が生来的に持っている武器は、進化の痕跡である犬歯だけである。鍛えられた拳や知識はあくまで後天的なものでしかない。
そして今、依里亜はその戦いの知識もなく、持っている武器は通販サイトのママゾンにて823円で買った12cmのすりこぎ棒だけである。すり鉢にゴマを入れて擦る例のアレである。
このすりこぎ棒は、確かヒノキでできていたはずなので、【ひのきのぼう】と言い換えてもいい。気持ちだけは『攻撃力+2』である。
――――――
依里亜がタヌキと向かい合う1時間ほど前のことである。依里亜は車を南に向けて走らせていた。新幹線の高架橋が国道の上を横切り、大きな家具屋が見えてきた。そろそろ仙台市の南端である。
もう少しで隣の市に入ろうとする手前で、多くの車は左右の道に曲がっていき、直進する車は依里亜だけになっていた。
するとすぐに大きな壁が見えてきた。高さ3mくらいの白い壁が延々と見渡す限り続いている。かつて依里亜が暮らしていた時にはまるでなかったものだ。
料金所のような、関所のような門の所まで車を進めると、警備員ぽいドワーフが車を停めるように指示をしてきた。
「ここから先はモンスターがいる森だけど行くの? 」
「やっぱりそういうことだったんだ! 」
レビとひそひそ話をする。
「行きたいんですけど、なんか強さの条件とかアイテムとかギルドの登録とか必要なんですか? 」
「なんにもいらないよ。でも、車は駐車場に停めて歩いて行ってね。向こうに行くのは無料。駐車料金は1回600円」
「普通の料金所だったのか」
「あと、やられた時の『死に戻り』はだいたいこの辺りだから」
と門の手前の辺りの何もないゾーンを指さす。
「やられてしまうとは情けない! ってやつですね。わかりました」
道路の左側に広がる大型駐車場の入口で600円を払い車を停める。レビとリュックを忘れずに持つと、受付ドワーフに軽く会釈して門をくぐる。
「そういえば人間以外と初めて会話したわ」
『私も人間ではないですけどね』
「でも、死んでもやり直しできるのはいいわね。デスペナルティについては確認してないけど。あとは痛みを感じるかどうか……は、いま確認できるわね。」
と右手に持ったすりこぎ棒で軽く左手の甲を叩く。
「痛くないわ! これはラッキー! 」
実際に痛みの記憶を忘れ去るのはなかなか難しいし、痛みを感じるからこそ生き死にに関わる危険を避けられるはずである。
ただそれは何もない日常でのことで、戦闘を繰り返すことになる状況においては痛みを感じないのは大きなメリットだ。痛みを抱えたまま戦い続けるのはなかなかに大変なはず。
白い塀の出入り口をくぐり、レビに声を掛ける。
「レビ、地図はどうなってる? 」
『やはりなにも表示されてないです』
地図の通り、塀を越えると森が広がっているだけであり、舗装された道路も何もなかった。
「仙台市だけ存在してるのね」
『でも、ちょっと右の方を見てくださいよ』
レビに言われた通り木々の切れ間から遠くを見ると、新幹線の高架橋が森の上を通って遥か南の方に向かっている。確かに新幹線の線路は田んぼの上とかにでもあるので決しておかしな風景ではないが、道路は壁でぷっつりと途切れている。
これはあとでだれか知っている人に聞くしかないな、と思いながら森を進んで行く。
途中見つけたカタツムリとかカブトムシをすりこぎ棒で叩いて粉砕しながら進んだが、依里亜のレベルはまだ1のままだった。お金は67円ドロップしていた。公園で潰しまくったアリは余りにも弱かったので1円すらドロップしなかったようだ。
そして【タヌキ】とエンカウントした。もちろんフィールドボスではない。
「レビ、いざとなったらあなたを盾にするわ。平らだし」
『やめてくださいよ』
右手にすりこぎ棒、左手にポータブルテレビを持った依里亜は、街で見かけたら目を逸らすような人種である。
タヌキは威嚇なのだろうか「うわーんうわーん」と吠えだした。別に腹をポンポコ鳴らすとは思っていなかったが、初めて聞いた叫び声に依里亜はゾッとして萎縮する。その瞬間、タヌキが走り出す。
依里亜の持っている武器は決して長くはないため襲ってきたところをカウンターで狙おうと考えていたのだが、タヌキが突進する速度が予想よりも速い。
大きく振り下ろしたすりこぎ棒が空を切る。空振りした勢いでバランスを崩した依里亜は尻もちをつくと、その拍子にすりこぎ棒が手を離れた。
絶好のチャンスとばかりに飛びかかるタヌキ。依里亜は反射的に左手で持ってたレビで顔を庇おうとした。
タイミングがよかったのか悪かったのか、レビの角がタヌキの鼻っ柱を直撃する。カウンターとなったその一撃でタヌキはHPをなくし、モザイク状のデジタル効果を残し消滅した。
依里亜はレベルが2に上がった。1,026円を手に入れた。
「え、レビ? まさか【デス】の呪文とか使えるの?即死したわよ? 」
『……いえ、物理攻撃でした……』
「盾は嫌でも武器にはなるのね、あなた。素晴らしいわ」
『本気で言うのはやめてください』
「あ、そうだ。ところでレビ、あなたはどこでものを見てんの?」
『目はありませんから周りに超音波を出して大体把握してますよ。スピーカーがあるから音は出せますから。姿形の知識は映像として映していたものを覚えてますから大体のものは色までわかりますよ』
「器用ねー。つまりエコーロケーションてやつね。コウモリとかイルカのやるやつ。つまり、そうするとリュックに入れてしまうと周りの様子はわからなくなっちゃうの? 」
『そうですね。全く分からなくなるわけではないですが、かなりぼんやりしてしまいます。エコーロケーションを使えば、ある程度のことはわかるんでレーダーとして使いたいのであれば、ぜひ外に出していて欲しいです』
「よし!今度は武器として最初から右手に持っておくか!」
『壊れるんで割と本気でやめてください。……ほら、またタヌキみたいなのが近づいてきますよ! 』
「よしタヌキのHPはあんまりないことがわかったし、落ち着いてやれば私でも倒せるはず! 」
ガサゴソと草むらを揺らして出てきたのはタヌキであった。が、その背中には鉄製の釜がついている。【ぶんぶく茶釜】である。
「ええ! もはや何でもありね!? でも、きっとさっきと変わらないからいけるはず! 」
根拠のない自信に裏打ちされた依里亜は、自信満々に先制攻撃を仕掛けた。すりこぎ棒は鉄釜に当たって跳ね返される。
「ああ!手が痺れる!きっと私のHP減ったわ!これが物理反射攻撃ってやつね! 」
『防御されただけですよ。あとHP減ってないです』
「さっきのコンビニでポーションを一応2本買ってあるからしばらくはきっと大丈夫!私ったら準備いいわ」
『2本では少ないと思うけど』
「よしレビで殴ってみようかしら? 」
『私、防水加工だけなんで! 表面プラスチックですから! 鉄製とは戦えないと思います! 』
そんなやり取りをしていると、ぶんぶく茶釜が後ろを振り返った。その瞬間、依里亜もなんだかわからない恐怖に全身が総毛立つ。
「え、なに、この気配……。何か禍々しいオーラを感じる! オーラわかんないけど! これが殺意? 」
『何やらやばそうですね』
ぶんぶく茶釜が「うわーんうわーん」と威嚇をするが、体は震えている。死を感じる動物としての本能は人間より上なのであろう。
ヌルッとした感じで草むらから出てきたのは、一般的にタコ型の火星人と呼ばれるものであった。緑色の皮膚をしたおにぎり型の頭には大きな目と口だけががついている。皮膚の表面はなんとなくヌメヌメしており粘液が覆ってるように見えた。
おにぎりの下から生えた触手は8本なのか10本なのか、どうやって歩いているのかわからないがモゾモゾと近づいてくる。
移動速度は遅いがレベル差があり過ぎるのか、ぶんぶく茶釜は麻痺したように動けない。たぬき寝入りしてもおそらくは見逃してはくれないだろう。
「どうなってるのこのゲームの世界観はー!」
たぶん突っ込むところはそこではないが、そんなことをしてる間にタコはより近いところにいたぶんぶく茶釜に触手を伸ばすと、逃げられないように巻き付けた。
依里亜は今しかないとばかりに逃げ出した。おそらくはタコがぶんぶく茶釜を食べ始めた咀嚼音が少しだけ聞こえた。
依里亜は息も絶え絶えに壁の出入り口までたどり着くと、仰向けに倒れ込んだ。
「何なのあれ、死を感じたわ……はあはあっ」
『火星人が怖いようには思えなかったけどレベルが高すぎましたね。ネームドモンスターとかフィールドボスなのかも知れません。戦闘始まってなかったので名前もステータスも何も見えませんでしたが……あ、それは…』
依里亜は2本しかないポーションのうち1本を飲み干していた。走りすぎて喉が乾いたからだ。別にHPは減っていなかったので回復はしない。コスパが悪い飲み物だ。
「お嬢さん大丈夫ですか?」
そこに急にイケメンが現れた。黒髪の純和風のイケメンである。
「如月依里亜さんですよね」
依里亜は体を起こしイケメンを確認すると目を輝かせた。【彼氏がいるので浮気はしないがイケメンは好き】がポリシーである。ナンパされて嬉しくない訳はない。もちろん、ただしイケメンに限るのだが。
「依里亜さん、チュートリアルを受けますか? 」
「……え? 」
「だからチュートリアルを受けますか? 」
「そうきたか……」
ゲームの進行上、必要なナンパであった。
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