隕石衝突と骨の人
初投稿です。よろしくお願いいたします。
『ピーピー』というオーブンレンジの電子音。如月依里亜はみじん切りした玉ねぎが温まると、鍋に移して炒め始めた。玉ねぎは予めレンジで温めると甘みが増す。依里亜は料理が決して得意ではないが、作る過程が好きなので手間は惜しまない。
「いよいよこれが最後の晩餐だねー。あー、お昼だから晩餐ではないかあ」
「うん。最後の食事だね。それにしても依里亜はミートソースが好きだねえ」
「世界で1番好きな食べ物はいつでもミートソースよ。ゆっくりと味わって食べてね」
「今日も美味しそうだな」
依里亜がミートソースを混ぜるのを後ろから覗き込んだ秋月朔太は微笑む。
「どうする? 食べ終わったらベランダで見る?それともどっか外に行ってみる? 公園とか」
「そうだな……。2人きりで見たいからベランダにしようか。依里亜はどっちがいい? 」
「私もベランダがいいかな」
直径300kmの隕石は、既に地上から目視できる距離まで迫っていた。
2年前に突然発見された隕石に対し、各国は多くの核ミサイルその他を撃ち込んだ。しかし、どんな対応策も無駄で、隕石の軌道は全く変わらず、地球への落下をやめることはなかった。人類にとってその隕石は余りに大きすぎたのだ。発見が早くても手の打ちようはなかっただろう。
依里亜と朔太は、どうせ助からないのだからと、その最後の瞬間をベランダから眺めていた。怖くないと言えば嘘になるがなんともしようがない。せめて最後は2人で一緒にいようと決めたのは1年前のことだ。
地下に核シェルターを作るとか、宇宙に脱出するとかの話は一般人の2人には関係のない話だった。そのためになにか努力をしようとは思わなかった。
巨大な隕石は日本列島の上を悠々と通過して行く。余りに大きいので動きはゆっくりとして見えるが、実際には時速70,000キロメートル以上の速度で落下してきている。空気との摩擦で大量の光を放っているが、あまりに大きいので表面のゴツゴツすら見えるようだ。
依里亜も朔太も遠くに見えた巨大すぎる閃光をスマホで撮影した。意味がないことはわかってはいたが、そんなことでもしてないと耐え切れそうもなかった。
「キレイね……」
「呑気だな」
「ミートソース美味しかったね」
「ありがとう、依里亜」
朔太は笑っていいか少し迷った。言葉だけなら恋人同士の2人にとってはぴったりではあるんだけど、とも思った。
そうしてるうちに意識すらできない速度の衝撃波が、すべてを飲み込んだ。痛みすら感じる暇はなかった。
日本から1,200km離れた太平洋に落下した隕石は、海を地殻ごと削り取り、最初の爆風だけで日本列島を完全に粉砕した。
衝突した衝撃で摂氏10,000度以上の岩石蒸気に形を変えた隕石は、その後熱波となり1日もかからずに地球を覆い尽くした。
――――――――――――
依里亜は気づくと部屋の中に立っていた。
「あれ? 私さっき死んだような? 」
見回してみるが、いつもの自分の部屋である。が、自分の部屋ではないようにも感じた。なんとなく違和感を覚える。朔太も見当たらない。
「朔太~! 朔太~! 」
返事はない。
「えーっと……。夢? でも夢にしては隕石の落下はリアリティあり過ぎだったとは思うけど……? 」
自分の格好を手探りで確認する。……特におかしな所はない。姿見に全身を映してみるが、正真正銘の自分自身である。まだ意識がぼーっとしていて思考がうまくいかない。
ソファに力なく座り込んだ依里亜は、机の上にある雑誌に目を止めた。2年前の雑誌だった。あれ? と思い、何気なく貼ってあるカレンダーに目をやるとそれも2年前のものだった。
依里亜は、就職が決まった4年前から仙台にあるこの賃貸マンションに住んでいる。2年前の隕石接近の政府発表には驚いたが、どこにいても同じことがわかるとすぐに諦め、あとは好きな事をしようと思った。
大学時代から付き合っていた朔太は、横浜で就職したのでしばらくは遠距離恋愛を続けていたが、隕石落下の1年前から同棲を始めていた。朔太は無理を言って仙台支社への転勤をしたのだ。
籍を入れるか入れないかはどうでもよかった。どうせ隕石が落ちたら戸籍も何もない。心さえ繋がっていればそれでいいと思っていた。もし隕石が落ちなかったらその記念にでも結婚しようくらいの気持ちだった。ウエディングドレスを着てみたいともあまり思わなかった。
同棲を始めた時に大幅に部屋のレイアウトを変えたのだが、現在、依里亜の目に映る部屋の様子は、昔のレイアウトのものであった。部屋に感じた違和感の正体だ。
「タイムスリップでもしたの……かしら? 」
呟いたその疑問に答える者はいない。
2DKの部屋は人が隠れるような所はない。朔太はどの部屋にもいなかったし、咲太の持ち込んだ家具や荷物は一切なかった。スマホが見当たらないのも気になった。
訳がわからなかった。死んだはずなのに死んでない。かといって自分の置かれた状況は、最新の記憶通りではなく、おそらくは過去のもの。
落ち着こうと思い、冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して口にした。冷蔵庫の中身はさっぱりしていて、記憶にある現在との細かい違いはよくわからなかった。
いつかは同棲や結婚をするだろうと思っていたため、マンション暮しを始めた時に買った電化製品はそれなりの大きさだった。料理をする習慣が元々あったこともあるだろう。スチームオーブンレンジも、冷蔵庫も、テレビも。いざ家族が増えた時にいちいち買い直すのは無駄である。
依里亜は取扱説明書をきちんと読み、便利な機能の類は使いこなせていた。諦めが早いのと面倒くさがりは両立する。特に調理に関係する家電は大事に扱っていた。こまめに掃除をし、上手に料理が出来た時は褒めたりもしていた。
一人暮らしの時についたその習慣は、同棲してもなくならず、よく朔太に笑われた。
「電子レンジ褒める人ってあんまりいないよね」
「いやいや、物にも魂があるんだからちゃんと声を掛けるのは大切なことよ」
「依里亜がそうしたいなら僕もそうしようか」
「ダメダメ、このレンジは私のだから」
乙女心は複雑である。
朔太は横浜にいた時は社員寮に入っていたので、同棲した時に持ってきたのは服や身の回りのものだけであった。
一通り全ての部屋の様子をチェックした依里亜は、ベランダから外を見下ろしてみた。4階建てマンションの最上階にある部屋からは割と遠くまで見ることができる。
人も歩いているし、車も走っている。いつもと変わらぬ日常が広がっている。
「これでエルフでも歩いてれば転生ものなんでしょうけどねえ……」
と思って外を見ていると、骨が歩いていた。
「……骸骨? んんん? 仮装? 」
その骨から少し離れたところに、背中から羽を生やした人型の生き物が歩いているのも見える。サイケデリックな色彩のコスチューム着ているかのようであり、よくわからないがサタンとかデーモンとか言われる感じのものだった。
「……んんん? なんだなんだ? ハロウィン? デビールマンみたいではあるけど、どう見ても正義の味方には見えないわね……。あ、普通に人間の格好してい人も歩いてる」
普通に人間の格好をしている人、という表現はおかしいが骸骨やサタンと比較するとそう言わざるを得ない。
視線をさらに移してみると、3つ首の犬が歩いている。
「……ケルベロスじゃね? は? え、なに? 」
仮装にしてはよくできているとは思うが、無理矢理犬にまで仮装させるのは動物虐待だとも思った。もふもふも大好きな依里亜に怒りと同情の念が湧いてきた。しかし、散歩させているだろう飼い主の姿も見当たらず、怒りの矛先は宙に浮いた。そしてケルベロスの3つの首は余りにもリアルだったのだ。
『もう少しレベル上げたいよね』
『北の方が経験値いいみたいって聞いた』
『んじゃ明日いってみようよ』
と、ケルベロスの3つの頭が会話をしているのが聞こえてきた。
「日本語しゃべれるんかーい! 中の人いるんかーい! 」
依里亜は聞こえないように小声でツッコミをいれた。
それからさっき歩いていた骨の人に目を向けると、足が遅いためダラダラと歩いているが、仮装にしては肉の部分が全くなく、骨格標本がそのまま歩いている状態だと気づいた。依里亜は少し考え込んだ。思考は半分止まっているようなものではあるが。
「ちょっとハードルが高いけど確かめてみるかあ……」
そこで依里亜は意を決して、外に出てみた。骨の人と、デビールマンと、3つ首の犬の正体を確認しようと思ったのだ。
他にも普通に歩いている人もいるからいきなり襲われて死ぬってことはないだろうとも思った。
「ふふふーん」
嘘くさい鼻歌を歌いながら、3つ首犬に近づく。リアルである。SFXか特殊メイクだといえばまあ説明はついた。続けざまにサタンと骨を追い越ししばらく歩いたあと、忘れ物を思い出したかのような演技をしながら立ち止まり、振り返ってそれぞれの正体不明の生き物とすれ違うことにした。
もちろん悟られないようにちらちらと視線を送りながら。目は合わなかった。
「…うーん、リアルというか本物ですね。スケルトンはホントに骨だけだし、剣と盾持ってるとか……めっちゃ怖いんですけどー。デビールマンは普通に羽動いて軽く宙に浮きながら進んでたし」
家に戻った依里亜であったが、深く考えるのを諦めた。そしておそらく事実であろうと受け入れることにした。骨の人もデビールマンも3つ首犬も実在するということを。本物だということを。
「どうせ異世界に転生するなら、ファンタジーの世界とか中世ヨーロッパが普通なんじゃないのー!? なんで元々住んでた家に転生してんの!? 」
と少しハイになりながらも、ふと思いついたよくあるフレーズを半信半疑で唱えてみた。
「ステータスオープン!」
定番である。少し恥ずかしい。
しかし、何も起こることはなかった。恥ずかしさが倍増する。
が、少し離れた所で音がした。音というか声だ。
『了解しました』
その声と同時に机に置いてあったポータブルテレビの電源が入った。