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末娘は悩む

 日が昇るにつれて徐々に境内は賑やかになっていく。太鼓、鈴、舞の音。さわさわと揺れる木の葉に、着物の擦れる音に流れる水の音。人びとの話し声、砂利の音、写真を撮る音。それら全てが賑やかに、楽しげに立ち上っている。霞は楽しげなこの雰囲気が大好きだった。

人の波に潜りあちらこちらを巡っては人々の話に耳を傾けてみたり、幼子の顔を覗き込んであやしてみたりと落ち着きがない。正蔵などはそれを犬っころのようだ、などと評している。


 普段、霞は人の子には見えない。幼子や神社の職員が時たまに見かけることがある、その程度である。それは葵や東岩も同じで、そのおかげで彼女らは自由に境内を行き来することができるのだった。だが、現宮司である正蔵は幼少の頃からその枠から外れていた。この十科神社の宮司一家は、そのような子が度々現れる家柄なのだがそうそうあるものではない。家柄から考えても非常に希な存在だった。だからであろうか、霞たちとは昔馴染みのような距離感で接してくるし、霞たちもひとで言う友人のような関係を築いている。


そんな正蔵が務めを果たしているのを横目に見ながら、いつものように境内を散策する。これが何よりの楽しみなのだ、正蔵の務めが忙しければ忙しいほど良い。そうであれば境内も賑わうし、突然正蔵にちょっかい出されて驚くこともない。真面目な顔をしていたずら好きなのはあの年になっても治らなかったようだ。


ふと本殿の中で頭を垂れている家族を見る。ふくふくとした赤子を抱えた祖母が、軽く頭を下げているのが見えた。左右を振り向いてみる。右手では老夫婦が風景を収めている。左手では着物を着た幼子がぽかんとこちらを仰ぎ見ていた。珍しい、見える子だ。怯えさせないよう腰を落とし、努めて穏やかに話しかける。


「こんにちは?」

「こ、こぉにちわ!」

「とってもかわいいね。お姫さまみたい。今日はなにするの?」

「えっとね、きょうはお願いする日なんだって!」

「そうなの?何をお願いするのかなー?」

「おとーと!おとーとがぶじに生まれますようにってお願いするの!」


そういって目をぎゅっと閉じ手のひらを合わせる子を目を細めて見つめる。なるほど、少女の後ろには受付用紙を記入している夫婦が見える。女性のお腹はもう大きくなっていた。この家族は安産祈願に来たのだろう。


「それじゃあ一生懸命お願いしなきゃだね。それにここの神主さんはお仕事熱心だからね、しっかりあなたたちの声はかみさまに届けてくれるはずだよ。」

「そーなの!?すっごおい!」

「そういえばあなた、なんてお名前なのかな?」

「んっとね、わたし「舞!そろそろ行くよー!迷子になっちゃうからおいで」

「はあい!もう行くね、おねえちゃんばいばい!」

「ん、いってらっしゃい!ばいばい!」


ブンブンと手を振る舞ちゃんへ手を振り返して見送る。親子はきゅっと手をつなぎ、仲睦まじい様子だ。この子たち家族は、何を見、何をし、どういう縁を紡いでいくのだろう。何を望んで、何をなすのだろう。願わくは、実りよく幸の多いものになりますように。なんて、密かに願ってみた。


 霞たちを見ることのできるひとというのはそう多くはない。霞たちは肉体を持たないためだ。俗にいう幽霊というものでもなく、かといって人々がこぞって願い事をしに来るような「神様」というわけでもない。いうなれば九十九神が近いのだろうが、神というよりただ永い時を経てそこにあったがために、意思と幻想の体を持ちここにあるに過ぎない。何かをすることができるわけでもないあいまいの存在だった。

それでも、「ただある」というその事実こそが人が長年手を入れ守り抜いてきてくれた、人から神への愛情の証左である。その結果の自分たちなのだと思えば、その願いはまったく神に通じないこともないだろう。このあいまいの身はいわば、人から神への畏敬、信仰が形を成したものだとも言えるのだ。そして、神からひとの子へのそれでもある。


 それゆえだろうか。霞はひとという存在が愛おしく好意を大いに抱く存在だ。葵や東岩なども、霞ほど表面立ってではないが、ひとを宝物のように見詰めていることはままある。その二人が「霞ちゃんは本当にひとの子が好きなのね」などというが、それはお互い様なのだ。


皆共通してひとに対し慈愛の気持ちを持っているといっても個人差はあるようだった。霞は杜だ。この社を守る木々が姿かたちを取ったもの。葵は社の裏を流れる川、東岩は境内にあり、しめ縄も絞められている立派な大岩だ。木々は週に一度と言わず頻繁に手入れがされる、それだけひとの手が入っている存在だ。葵の川は月に一度程度、東岩にいたっては手入れの必要がない。霞は以前、ふたりにひとに対してどう思うのか尋ねてみたことがある。それぞれ


「見守るもの、感謝するもの、育むものかな。」

「僕はただ見守るもの、だね。」


といった具合だった。当時は同じ気持ちではないことに自分が入れ込みすぎなのかと不安になったものだったが、今ではそれも致し方ないと思えていた。





 日も傾き、境内にもぼんやりと暖かい灯が燈るようになった。遅くまでいる参拝者や職員が砂利道を歩くのに不便しないためだ。たださわさわと木の葉の揺れる音と微かな砂利の音、人目を忍ぶような声が聞こえるだけの境内は昼間とは全く別の生き物のようだと東岩は言う。確かにそれは尤もで、昔はよくひとがいるといないとではこんなにも違うのかと思ったものだった。もう少しすると人の声も聞こえなくなる。宮司とはいえ正蔵だって住まいは別所だ、残されるのは霞と東岩とこの社の祭神の四柱だけになる。


「今日も大わらわでしたねぇ、お陰でとても楽しかったです!」

「僕はあれほどまでに人がいると疲れてしまうよ…。」

「東岩さんは静かな所が好きですものね。」


そう言って口元を袖で抑えた葵を東岩は少し困ったような笑みで見る。


「葵さんの立ち居振る舞いを見習いたいよ、いつだってすぐに心地の良いところを見つけるんだから。」

「ふふ、水は流れの良いところに流れるものですよ。」

「お姉様お上手っ!」


座布団いちまーい!とふたりで遊ぶ。これは正蔵が教えてくれたのだ、上手い事を言ったものには山田くんという人が座布団を持ってきてくれるのだと。しかし霞たちはひとに見えないものである、仕方がないので誰かが上手いことを言ったら座布団一枚!と相槌を打つのが恒例の遊びとなっていた。


「おや、正蔵くんどうしたのかな。あんなところで顔だけ背けている。」

「えっ?怖。」

「あら、今日のお勤めで首を痛めたのかしら、それとも怪しいものでもあるのかしら。」

「あんた方は座布団の話してからずっとそれをやってたのか!?」

漸く顔を合わせた正蔵は真っ赤な顔をして涙を浮かべてまで—-笑いを堪えている。

「やってたもなにも教えてくれたのは正蔵さんじゃないですか?結構これ楽しいですー!」

「こうなることはわかってて教えたのでしょう?」

「お姉様、こうなるって?」

「私たちの間で流行ることを言ったのですよ。きっと想定していなかったのでしょうね、思いがけず流行っているのを目にして面白くてああなってしまったのだと思いますよ。嗚呼、幼い頃から先を見るのが苦手なのは相変わらず治らないのね正蔵さん…。」


よよよ、と顔を袖で覆う。その肩は小刻みに揺れていた。


「もう、わたしが面白いもの新しいものを楽しみにしてるのは知ってるでしょー?」

「末娘…御前、御前自身のあの神木のように真っすぐなようで誠に喜ばしいが、人が好きというならもう少し世俗を知ってもよい気がするぞ。」

「え?なんですかいきなり!ちょっと!」


お姉様ぁ、と振り仰ぐも葵も東岩もちらともこちらを見ようとしない。


「もう!なんなんですかっそう言うのであればわたしは明日から日中町々を練り歩いてきますからね!」


揶揄われたのだとわかってやけくそ気味に宣言する。その瞬間正蔵の笑みがすっと引く。


「そ、それはあまりに軽々だ。せめてこの境内で収まるものにしてくれ。」


ここででもわかることがあるだろう、と続ける正蔵に「いえ、境内で“ちょっかい出し”ていてこれなのですから外へ出ねば意味がありません!」と返す。

正蔵が葵と東岩に助けを求めるような視線を送ったが二人は無言を貫いている。霞は「決めましたからね!さてどこ行こっかな~」などと言ってみる。


「いかんと言うのに!それは御前にとって危ないのだ、わかってくれ。」


さっきまでの和やかな雰囲気は一変し、正蔵はぴしゃりと言う。霞だけでなく葵や東岩にも本気で止めているのだとわかった。たしかに世俗を知らないから明日から町を歩いてここを離れるというのはさすがにこども染みていたかなとは思うが、しかし向こうから振った話で突然本気になってかかられると少々後味が悪い。


「もう、わかりましたよ…。しょ、正蔵さんが世俗を知ってもよいとかいうし、さんざん笑ったくせに…っ!」


霞は袴のすそをぎゅうと握りしめて杜へ消えた。その場に重い沈黙が下りる。


「…どうするんです、正蔵さん?」


葵が問う。


「どうするもなにも、明日気が付いたら市井に繰り出していた、などということは避けねばならん。私は至急調べてくるから二人は霞が出てしまわないよう見ていてくれないか。」


下手をすると大ごとになる——と二人に伝え、一旦急ぎ社務所へ戻った。



                    〇



 この神社にいるのは霞や葵、東岩のような九十九達と、夫婦神とその両親二柱の併せて四柱である。人とは違うという点では同じだが、霞たちと神々との交流はさしてあるとは言えない。どちらも信心や手入れにより支えられている存在ではあるが流石に格が違うということもあって、夜にはそれらの邪魔をせぬよう九十九も眠りに付くのが慣習となっていた。昼と夜とでは違う顔を見せることもあり、人からも九十九からも畏怖される対象なのが神なのだった。


また霞個人にとっても、ひとありきのはずなのにひとの息遣いのない境内はまるで打ち捨てられた社のようで恐ろしいものだった。だから、普段正蔵を含めた職員達がが帰路につくと葵と東岩へ別れを告げて真っ先に霞は杜へ消える。


今日は正蔵に突然固くものを言われてすぐに自分の寄代の神木へと帰ってきてしまった。いつもより早い戻りだったのだから杜の状態の確認でもしてみようかと思い立ち、自らの領分である杜をざっと回って見てみた。しかし当然ながら、どこにも異常はない。体調に異変もなく健やかだったのだから当然わかっていたことではあるのだが。


見上げた木々は夜闇を被り黒々とした葉を広げている。適度に枝が梳かれ、伸び伸びと腕を広げている大木の様はなんとなしに自由さと威厳を感じさせた。

・・・杜がこうしてあるのはひとがいろいろと労をかけて手を入れていてくれているからなのよね。

と、ふと思った。いつも自分たちはひとにより支えられひとにより存在する、想いの塊のようなものとは理解しているが、何か足りない気がするのだ。中身というか、生々しさという類のものが。

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