第九話 沢下村 ③
「大きな烏。なるほどな、それはちと、危険じゃな」
とおじいさんは言った。ちと、どころでは無い印象しかないのだが。
「だが、君たちの話が本当ならトキ神が君たちを助けた理由も分からなくない。……君たちが出会った大きな烏、確信は持てないが、可能性は高い。それはきっと『大烏』じゃ」
「大烏?」
「そうじゃ。そのままじゃがな。大烏というのはだな……あまり話すのは気が進まないが、トキ神の宿敵とでも言うだろうかそのような奴じゃ」
宿敵。なんだか熱い展開になりそうな言葉だな。
「理由は話せぬが、昔から大烏とトキ神は争ってきていたのじゃ。長い間な。そんな中、トキ神はこの神社の者と共に大烏を封印したのじゃ」
「でも、それって……」
「うむ、言いたいことは分かる。なぜ、大烏が今もいるのか、じゃが、儂もわからぬ。じゃが、今は封印されておるから未来のあるタイミングで封印が解かれたのじゃろう。しかし、そうなると困ったな」
おじいさんは眉間を揉んだ。
「な、何がですか?」
「大烏を再び封印する術が無い」
封印する術が無い? ということはあの大烏は沢下山にずっと居続けるということ? それは困ったな。
「大烏が封印されなかったらどうなるんですか?」
川村が問う。
「わからぬ。しかし、大烏はこの村や隣の町などの人間を襲っては食っていたらしく、トキ神はそれから守っていたのじゃ。長い間封印されておった大烏は空腹じゃったろう。そう考えれば、大烏が街へ出るのは時間の問題とも言えよう」
大変だ。もし、大烏が新川市とかに出てきてしまうと人が大勢食われる。すぐにでも行かなければ。
「じゃあ、早く封印しないとダメなんじゃないですか?」と俺は言う。
「落ち着くんじゃ。今の時代では大烏は封印されておる……」
「でも、俺たちの時代はどうなるんですか!」
「久山君! 落ち着いてよ」
ごめん、と川村に謝る。
「すまぬな、使えぬジジイでな。じゃが、儂らが君たちの時代に何もしてやれないのは事実じゃ。大烏を封印したのはこの神社の人間だということを話したがそれは彼らが村川神の子孫だからじゃ。実を言えば儂らも村川神の子孫になる」
「じゃあ、封印は……?」
おじいさんは首を振った。
「すまぬ。儂らにはもはや封印できる程の力が無い。村川神の近い子孫だった彼らは血がまだ混じっておらぬからその力を存分に使えたが、儂らはもうそれほどの力を有しておらぬ。この喜助も含めてな」
青年の名前は喜助というらしい。
「未来まで儂らの血筋が続いたとしても、もう、無理と言える。本当にすまない。儂らは君たちに何もしてやれぬ」
喜助も頭を下げた。
畜生、どうすれば。このままじゃ大烏が町で暴れてしまう。そうなれば俺たちは死ぬ。
どうすれば。どうすれば。
「じゃあ、喜助さん達が未来に来ることはできないんですか?」
俺は名案だと思った。僕らの時代にいる村川神の子孫を集めることが出来れば大烏を封じれるのかもしれないと思った。
「できぬ。未来へ行くというのは実は難しいことなんじゃ。未来に行くという行為が難しいのでは無く、儂らが君たちの時代に行けるかが解らぬのじゃ」
喜助さんが続ける。
「つまり、並行世界へ行ってしまうかもしれないのです。久山君達にとって2018年は過去ですが我々にとっては未来です。決定していない時間軸ですから、久山君たちがその時その場所に行けても私たちは同じ時間軸に行けるか分からないのです」
パラレルワールドということでいいのだろうか。
つまり、喜助さん達が何か出来る訳では無い。となると、
「じゃあ、大烏を放っておけってことですか?」
2人は黙ってしまった。正直、僕は怒りと申し訳なさのふたつの感情をこの2人に向けている。何もできないと言われたとき、それは怒りを覚え、無責任な2人を恨もうとも思ったが、彼らはこの1928年の人間。違う時代の人間を巻き込もうとした自分を申し訳なく思っている。
「……方法は無くは無い。じゃが、齎す結果は正直な話、大烏を世に放つのと同じじゃ」
「それはどういう方法なんですか?」と川村が聞いた。
俺は正直、同じならどうでもいいと思い始めていた。
「うむ、時間軸、というより、世界線を作り直す方法じゃ」
「世界線を作り直す? よく分からないのですが」
「大烏そのものを無かったことにするのじゃ。上手くつかめないかもしれないが、歴史を1から作り直すのじゃ」
いまいちピンと来ない。
「横文字で言うと、パラレルワールドを作るということです。そもそも並行世界とはこの世界を基準として違う世界線を指す言葉なんですが、そのパラレルワールドを基準にするのです。時間の進みを一旦止めて、新たに時間軸を作り直すということです」
「そうするとどうなるんですか? 大烏はいなくなるんですか?」と俺は訊く。
「いなくなる、じゃなくて『いない世界』を作るんです。だから成功すれば必ず大烏は消える。けれど……」
けれど?
「君たちもいなくなる。厳密に言えば君たちはその世界線にいる。けれど、君たちそのものはいない。違う世界線だからそこには違う君たちがいる。だから君たちは死ぬ、と考えたって構わない。だから師匠は『齎す結果は大烏を放つのと同じ』と言ったんです」
おじいさんは頷いた。
僕らは死ぬ。放って置いても、何かを変えても。ただ、違うことは大烏がいなくなる。もしくは僕らが食われて死ぬか、自ら死ぬか。




