第3話 ロッカーの中の冒険者
先日の出来事で、アキトは扉を開けないことを再び心に固く誓った。
やはり外の世界は危険で満たされていて、扉を開けるのは愚かな行いだ。
しかし、アキトは心の中でそう思っていても、覗き穴から広がる未知の世界から目を離すことが出来なかった。
外の世界を見てみたい…だけど、扉を開けることはできない…。
だったら…外の世界を想像してみればいい…。
そんな結論に至ったアキトのロッカーの中から外の世界を想像する日々が始まった。
覗き穴から見えているロッカーの目の前の景色は草原…ならば、ロッカーの後ろ側にも草原が続いていると考えるのが妥当。
草原ということは木々が繁殖するほど降水量が多いわけでもなく、かといって砂漠になるほど降水量が少ないわけじゃないほどほどの降水量と湿気。
ということはここから見える景色は草原でも、さらにその外は森林やもしかしたら砂漠が広がっているかもしれない…。
そんな風にアキトのロッカーの中の冒険の日々が幕を開けた。
冒険といっても、所詮はロッカーの中で妄想しただけのフィクションに過ぎない。
だけど、アキトはそれで満足だった。
なぜならばアキトにとってはこのロッカーから見える景色が全てで、その外の世界の真実など確かめるすべもなく、彼にとってはその真偽など意味を成さないからだ。
そんな日々が2ヶ月ほど続いたある日、彼がロッカーの中から冒険した世界はかなりの範囲に広がっていた。
彼の冒険した場所には山や砂漠、さらには森の中にひっそりと佇む村なども含まれていた。
藁で出来た貧相な家が立ち並ぶ貧しい村だが、そこでは何人もの村人が日夜生活を送っていた。
藁や鍬で畑を耕し、家畜と共に暮らすアキトの視点では時代錯誤な暮らしをロッカーの中から覗き込むのが最近の彼のお気に入りとなっていた。
「ふふっ…あの子ったらまたドジしてる…」
特にアキトにはお気に入りの子が村にいた。
その子は見た目が大体10歳前後の女の子で、三つ編みのおさげをぶら下げた明るく活発で両親の手伝いを積極的にしたがる優しい女の子だった。
だが、彼女には抜けているところがあって、両親の力になろうと頑張るのだが、空回りすることが多いのだ。
今日だっておつかいに頼まれた貴重な水をこけて地面にぶちまけてしまっている。
あーあ、勿体ない…。
アキトはそんな彼女の一部始終をのぞきながらそんなことを考えていた。
だけど、そんな彼女をみて両親は貴重な水が台無しになったにも関わらず、コケて擦り傷を負った娘を心配して抱きしめた。
彼女はドジでマヌケだが、村のみんなに愛されている。
アキトはそんな彼女をみていると、少しずつ心が安らいでいっているような気がしていた。
だけど、アキトは時々どうしても虚しくなってしまう。
自分がロッカーの中から冒険した世界は所詮はただの妄想で、愛に包まれて健やかに過ごすあの女の子も幻想に過ぎないと分かっていたから…。
だからそう考えて虚しくなってしまぬように、アキトは妄想に、ロッカーの中の冒険に没頭した。
そんなある日、ロッカーの出口の覗き穴から覗き込める月のように空にきらめく青色の大きな星が瞬く夜、いつものようにロッカーの中から冒険していた彼は山岳地帯の一角で巨大な竜を目撃していた。
鉄でも噛み砕きかねない鋭い牙、雄々しく伸びる巨大な翼、樹木のように太い尻尾…フィクションの世界では幾度となく見たことがあるその姿を間近で見たアキトはその巨体が荒々しく翼をはためかせて、空に浮かぶ青い月に向かって飛んでいく姿に思わずロッカーの中で興奮していた。
「凄い!本当にドラゴンがいたなんて…凄い!凄い!」
ロッカーの中で一人興奮を隠しきれないアキト。
だが、所詮はただの妄想。
ふとした瞬間にアキトはふと我に帰ってしまう時がある。
そういう時、アキトは失望で死にたくなるほど気が沈んでしまう。
「…ははっ、何やってんだろ…所詮はただの妄想なのにな…」
せめてこの扉を開けて外の世界を歩き出せたなら…この世界を思う存分冒険できるのにな…。
そんなことを考えたアキトはふと何かを願うように、ロッカーの覗き穴から見える夜空に浮かぶ青い月を見上げた。
いくら不思議な世界だろうが、月に願ったところでこの扉が開かれることはない。
引きこもりの自分が外の世界を歩き回れるわけがない。
わかってる…もう全部わかってる…。
「所詮は妄想なんだよ、久留米アキト。…ははっ、ざまあみろ」
アキトが自傷気味にそう言って笑ってみせたその時…アキトの視界にかすかな希望の光が飛び込んできた。
それは異世界の夜を照らす美しく輝く青い月…そしてその月に投影される巨大な竜の影だったとさ。