第1話 ロッカーの中の少年
至る所から鈍い音が鳴り響く鉄のゆりかご。
悪意を向けるあらゆる外敵から身を守る鉄壁の檻。
僕の代わりに叩かれ、殴られ、蹴られて打たれて蔑まれてボロボロになった教室の隅の掃除ロッカー…それが僕に残された唯一の居場所、絶対安息の聖域。
この中にいればどんな悪い奴からだって身を守れる、世界最強の盾だ。
いじめっ子もこの中にいれば僕に手を出せないから、無駄と分かりながらも負け惜しみのようにロッカーを外から叩くくらいしか出来ない。
そんなあいつらの悔しそうな顔は光のささない暗いロッカーの中からでも手に取るように分かる。…ざまぁみろ。
いくら手出しが出来ないからって、おざなりな頭から絞り出した低レベルな罵りしか出来ないあいつらのアホ面を想像してほくそ笑んでやるんだ。
そうだ、この中にいれば僕は傷つかなくて済むんだ。
そう、この扉さえ開けなければ僕は無敵なんだ。
くっくっく…あいつらの間抜け面がはっきりと目に浮かぶ…。
よっぽど悔しいのか、キレて顔を真っ赤にしてやがるのが見えなくとも分かる。
くっくっく…ざまあみろ、ざまあみろ
ざまあみろざまあみろざまあみろざまあみろざまあみろ…
「ざまあみろざまあみろざまあみろざまあみろ…」
昼間だというのにカーテンも締め切った薄暗い部屋の隅にポツリと置かれた人が一人入れるほどの大きさの鉄のロッカーからそんな不気味な声が漏れていた。
声の主の名は久留米アキト、14歳…引きこもり。
学校で酷いいじめにあっていた彼は不登校となり、この部屋に籠っているのだ。
そして通学時代、いじめから身を守っていた掃除ロッカーと同じようなロッカーを部屋に置き、こうして部屋の中のロッカーに閉じこもるのが彼の日課となっていた。
「くっくっく…ざまあみろざまあみろざまあみろ…」
このロッカーには小さな覗き穴が付いており、そこから外の景色はわずかに見えるが、部屋が暗いこともあってその覗き穴は大して意味をなしていなかった。
そんな光の刺さない暗いロッカーの中でこうして、いるはずもないいじめっ子を想像して、ロッカーの外からは何も手出しが出来ない様を思い浮かべてあざ笑うことだけが彼の生きがいだった。
そんな歪みに歪みまくった彼の引きこもり生活が半年ほど過ぎた頃…いつものようにロッカーの中で『ざまあみろ』と呪詛を吐いている時、彼はあることに気がついた。
「…あれ?なんか明るい…」
昼間でもカーテンを閉め切って年中薄暗い部屋の中にあるはずのロッカーにいるはずなのに、彼はどこからかロッカーに光が差していることに気がついたのだ。
いつもアキトはロッカーの入り口の扉と向かい合って籠っているのだが、光の出所を探して彼がふと後ろを振り返ったその時…彼は反対側にあるはずのないロッカーの『出口』を見つけたのだ。
「な、なんで…」
いつもの安全な無敵のロッカーとは一味違う空間に彼の心は当然、疑問と不安に満たされた。
部屋とロッカーをつなげる『入り口』の扉と全く同じ形状である『出口』の扉から差し込む光が気になり、彼は覗き穴から『出口』の外につながる世界を覗き込んだ。
出口の外に広がっていたのは…さわやかな風が吹き込む壮大な草原、そして遥か彼方の空にうっすらと浮かび上がる伝説上の生き物でしかないはずの竜のような形をした巨大なシルエット。
そんなあるはずのない不思議な光景に、アキトは見惚れてしまい、思わず心を奪われた。
これが久留米アキトともう一つの世界、その名も…イリアスとの出会いである。