ちょっとだけでいいから私の話を聞いてくれないか。
私の腕にはいくつもの傷痕がある。
ドラゴンと戦った時にできた傷だとか、この世を魔王から救うため、魔王と一戦交えたときに出来た名誉ある傷でもない。
肌よりも白い色をして、幅数ミリから一センチほど、長さ数センチから六センチ程度の細い傷痕が可視できる数で二十本近くある。
何故こんなにも傷があるのか。
自傷をしたからだ。
何故自傷をしたのか。
ストレス発散のため。自分への罰。
死ぬためにアムカやリスカをしてる人なんてほとんど居ない。
何故腕にあるのか。
私自身痩せ型で、手首だとカッターをあてた時うまく切れないから。それから、手首より腕の方が見つかりにくい。
自傷の頻度は減ったものの、今でもまだどうしても我慢ならない時はしている。
冬場なら隠せるのだが、夏場はできるだけ隠せるような服を着ている。しかし、腕を上げた時とかに、服がズレてみえることがある。
例えば電車内。
電車内で、腕や手首に自傷跡のある人を見た事はないだろうか。
私はある。
「あー、この人も切ってるんだー……この人も辛いんだなぁ、頑張ってるんだなぁ」
そう思った。
切っている理由なんて人それぞれ違う。
注目されたいからそうしている人もいるわけで。電車で見かけたあの人がどういう理由で切っているかなんて、本当のところ本人にしかわからないのだけれど。
電車で自傷の傷痕を見られたとき、とても申し訳ない気持ちになる。そして、汚物を見るような視線が怖くなる。
汚いものを見せてしまってごめんなさい、と。
「見られたくないなら隠せばいいじゃん」
そういう意見もあるだろう。
これに対し、私の意見としては、「隠すまでのことではない。その傷が伝染するわけじゃないし」。
正直、自傷したことに後悔はあるが、後悔しかないといえば嘘になる。、あれはあの時私が生きるためにしたことなんだと思っている。
ストレス発散の方法が自傷しか知らなかったから。それでストレス発散をするしかなかった。
自傷をしたことで、消毒もせず傷痕を残した。
私の生きた証でもある。
自分を傷つけないと生きられなかった私の行いだ。
傷痕は残っていないが、他はどこを切ったのか全部覚えている。
私自身の体だから、自分自身は傷つけてもいいとすら今でも思う。
が、
恋人ができて、その人の前で脱ぐとなると色々と心配する。傷痕を見てひかれないだろうかとか。
まあそこで振られたら、それまでの関係だったんだろうけど。
人前で腕を見せないといけない時や、温泉とか銭湯に入る時は気を遣う。できるだけ、腕を見せないように、立ち位置を変えたり、手で隠したり。
いくら、生きた証であっても、人前で傷痕を見せたまま堂々としていられる自信は私には無い。ヘタレだもの。
自傷をしてなんのメリットがあるかと言われれば無いに等しい。あるとすれば、切った直後の一瞬の快楽ぐらい。
だから一番いいのは自傷なんてものをしないことだ。
かまって欲しいから、注目して欲しいから自傷するって人もいるらしいけど、そんなことする暇あるなら他のことやれよと思う。そんなことして自分を下げるなら、恋人に愛を伝えるとか、凝った料理を作ってみるとか、街におちてるゴミ拾うとか。
あーなんだっけ、そういうのをファッションメンヘラって言うらしいね。
私、普段は小説とか書いて投稿してるんだけど、小説書くより、エッセイとかの方が筆のスピード早い。
きっと自分の感情を、考えを、さらけ出せるからだと思うんですけど。長ったらしい描写とか書かなくていいし、テンポの良さ悪さとかも考えなくていいし。
人間、自分のことを話す時の快楽って物凄いらしいね。
確かに、気持ちいい。
だから私はこうやって今も書いているのだろう。
深夜はどうも自分語りをしたくなってしまう。
私の話を最後まで聞いてくれたひとはいるのか分からないけど、聞いてくれてありがとう。