第三百四十四話 乙女の手
修正等完了しましたので投稿させてもらいます。楽しんで頂けたら幸いです。
『乙女の手』
育兎が危惧していた世界から吐き出されてしまうと言う現象に遭遇したユウヒが、奇妙な空間で何者かの声を聞いている頃、彼の事を監視する様に調べていたアミールは目の前に広がる光景に目を見開いていた。
「うそ、こんなことって……」
「気をしっかり持ってください! まだ死んではいないのでしょ!」
彼女の目に映し出されるのはステラから回されて来たユウヒの最新情報、世界に干渉して得られる情報は膨大であり、その中からユウヒの身体状況に関するデータを抜き取った物をモニターに表示したアミールであるが、そのあまりにひどい状態に失神寸前まで至り慌てたドローンの声でなんとか意識を繋ぎとめている。
「ぁ……そ、そうだよね。うん、まだ死んでない生きてる生きてるけど」
「ど?」
目を瞑りたくなるようなひどい状態を示すデータ上には、生存を示す表示がはっきりと書かれており、その事を指摘するサポートAIの声にアミールは倒れそうになる体に力を入れて深呼吸を繰り返すが、
「ばば、バイタルデータがオールレッドゾーンだよ!?」
そうは言っても目の前の表示は真っ赤に染まっており、大きく分けて緑、黄、赤と言う順に体調不良を示す表示の色は、死を意味する黒こそ無いものの、赤一色であり通常人間であれば三分の一も赤くなれば生死の境、半分以上が赤く染まれば生死判別が黒くなる。
「そそ……それはきっとバグです! バグでなければ普通の人なら死んでます!?」
「そそそ、そうだよね。死んでるよ……死んじゃダメ!!?」
親しい人間の恐ろしいデータを前にして平常心を保てるほど彼女は大人ではない。またそのデータの意味することを良く知るサポートAIもまた信じられない状況に平常心を保てずに居るようで、吃りながらもアミールを落ち着かせるよう必死に声を発するが、考えれば考えるほどにユウヒが生きていると言う自信を持てない二人。
「誰も死んでいるとは言っていません!? 実際にデータは生きてるわけで!?」
「うんうん! そう生きてるの……なんで? データ間違ってる?」
データはアミールからのキツイ言葉付きの文章で連絡を受け取ったステラから慌てて送られてきたもので、詳しく内容を確認しているのはこの場の二人しかおらず、どこからどう見ても死んでいるとしか思えないひどい状態にシステムのバグやデータの間違いを疑うが、それを調べる手立ては今のところない。
「わかりません、色々と足りないですから直接問い合わせるしか……」
「情報封鎖が終わらないと……」
ユウヒの最後の一手により、致命的なダメージを受けた状態で世界は崩壊を押しとどめている。その影響により管理神側がデータ収集を行うだけでも世界に最後のダメージを与えかねず、現在ユウヒの世界は完全に封鎖されており、新しいデータを手に入れる事は管理神の誰に頼んでも不可能な状態だ。
サポートAIの言葉と共に椅子に崩れ落ちたアミールは、張り詰めていた糸の限界を迎えた様でそのまま気を失い、その姿にサポートAIは安心した様に息を吐くのと同時にこの後の展開が読めず高度な集積回路を無駄に回し、アミールをベッドに寝かせると自らもスリープモードに移行するのであった。
一方その頃、死にかけユウヒは宙を見上げ、そこで振り乱される黒髪を死んだような目で見ていた。
「はなせ! はなせこの! ぐぎゃああ!?」
そこでは、巨大な手に肩から下を掴まれた黒髪の女が血反吐を吐きながら暴れており、口汚い言葉を吐き続けようとした瞬間きつく握り締められ、叫び声を上げて気を失う。
「はいうるさーい……ユウヒ君今回は迷惑かけてごめんね? 私も全部消滅させたと思っていたのだけど、まだ残っていたみたいで」
「わかっていたんじゃないんですか?」
細くしなやかな左手を翳して巨大な手を操るのは、アミールの母親こと乙女。冷たい笑みを浮かべながら巨大な左手の中から人体が鳴らしてはいけない音を鳴らす彼女は、足元のユウヒに目を向けると心の底から申し訳なさそうに眉尻を下げて話し始める。
何の事とは言っていないが、ワールドボム製造装置の事を言っているのは明らかで、その為に封具を寄こしたものだと思っているユウヒは、動かぬ体で視線だけ乙女に向けると、不思議そうに目を瞬かせた。
「…………」
「知らなかったんですか? でも、それなら何でこんなものを?」
ユウヒの視線を受けてゆっくりと顔を逸らす乙女、彼女は装置が現存したこともこの場にある事も知らなかった。その事を綺麗な横顔から察したユウヒはジト目を浮かべると、自分の胸の上で離れることなく寄り添うように浮かぶ黒から白に変わった球体に目を向ける。
「製造した物対策のつもりだったんだけど……結果オーライってやつ?」
「まぁ、そうですね……およ?」
黒に金のラインが走っていた球体は、封印が完了すると白い球体に変貌し、金色のラインも銀色に変わり威圧的な雰囲気も消えていた。そんな球体を渡したい理由は本来ワールドボムを封じる為であったが、ワールドボムはどこにもなく製造装置だけがこの場に存在していた。
しかし結果だけ見れば、寧ろ最良の結果であり乙女の言い分も間違っているわけではない、が……当事者側のユウヒにとってはそうでもないらしく、言葉とは裏腹に自然と体が乙女から離れていく彼は、右腕から硬い煎餅を砕くような音が聞こえて視線をそちらに動かす。
「もう! そんな嫌そうにされるのも傷つくのだけど、離れちゃだめよ? すぐ死んじゃうから」
「あ、なるほど……お手数かけます」
視線を動かした瞬間、彼の体は強い力で乙女に引き寄せられ、ユウヒは目の前に広がる乙女の不満顔に目を見開くと、右腕の辺りから舞い散る宇宙服の欠片に気が付きすべてを察したのか、申し訳なさそうに笑みを浮かべる。
何が起きたのか、それは育兎が言っていた世界の外側の特性、世界の外に弾かれた物はあっと言う間に劣化して塵となる。そう言っていた彼の言葉は事実であり、その現象が起きなかったのは乙女が彼を守っていたからであり、彼女から距離と心が離れたユウヒは乙女の守る範囲から少し出てしまったようだ。
「あなた何も悪くないんだから、そんな下手に出なくていいの! こっちが余計気まずいじゃない」
「そうですか……ところで、俺って帰れます? 流石に体がもちそうにないと言うか」
守られていた事を認識して申し訳なさそうにするユウヒに対して奇妙に顔を引き攣らせた乙女は、強めの語調で話すとユウヒの頭を乱暴に撫でながら気まずいと言い、その言葉にキョトンとした表情を浮かべる彼は少し恥ずかしそうに返事を返すと、自分の体が一向に言う事を聞かないことに不安の声を漏らす。
「もうちょっと待ってなさい。今はまだ境界面が不安定だから戻してもすぐに裂け目に囲まれちゃうわ」
「へぇ……あの、ブラザーぁじゃない、育兎は大丈夫でしょうか?」
どうやら帰ることは可能なようだが、今すぐと言うわけにはいかないらしく、乙女の言動から待てと言われてもそれほど長い時間待つ必要は無さそうだと安心したユウヒは、心が楽になったことによって他にも意識が回り始めたらしく育兎について問いかける。
「あの糞兎ならだいじょうぶじゃない? 腐っても神の世界に足突っ込んでるんだし」
「えぇ」
ユウヒの問いかけ一つ一つに対してニッコリと笑みを浮かべる乙女であったが、育兎の名前が出るとその表情を一転、まるで誕生日ケーキの上に落ちて来たGを見るような表情を浮かべ、すぐに取り繕うが引き攣った表情は消せず、ユウヒは彼女の表情から育兎の嫌われ様を察するも声を洩らさずにはいられなかった。
「……大丈夫よ、ユウヒ君を捕まえる時にちょっとビンタしといたから、今頃宇宙船の近くまで飛ばされてるんじゃないかしら?」
そんなユウヒに苦笑いを浮かべる乙女は、何がどう大丈夫なのかユウヒを捕まえるときにビンタしたと、どこか満足げな表情を浮かべて見せる。
「ビンタ、宇宙船? それ生きてます?」
捕まえたと言う部分にも不穏なものを感じたユウヒであるが、それ以上にビンタと宇宙船まで飛んで行ったと言う言葉に目を丸くすると、リトルムーンの装甲をいくつも突き破り飛んでいく育兎を想像し、とても映像として映してはいけなくなった育兎の姿を脳裏に思い浮かべてしまう。
「残念ながら……殺したいけど殺せないのよね? 左手塞がってるし」
「左手……大きいですね」
体が痛みうまく動かせないにも関わらず小刻みに震えるユウヒに、小首を傾げる乙女は残念と、心底残念そうに呟き左手が塞がっていて殺したくても殺せなかったとため息を漏らす。そんな彼女の左手と言うのは、今もの黒髪の女を握りしめ続けている巨大な褐色の手、大きさを考えないならその手は、肌から爪まできれいに整えられた美しい褐色の女性の手である。
「いいでしょ、最近まで封印されていたからちょっと不器用になっちゃったけど、今は試運転中なの」
「はぁ?」
「ふふふ、良くわからないでしょうね」
乙女自身の左手を翳すとそれに合わせて動く巨大な手、腕の途中から先しか出ていないそれは最近まで封印されていたらしく、現在はリハビリ中だと話す乙女にユウヒは呆けた声で返事を返す。すっかり普通の世界から異常な世界に足を踏み入れたユウヒも、初めて見る現象を前にどう返事を返す事が正解か解らず、そんな困惑した声が気に入ったのか、乙女は笑いながら動けぬユウヒの頭を優しく撫でる。
「はなせ、はなせはなせ!!」
「あら、がんばるじゃない……そろそろ楽にしてあげる」
左手を翳したまま、砕けてすっかり風通しの良くなったヘルメットの中で困惑した表情を浮かべるユウヒの頭を撫でる乙女は、細くしなやかな右手の指でゴワゴワとした髪の毛を梳く度、上機嫌に目を細めていたが、グラグラとその度に動く大きな左手の中から叫び声が聞こえてくると不機嫌そうに眉を歪めた。
「その人はどうするんで?」
「……ふぅん、こんなでも人だと認識するのね」
「え? まぁそうですね?」
揺れによってかそれとも左手に入れられた力が緩んだのか、握り締められて気を失っていた黒髪の女はまた暴れ出した様で、そんな彼女をどうするのかなんとなしに問いかけたユウヒは、キョトンとした表情で乙女から見詰め問われると、彼女が何を言っているのか理解出来ず小首を傾げながら人と言うカテゴリー内ではないかと返答する。
「そう……じゃぁユウヒ君に免じて消滅は許してあげる」
「はな、せ―――っ!?」
ユウヒの返事に困った様な、それでいて微笑ましそうな笑みを浮かべた乙女は、許すと言って左手に力を籠め、彼女の意思に反応するように左手には赤い幾何学模様のラインが血管のように走り手の中のものをする潰す。
「先生」
「はいユウヒ君なにかしら?」
「ちりものこってないとおもいます」
そう、すりつぶしたのだ。震える声で乙女を先生と呼んだユウヒが抑揚のなく呟いた通り、塵も残さず握り締めすり潰された黒髪の乙女、許すと言う言葉は何だったのか、物理現象を無視するように血飛沫すら上げる暇なく消し飛んだ光景にユウヒが顔を蒼くする中、彼の顔を覗き込む乙女の表情は慈愛に満ちている。
「あら、そんな蒼い顔して具合悪いの? ちゃんと核は残してあげたわよ? ほら」
「……宝石?」
不思議そうに首を傾げながらユウヒの顔を近くで覗き込んだ乙女は、ユウヒの感情を解ってか解らずか、くすくすと笑い声を洩らしながら大きな左手の中から人の手のひらサイズの宝石を拾い上げユウヒに見せた。
「ここは世界の外側、法則が色々違うのよ? これは人の魂、砕けばもう生まれ変わることも無くなるわ」
「ひぇ」
本来なら人の目に見える事も無ければ物質化することが無い人の魂、しかしここは世界の外側、世界の内とは違う法則により宝石に姿を変えた魂にユウヒは短く悲鳴を上げる。
「……こほん、これは本来あるべき場所から外れた魂だし私が処理するとして、ユウヒ君もそろそろ帰らないと世界から外れちゃうわね、怪我もどうにかしておかないとあの子が心配するでしょうし」
「え?」
乙女にとっては何でもないような事でも、元々一般人のユウヒにとっては恐怖を感じる目の前の状況、認識のずれにより自分の印象が悪い方向に向かっている事を察した乙女は、ハッとした表情で目を猫のように見開くと慌てて黒髪の女だった魂の結晶を背後に現れた黒い穴に放り込み、戸惑うユウヒに向かって捲し立てる様に早口で話し出す。
「それじゃお姉さんの右手で送り出してあげる」
「あの、なんでその巨大なおててはデコピンするように力を指に溜めてらっしゃるんでしょうか?」
明らかに焦りからくる早口なのだが、ユウヒはその事を指摘することなく、いや正確にはそんな事よりもっと重要で危機的なものが迫って来ていてそれどころではなかった。それは親指と中指で円を作る様な姿で現れた巨大な右手、左手と同じ褐色の綺麗な手は静かに、しかし確かに親指で押さえた中指に力を溜めている。
「デコピンするからよ? はーいおかえりはあちらよー」
身動き一つとれないユウヒの胸の上から白い封具を拾い上げた乙女は、小首を傾げながらデコピンをすると言って後ろに下がり、かわりに前へ進み出てくる巨大な右手はユウヒに照準を定める様にじりじりと位置を調整する。
そして、
「ちょまっ!?」
無慈悲な一撃はユウヒの体全身を中指の背に捉えるように打ち抜いた。
同時刻、乙女のビンタを受けて自分の宇宙船まで飛ばされた育兎は、恨み言を呪詛のように呟きながら離陸させた宇宙船をリトルムーンの近海に出してユウヒの反応を探していた。
「夕陽君……ん?」
レーダーにより捉えたものを映し出す画面を睨む育兎は、心配から思わず彼の名を呟き、その瞬間僅かにノイズを起こす画面に目を見開く。
「―――!」
「んんん!? ブラザー!」
ノイズの発生源は宇宙船のすぐ近く、近すぎて捉えきれない場所に発生したノイズの正体を探るために顔を上げた育兎は、キャノピーの向こうに現れた世界の切れ目から飛び出てくる影に驚愕の表情を浮かべ声にならない声で呻く、本来一方通行により出て来ることの無い場所から出て来たのはユウヒ、その姿を確認した育兎は通信機のスイッチを押して呼びかける。
「くっ【飛翔】あべし!?」
返って来たのは苦悶の声と直後に宇宙船にぶつかり洩れ出る悲鳴、縦に回転しながら現れたユウヒは、無重力に翻弄される体を必死に制御しようとしたようだが間に合わず、育兎の目の前のキャノピーに張り付く様にぶつかったのであった。
「だだだ、大丈夫かい!?」
「ぐぐ……乙女恐ろしい子」
直前に【飛翔】魔法を使う事に成功したことで呻く程度で済んでいるが、間に合わなければバウンドして宇宙のどこかに飛んでいっているところである。そんなユウヒは薄く金色に輝く透明なヘルメットの中でうめき声を洩らし、乙女と言う女性に対する評価を心の中で下方修正すると、白と金色のまだら模様の宇宙服で宇宙船の上に立ち上がり周囲を見渡す。
「乙女? 乙女がどうかしたのかい!? いやそれより早く中に入って!」
何がどうなっているのか理解出来ない育兎は、乙女と言う言葉に詳しく話を聞きたい衝動に駆られながら、しかし別れた時のユウヒの状態を思い出すとすぐにヘルメットの気密を確認してコックピット内部の空気を抜いてキャノピーを開く。
無事? 世界の外側から帰還したユウヒは、目の前に広がる残骸だらけの宇宙に目を見開き、その光景に今後の収拾の大変さを思い、無重力にも関わらず体が重くなるような気がするのであった。
いかがでしたでしょうか?
世界の外側で待ち受けていたのは乙女、恐れる者が多い彼女のデコピンはユウヒを世界の内側に舞い戻らせる。その身を限界まで使い世界を救ったユウヒは帰還する。次回もお楽しみに。
読了ブクマ評価感想に感謝しつつ求めつつ今日もこの辺で、また会いましょうさようならー




