最終話「獣の中の歯車」
平成27年皇大文芸倉陵祭号掲載
21、終わりなき殺戮
夏休みまで1週間と言うことで、クラスは騒がしかった。旅行の話や、部活の話が周囲から聞こえてくる。
だが、そればかりの話ではないようだ。女子のグループが深刻な顔をして話している。
「それにしても、まだ通り魔続いてるみたいだね」
「……そう言えば、金田さんも死んじゃったし」
「他のクラスの子も死んでるんでしょ。怖くない?」
「呪いだよ」
無機的な声。3人は声の方へ視線を合わせる。
輪だった。
3人は、息を飲んだ。儚く、美しい――直感的に感じ取った。外見は全く変わっていないのだが。
「終わることはない、呪いだよ」
その日の狩りは、絡んできたチンピラの足を、SP101リボルバーで撃ち抜き、じりじりと踏切まで追い詰めていくというものだった。
遮断機の警告音が、不気味に闇の中で響く。男の恐怖で震える息遣いが、輪の身体を熱くさせる。
降りた遮断機の下を潜り抜け、線路の中央まで行った瞬間、もう片方の足を撃ち抜く。
男は絶叫し、体は動かなかった。
風を切り、リズミカルな線路の音を刻んでいる快速列車が、シューベルトの『魔王』の如く男に迫る。
無情にも、列車が急ブレーキをする暇は無かった。
男の体は引き裂かれて、周囲に赤い雨を降らせた。
帰宅した輪は、冷水のシャワーを浴びた。体の火照りが抜けない。まだ、皮膚の下に、破壊欲と言う名の蟲が蠢いているように感じる。
全身を丁寧に洗って、拭く。鏡を避けてベッドに向かう。
輪はここ最近、鏡を見ることが無い。湯気のおかげで、鏡面に水滴がついて見えないのは好都合だ。
「もう、何人殺ったかな」
輪は倒れ込んだベッドで、丸くなる。何も身に着けていない。真珠のように光る肌は、天使を思わせた。
22、獣の中の歯車
輪は玄関のドアを開け、カバンを玄関に置いた。居間に移動し、ソファーに倒れ込む。疲れと眠気が一気に押し寄せたのだ。
意識がだんだんと重くなり、すぐに寝息をたて始める。窓の外では、日が傾き出していた。
突然のチャイムに、輪は目を覚ます。部屋は薄暗く、日は落ちていた。急いで、玄関に出る。
来訪者は、七崎だった。
「もうすぐ夏休みだな」
「はい。でも、勉強漬けの予定を立ててます」
「凄いな。国公立目指してるの?」
「ええ……まあ、そんなところです」
輪は緑茶の準備をして、いつものように机の上に置いた。
「来るのが、遅かったですね」
輪は、伏せ目がちに言った。七崎は一瞬、大きく目を見開いたが、優しげな目で彼女をまっすぐ見つめた。
「まだ、邦おじさんでいるつもりだったけど……いや、最後のギリギリまでそうでいよう」
「……」
少しの沈黙。口を開いたのは、七崎が先だった。
「その話の前に、もう一つ大事なことを言わなければならない」
「……ええ」
「君の過去について、今まで話してこなかったことだよ」
「私の、父と母のことですか?」
「……ああ」
七崎は口に湯呑を運んだ。
「君のご両親は、事故死ではない。殺されたんだ」
七崎は、事件の概要を話し始めた。その事件は、彼の担当だった。
――家庭に精神疾患を患った犯人が押し入り、少女の両親が殺された。事件後、犯人は自殺――
「マスコミだとそうやって報じられた」
「……違うんですか?」
「ご両親が亡くなっていたのは合っているんだ。しかし、犯人はその場で殺害されていた」
「……殺したのは誰ですか」
「そして、幼い君が凶器の包丁を持って、その場に座り込んでいた。」
輪は、立ち込めた霧が晴れていくような感覚で、記憶が戻ってきた。夢の続きの最後のピースが、カチリとはまった。
犯人は両親を縛り付けて、幼い少女に、殺すように強要した。殺さなければ、殺すと。
少女は――自分が生きるために――父と母を殺した。
犯人は狂喜して少女を抱きしめた。
少女は、力を込めて、犯人の背中に包丁の刃を突き立てた。
犯人は絶命した。
少女は力なく座り込んだ。自分が、違う世界の住人になったかのような気持ちだった。
「それから、君は医師に治療を施され、記憶は消された」
七崎は続ける。
「俺は、君にご両親、いや、古くからの友人の面影を感じて、遊びに行っていたということさ」
「そう……だったんですね」
輪は呟くように言った。
「今回は信じたくなかった。でも、聞き込みをするたびに君以外に考えられなくなっていった。まさか、君が、殺人に関与しているとは……」
輪は寂しげな微笑を七崎に送った。
「私は、今まで『獣の蛹』だったんです。歯車を皮膚の下に宿した、半分機械の」
「大丈夫か、顔色が……」
「でも、羽化してしまいました。もう、自分の理性がコントロールできない……」
輪の瞳孔が狭まった。
瞬間、轟音と共にガラスが割れた。ソファーは抉られ、本棚の本の破片が吹雪のように美しく舞った。食器棚の皿は花火が弾けるように、舞い上がった。銃弾が部屋中を跳ね回る。
輪は弾雨を振り切り、小動物のような俊敏さで、2階を上がりきる。七崎は、ホルスターの拳銃を抜き出す間もなく射殺されていた。
扉を開け、暗い自室に入り、武器を引き出す。
上着を脱ぎ、素早くホルスターを身に着け、拳銃を突っ込みながら、遂に自分の事を嗅ぎつけたかと、内心舌打ちをうつ。
ズックにパイプ爆弾と弾薬をありったけ突っ込み、斜め掛けする。
クリンコフ自動小銃を肩にかけ、階段を下りていく。
暴力団員と思しき男達が、部屋に侵入していた。
「ようこそ!」
悪戯っぽく唇を歪めると、大気に揺れるジッポーの小さな火を、パイプ爆弾の導火線に着け、連続で投げつけた。
瞬間、連続した爆炎と共に部屋中が吹き飛ぶ。
濛々たる白煙が薄れると。壁が焼き付き、赤黒い破片が散乱していた。
輪は、2階に戻ると、庭に2個のパイプ爆弾を投げつけて、群がる男どもを吹き飛ばす。
しばらくして、トラックが敵の後続部隊を送り込んできた。輪は走行中のトラックの運転席目掛けて、クリンコフを撃ちまくる。
殿のトラックを5・45ミリ弾が襲う。銃弾はフロントを跳ね回り、橙色の火花を散らした。
そのうちの数発が、ガラスを粉々にし、運転手に命中したのか、制御を失い電柱に激突する。ガソリンが漏れ、一気にそれに引火した。
竜のような炎が天を衝き、火だるまになった男達がのた打ち回る。
輪は、視界に入る全ての動くものを撃った。狂ったように響く、獣の咆哮と歯車の幻聴が心地よく聞こえる。
別方向から来た数台のトラックが急停車し、男達が喚声を上げて降車し始める。敵対する暴力団が殴りこんできたのだ。
憎しみと共に、お互いに殺し合う、三つ巴の戦いに輪は氷のような微笑を向けた。
銃弾回廊の歓迎をする。輪のところにも銃弾が集中し始めたが、気にしない。粉々になったコンクリートの噴煙を浴びながら、30発のマガジンが尽きれば、また新しいマガジンをリロードする。手慣れたものだ。確実に射殺していく。
ついにクリンコフの弾が尽きた。銃身は赤黄色に焼きつき、白煙を纏っている。輪はベルトにM36リボルバーとSP101リボルバーを挟み、1階に下りる。
撃ちあっている男たちの集団にパイプ爆弾を投げつけ、混乱したところを、腕を交差させて安定させた2丁拳銃で撃つ。
ガレージから、ガソリンと灯油で割った火炎瓶を持ち出し、停車中のトラックに投げつけ、炎上させる。
舞い上がる血と炎に、歓喜の声を上げる。既に、何発か被弾していたが、痛みも感じない。
撃ち尽くした2丁のリボルバーを捨て、レッグホルスターから抜き出したワルサーPPKs拳銃を片手で構え、向かってくる敵を悠然と歩きながら、片っ端から射殺していく。
ふと、自問する。
人の命はこんなに軽い。自分の命はどうなのか?
輪は答える代わりに、引鉄を引いた。
23、獣の最期
遠くでサイレンが鳴り始めた。
輪は、血で染まった路上の上で、幽鬼のように佇んでいた。重なり合った死体と、燃え盛るトラックをバックにして。
撃ち尽くしたワルサーを捨てる。足がもう動かない。
その時、一発の銃弾が肺を貫いた。
輪はニヤリと笑うと、最後の力を振り絞り、バケーロリボルバーを左手で抜出し、引鉄を引いたまま右掌で撃鉄を起こす、煽り撃ち(ファニング)をした。
大口径の銃弾で、撃ってきた男の体を吹き飛ばすのはたやすい。頭部に吸い込まれた銃弾は、頭部を跡形もなく消し飛ばし、赤黒い噴水をつくった。ばたりと、鈍い音を立てる。
落下するように、輪は後ろに倒れ込んだ。黒い血だまりが暖かい。薄れゆく意識の中で、夜空を寝ころんで見るかたちになった。
喉元を、どろりとした血液が駆け上がってくる。同時に、歯車が軋みをあげ、削れるような狂った金属音を聞いた。
澄んだ瞳で夜空を見つめる。漆黒の空に散りばめられた星たちが、心に深く染みわたっていく。
自分から流れ出る血の音が、頭に響く歯車の音を消していく。 徐々に人間に戻っていく、そんな気分だった。
輪は、安らかな微笑みを消し、口元を歪ませると、ほとんど感覚がない右手をまっすぐ伸ばし、バケーロリボルバーの引鉄を絞った。
炸裂するような轟音と共に、銃弾は闇を切り裂く。そして、銃を握った腕はパタリと下ろされた。
輪は遠くで獣の咆哮と歯車の音を聞いたような気がした。これで最後だと直感する。
輪は顔を、満足げに緩ませた。徐々に遅くなっていく心臓の鼓動と、勢いを失っていく流血の滴る音が、朦朧とした意識の中で克明に感じられた。
夜空の星々に吸い込まれていくような、突然の感覚と共に、輪の意識は雲散した。
終




