第二話「動き出す歯車」
平成27年皇大文芸倉陵祭号掲載
5、誘い
「ねえ、輪さん!」
実力考査が終わり、いつもより早く帰宅しようと準備をしている輪のもとへ、三人組の男女が声を掛けてきた。
「なに?」
「これから、カラオケ行こうと思ってるんだけど、一緒に行かない?」
輪は、内心舌打ちをした。実力考査のために控えていた、鍛錬の時間が削られてしまう。
射撃練習は毎日続けていた。もちろん、各銃の弾数には限りがあるので、感覚を忘れないようにするために、空撃ちも、銃を傷めない程度にしていた。引鉄を引き、撃つ感覚――フィーリングを忘れないようにするためだ。
銃だけでなく、基礎体力を鍛えるために、ランニングや筋力トレーニングも積極的に続けていた。汗だくになるまで走り、腕や足が動かなくなるまでトレーニングをする。
輪は銃を手にして撃つ、体力を高める度に、無限の力が湧き出てくるように感じるのだった。
「……都合悪かったりする?」
「ううん、全然大丈夫だよ!」
明るい微笑とともに言葉を返す。普段は何かと理由を付けて断るが、今回はやめた。
断るのを許さないオーラを彼女は纏っていた。断れば、何らかの不利益があるはずだ。
「行きましょうっ!」
声を掛けてきた、おっとりした様子のポニーテールの少女――金田汐莉が輪の腕を引っ張った。
校門を出て、お互いに自己紹介をする。
汐莉の連れは、男子二人だ。彼らは、クラスが違うので、輪は名前を知らなかった。
一人は、背の高い無口な男子で、名前を藤岡と言った。無口だが、無愛想といったようなマイナスの雰囲気は受けない。
もう一人は、良く喋る男子で、名前を沢木と言った。彼は自分に関することしか話をせずに、どれも自慢話ばかりだった。そして、どの話も眉唾物だ。そして、沢木は情緒不安定の様子があった。
輪は相槌を打ちながら、適当に流していた。他の二人も同じように接していた。
彼ら3人は小中ともに同じ学校で、お互いに仲が良いらしい。なるほど、付き合う要領をよく分かっている。
汐莉本人についても、分かったことがある。父親が議員で、教育関係や地域の有力者にも顔が広い。このことは、本人からではなく、おしゃべりな沢木が勝手に喋った。
「一度、輪さんとカラオケに行ってみたかったのよ」
横に並んでいた汐莉は目を細めて嬉しそうに言った。
「そうなの?」
「輪さん、クラスのみんなから、愛されてるって感じあるけれど」
「……おもちゃにされてる、って感じが正しいよ、たぶん」
輪は死んだ魚のような目をしながら、自虐の混じった薄い笑みを浮かべた。
思えば、良く頭を撫でられたり、くせ毛の髪をグシャグシャにかき回されたりすることが良くあった。ただ、相手にするのも馬鹿らしいので、されるがままだ。
「そう?……帰るのはいつも独りみたいだし、友達とどこかへ遊びに行ったとか、聞かないから」
「うーん……そうかな?」
「だから、今日は誘うのに少し勇気が必要だったけど、よかった……」
「……ありがと」
汐莉の花が咲くような笑顔に対して、遥は込み上げる苦笑を噛み殺して、はにかんだ表情をした。
6、カラオケ店にて
カラオケの室内は4人が入るにはかなり広かった。テレビからは良くわからない演歌歌手が作品についての思いを語っている。
「広ーい!」
「広っ!」
汐莉と沢木は驚きの声を同時に上げた。藤岡は分かったように頷いただけだ。輪は予想外の広さから、目を丸くした。
女子二人が広いソファーに座り、その両脇のソファーに男子が向かい合って座った。
それから、彼らは機械で思い思いの曲を入れて、順番に歌い始めた。汐莉と沢木は最近の曲ばかりを歌い、音楽に疎い輪は困り顔だ。
そんな輪の様子を見て、汐莉は顔を近づけた。輪は少し近すぎるように思えて、ビクッと体を震わせる。
「どうしたの?」
「え、えと、ね、二人とも、ナウでヤングな曲ばっかで、何歌おっかなーって、思って……」
「なんでもいいわよ、ほら、藤岡君なんて……」
瞬間、地獄の底から響き渡るような、擦り切れた叫びが輪の鼓膜を震わせた。見事なデスボイスだ。
「デスメタルだから!!」
汐莉は叫んだ。輪は目を丸くして頷いた。
輪は呆気にとられながら、自分は70年代のフォークソングで、無難に乗り切ろうと決意した。
3時間ほど経つと、皆疲れてきた。誰が始めたか、雑談が始まった。話題はクラスの「嫌な奴」についてだった。
「輪さん、岡倉さん知ってるよね?」
「うん」
「彼女気を付けた方がいいわよ。大人しい雰囲気だけど、何考えてるか分からないから……」
「ほんと、そういうやつ怖えよな」
沢木が合いの手を入れる。
輪は、真剣な様子で聞くふりをして、化けの皮が剥がれたと、内心ほくそ笑んだ。汐莉は、どうやら、ひどく性質の悪い、思い込みが激しい人間のようだ。
その間、藤岡はスマホを黙っていじっている。我関せずといった雰囲気だ。
輪は話の途中で、内股になり、顔を赤らめ、モジモジし始めた。もちろん、演技だ。いつまでも、話につき合っていられない。
汐莉は彼女の様子に気づき、声を掛ける。
「どうしたの?」
「いや……ちょっと……」
「ああ……一緒に行きましょ」
「ええっ!?あ……う、うん」
輪は動揺を押し殺し、トイレに行くために汐莉と一緒に立ち上がる。
トイレに入ると、輪だけ個室に入る。汐莉は個室の外で待っている。輪は男子で良くこんなことをするのだろうか、などと考えながらことを済ませる。
「おまたせ……っ!!」
輪は瞬間、汐莉に扉に押し付けられ、唇を奪われた。今までに無い感覚だった。
長い時間に感じた。ようやく、解放され、輪は息を吐き出した。
「ごめんなさい」
汐莉は悲しげに目を伏せながら、消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にした。
「私……どうしても、抑えきれなくて……」
「大丈夫、だよ」
輪は手を取って、天使のように微笑む。汐莉は目じりに涙を浮かべ、彼女を抱きしめる。
トイレ内は、部屋から漏れた、くぐもった音楽が響いていた。
輪は抱かれながらも、口元を歪めて、冷たい笑みを浮かべた。
彼女は、あの時と同じように、頭の中で、金属と金属の触れ合う、澄んだ音を聞いた。
7、夕闇
戻る時には、汐莉は普段のおっとりとした様子に戻っていた。何事もなかったように、二人と合流し、会計を済ませる。18時だった。
カラオケ店を出ると、夕陽が、周りの景色をオレンジ色に染めていた。薄暗いと感じる場所もあり、日が暮れるのも時間の問題だ。
「今日は、楽しかった」
「うん」
汐莉の幸せそうなつぶやきに、輪は頷く。
「もっと歌いたかったなー、なあ、藤岡?」
「ああ」
沢木の問いに、素っ気なく答える藤岡。輪は彼らの関係に、歪な物を感じていた。
「じゃあ、私たちはここで」
「じゃあな!」
汐莉と沢木は途中の路地で別れる。藤岡は彼らを見送っていた。
どうやら、藤岡とは帰り道が、輪と同じようだ。
「……」
「……」
お互いに話すことも無く、無言で帰る。二人の影が、歩道に伸びて、歩くたびに揺れる。
「……朝井さん、だったか」
輪に、藤岡が話しかける。唐突に名字で呼ばれたこともあったが、話しかけられたことにも驚いた。
「あいつらとは、あまり付き合わない方がいい」
「……」
藤岡の顔に影が差した。
「汐莉と沢木は、冷酷だ。通り魔事件と関係があるグループに属している。あまり公にならないのは、彼らの親が、裏で手引きしているからだ」
「なんで、私に教えてくれたの?」
「関わってしまったからだ。俺も奴らとは付き合いは長い方だが、いつ殺されるか分からない」
いつの間にか、大通りに出ていた。横断歩道で、信号が青に変わる。行き交っていた自動車は、フロントライトを灯し始めていた。
「気を付けろよ」
藤岡は、そう言って信号を渡り、夕闇に消えて行った。あたりは、カラオケ店を出た時よりも、さらに闇が濃くなっていた。
輪は、彼の後ろ姿を消えるまで見送っていた。
8、鉄パイプ
輪はもと来た道を引き返し、沢木と汐莉が帰った道を辿る。時間が少し経っているので、彼らを見つけることは困難だとは感じていたが、彼女は走った。
ふと、脇道で微かに声が聞こえた気がした。
用心深く、耳を澄ましながら、一歩一歩脇道を進んでいく。
切れかけた街灯が点滅し、薄暗くアスファルトを照らしている。街灯の光の範囲は狭く、その範囲から外れれば、塗りつぶしたような闇がある。
「――」
男の呻き声と、男女の笑い声がはっきりと近くで聞こえた。
輪は、声のした方向にある、家屋と家屋の隙間の、細い道に入る。出口は開かれた広場に出るようで、その周りを倉庫が囲んでいる様だ。
息を殺して、物陰から声のする方を覗き込む。
広場の奥で、中年の浮浪者が、蹲っていた。
その周りを、高校生ぐらいの少年と少女が囲んでいる。
彼らの容姿は様々で、いかにも不良に見える者から、真面目そうな少女までいた。
彼らに共通しているのは、熱に浮かされたかのような目つきだった。
男が、ふらふらと立ち上がろうと、すかさず背後の不良少年が蹴り上げ、また蹲ったところを、少女が警棒で顔を殴りあげる。男の顔はボールのように腫れて、服はボロボロだった。
暴力が振るわれるたびに、薄暗い闇の中で光る、歓喜と嗜虐の混じる濁った無数の瞳。弱者を痛めつけ、自らの優位を誇る狂気がそこにはある。
輪は乾いた唇を、小さく艶やかな舌で舐める。彼女は、表情一つ変えず、彼らの「遊び」を見ていた。しかし、ただ見ている訳ではなく、一人一人の顔を観察するように、ゆっくりと見ていた。
最後に、3人の男女が男の前に立った。3人とも、輪とは面識のある人物だった。
右端の少年が、真ん中の少年に鉄パイプを差し出した。差し出した少年は、沢木だった。
少年は一瞬迷いが生じたのか、手を引込めかけたが、もう一度手を伸ばして鉄パイプを掴んだ。
その少年は、輪のクラスメートの佐原だった。いつも、教師陣に反抗し、授業をまともに受けているところを見たことが無い、典型的な不良だった。
佐原の右には、ポニーテールの少女――汐莉が立っていた。
彼女は、親指の爪を噛み、何故かひどくイライラしているようだった。どうやら、少年が鉄パイプを振り上げて、躊躇しているのが気に食わないらしい。
「なんで、早く振り下さないのよ!」
「振り下すだけだぜ?そんな度胸も無いのか、ああ?」
汐莉と沢木の煽りに、佐原は震える手を制して、鉄パイプを振り下した。
瞬間、薄気味悪い音とともに、男の頭は弾けたトマトのように、どす黒い血をまき散らした。
佐原は、男の胴体が地面に崩れても、何度も何度も振り下す。その度に、乾いた打撃音が響く。また、液体が地面で撥ねる音も混じっていた。
ようやく落ち着いたのか、鉄パイプをその場に落とした。
「やったな!頭弾けた!」
沢木は飛びつかんばかりの喜びようだ。周囲は、拍手や歓声で3人を包む。異常な熱狂である。
輪は彼らを、無感動な、澄んだ深茶色の瞳で見つめていた。だが、瞳の奥には、どろりとした、沼のように深い闇が沈んでいた。
しばらくしてから、彼らが「遊び」の余韻に浸っているのを背に、輪はその場を立ち去った。
9、友人
後日、輪は昼休みに、友人のクラスに立ち寄った。
「津島さん、いる?」
教室を出る一人の女子を呼び止めて訊く。彼女は、「向こうです」、と指をさし、輪は礼を言って教室に入った。
「香ちゃ……」
「むぎゅううう」
いつの間にか、小柄な輪より背の高い少女に、抱きしめられていた。明らかに、輪のものより、巨大なそれが押し付けられ、呼吸困難で目を回した。
「どうしたの?」
胸から解放された輪に、香は笑顔で訊く。切りそろえた前髪と、長い黒髪が、清楚な雰囲気を引き立てていた。
しかし、背後では、机や人が、ありえない力で張り倒されたような惨状が広がっている。
「とりあえず、別のところで話そ……」
輪は、そう言って引き攣った笑顔を浮かべた。
教室を出て、誰も使っていない備品室へ向かう。
「もう、後で謝らないとだめだよ?」
「わかってる、わかってる」
輪は、他人を気にかけるのは、らしくないと内心思いながらも、溜め息を吐いた。
香とは中学生の頃からの付き合いだった。明るく気さくで、周囲に顔が広く、生徒会長を務めている。よく似た双子の妹が居て、姉妹ともに仲が良く、輪とも仲が良かった。
備品室の前に立つと、輪は周囲を気にしながら、鍵を開ける。
「そのカギ、貸したけど、イカガワシイこととかしてないよね?」
「なんでイカガワシイことすること限定なの!?」
「い、イケナイことしてない?」
「もう、何も言わない……」
輪は、扉を開けて、つかつかと教室内に入り、ストンと深く腰を椅子に掛けた。香は、口元を押さえて笑いを堪えている。
「ふふ、そんな怒んないでよ」
「別に……怒ってない」
輪は、香からむくれた顔を背ける。
「……で、どうしたの?また、人との付き合い方相談?」
そう言って、香は扉を閉める。
「うん……」
輪はこくりと頷く。香は寂しそうな笑顔を見せる。
「人って難しいよね。何を考えているか分からない」
「私は、他人に
「私のクラスにいる、金田汐莉ちゃん、って子知ってる?」
「あ……うん」
香の目が少し険しくなる。
「彼女に今度カラオケ誘われてて……」
「メグ、断った方がいいよ」
香は、強い口調で輪に言った。瞳は曇っている。
「彼女に関する話で、あまりいいこと聞かない」
「詳しく聞かせて」
輪は真剣な瞳を向けた。
10、調査
輪は、3人の人物に絞って、一週間調査をした。香以外にも、知り合いや、友人、教師から、何気なく聞き出すというのは、非常に骨を折る作業だった。
まず、汐莉についてだ。一部の生徒、教師たちからは、評価が高い。成績もよく、社交的で、礼儀正しく、誰とでも仲良くなれる活動的な少女――概ね、そんな評価だった。
しかし、それは彼女のつくった、紛い物の人格。本当の彼女は、輪の感じた通り、思い込みが激しい。敵と判断した者に対しては、自分の手を汚さない、陰湿ないじめを働く。被害者は何人もいるようだ。
また、彼女の父親は、県会議員で、労働組合やパチンコ業界ともつながりがあり、一部暴力団とも関係があると噂されていた。母親は、何年か前に亡くなっているとのことだ。
次に、沢木についてだ。彼については、あまり良い評価を聞かなかった。
学業面では問題ないのだが、人間関係でトラブルを何回か起こしている。情緒不安定で、些細なことで激怒することがある。時に、非常に紳士的になることもある。
奇行についての話も耳にした。
気に食わないと判断した相手の机に、猫の死体を置き、不登校にさせた。また、猫の生首を持ち歩いて、学校の周りをうろついていたのも目撃されている。
彼の父親は、県警のトップだ。母親についての話は聞かない。
最後に、藤岡だ。彼は、沢木、汐莉以外でつるむことはなく、友人関係は狭いようで、なかなか情報が得られなかった。
無口で、真面目だが、何を考えているか分からない――周囲からはそんな人物評がされていた。
輪は、メモ帳にそれらを纏めると、一息ついて、うーんと伸びをした。薄い生地のキャミソールを纏い、白い肌が透けて見えている。起伏の乏しいスレンダーな体型ながらも、女性的な丸みを帯びている。
山の向こうに太陽は沈み、窓の外はもう暗くなっていて、ビルや家の電気、街灯が灯り始めていた。
輪は、目覚まし時計に視線を移した。もうすぐで、彼女が来る。
インターホンが、来訪者を告げる。付属の小型モニターで確認すると、汐莉だった。
一階に下りて、小さな玄関の扉を開け、彼女を家に入れる。
扉を開けた途端、強く抱擁された。彼女の熱い吐息が耳元をくすぐる。
「2階、行こ」
輪は、頬を羞恥で朱く染めて静かに言った。
長く、熱い夜が始まった。
「汐莉のお父さんのこと、聞きたいな」
ベッドの上で、輪は訊いた。外は明るみ、鳥のさえずりがこだましている。
「なぜ?」
「凄い人みたいだね」
「ああ……パパは、凄い人よ。有名人と何回か会ったことあるしね……」
そう言って、彼女の父、金田利一の話を始めた。輪が既に知っている情報もあった。
「そういえば前に、パパが電話で話しているのを盗み聞きしたんだけれど」
「うん」
「パパと仲がいい会社、えっと、アジア産業だったかしら?」
「パチンコスロットの会社だよ」
「あ、そうなの?近所の店舗が、収益を車で運ぶんだって……」
輪の瞳一瞬だけ、鋭く光った。
「盗み聞きするのって、楽しいわ」
汐莉は得意げに言った。輪は、微笑みながら、彼女の手を強く握った。瞳は熱情を抑えきれないのか、潤んでいた。
「もっと、聞かせて」
「うん……」
もう一度、二人はベッドで重なり合った。
その時、輪は頭の中で、歯車がキリキリと回っている音を聞いた。
ゆっくりと、確実に噛みあう歯車は、意志を持ち、無機質なリズムを刻んでいた。