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第一章 ブレイカー 



 人々は必ず一人でいるときに「声」を聞く。疲れきった体を引きずって自宅へ向かうとき、誰もいない深夜の部屋でいるとき、眠い目をこすって起き上がるとき――。

 誰もがその「声」に耳を傾けたはずだ。不意に語りかけてくるそれが、一体何なのかを理解できないままに。

 彼らは周囲を見渡す。「声」の正体を見つけるために。

 そのとき必ず、彼らは見覚えのない黒いペンダントを見つける。黒光りするそれを不思議に思い、誰もがまじまじと覗き込んだだろう。

 彼らは顔を近づけ――独りでにペンダントが浮き上がるのを見る。ほとんどの人が驚き、その場から離れようとするだろう。だが、すでにすべては手遅れになっている。彼らはペンダントの影から現れる、この世に存在しえないものを見ることになる。

 そして、ほどなく彼らは知ることになる。自分が選ばれたものであり、自分が「契約者」であるということを。

 そして彼らは最後に知る。

 すでに自分は人間でないことを。



 2



 午前中で一学期の中間テストが終わると、学校全体が活気を取り戻したようだった。テストのことなど思い出したくもない大半の生徒は、勉強以外に精を出す毎日へと戻っていた。

 都立高岳高校は都心から外れた丘の上に建っていた。高岳市では一番古い都立高校である。丘の上に建っているので通学は不便だが、それだけだった。それ以外の特徴というものは特に何もない。特に荒れているわけでもなければ、締め付けの厳しい進学校なわけでもなかった。勉強する奴はして、しない奴はしない。放し飼いの状態に近かった。


 幸村拓哉は鑑賞部の畳の上にうつぶせに横たわっている。背は高いほうで、だいたい百七十センチぐらいだろう。そしてどちらかといえば細い体つきで、顔立ちも整っているほうだったが、その部分に着目する人はあまりいない。特徴はほとんどなく、総体としてさほど印象に残らない外見だった。

 彼が倒れているのは命に別状があるからではない。一夜漬けのテスト勉強であまり寝ておらず、家に帰る前に一休みしているうちに熟睡してしまったのだ。

 鑑賞部、という名前は上辺だけであって、実際のところは正式な部活なわけではない。本当は旧校舎にあるただの空き部屋なのだ。そこに拓哉が侵入して使用しているだけだった。もちろん公認されているわけではない。勝手に入り込み、勝手に使用しているのだ。その証拠に、部屋には拓哉の私物が多数持ち込まれている。CDコンポも、積み上げられた漫画も、柔らかそうなクッションも、全部拓哉が持ち込んだものだった。いわばここは彼の秘密基地のようなものだった。

 この存在に気付いている生徒はほとんどいない。もちろん教師は誰一人知るはずもない。まさか鍵を掛けているはずの空き部屋が、簡単に鍵を外されて、一人の生徒に占領されているなど、だれが想像するだろうか。

 開いた窓から入り込む心地良い風が、白いカーテンを揺らしている。このまま邪魔が入らなければ、拓哉はもう少し惰眠をむさぼり続けたに違いない――しかし、そのとき部屋の扉が開いた。

 現れたのは小柄の女生徒だった。黒目がちの瞳とふっくらとした色白な頬。人目を惹く容姿をしていて可愛らしいのだが、美人と呼ぶには少し童顔だった。わずかに肩にかかった滑らかな髪の毛が、彼女の規則正しい息に合わせて揺れている。制服の校章の色は拓哉と同じ、二年生を指し示す緑色だった。

 彼女は部屋に入るなり畳の方に目をやり、うつ伏せに倒れている拓哉を見た。途端に彼女は顔色を変えた。彼の様子は異変が起こったように見えないこともない。実際は眠っているだけだったが、そんなことを知らない彼女は、慌ててに畳に走り寄る。上履きと学校指定の黒い鞄を放り投げるようにして、彼女はぺたんと拓哉のそばに座り込んだ。そして、自分も畳に顔を近づけるようにして拓哉の顔を覗き込む。

 数秒後。

 彼女は呆れた顔で体を起こした。規則正しい寝息がかすかに聞こえる。この生徒が暢気に眠っているだけだ、ということに彼女は気付いたらしい。

「……拓哉」

 彼の名前を呼び、優しく拓哉の肩を揺する。ぴくりとまぶたが震えるだけで目は開かなかった。起きる様子など全く感じられない。そのかわりに畳の上で九十度回転すると、彼女の膝に背中を預けてくる。スカートからわずかに覗いている彼女の膝に、拓哉の背中が直接当たっている。彼女の頬が少し赤くなっていた。

 ふと、彼女は拓哉の声を聞いた気がした。再び拓哉の顔を覗き込むと、彼の唇がかすかに動いている。彼が起きないよう気を配りながら、彼女は拓哉の唇へと自分の耳を近づけていく。

「……ゆき」

 そんな言葉だけ聞き取れた。何か夢を見ているのかもしれない。

 そんな時、拓哉はさっきと同じ方向に寝返りを打とうとした。ぐいぐいと背中をこすり付けられ、スカートが少しまくれ上がろうとする。

「拓哉、えと……」

 彼女は戸惑い、頬は更に赤みを増した。それでも拓哉が起きる気配はなく、まだスカートはまくれ上がろうとしていた。途端、彼女の表情は引き締まる。

 その後の行動は素早く、彼女は左手でスカートを押さえつつ、右手を大きく振り上げ、思いっきり拓哉の頬を叩いた。

 ぱん、と高らかな音が部屋に響いた。


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