10-2
町の中心にあり大きな看板で誰が見ても一目でわかる山上ハイヤー。俺は迷わず外階段を上り事務所の戸を開ける。ガラリと開けると案の定、桃香はネットをしていた。
「カズヤ! どうしたの? まだ約束の時間じゃないわよ?」
桃香は俺が事務所に入ってきたことにびっくりしマウスで動かしていた手を止め俺を見る。
「あんさ、桃香……」
「ん?」
俺は深く深く息を吸い、そして俺の今までの歪んだ嫌な気持ちを吐き出すかのように思い切り息を吐いた。
「お、俺と……俺と……」
「え……? まさか?」
その瞬間、桃香は顔を燃え上がる炎のように真っ赤にさせる。
「い、一緒に……」
「一緒に……?」
ゴクリと桃香の固唾を飲み込む音が聞こえてきた。それと同時に手を組み祈るような姿勢をとる桃香。もしかしたら桃香は俺の言いたいことをわかっているのかもしれない。じゃぁ、思い切ってあとは……言葉を放つのみ!
「俺と……俺と一緒に声優目指そう!!」
「……?」
桃香はポカンと口を開け唖然とした表情で俺を見つめる。
「そ、それだけ?」
「え? それだけって??」
桃香の問いに俺も頭が混乱してくる。一体こいつは俺が何を言ってくると思っていたのだろう? そんなに期待外れなことを言っただろうか? いや、むしろ桃香はこの言葉を望んでいたはず!
「そっか……」
なぜか桃香は落胆し、俯き、指を絡ませる。
「お、俺たち、高校生の時に将来の夢について語り合っただろう? 今日、鮮明に思い出したんだ。俺たち、本当は声優になりたかったんだって! 桃香だって言ってだろう?『いつか声優になれたらいいね』とか、『その夢、かなえるまで追いかけなきゃね』とか! その夢、今こそかなえるべきなんだよ!」
しかし桃香の顔は以前として曇ったままだった。
「……私がその夢追いかけたらこのハイヤーはどうなるのよ?」
「ハイヤーは江張さんに任せればいいよ。彼女自身もここの経営者になりたいって言ってたから」
すると桃香の表情は一変し、机をバンと思い切り叩くと席を立ちあがり俺に怒りの言葉を放った。
「は? 何言ってんの? あの女にここを渡せって?? カズヤ、頭おかしくなっちゃったんじゃない?」
俺はそのことを聞いてしばらく黙り込むも今日の誕生日パーティで江張さんの言ったことを思い出す。そして俺は勇気を出して桃香にこう尋ねる。
「じゃぁ、お前は……桃香はもう声優の夢をあきらめてるんだな?」
「あ、あきらめているわけじゃないわよ。声優になりたい願望はまだ残っているわ。でも一人娘の私がここを継がないとなるといつか山上ハイヤーはなくなっちゃうのよ」
そう言うと俯き、切なげな表情をする桃香。俺はここで江張さんが言ったことを初めて理解した。桃香が自分の気持ちをごまかそうとしている。それは確かな事実。そんな桃香を助けてやりたい。その一心で、桃香が傷つく覚悟で俺は桃香の肩を軽く叩くとこう告げた。
「桃香、よく聞いてくれ。お前のお母さん、ヨシコーさんはお前に夢を追いかけてほしいと思っているんだ。だから、その……ヨシコーさんはお前にここを出て行ってほしいと思っている」
「え?」
俺がそう言った直後、桃香の表情がこわばった。
「ヨシコーさんは桃香に早く自分の夢を追いかけてほしいと思ってたんだがなかなかお前は動こうとはしなかった。だからヨシコーさんは江張さんを呼んでわざとお前をここから出そうとした。お前が江張さんを苦手としていることはヨシコーさんもわかっていたから」
「う、うそよ……。カズヤ、いくらあんたが妄想癖があるからってそこまで話作んなくてもいいんじゃない?」
そう言いながら桃香は苦笑いを浮かべていた。しかし顔はずっとこわばったまま……。
「うそじゃない。江張さんから直接聞いた話だ」
「あんた、あの人の言ったこと真に受けてるの?」
「俺、あの人……桃香が思ってるほど悪い人じゃない気がする」
俺の言葉を聞くと桃香はハァーと深いため息をつき身を投げ出すかのような感じで勢いよく腰を下ろした。そしてふてくされた態度で視線を下げながらぼそりと桃香はこう言う。
「なんなのよ、みんなして……。お母さん、信じてたのに……それにカズヤも私のこと見放すのね。味方だと思ってたのに……」
「桃香! お母さんや江張さんもお前のことを思ってくれているのは確かな事実だぞ! 俺だってお前に夢を叶えてほしい。いや、同じ目標に向かってお前と一緒に頑張ってきたい! 俺一人じゃ、心細いんだよ!」
俺が熱弁をふるうも桃香は下を向いたまま微動だにしなかった。
「なぁ、桃香、まだ心のどこかで声優になりたい気持ちがあるなら一緒にがんばろうぜ……」
「でも……泰子さんにここを任せるなんて……」
すると桃香んちの階段のほうからドンドンと人が上がってくる音が聞こえた。そして扉がガチャリと大きな音を立てて勢いよく開いた。
「桃香! カズヤ君と一緒に夢を追いかけなさい!」
「お、お母さん?」
扉が勢いよく開かれた先にはいつも通りの派手なヨシコーさんの姿がそこにあった。
「ヨシコーさん? ってなんで俺たちがその話してるのが分かったんですか?」
俺はいぶかしげな表情でヨシコーさんに聞いてみる。
「あ、事務所に忘れ物したから取りに行こうと思って階段を上ってたんだけどその途中であんたたちの会話が聞こえてきたのよ。これは無視できる話じゃないなと思ってちょっと聞かせてもらったってわけ」
「なるほど……」
俺が軽くうなずいている間にヨシコーさんは桃香のそばに行きその場でしゃがむと、桃香の手を取り優しげな表情を湛えながらしかしまっすぐと桃香の顔を見つめこう告げる。
「ねぇ、桃香。桃香は本当にハイヤーの仕事をやりたいの? それが本当の気持ちならお母さんはもちろん歓迎するわ。でもね、自分の夢を追いかけない口実に山上ハイヤーを継がなきゃいけないって言うのなら、私はすぐさま泰子ちゃんにここを継がせるわ」
「お、お母さん……正気なの??」
「えぇ、本気よ。泰子ちゃんは経営に興味があってその勉強もしっかりとしているわ。いやいややってる人より何倍も効率がいいと思わない?」
「で、でもあの人、電話対応もロクに出来ないのよ? そんな人に経営なんて任せられる?」
「あ、あれね。あれはわざとよ。桃香を辞めさせるようにわざと泰子ちゃんにあぁいうことしてもらったの」
すると桃香はヨシコーさんの手を払いのけ信じられないという表情で口に手を当てる。
「ひ、ひどい……」
「桃香、そうでもしないとあなたはここから動こうとしないでしょ?」
「でも! いくらなんでもひどすぎるよ……」
桃香はえらく動揺していた。自分の母親に騙されたと思い込んでいるのだろう。俺は黙ってその光景を見てはいられず桃香のそばに行き肩に優しく手を添え、こう言った。
「さっきも言っただろう? 何もヨシコーさんも江張さんも桃香のことが嫌いでそういうことしたんじゃない。むしろお前のことが好きだから心を鬼にしてでもこういうことをしたんだ」
俺がそんな言葉をかけたとたん、桃香は俯いた状態で何かぼそぼそと言い始めた。そして再び椅子から立ち上がり、桃香は言葉を放つ――。
「わかったわ……わかったわよ! こんな家、こっちから出てやるわよ! 絶対、絶対立派な声優になってお母さんのこと見返してやるんだから!」
「「桃香?!」」
俺とヨシコーさんが一斉に桃香の名前を叫ぶ。当の桃香は早足で事務所を出て階段を降り、一階にある自分の家へと向かった。おそらく自分の部屋に行ったのだろう。
「やっぱり、私のやり方は強引過ぎたかしら……」
ドアを閉めた余韻だけがこの部屋に残っている。ヨシコーさんはうなだれその目には光る何かが見えていた。
「ヨシコーさん、でも結果、桃香は動き出しました。俺も桃香と一緒に動き出します。だからすいませんけど今日で……」
「えぇ、桃香を支えることができるのはカズヤ君だけよ。桃香と一緒に同じ夢を叶えて頂戴」
「はい。必ず」
そう言って事務所を出ようとしたときふと桃香の椅子を見ると淡い緑色の何かが見えた。すごく気になったので近くに行きそれに目を凝らす。
「ヨシコーさん、桃香の椅子に何か紙袋が置いてあるんですけど……」
俺はそう言いながら桃香の椅子に置いてあったそれを手に取る。ヨシコーさんはようやっと立ち上がり、脚をまっすぐに伸ばすとその紙袋を見てニッコリと笑みを浮かべながら俺にこう言った。
「たぶん……それカズヤ君の誕生日プレゼントね」
「え? 俺の?」
「だって紙袋に貼ってあるシールに『Happy Birthday』って書いてあるじゃない。開けてみなさいよ」
「え? いやでも……」
「桃香はわざとそこに置いたんだと思うわ。カズヤ君が気づくように。中身、気にならない?」
確かに中身はすごく気になる。桃香が俺にどんなものをプレゼントしてくれたのか? でも、こう言うのは本人から直接渡されるべきなんじゃ……。
「ほら! 躊躇しないで開けてみなさいって」
結局俺はヨシコーさんに押し切られる形で言われるがまま紙袋からプレゼントを取り出しその包装紙をゆっくりと剥がした。すると――――
「な、なんじゃこりゃ?」
「え? な、何よこれ?」
俺もヨシコーさんもその中身に唖然とした。ヨシコーさんに至っては唇を震わせている。
「は、針とロウソクとムチ……」
「て、て、て、て……手錠とロープ……」
「ヨシコーさん、桃香って……」




