3-2
そして来る十月十日体育の日。そう、俺の誕生日でもある。土曜日は病院が休みのためいつも暇らしい。午前中は客二、三人を乗せ、あとは終了時刻十二時の時計の鐘が鳴るまで事務所のソファに座って冷たいお茶を飲みながらのほほんと時間を過ごしていた俺。何もしない時間がもったいないと思いながらも何も行動せずにここでだらり過ごす。そう思うと人間は楽をしたい生き物なんだと常々思ってしまう。小学、中学、高校とあれだけ大人へのあこがれがあったにもかかわらず、今の俺はハイヤーの運転手。ハイヤーの運転手がやりたくて大人へのあこがれを持っていたわけじゃないはず……。
「ってか……あのころの俺って何になりたかったんだっけ?」
誰もいない事務所に俺のぼそりと言った言葉が小さく響いた。その瞬間ガチャリと事務所のドアが音を立てて開かれる。
「カズヤ」
桃香だ。にこにこと笑みを浮かべながら俺にこう言ってきた。
「もうお客さんから配車依頼がないと思うから帰っていいって、お父さんが言ってた」
「え、まだ11時だけどいいのか?」
俺はそう言いながら事務所にある時計に視線を移す。
「もう、お父さんが帰っていいって言ってるんだからこういう時は素直に帰るの! それに今日はあんたの誕生日なんだし、今日くらいいいじゃない?」
確かにあと一時間何もやらずボーっと過ごしたって無意味だしな……。
「そこまで言うんなら……じゃぁ、お言葉に甘えて……」
そして俺はソファから腰を上げ事務所を出ようとしたとき、「あのさ」と言って桃香が俺を呼び止めた。
「ん? なんだ?」
「コップ! ちゃんと流しに持っていきなさいよ」
「おっと、忘れてた!」
俺は「すまん、すまん」と言いながらテーブルの上に置いてあるコップを事務所にある小さな流しにコトリと置いた。
「よし! じゃぁ、お先に!」
「あのさ」
今度こそ出ようとしたときまた桃香に呼び止められたので俺は何かやり忘れていることがあるのかと思い一面辺りを見回した。しかしやり残したことは俺が考えた限り見当たらない。
「俺、なんかまだやり残してることあったっけ?」
へへっと笑いながら俺は桃香に尋ねてみた。
「今日の六時、ちゃんと家にいてよ……」
そう言うと桃香はなぜか頬を赤らめながらプイっと俺から視線を外す。
あ、そういうことか……。誕生日会は四時半までだから余裕で間に合うよな……。
「わ、わかってるよ」
「そう。じゃぁ、お疲れ様」
そう言うと桃香は笑みを浮かべながら流しにある俺が使ったコップを洗ってくれた。俺はそんな桃香を見ながら挨拶をし、事務所を後にした。
「お疲れ」
ガラッ
玄関を開けたと同時にお袋がジャストタイミングでリビングから出てきた。
「あら、もう帰ってきたの?」
「あぁ」
お袋はエプロンで手を拭きながら「サボってきたんでしょ~」と憎ったらしい言葉を俺に言ってくる。
「ちげーよ! もう客から配車依頼がないと思うから帰っていいって言われたんだよ」
「そう? あ、そうだ! お昼、あんたの好きな豚丼作ってあげるからね」
そう言いにこにこと俺を見つめるお袋に俺は靴を脱ぎ淡々とこう言って断った。
「あ、ごめん、今日の午後、食事会に呼ばれてるから昼飯いらねーわ」
お袋の顔が一変してしかめっ面になる。
「ちょっと! 昼飯いらないって、早くそれ言ってちょうだいよ。もう材料買って来ちゃったんだから!」
「だから、謝っただろ~。あ、それと晩飯もいらないわ」
「晩飯もいらない? あんた、その食事会一体何時までやるのよ?」
お袋が腕を組みいぶかしげな表情で俺を見る。でも俺は昼間は美人社長と、夕方からは桃香と過ごすなんてことは言えず(というか言うとまたややこしくなるので)適当にあしらいながら部屋へと入って行った。
「まっ、そんな遅くまでかからないから、心配すんな」
「ちょ、ちょっと! カズヤ!」
午後一時五分前俺は社長に言われたとおり駅前にいた。服装はというとお出かけ用の他のシャツよりもちょい高めな緑ベースのチェックのシャツに下はクニクロのチノパンを履いている。
うん、決まってる!
そう心の中で言いながら町の小さな駅の窓ガラスに映る自分の姿を見て軽くモデルポーズをとる俺。
今気づいたんだけどさ、俺って自分が思ってるよりかなりイケてるのかも……。やっぱこの感じチャニーズのニノマエそっくりじゃん!
俺は調子に乗ってニノマエがいるグループ、ストームの歌を窓ガラスを前に小声で歌ってみた。
「ストーム♪ ストーム♪ イエー!」
「あの、すいません!」
「え?」
俺はエアマイクを持った手を硬直させて恐る恐る後ろを振り返ってみる。すると中年の白髪交じりのおじさんが運転席の窓を開け、ニコリと笑顔でこう答えた。
「小鳥遊さんですよね。お迎えに来ましたのでバスに乗ってください」
「は、はい……」
十五分ほどで隣町のパーティー会場につき俺はおじさんにお礼を言って車から降りた。三十畳ほどの会場の中に入るとすでに結構な人が今か今かとおしゃべりをしながらパーティーの始まりを待っていた。もちろん俺の知り合いなんて社長以外誰もいないのでさっそく俺の定位置の端っこにある椅子に腰を据える。
やっぱなんか場違いだったかな? そう思いここに来たことを今更ながら後悔する俺。
早く食うもん食って帰ろうかな……。そんなことを思いながらテーブルの上に並べてあるオードブルをじっと眺めているとどこかで聞いたことのあるような声が聞こえてきた。俺は何気にその声のほうに顔を向ける。
「?!」
な、なんで彼女が……なんで彼女がここにいるんだ??
とりあえずばれないように俺は壁に顔を向けながらパーティが始まるまでの間を過ごそうと決意した。首は痛くなるがそれは致し方ない。しかし……
「あれ? あれあれ??」
そう言いながら彼女が近づいてくるのを耳で感じる。俺は必死に聞こえないふりをし壁を見続ける。あぁ、首がつりそうだ。
「やっぱりそうだ! カズッチだ!」
あっさりバレちまった。まぁでもやっぱり俺ってかっこいいから、オーラがあるからばれちゃうんだよね~。俺は最高に伸び切った首を元に戻し愛想笑いを浮かべながら彼女に挨拶をした。黒を基調としたミニスカートドレスに身を包み、横の髪を垂らし、後ろ髪をアップにさせていつもよりちょっと濃い目のアイメイクをしている彼女。不覚にもちょっと色っぽいなって思ってしまう俺。ってか首、イタタタタ!
「こ、こんにちは……。こ、こんなところで江張さんにあうなんて偶然ですね。あはははは」
「そりゃそうでしょ~。だってママの誕生日会なんだもん」
「え?」
その言葉に驚き、アホみたいな顔でポカンと口を開けながら俺は江張さんを見る。
「もーう、だから江張杉子は私の母親よ」
そう言うと彼女はバッグから案内状を取出し、先ほど言った名前を指さす。
「あ、ほんとに『江張杉子誕生日会』って書いてある……」
「これでわかった?」
「で、でも……レイヤー研究所ってかなり有名な会社ですよね? その社長だなんて……」
「ふふふっ、社長じゃないわよ。支店長よ」
「え? あれ? 桃香が社長って……って支店長でもすごいけど……」
「何よ~、その顔! もしかしてありえないって言うの?」
「え? や、いやぁ……」
「もーう、これだから田舎もんの考え方は嫌なのよ~」
俺は江張さんの発した言葉についムカッときてしまいちょっと強い口調で彼女に反論してしまう。
「な、なんでこれが田舎もんの考え方なんですか?? って江張さんだって田舎もんのくせに!」
「なにそんなに怒ってんのよ? 私が言いたいのは田舎もんだから自分はなりたい職業に就けないって考え方をしている人が嫌いなの」
「いやだって……」
すると江張さんはハァーとため息をつくとこんなことを言い始めた。
「カズッチもそんな考え方だったなんてショックだわ。桃香も声優になりたいくせに相変わらずハイヤーの事務なんかやっちゃって……。本当にやりたいことをなんでそう簡単にあきらめるのか私には理解できないのよ」
な、なんなんだよこいつ……。自分だってそう言っておきながら……。
「じゃ、じゃぁ江張さんは何になりたいんですか? 自分だってハイヤーの事務やってるくせに! 聞きましたよ桃香から! 前の会社が勤まらなくて辞めたって」
「はー? 前の会社が勤まらなくて辞めた? バカ言わないでよ! よし子叔母さんに言われたのよ。桃香がこのまま夢をあきらめてハイヤーの事務員として人生を送るのは私は避けたいって。母親としてやっぱり自分の子供には夢があるなら追いかけてほしいって。だから泰子ちゃん、もし良かったらウチで働いて桃香を自然とここから出ていくように仕向けてくれないか? って!」
「……?」
俺は江張さんが何を言っているのか全く理解できなかった。思わず首を横に傾げ江張さんに真相を求める。
「だから~、叔母さんに桃香をここから追い出してくれるように頼まれて入ってきたのよ。それに私、経営に前々から興味があったの。その話が来たときに悪くはない話だなって思ったし、山上ハイヤーを自分の力で育ててみたいなって気持ちになったから叔母さんの頼みを飲んだのよ」
「そ、そんな……。だ、だったらヨシコーさんも桃香に面と向かって言えばいいじゃないですか?? 夢を追いかけろって! そんなのあんまりだ……。ひどすぎますよ……」
俺は俯き、ヨシコーさんが陰で桃香にひどい仕打ちをしていたことを手にこぶしを握りながら怒りをどうにかこうにか抑えていた。すると江張さんが俺の顔の覗き見ながらこう言った。
「叔母さんが桃香に直接言ったところで、桃香が本当に夢を追いかけると思う?」
「え? でもそれは言ってみなきゃわからないことじゃないですか?」
「叔母さんだってバカじゃないわよ。桃香に直接じゃないけどそのようなこと言ったことがあるみたいよ。でも彼女は動こうとはしなかった」
「だ、だれだってそんな簡単に動かないですよ……。それに桃香は責任感の強いヤツだからあの山上ハイヤーを自分が守らなきゃどうするんだって感じでいると思いますよ」
「カズッチ、本当にそう思う~? あの感じ、桃香は自分の中でもうあきらめているのよ。自分は声優にはなれないって。だから自分に言い聞かせてる。自分は声優をやるより山上ハイヤーを継いだほうがいいって……。まだ挑戦してもいないくせに」
く、苦しい……。まるで自分のことを言われているような気がして俺は一刻も早くこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「そ、そんなことない! 江張さんは桃香の気持ち何もわかってないんじゃないですか?」
「そうね、でもわかりたくもないわよ。あんなひ弱な子の気持ちなんて。なんでもお父さんの言いなりじゃない。銀行に勤めたのだってそう。でも結局続かなくて地元に戻ってきた」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 桃香は職場でいじめられて仕方なく辞めたんです」
「そう言う風に言いふらしてるんだけどね、彼女」
「い、言いふらしてる?? は? 何言ってるんですか! あんたは桃香のことが嫌いだからって――」
俺が怒りに震えながら怒鳴るように言葉を放つと江張さんが話を遮りこう強い口調で言ってきた。
「本当のことよ! あの子は続かなくて辞めたのよ! よし子叔母さんから聞いたわ。その時に叔母さんは言ったのよ。今度は桃香のやりたいことをやりなさいって。でも桃香は叔父さんの言いなりになって山上ハイヤーを継ぐことになったわ」
「う、うそだろ……」
「あ、もうそろそろ始まるわね、誕生日パーティー。じゃ、私はママのところにちょっと行ってくるから」
そう言うと江張さんは軽やかな足取りでスカートをひらひらと揺らしながら俺から離れていった。
どうしよ……。俺このままここにいてもいいのか? なぁ、のんたん助けれくれ! 俺はここにずっといるべきか? それとも家に帰って気分を落ち着かせたほうが良いのか?
9、『カズッチ、せっかく杉子さんに御呼ばれされたのに帰っちゃうん? それにここで逃げ出すとなると江張さんから逃げたことになるんちゃうかな? ウチ、辛いかもしれんけどカズッチがここで時間を過ごすことによって何かカズッチを助けるヒントがもらえると思うんよ』
10、『カズッチ、ここで我慢してずっといるより家に帰ったほうがいいんちゃう? 家で今日、江張さんに言われたことをもう一度考えてみたら何か今まで気づかなかったことに気づくんちゃうかな? カズッチがそれによって一歩前に進める気がするん』
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