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ドラゴンキャニオン

ドラゴンキャニオンと呼ばれる谷があった。

魔物の巣窟ギジナール山脈に突き刺さるその谷は、途中から急勾配となり山頂へと至る。

ドラゴンの咆哮が山肌を削ったと言われ、山頂にある隠れ里にはドラゴンの加護を持つ者がいるという。

しかし、春から秋にかけては強風が渦となり、馬車さえも天へと巻き上げる。

さりとて、冬には深い雪と強風が山頂から吹き下ろす吹雪となる。

隠れ里に向かう者はいても返ってきた者はいない。

それほどまでに人を拒むその谷に足を踏み入れていた。


竹で編んだ特殊な靴と細い竹を束ねた二本の槍はなじみの老人がくれた物だ。

些細な事で恩人扱いされて親しくなった老人だが、木彫りのドラゴンのお守りと共に用意してくれた。

特殊な靴は雪の上を歩けるすぐれものだ。

槍の石突には丸いワッカが付いていて雪を捉える事が出来た。

中ほどに付けられた皮ひもに手首を通せば手から離れる心配もない。

両足で体重を支え、槍に込めた腕の力で体を押し上げる。それでようやく吹雪に対抗出来た。

フード付きのマントは気やすめだが、無いよりはずっとましだ。

老人は右の壁際を歩けと言ったが、右足が高くなって歩きづらく、中央よりの平坦なところを登った。

顔を上げると雪が痛いくらいに吹き付けてくる。

頂上にある大きな木が目印だというが、この吹雪ではすぐ傍まで行かないと見えそうにない。

顔を伏せ、今出来る一歩を確実にこなす。

フードに隠れた兜の中にまで雪は入り込み、金色の髪から冷たい水がしたたり落ちる。

鎧の隙間から入り込んだ雪は汗と共に厚手のシャツを濡らして体温を奪ってゆく。


どのくらい歩いただろう、小休止をとるのを忘れていた事に気が付いた。

休みなしでの登坂など無謀なだけだ。よほど焦っていたのだろう。

苦笑いを浮かべながら、老人に教えられたとおり、槍が交差するように雪の壁に突き刺した。

単純な一本槍は深々と壁に食い込み、壁と槍で出来た三角の隙間に体を入れた。

後は交差した槍に紐をからげれば、体から力を抜いても強風に耐えられる。

水袋を出して一口含んだ。冷たかった。

見上げた先は吹雪きでかすみ、永遠に続いているように見える。

下を見ると谷のような傾斜で、一歩でも踏み外せば命の保障はないだろう。

「行くしかない」

自分に言い聞かせるように呟き、槍にからげた紐を外そうとした時、目の前を大きな何かが通り過ぎて行った。

あまりの速さに目が付いて行かない。

そう思った瞬間、更なる強風がその何かを追いかけるようにやってきた。

壁の雪と共に体が吸い寄せられ、交差した槍が体に食い込む。

ほんの短い時間だったが、息が出来なかった。

鎧を着ていなければアバラ骨が何本かやられていただろう。

それ以前に、この槍が無かったらこの坂を真っ逆さまに落ちていた。

「い、今のは、いったい……」

分かっていた、谷に落ちた魔物かなにかだろう。だが、認めたくなかった。

これ以上の危険がある事など知りたくもなかった。

老人が壁際を歩けと言ったのは、こういう事だったのだ。

喉がカラカラになっていた。

再び水袋を出すのももどかしく、右手で雪をつかみ口に含んだ。

「進む」

もう、それしか考えない事にした。

それ以降は小刻みに休憩を取った。

なんとなく危険だと思った時に休んだ。

何もない時もあったが、何かが通り過ぎる時もあった。

老人が言っていた。

このお守りが無ければ谷は越えられないが、それ以上に運が必要だと。


壁の右側を歩く足先の感覚があやしくなってきた。

皮ひものおかげで槍を手放す事はないが、両手の握力も弱々しくなってきている。

呼吸を整える努力はとうに放棄していた。

ハアハアという呼吸音はゼイゼイというあえぎに変わっていたし、進もうとしてはいるのだが体が悲鳴を上げていた。

歩けないと足が叫び、力が入らないと両手がわめく。

どれほど頑張っても言う事を聞いてくれなくなり、もう駄目だと思った時、全ての苦痛が消えるという不思議な感覚がやってきた。

もう一歩も進めないはずなのに進んでいるという感覚だ。

他人事のように自分が見えるのだ。

しかし、これは危険な兆候で、自分で自分の体が制御出来ないという事でもある。

体がふらついてもそのままだし、倒れてもかってに起き上がる。

力のすべてが無くなるまで動き続け、起き上がれなくなったときに死を迎える。

限界、もう駄目だ。そんな事さえぼんやりと思う。

そんな時だった、木彫りのドラゴンがにぶく光った。

それに気付く事は無かったかが、顔を上げると大きな木があった。


「あ、――ついた」

ふぬけた声と共に踏み出した足は、わずかな下り坂にも対応出来なかった。

人形のように斜面を転がり落ち、すぐに止まった。

受けた衝撃のおかげで感覚は戻ったようだが、今度は体中が痛かった。

息をするのもつらく、ヒューヒューと喉が鳴るだけだ。

半分以上雪に埋もれながら大の字に倒れていた。

感覚がマヒしているのか不思議と冷たくない。

吹雪は相変わらず目の前を通り過ぎているが、先ほどと比べるとそよ風に思える。

ふと、視界の端に何かを捕らえた。

目だけを向けると家があった。顔を向けると目の前だ。

「こんなに近くじゃ、行くしかないじゃないか」

か細い声で悪態をつきながら、鉛のように重い体を雪の中から引き抜いた。

這うように玄関に向かい、ドアをたたくが返事がない。

膝立ちしてドアを開け、転がるように入った。

そして、奥の壁にドラゴンの文様、その周りに扉の輪郭が見えたところで意識が遠のいていった。

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