陰陽師様に魅せられて
初投稿作品です。
誤字脱字等あれば、ご指摘ください。
「おい、貴様。小娘如きが俺を邪魔するか。…退け」
尻もちをついたまま、呆然と目の前に仁王立ちする声の主を見れば。
「チッ…まあいい。俺は急いでいるんだ、小娘の相手なぞする暇はない。感謝するんだな、人間」
フンッと嘲笑う彼は、二の句が継げずにいる私をすり抜け、見向きもしない。
もう一度言おう。彼は私をすり抜けて行った。綺麗な顔を不機嫌に歪めながら。
*
ここ、県立峯然高校は、県内偏差値三位というそこそこの進学校だ。加えて運動部文化部共にそこそこ力を入れている、まあまあ有名な学校だ。何が言いたいかと言うと、とにかくそこそこでまあまあな何処にでもある高校なのだ。
ある一点を除いて。
「出たな妖狐!ここで会ったが百年目、今日こそあなたを退治する!!」
「…ふ。やれるものならやってご覧?どうせ結果はみえているがな」
「何ですって!?ああ、もうっ!覚悟しなさい!!」
我らが高校は、只今昼休みの真っ最中だ。生徒たちの数少ない憩いの時間である。
そんな時間に私は何をしているのかというと。
深い藤色の着物に、紺色の羽織を着た白髪ロングの美丈夫。もはや格好いいとか綺麗などという言葉では言い表せないほどの美貌を湛えた彼の頭には、白いフサフサの耳がピョコリと生えている。此方からは角度的に見えないが、着物の後ろにはそれはそれは立派な尻尾も揺れていることだろう。
そして、僅かに地面から浮かんだ彼と睨み合う黒髪ストレートの活発そうな美少女が、私ーー鳥居 杏花の、目下の観察対象である。
*
『あやかし様に魅せられて』
これが、この世界につけられた名前である。
…待ってくれ、頭の心配をするのだけはやめて欲しい。私は至って正常な思考の持ち主だ。ちょっと前世の記憶があるだけで……っとこれも十分に電波か。申し訳ない。私だって記憶が蘇った当初は気が狂わんばかりに狼狽したさ。でも、その膨大な記憶の中に埋もれていたとある内容によってそれどころじゃないと現実に引き戻されたんだ。
そう、その内容こそが私が前世でハマっていた既出タイトルの少女漫画である。
『あやかし様に魅せられて』通称『あやみせ』は、とある陰陽師の家系に生まれた跡取りの女の子と狐の大妖怪との禁忌の恋物語である。
細かなストーリーは省略させてもらうが、前世の私は全12巻にも及ぶ少女漫画にしては長いこの漫画が大好きで大好きで愛しているといっても過言ではなかった。
著者様のサイン会には行ける距離ならば必ず駆けつけたし、公式グッズもくまなく買い求めた。
新刊が出るたび小躍りしてビニール包装を破っていた当時が懐かしい。
可愛くて強くて、でも脆い一面もあるヒロインに、美しくも冷酷で残虐な孤高の狐様がデレるシーンには、全国の乙女が身悶えした。
と、これだけでも既に私がどれほど『あやみせ』が好きだったのか、そしてそれがどれほど素晴らしき文化作品であるかが分かっていただけたと思う。
しかし、しかしだね諸君!
『あやみせ』の本当の魅力はこのストーリーでも、はたまた主役二人でもないのだよ!!
読者人気ランキングで、主役二人を差し置き大差をつけて一位を飾った彼ーー『神崎 碧』こそ、この作品における最大最高の魅力なのだ!!
*
あの後ヒロインの女の子がたまたま通り掛かった低級妖怪に隙を突かれて怪我をしたのを、光の速さで雑魚処分した狐様がお姫様抱っこで介抱する様を見せ付けられた。元々人気のないあの場には、彼等とそれを物陰から観察する私以外誰もいなかったので、恥ずかしそうに抵抗しながらもなんだかんだでヒロインはそれを受け入れていた。狐様は言わずもがなである。
にしても、冒頭でのあの態度からは想像もできない豹変っぷりだ。そういえば、私の記憶はあの時初めて狐様を見たことで蘇ったんだっけ。
「…おい」
そういえば、普通の人には彼等妖怪の姿は見えない。まあ当たり前だが。見えていたら狐様はこんな堂々と不法侵入できないだろうし、できていたとしても注目を浴びるのは必須だ。
ちなみに私は物心ついた頃から結構強力な霊感があった。低級妖怪なんてそこら中で見るし、極たまにだけど狐様の下の下くらいの中レベル妖怪も見たこともある。
「おい」
ただ残念なことに、私の家はごくごく普通の一般家庭。最近頭髪の後退具合が気になるサラリーマンの父と、保母さんとして働くお母さんとの間に生まれた一人っ子だ。これがヒロインみたいな生まれだったらなぁ…私にも甘酸っぱい恋物語のひとつやふたつ、始まっていたかもしれない。
あ、でも妖怪退治って結構ハードだからな。疲れることは御免だ。
「おいっ!」
「うぎゃ!?痛っ…て、ああ、誰かと思ったら神崎君でしたか」
突然頭を引っ叩かれたらびっくりするじゃないか。それに痛い。
そう言って頭をさする涙目の私に、神崎君は冷たい声で「何度も読んだのに返事をしないからだ」と言い放つ。
名前を現したかのような藍色の髪は、毛先だけ少し癖があるらしく、所々跳ねている。その下から覗く均整のとれた顔とアイスブルーの瞳は、突き放すような先程の言葉とは裏腹に此方の様子を伺っているようだ。たぶん、
「嘘ですよ、そんな痛くなかったですって」
「え、いや、俺は別に…」
私の言葉にホッとしたような表情を見せる彼。大方私が痛いと言ったから心配してくれたのだろう。叩いたのは自分だけど。それに言うほど痛くなかったという訳では決してない。まあここはこの可愛いツンデレに免じて許してやろう。あれ、これはツンデレなのか?だとしたら分かりにくすぎるデレだな。難易度鬼か。
「では、気を取り直して。今日も張り切って行きましょう!」
「お前なにもしてないけどな」
右腕を突き出して気合いを入れる私に、神崎 碧は容赦なく突っ込む。
私は左隣に立つ彼にじと目で答えた。
「そんなこといっていいんですか?私がいないと家鳴一匹見えないくせに」
「くっ…」
さて、ここで皆さん不思議に思ったことでしょう。ええ、ええ、説明してさしあげますとも。
彼、神崎 碧は前にも述べたように『あやみせ』登場キャラクターだ。その立ち位置はと言うと、狐様を退治しようと日々奮闘するヒロインを時に邪魔し、時に助け、次第に惹かれる…が、最後の最後で無敵の狐様に掻っ攫われるこの街二大陰陽師家系のヒロインじゃない方の跡取り、といったところか。
世の人々は、こんなポジションのことを『当て馬』という。
「でも、本当に不思議ですよねぇ。どうして神崎君には霊感が全くこれっぽっちもないのでしょうか?」
「俺が悪かったよ!だからその刺々しい言い方はやめろ」
「やめろ?」
「…っ、やめて、ください」
ああ、悔しい顔をした彼もまるで芸術品のように美しいです。
「勿論です。では今度こそ行きましょう」
にっこり笑ってそう言うと、チッという舌打ちで返事が返ってきた。
…ここは普通ドキッ!ってなる場所だと思うんだけどな。まあきっと、彼はシャイなんだろう。仕方ないよね。
*
「…神崎君、いました」
「了解」
あの遣り取りから数十分後。
現在私達は通学路から少し外れた人気の少ない路地にいる。
私は彼に小さく告げた後、そのシャツの裾をそっと握る。
「…あそこか」
「鬼童丸ですね、中級の」
ああ、と短く返事をした神崎 碧がポケットに手を入れた、その時。
空き家を壊して遊んでいた鬼童丸がこちらに気付いた。
「っ!神崎君、気づかれました」
「大丈夫だ、もう準備はできてる。…行くぞ」
彼がそう言った途端、向こうも醜く歪んだ顔をさらに歪めて、勢いよくこちらに向かってくる。
だが、神崎 碧の方が一歩、いや三歩は早かった。
鬼童丸が私達と三メートルほどまで迫った時、突然その身体が見えない縄で縛られたように動きを止めた。そしてそのまま苦しみに悶えていたと思ったら、突如としてその場から紫色の霧となって散ってゆく。
「…やったか」
「そうみたいです」
横で九字を切っていた神崎 碧に微笑んで振り向くと、彼は既にこっちを見ていなかった。
…えー、とうとう数少ないトキメキイベントを放棄されました、鳥居 杏花です。
みなさんお忘れだとお思いなので、名前ぶっこんでみました。鳥居 杏花は、今日も神崎 碧にぞっこんです。あ、正確に言うと不憫な当て馬ポジションの彼が大好物です。
「帰るぞ」
「え、あ、はい」
遠い目でつらつらと考え事をしていた私に痺れを切らしたのか、神崎 碧がいきなり歩き出した。
すると今まで服の裾を掴んでいた私はそれに引っ張られるわけで。
反射的に手を離した私を、何故か振り返った神崎 碧が凝視する。
「なんですか?」
「…いや、なんでもない」
はあ、そうですか。
気の無い返事をした私に彼は再び背を向けると、自然な動作で私の腕を取って今度こそスタスタと歩き出した。
「え、腕…」
「お前が歩くの遅いからだ」
…えっと、それは有り難いんですが、自分がゆっくり歩くという選択肢はないんだな。
ううむ、彼が男女のコンパスの違いという概念に気づく日は来るのだろうか。
*
私が神崎 碧と協定を結んだのは、今から約一ヶ月前。
丁度狐様に遭遇して数日経った頃で、私は蘇ったばかりの記憶によってある事実に気付いた。
それは、当時の高校一年の秋が神崎 碧の登場シーンであるということ。
狂喜乱舞した私は、運命の神様に平伏して感謝した。
紙越しに悶えたあのシーンを、その進展も含めて生で見れる!!と。
『あやみせ』内での神崎 碧登場シーンでは、ヒロインが狐様退治に例の如く失敗した後に始まる。当時お互いに惹かれて始めてはいたものの、まだ双方それに気づいていないという焦れっ焦れの状態だ。それ故に、バトル後狐様はヒロインから逃げるだけで終わるのだが、それに待ったをかけたのがもう一人の陰陽師跡取りである神崎 碧なのだ。
そのシーンの神崎 碧の格好良さといったら。
見開きどアップで初登場を果たした彼に、やはり全国の乙女が萌えの雄叫びを上げた。
それを、生で、見れる!!
その願望を叶えたい一心で、私は毎日ヒロインを張り込んだ。
狐様との息を飲むバトルに始まり、不可解な想いに悩む二人の様子、敵対するごとに段々辛くなっていく二人の過程に、私は耐えた。こっちの方が辛い、見せつけるなと言いたかった。
そしてそんな観察生活も一週間を迎えた頃。
ついに、二人のバトルが繰り広げられていた所に神崎 碧が通りかかったのだ!
私は溢れる喜びを噛み締めて、件のシーンを待った。待った。待っ…たのに、途中で気づいて駆けつけるはずの神崎 碧は、そのままこちらに見向きもせず通り過ぎようとしていた。
えっ、何故!?
混乱の極みに陥った私は、暫くその場で固まることしかできなかったが、こうなったら実力行使だ、と思い直した。
『神崎君!!』
『あ?お前誰…ってうおぉあ!?』
ヒロイン達にバレないように猛ダッシュで神崎 碧まで近づくと、その腕を引っ張って無理矢理連れて行くことにしたのだ。
だが、その時点で私は気付くべきだったのだ。
彼には、狐様退治という職務をわざと放棄しようとした訳ではない。ただそこに退治対象がいることに気付いていなかったのだ、と。
『ちょ、なんだあのでかい狐は!!』
『…はい?』
最初は、なんの冗談かと思った。
だって、漫画の中では彼はヒロインよりも優れた陰陽道の技術を持ったエリートだったのだから。
彼はたまたま狐様に気付かなかっただけなのかもしれない。これで私が連れて行けば、必ずヒロインを助けてくれるはず…。
だが、そう信じていた私の期待はばっさりと裏切られることになった。
なんと、現場に乗り込んでいくとばかり思っていた彼は狐様を見た瞬間、腕を掴んでいた私を逆に引っ張り、ヒロイン達と離れた場所まで連れて行ったのだ。
呆気に取られた私がそこで彼と話して分かったことは、『あやみせ』ファンには酷く衝撃的なものだった。
なんと、彼は生まれつき霊感がゼロらしいのだ。
家は間違いなく陰陽師の家系なため基本的な術は使えるものの、肝心の対象が見えない。
彼はそのことにほとほと困っていたそうな。
しかし、そこで私はある可能性に思い至った。
『私が協力すれば神崎 碧は妖怪が見えるようになって、しかもヒロインとの甘酸っぱい三角関係にも持っていけるのではないか?』という、なんとも美味しい可能性に。
実は、私の無駄に強い霊感は他人にもその力を分けることができる。
相手やその人の身に付けている物に私が一部でも触れていれば、相手もボンヤリとだが多少視えるようになるのだ。しかも、普通はすり抜けてしまう彼等に直接触ることもできる。ちなみに冒頭で狐様がすり抜けたのは、彼自身の能力だ。
幼い頃散々トラブルの元となったこの能力が、まさかこんな形で役に立とうとは。
僅かな感慨に耽りながらも私が彼にそう提案すると、彼も跡取りとして思うところがあったらしくすぐに乗ってくれた。協力内容は、週二日の頻度で放課後町内を見回って妖怪退治の手伝いをすること。
そうして、今の私達の関係が始まったのである。
*
「おい、大丈夫か?」
「…っか、神崎、君…?」
只今、狐様が去った後の裏庭。
悔しさと狐様の冷たい反応によってショックを受けたことにより膝をついて項垂れるヒロイン。を支える狐様の不機嫌の元凶である神崎 碧。を観察しているのが私、鳥居 杏花です。
これで狐様のヤキモチイベントも無事完遂、どうもありがとうございます。
ってあれ、ヒロインを厳しく叱りつつも介抱する予定の神崎 碧が何故かこっちへやってきた。え、何ですか。
「お前もこい」
草陰にしゃがみ込んで傍観を決め込んでいたのに、グイッと腕を引かれて無理矢理立たされる。
えー、ここは君の出番なのに。好感度アップ狙えるのに。
「こういうのは、女同士の方がいいだろ」
「まあ、そうですけど…」
そう言って私をヒロインの元へ連れて行く神崎 碧。
…胸がモヤモヤするのは、きっと二人のお近づきシーンを見られなかったからだろう。
*
「鳥居さんは…もしかして、蘭次が見えるの?」
「…え?」
所変わって、此処は擦り傷を負ったヒロインの手当てをするために連れてきた峯然高校の保健室である。
職員会議の時間帯なので、保健室には先生もおらず、私達二人しかこの場にいない。
そこで、私は何故かヒロインとファーストコンタクトをとっている。
「あ、蘭次っていうのはさっきまで私と一緒にいた白髪のよう…男の人なんだけど」
「ああ、あの妖狐ですか?見えますよ」
慌てて男の人と言い直した彼女に、ギリギリまで出掛かっていたその言葉で返す。
意地が悪いとか言わないで。だって無理に隠したってあの耳と尻尾をみたら誰だって普通の人だとは思わないでしょ。そりゃ盛大なコスプレ男ってんなら別だけど。でもたぶんそれは見える?じゃなくて見られる?というニュアンスになることだろう。
ちなみに蘭次という名前は勿論知っていたが、それを言うと混乱を呼ぶだけなので秘めておく。
「知ってるんだね…えっと、じゃあ鳥居さんはもしかして、神崎君の彼女…」
「それだけはありません」
頬を染めて言う彼女に、ズバッと言い切る。
私の剣幕に呆気に取られた彼女は、しかし次の瞬間にはぬるい笑みを浮かべて神崎君、ドンマイと呟いた。
なにがドンマイなのか。私が彼とカップルに見えていたことか?…確かにそれは気の毒だな。彼は貴女を巡って狐様とバトるのだから。
「それはそうと、黒宮さんはその蘭次さん?の彼女ではないんですか?」
あんなに戦ってたのを見てよく言えるな、自分よ。
だがこれも必要なことなのだ。
「ぅえ!?ちっ、違うよ!だいたい私と蘭次は…その、敵同士、だし……」
最初は羞恥で顔を染めていた彼女ーー黒宮 紗夜は、次第に尻すぼみになっていく言葉と同様に表情も暗くなっていく。
ああ、焦れったい!
「じゃあ、貴女にとって彼はどういう存在なんですか?」
「だから、敵…」
「そうじゃなくて!貴女は彼の事をどう思っているんですか!?敵味方とかいうんじゃなく、蘭次という男に対して!」
「そ、それは…」
顔を俯ける黒宮 紗夜。だが、その顔は血の気のなかったさっきまでに比べれば十分なほど朱に染まっていた。
これくらいでいいかな。ふふ、この『自覚しちゃえよ☆』作戦と称して蒔いた種が芽を出すのはいつだろうか。楽しみだ。水を遣ったら育ったりしないかな。
「じゃあ怪我の手当ても終わったので、私はこれで失礼します。お大事に」
「あっ…うん、ありがとう鳥居さん」
ぐはっ…どうやら私は美少女の笑顔というものを甘く見ていたようだ。荒れ狂う心臓が静養を求めている。なんだか無性に自分が疚しい存在であるような気がしてきた。あ、あながち間違ってないって?知ってます。
*
そしてそれから暫く経ったある日のこと。
私は今、人生最大のピンチに直面していた。
「ふふ…。小娘、この俺に最期を看取られて貴様は幸せな奴だな。これであの小賢しい小僧も紗夜にちょっかいなぞ出さなくなるだろう」
私の目の前には、いつかのような仁王立ちではなく、地面から浮かんだ状態で横になってこちらを眺める狐様、基、妖狐蘭次。
妖気で動きを封じられた手足が焼けるように痛い。感覚だけだとわかっていても、火傷の痕ができるんじゃないかと気が気ではない。ていうか改めて思ったけど半端ない俺様だなこいつ。ちょっと頭が心配なレベルだ。
「こんなことして…黒宮さん怒りますよ」
「あいつにはバレないようにしている。俺はそんな馬鹿ではない」
うおっと、どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。無駄な発言はやめよう。神崎 碧が来るまでに殺されかねない。
さて、この状況に疑問を抱いているであろう諸君に説明をしようじゃないか。これは決して現実逃避ではない。
放課後、約束の日でもある今日、私はいつものように神崎 碧を待っていた。だが、そこに現れたのは神崎 碧でも、さらには最近下校しているところを見られて敵対視されている神崎ファンの女子たちでもなかった。
突如濃い霧に視界を奪われたと思ったら、いつの間にか此処ーー現世と妖の世界との狭間のような位置にある、何もない空間にいた。
そこで手足の自由を奪われ、蘭次様に捕らえられたというわけだ。
神崎 碧への、牽制として。
…ああ、私物凄いとばっちり。
元はと言えば主役二人の大恋愛が見たくて影ながら神崎 碧で盛り上げようとしてただけなのに。…ってそれが祟ってこうなったのね、はは。自業自得ってか。笑えねぇ。
と、そんな遠い目をしていた私だが、ふとある事に気づく。
「あの、蘭次様」
「ああ?なぜお前如きが俺の名を知っている」
「黒宮さんに聞きました。それより、大事な話が」
しかし、そこで私の言葉は突然の闖入者によって強制的に遮られた。
「杏花!どこだ!?」
「蘭次!私の友達になんてことするの!?」
闖入者ーーそれは、蘭次様の待っていた神崎 碧と、私の予想通り黒宮 紗夜だった。
二人とも相当お怒りの風貌をしている。あ、と思ったら蘭次様も負けないぐらい目を釣り上げていたっぽい。おおこわ。
「紗夜!なんで来たんだ!」
「なんでも何も、その子は私の友達よ!蘭次がそんなことするなんて…」
そこまで言うと、黒宮 紗夜は瞳を潤ませてしゃっくりあげる。なんか嬉しいものだな、こうやって言われるのは。友達になった覚えがないのが疑問だけど。
そしてそれを必死で宥める蘭次様。
正直、イラっとした。
と、そんな夫婦漫才を半目で眺めていた私の視界が突然ブラックアウトする。
えっ、私助かったんじゃないの!?
もしかして死…とか考えていた思考は、次の瞬間背中に感じた逞しい腕の圧迫と、目の前の暗闇が早鐘をうつように振動しているのであ、違うと気付いた。
「無事で、よかった…っ」
頭上から降ってくる声は、なんだかいつもより低くて、頼りなさ気に震えていて。
私の心臓がキュウッと締め付けられる。
「ごめん、神崎君…ごめんなさい」
そう言った途端、頬を何かが流れた気がした。
ああ…私、怖かったんだ。だって、蘭次様、黒宮 紗夜以外どうでもいいって目だったもの。本当に私、殺される所だったんだなぁ。
今更になってそんな当たり前の事を把握し出した自分に、自嘲の笑いが溢れる。
それを不思議に思ったのか、私の顔を胸に当てて抱きしめていた神崎 碧が身体を離して覗き込んできた。
そして涙が止まらない私を見て、アイスブルーが揺れた。
「…いや、悪いのは俺の方だ。来るのが遅れて本当にすまない。それに俺一人じゃここまでは来れなかったから、黒宮にも手伝ってもらわないといけなかったし…」
うん、知ってるよ。ていうかそれがさっき蘭次様に言おうとしてたことなんだけどね。霊感ゼロの神崎 碧がここに来るためには、知られたくない相手である黒宮 紗夜の助けを借りないと来られませんよ、って。まあ、あの人も自業自得ってことだ。あ、人じゃなかった狐か。
「神崎君、気にしないでください。これは私の不注意ですし、それに私はこうなって当然のことをしていたのです」
私は未だ罪悪感に苛まれる神崎 碧を見据えて口を開いた。涙はもう、止まっている。
だがそれを聞いた神崎 碧の動きも何故か、止まっている。
「…は?」
「だって、どこから見ても相思相愛の二人に神崎君をけしかけた張本人ですもん。これくらいの報いは受けて当然…あ、でも相思相愛といってもまだまだ隙はあるはずです。今回のは逆効果でしたが、私は神崎君を応援してますからね!」
ぽかん、と口を開ける神崎 碧。
あれ、なんか静かだなと思ったら、向こうで痴話喧嘩中だったはずの二人もこちらを見て呆けている。
え、何故?
「…すまないことをしたな、小僧」
「神崎君、ドンマイ」
「……」
ら…蘭次様が、謝っている…だと!?何これ激レア!!
てあれ、今度は見る見る神崎 碧の顔が般若の如く歪んでいくぞ。
まて、どうした。そんなに夫婦漫才が嫌か。ヤキモチか。ありがとうございます。
「…いや、今日は杏花のために帰る。が」
「えっ?」
いきなり腕を引かれて立ち上がる…ってなんか前もあったなこういうの。あ、ちなみに妖気の戒めは既に解除済みです。神崎 碧がお札で叩き切ってた。たぶん8割くらい力技。
「次会ったら覚えとけよ…」
「へっ?」
蘭次様にむかって堂々と宣戦布告をかます神崎 碧。
こいつすげぇなと言う目で見ていたら、突然彼の方に引き寄せられた。
そして、目線は蘭次様を向いたまま、自身の唇を私のそれに合わせてきてーー
「んんっ!?」
「…ああ、そんな顔だったのな、お前。絶対忘れねぇ」
そう言い残し、私の腕を掴んだままずんずんと出口らしき光が差す方へ向かって行く神崎 碧。
「やっぱり、触れる場所に関係するんだな、視えるレベル。妖怪の顔があんなにはっきり見えたのは初めてだ」
「…え、視えるレベルって……ま、まさかそのためにキッ、…っ!!」
「あ?仕方ねぇだろ、俺は霊感ゼロなんだから」
そう言った彼の横顔は、なんだか嬉しそうで。
そんなことのために、私のファーストキスは奪われたのか。なんたる屈辱!!
…でも。
蘭次様と黒宮 紗夜の恋模様を見るよりも。
黒宮 紗夜に寄り添う神崎 碧を見たときよりも。
心臓が煩いほどに音を立てている、なんて。
「…絶対に、認めませんから!」
唐突な私の言葉に、目の前の彼がは? と言いつつ振り返る。私は赤く火照っているであろう頬を見られないように取られた腕を逆に引っ張って、光の差す方へ大きく一歩を踏み出した。