花と料理について
別名自宅デート編。
「お料理、ですか?」
アリアンジュは、珍しいものでも聞いたように瞬きした。貴族の中では庶民寄りと言われているテュールローザ家だが、それでもやはり伯爵家である。王都に構える屋敷は広大な面積ーー国主の住まう城の半分くらいーーを有し、王家へと献上する香水から市井の使う石鹸まで手掛けている伯爵家は、国内でも5指に入る資産家だ。邸の規模から考えても到底夫人一人で家事の一切を賄える筈もなく、それに相応しいだけの人数の使用人を抱えている。日々花の研究や商談に飛び回る当主一族に代わって、給金をもらって家事を務めるのが彼等の仕事であり、それを奪うのは主としてしてはいけないこと。と、教えられてきたアリアンジュにとって料理とは未知なるものだった。
この日、迎えにやってきたグランティルドに連れていかれたのは、先日改装したばかりの彼の邸宅だった。小さいがと前置きして案内されたそこは、彼女の知る“普通の家”ーー友人宅の事だーーに比べて広いように感じたが、入った瞬間、嬉しいような気恥ずかしいような想いに囚われたのは秘密である。というのも、家具や小物などの多くが、デートの最中に意見を求められて彼女が選んだものだったからだ。警戒心の強い彼のテリトリーに居ることを許された気がして、ほわりと心が温かくなる。
「気に入ったか?」
「ええ、とても」
「そうか。ならば此方も気に入ってくれるといいが」
手の平で呼ばれるまま奥へと進んでいく。木目の優しい廊下を抜け、銀の取手を掛けたその先には、塀の中を一周するように作られた小道がつづき、その両脇には青々と生い茂る木々が植えられている。その合間合間には煉瓦が組まれただけの裸の花壇があった。
「ここにアリアの好きな花を植えて育ててくれないか?」
「えっ?」
「君にこの庭を作って欲しい」
定期的に訪ねても良いと言うことだ。その意味をゆっくりと咀嚼し、羞恥に駆られて視線がふわふわ宙を漂う。彼は辛抱強く答えを待っていた。繋いだ手に心なしか力を込めておずおずと綺麗な顔を見上げる。
「本当に、私で宜しいのでしょうか?」
彼が彼女を見る眼差しはいつだって優しい。これが自惚れだとしても構わなかった。だって彼女は知っているのだ、この後に必ず彼が欲しい言葉をくれることを。翡翠色の鍵付きで与えられたそれに、彼女はありったけの想いを唇に乗せて返した。
厚みを帯びた大きな手が、一回り小さい手を覆うようにして添えられる。慣れない手付きで生み出されていく材料達は均等に揃わず不恰好だが、アリアンジュは初めての行為に充足を得ていた。火は危ないからと近寄らせて貰えないが、グランティルドは淀みない動きで沸騰した鍋に野菜やら調味料やらを投入していく。
「次はサラダだな。レトルとトゥメインを洗ってくれるか?」
「はい!」
先ほど教わった手順で指定された物を洗いながら、彼女はそっと彼を盗み見る。今でこそ軍ではかなり上位に位置する彼だが、元の生まれは貧乏男爵家の三男坊。1人暮らしが長いのもあって、熟練した家事スキルを持ち合わせている。繊細な舌を持っていない代わりに優れた嗅覚を持っているので、其々の料理が持つ黄金比率を間違わない、天性の才能があった。その能力を最大限駆使して作られる彼の料理は、公爵でもある元帥を前にして絶品といわしめるほどだが、奮われる機会が滅多にない事でも有名だ。
彼が隠れた名料理人とは知らない彼女は、純粋に彼と作る行為を楽しんでいる。彼の特別でない日常の時間を共有しているようで、擽ったくも嬉しいのだ。手を伸ばせば当たり前のように温もりを分け与えられ、時々彼が彼女に甘えてくるのが可愛い。大人なのにと最初は戸惑ったりもしたが、獣人の血を持つ家族がいる彼女には、それが気を許している証だと知っていた。
「大好きです」
彼は彼女の唐突な告白に目を丸くしながらも、抱き寄せ首筋に顔を埋めながら愛を囁くのだ。
狼将軍は態度で愛情を示し、小さな花のお嬢さんは香りで想いを返す。それを知る互いは、更に言葉で相手に伝えるのだ。
どこの新婚夫婦だ!と思っていただけたら幸いです。