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都市伝説の少女3

 魔女の棲家は旧校舎にあった。

 現在の校舎が十年前に新設されてからは、おもに部活動の部室そして教材や備品の保管庫としての役割を担っている。もともと生徒数が少ないこともあり、昼間でも訪れる人はまばらである。

 古びた木造の建物は歩くたびに軋み、歯ぎしりのごとく嫌な音を立てた。窓から差し込む光は中を照らすよりむしろ、影の濃さを際立たせている。もはや『巣』とも言うべき旧校舎の廊下を、みかげは魂の首根っこでも掴まれたかのようにズルズルと歩いていた。

 前を行く杞紗峰の後姿を、まさかこんな形でもう一度拝むことになるなんて。

 軽いデジャヴを覚えながら、みかげは心の中で繰り返した。


(言わなきゃ、ホントのこと。魔法なんて使えませんて、ハッキリ言わなきゃ)


「着いたわ、ここよ」


 杞紗峰は理科準備室と書かれた部屋の前まで来ると、建てつけの悪い扉を重そうに開けた。入りなさい、と無言の指図がなされる。みかげは覚悟を決めて、部屋の中へと踏み入った。


 ピシャリ!!


 直後、杞紗峰は後ろ手で扉を閉めた。

 みかげは、背筋が瞬間的に2センチほど伸びるのを感じた。

 カーテンが引かれた室内は仄暗く、煩雑に積み上げられた実験器具や焼けた段ボールが異様な雰囲気を作り出している。


「今朝は突然引き止めて、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私は杞紗峰きさみねセツ。二年生。あなたの隣りのクラスよ」


 杞紗峰は、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 先ほどまで美しく靡いていた髪が、いまは黒く濡れそぼっているように見える。


「わたしは彩原みかげ、です。今日、こちらの学校へ転入してきたばかりです」


 みかげも自己紹介を返すが、その足はじりじりと後退していく。鈍い光を放つ瞳は変わらず、みかげを捕らえて放さない。


「それで先輩、わたしにどのようなご用件でしょう」

「もう気づいていると思うけど」


 みかげより、幾分背の高い杞紗峰が視界を覆う。


「みせてごらんなさい──あなたの魔法を」


(いきなり核心きちゃったーー!!)


「さぁ、みせなさい。あなた自身の、本当の姿を」

「ちょっとまってください、先輩! その魔法とやらの話しなんですけど……」


 なにかしら、とでも言いたげに見つめてくる。


「話しに少々、行き違いがあったみたいで、その、つまり……先輩が期待されているようなモノは、わたしには無いといいますか、そもそもそちらの知識も経験も皆無といいますか」

「そう……」

 杞紗峰は、ふっと息をついた。


(よかった、わかってくれ──)


「誰でも、初めはそう。本当の自分に戸惑うものよ」


(──てないーー!!)


「私もそうだった。自分の本質を知った時、ひどく混乱した。どうしていいのか、分からなかった。迷い、悩み、逃げ出したくもなった。それでも、そんな私を支えてくれる人たちの優しさに触れて、自分は決して独りではないことを知った。そしてありのままの自分を受け入れることができた」


(あなたはそうかもしれません、あなたは!)


「だからあなたも」


 そっと、みかげの手をとる。


「私のように、なれる」


(いやーーーーっっ!!!)


 みかげは、添えられた手を力任せに振り切った。


「ごめんなさい先輩、やっぱり無理です! 不可能です! だってわたし……」


「魔法なんて、使いませんからっ!!」


 使えません、ではなく。使いません。

 たった一文字違うだけで、当事者の未来を大きく変えてしまう言葉の罠。

 しかしみかげは、その罠を力いっぱい踏み抜いたことに気付いていない。


「期待にそえなくて、ごめんなさい! 先輩にふさわしい、素敵な人をみつけてください!」


 そう突き返すと、杞紗峰の脇を抜けて廊下へ飛び出した。

 杞紗峰は追わなかった。ただ一人その場に佇み、彼女が消えた先をじっと見つめた。


「私が必ず、目覚めさせてみせる」


 その声には、強い信念が漲っていた。



 命からがら教室にたどり着いたみかげが、まずしたこと。それは自分を売り渡した自称・友人を見つけ出すことだった。そう、おそらくは今頃自責の念に駆られ、罪の意識に苛まれながら、午後の日差しのなか気持ちよさそうに目を細めている…………糸川を?

 反省とか。後悔とか。せめてそのあたりの改悛の情が多少なりともうかがえれば、まだ

「許そうか」という気にもなれたのだが。


「ちょっと、ひどいじゃない! 糸川さん!!」


 周囲の視線などお構いなしに、みかげはドスドスと床を踏み鳴らしながら詰め寄る。

 しかし糸川はその突進を予測していたかのように、軽やかに体を入れ替え、肩に手を回すと、ペットボトルを口に差し込んだ。


「よーし頑張った、よく頑張った。ラストの追い上げすごかったよ。区間新記録だよ。タスキは無事に次の走者へ繋がったよ」


 ぶっ!! 水が汚い弧を描く。


「ぞんな゛タスキ、繋いだ覚えないっっ!」


 むせ返りながら、涙目で訴える。


「杞紗峰先輩から『青い果実』のタスキ、受け取ったんじゃ?」

「受け取るわけないでしょ!!」


 鼻を鳴らしながら、ポケットから取り出したハンカチで顔を覆った。


「もうヤダ……どうしてこんなこと、するのよぉ」


 小さく嗚咽するみかげの肩を、よしよしと撫でながら糸川は言った。


「ごめんね、やりすぎだったと今は反省してる」

「そうは見えないんですけど」

「ホントよ。だって私たち、友達じゃない」

「その友達を売り飛ばしたのは、どこのだれです。あなたは私が守るから? その言葉を信じたわたしが愚かでした!」

「それ言われると、イタイなー。でもね、あんな行動に出たのにもちゃんと意味があるの。それは分かってほしい」

「なら、分かるように説明してください」


 ようやく。周囲がざわついている事に気付いたみかげは、小さく咳払いすると平静を装って椅子に掛けた。糸川は「大丈夫」というように、クラスメイトに手をかざして見せると、不穏な空気がそれ以上広がるのを止めた。


「彩原さんさぁ」


 糸川の方から話しを切り出す。


「あのとき私の陰に隠れて、どうするつもりだったの?」

「とりあえず、やり過ごせればと」

「はい、やり過ごしました。で、その後は?」

「ずっとやり過ごせればと」

「ダメでしょ、それじゃ! あなたずっと先輩から逃げ回って三年間過ごすつもり? まぁ実質的には二年間だけどさ。私がいちばん心配したのはそこなの。先輩に気を遣うあまり自分の意見を引っ込めちゃうような人がよ、正面切って渡り合うなんてどう考えたってハードル上げ過ぎでしょう。だから多少強引でも、発言を取り消す機会を作れればと思ってああいう行動に出たわけ」

「そう言われれば、それも一理あるかなと思うけど……」

「それで、結果はどうだったの。まだ聞いてなかったけど」

「一応、否定してきた」

「魔法は使えません、て?」

「うん、使いませんて」


 お互い、顔を見合わせる。


「使えません」

「使いません」


 ん?

 ん?


「えーと……私が聞き違えてるのかな?」

「え? わたし、変なこと言ってる?」


 もう一度。せーの。


「「 使いません 」」


「やっぱりぃぃぃ!!!」

「うわあああああ!!!」


 今になってようやくトラップに片足を突っ込んだことに気付いたみかげは、血相変えて糸川に救いを求めた。


「どうしよ! ねえ、どうしよ! これから先、先輩が卒業するまでずっと追い回されるの!? 逃げ続けなきゃならないの!? 代わって糸川さん、いますぐわたしと代わって!」

「…………」

「糸川さんっ、ねえっ!」

「あ、初めまして。こんにちは。私、糸川結と申します。クラスの副委員をやっています。分からないことがあれば何でも聞いて下さいね、これからよろしく」

「なに今ここで初めて出会ったていで語ってるの!? あなたの目の前にいるのは、あなたが認めた、あなたの友人でしょ!!」

「だって本当に今日会ったばかりだし。それにミスした自覚があるなら、やり直せばいいじゃない。心が折れない限り、チャンスはいくらだって掴めるはずよ?」

「半分心折れてます……わたし。チャンスが目の前を横切っても、食いつく気力なんてありません」

「お腹が空けば、気だって変わるわ。ホラ、しっかりして。午後の授業始るよ」


 そう言って糸川は手を差し伸べる。が、魔女のことで頭が一杯なみかげは、その手が眼に入らない。糸川は持て余した手を、ふらふらと振ってみせた。




「あ~~~しんど」


 自宅に戻ったみかげは、畳の転がるクッションに大きく身を投げた。

 緑色のかぼちゃパンツから伸びた足をだらしなく放り出している様は、収穫されないまま畑に放置された野菜みたいに見える。

 あのあと、みかげは担任の美濃部先生に呼ばれて職員室へと赴いた。

 美濃部先生の「どう、授業には付いていけそう?」との問いかけには普通に「はい」と答えたが「みんなとは上手くやっていけそう?」との問いには、無言で先生の顔をじっと見つめ返すのみだった。

 途方もなくジメッとした彼女に、先生は苦笑して「大丈夫よ、そのうち慣れるから心配しないで。もしなにか悩み事があれば、私が相談に乗るから。遠慮なく言ってきなさい」と、ありがたいフォローを入れてくれた。

 不安は尽きない。疲労も尽きない。運もツキもない。


「はあああああ」


 クッションを抱きしめながら、みかげは明日からの学校生活に大きくため息をついた。


「わたしの青春、憧れのスクルーライフは何処へいってしまうのでしょう」


 クッションにプリントされた猫の顔が、歪んで化け猫になっている。


「お前までそんな顔するなよー、悲しくなるじゃない」


 そしてまた、帰宅後何度目になるかしれない溜め息をつく。

 そんなとき。トントンと襖を叩く音がした。


「みかげちゃん、いる?」

「はぁーい」


 声の主は、祖母の一重ひとえだ。お世話になっているこの家の、家主でもある。


「お夕飯の用意ができたから、居間の方へいらっしゃい。今夜はみかげちゃんの大好きなおかずを作りましたよ」

「ありがとー、いま行きます」


 襖を挟んでそう伝えると、一重は居間へと戻っていった。


「このままくさっていても、仕方ない。気分を変えましょうか」


 よっと、反動つけて起き上がると、電灯を消して部屋を出た。



「はあー……」


 桐のタンスに鏡台、小型テレビと仏壇が肩寄せ合って並ぶ六畳の和室。

 独り暮らしの生活を物語る質素な空間だったが、しかし今宵、テーブルの上だけは祭のような華やかさをみせていた。

 隙間なく並べられた料理の数々に、みかげは感嘆の声を上げる。


「おばあちゃん、これって」

「ん? これはね、みかげちゃんの大好物の海老と野菜の天ぷら。人参と椎茸と玉ねぎはね、はす向かいの野池のいけさんがどうぞって、もってきてくれたのよ。みかげちゃんに是非食べてもらいたいんだって。ありがたいわね」


 料理のひとつひとつを丁寧に説明していく、一重の表情はとても嬉しそうだ。

 揚げたての衣の香り、真っ白な白米から立ち上る湯気、見た目にも美しい色とりどりの野菜、そしてなにより、誰かを思う気持ちという隠し味が、温もりに満ちた食卓を作り出していた。


「うわー、ありがとう、おばあちゃん。すっごく、嬉しい。わたし、今日初めての幸せを感じたよ」

「まあまあ、そんな大げさな。さ、冷めないうちに戴きましょう」

「そうだね、じゃあさっそく戴いちゃいます!」


 嫌な記憶は楽しいことで上書すればいい。おいしい料理は、それを容易くやってのける。

 みがげは体の中から力が湧き上がってくるのを感じた。



「そういえばさ、おばあちゃん」

「うん、なあに?」


 天ぷらのサクサクした食感を味わっていたみかげだったが、ふと何かを思い出したように箸を止めた。


「今朝はどこかへ出かけてたの? 朝起きた時にいなかったし、学校から連絡がきた時も誰も出なかったって」

「ああ、裏の畑へね、野菜を採りにいってたの。そういえば朝食のトーストがそのまま残っていたけど、口に合わなかった?」

「いやぁ、そういうわけではなく……えっと、少しダイエットしてみようかなっと」

「あらそう、でも朝ご飯はしっかり食べないと、体によくないわよ。なんでもほどほど。ほどほどにね」

「ははは……はい」


(言えない、寝坊して食べそこなったなんて言えない……)


「お父さんも、ちゃんと食事とってるかな。何かに熱中すると、それだけになっちゃうから。せめてこの料理を半分でも、届けてあげたい」

「みかげちゃんは、やさしい子ねぇ。大丈夫よ、正樹はああみえても、昔から身の周りのことはしっかりやれていたから。一人でも心配ないわ」

「まさき……?」


 なにげない会話に差し込まれた違和感を、みかげは逃さなかった。


「うん、なにかしら?」

「おばあちゃん、お父さんの名前、『まさき』じゃなくて『まさと』だよ?」


 一重の箸が一瞬とまる。


「あ、ああ、そうだったわね。まさと、よね。いやだわ、おばあちゃんたら、歳のせいかしら。物忘れなんてまだ先の事と思っていたのに」


 そして何事もなかったかのように、箸を持った手で口許を押さえると、ふふふと小さく笑ってみせた。


「やめてよ、そんなこと全然ないって。言い間違いくらい誰にだってあるし。今日なんてわたし、間違いでは済まされないようなことを……」


 そこまで言って、はたと口をつぐむ。


「なぁに?」


 じっと見つめる一重に、今度はみかげが狼狽えた。


「いやあ、なんといいますか……なんでしょう?」

「いやだわ、みかげちゃんたら。からかわないでちょうだい」


 穏やかな祖母の顔を見ながら、優しい語り口に耳を傾ける。

 久しぶりの団欒は、夜更けまで笑い声に包まれた。



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