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雛威の少女



 無機質な電子音が耳元で鳴っている。

 それが目覚ましのアラームだということはすぐに分かったが、みすみす言いなりになるのも癪な気がして、しばらく布団にもぐり続けた。


(三度目のアラームが鳴ったら、仕方ないから起きてやる)


 しかし時計の設定上、アラームは二度までしか鳴らない。

 みかげは、奇跡が起こるまで布団から出ないつもりらしい。


「みかげちゃーん、そろそろ起きなくていいのかしらー? 朝ご飯の用意、できてますよ」


 祖母の一重からも、声がかかる。

 だめだ。あんな優しい声を聞いてしまっては、布団にくるまっている方が辛い。

 みかげは布団を盛大に剥ぐと、勢いよく跳ね起きた。



「おはよう、おばあちゃん! 彩原みかげ、呼ばれなくても華麗に復活です」


 洗顔したてのサッパリ顔で、爽快に挨拶をしてみる。

 居間では一重が朝食の用意をして、みかげが起きてくるのを待っていた。


「おはよう、みかげちゃん。元気になったみたいね、顔色もすっかりよくなっちゃって」

「成長期ですから、一晩ぐっすり眠れば、どんな傷だってバッチリ回復です!」


 あれから深夜に自宅に戻ったみかげは、一重に無事を報告するとそのまま卒倒するように寝入ってしまった。それから一度も目を覚ますことなく朝を迎えた、というわけである。


「いつも、心配かけてばかりの孫でごめんなさい」


 と、殊勝に頭を下げる。


「なにいってるの、もう。変に気を回さなくてもいいのよ。おばあちゃんは、あなたの笑顔さえ見られれば、それで十分なんだから」


 一重のおおらかさは、いつ何時どんな状況でも変わることはない。

 この温もりに、みかげは何度救われたか知れない。

 みかげは正座して、食卓についた。

 白米にワラビの味噌汁、それに置割川で獲れたマスの塩焼き。シンプルでいて贅沢な旬の食材が、卓上を彩る。


「いただきます」

「はい、いただきます」


 二人は手を合わせると、新鮮な風味に舌鼓を打った。



 食事も終えようとする頃、みかげは尋ねた。


「ねぇ、おばあちゃん。聞きたいことがあるんだけど……」

「なぁに?」

「おばあちゃんの名前、苗字ね。本当はなんていうのかな、と思って」


 そうだ。彩原みかげは、他人によって付けられた名前。

 血縁関係にない一重の本名が、気になった。


「ここのところ色々あって、気にはなっていたんだけど、なかなか聞く機会がなくて……」

「彩原よ」

「えっ?」


 みかげは思わず訊き返した。


「彩原。おばあちゃんの姓はね、彩原というの」


 偶然の一致だろうか、にわかには信じがたい。

 キョトンとするみかげに、一重は話し始めた。


「生まれてきた巫女の名前はね、雛威神社の神主さんが名付ける仕来りになっているの。昔は名前だけしか授けてもらえなかったのだけど、それでは今の時代、いろいろと支障があるでしょう。だから姓の方は、村の皆の意見を汲み上げて付けることにしているの。それでね、あなたを預かることが決まった時、この子の姓をどうするか聞かれたのよ。このまま皆で相談して決めるか、預け入れる私の姓を付けるかって。迷うことなく言ったわ。彩原にしてください、って」


 柔らかな声だった。しかし表情は、これまでになく凛然としていた。


「この雛威に生を受けて七十と余年。これまで巫女さまの生涯を、幾度となく見てきたわ。実際に、銅刺の御山へ行かずとも、そこでどんなことが成されているのか、知っている。疲れ、傷付き、事切れんばかりの巫女さまたちの姿を、余るほど見てきた。だから、あなたをお迎えするとき、私なりの覚悟を決めたのよ」


 一重はすぐそこにいる、みかげの頬に手を添える。


「一緒に、痛みを分かち合おうと」


 そっと瞳を閉じた。


「彩原の姓を授けることで、家族になることで、私も同じ痛みを受けよう。私もともに、傷つこう。あなたが受ける傷や痛みからしたら、本当に、微々たるものでしかないけれど」


 再び開いた瞳は、とても浄く澄んでいた。

 みかげは何か言おうと、懸命に言葉を探した。

 探して探して、それでも見つからない言葉に、それが答えなのだと気づく。

 みかげは皺だらけのその細い手に、そっと顔を埋めた。




「はっ、はっ、はっ」


 息を切らしながら、みかげは急な坂道を駆け下る。

 T字路の標識に手を掛けると、いつものように鮮やかなクイックターンを決めた。

 体に受ける光も、風も、音も、なにもかもあの時と一緒だ。

 次第に高鳴る鼓動を、リズムに変えて走り抜ける。

 目指す道の先に、その人は立っていた。

 すらりとした容姿に、艶やかな黒髪、高い位置で結ったポニーテール。

 優しい微笑みで迎えてくれる。


「おはようございます、セツ先輩」

「おはよう、みかげさん」

「みかげ……さん?」

「ええ、なにかおかしいかしら」

「せっかく呼び捨てにしてくれたのに……また少し距離が開いた気がします」


 そう言いながらも、みかげの顔は綻んでいた。


「呼びたいときに、好きなように呼ぶわ。それが私の流儀だから」

「それ、昨日わたしが使った決め台詞じゃないですか。取らないでくださいよー」


 ふてくされた口ぶりに、今度はセツが頬を緩める。


「ところで、みかげ」

「はい」

「あなた、魔法は使えて?」


「使えますよ。ほんの、ちょっとなら!」





           了




「活動報告」にメッセージがあります。


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