お姉さまの魔法がとまらない 2
大気が棘を孕んだように凍てついている。
所々に点る篝地蔵の灯は、窪地になったこの場所をさながら闘技場のように照らし出していた。
先ずはセツがアリーナの中央へ歩み出る。
そして腰を屈めると地面に手を当て、なにかを探るような動作をみせた。
みかげがこの光景を目にするのは、二度目だ。
「鬼退治の道具は、ここに眠っている。この……私の影の中に」
彼女の指先は、明かりによって作り出された自らの影に触れていた。
いや触れているのではない。直接、影にもぐり込ませている。
「巫女が携える祓いの太刀──巫餞と呼ばれるもの。そしてこれが」
ずるり、と。それは影の底から姿を現した。
「私の巫餞、『羅紗切鋏』」
彼女の身の丈ほどもある巨大な裁ちバサミが、鈍い光を放ちながら刀身を晒す。
しかしそれは、ハサミと呼ぶには不相応なバランスを欠いた形態をしていた。
刃が一本しかない。四本の指をかける柄の付いた、片側のみ。
なぜ一方だけなのか、もう片方はどこにあるのか……当たり前の疑問を挟む間もなく、セツは刃先を地面に突き立てて言った。
「さぁ、次はあなたよ。やってごらんなさい」
「え……ええーーっ! わたしが、ですか?」
平然と、容赦のない無茶振りをしてくる。
「なにも私と同じことをしろ、と言っているのではないわ。あなたには、あなたにしか扱えない太刀がある。私の羅紗切鋏とは、姿形も能力も呼び出し方も異なる、あなただけの巫餞が」
「そうはいっても、どんなモノか分からないのに、呼び出せと言われても……せめて、ヒントだけでももらえませんか?」
みかげは乞うような眼差しを送るが、セツはそれを避けるように横を向いた。
「仕方ないわね。ヒントくらいなら……今回だけ特別に、よ」
「ありがとうございます!」
セツは小さく嘆息すると。
「クロサイ」
ボソリと呟いた。
「は?」
「クロサイよ」
「…………誰がです?」
「誰がじゃなく、あなたの巫餞の呼び名よ」
「クロサイ、がですか?」
「そう。その名を唱えながら、強く念じなさい。此処へ来たれ、と」
「はい……」
「い・い・わ・ね?」
「りょ、了解です、はい。やるだけやってみます」
みかげは気合を入れ直すと、瞳を閉じ、頭の中にクロサイを思い浮かべた。
(イメージだ……イメージするんだ。想像と現実を重ねるんだ。そうすればきっと現れてくれる。わたしの元にきてくれる)
みかげは粘土を捏ねるようにイメージを象っていく。
やがて瞼がゆっくりと開かれ、口許からその名が漏れた。
「ぶ、ぶぅ」
ああ神よ。
「もうぅ~~、ぶっうもぉ~~~ん」
どうかこの迷える子羊に。
「ぶぅひ~~ん」
救いの手を差し伸べ賜え。
「あなた……いったい何をやっているの」
「ぶひ?」
戦慄した声に、みかげは異音を発するのを止めた。
目線を戻すと、信じられない光景を目の当たりにして狼狽えているセツがいた。
やにわ。
「って、無理! 絶対無理です、こんなこと! わたし見たことないもの、クロサイなんて! 鳴き声なんて聞いたことなないもの! 動物園に行った記憶はあるけど、そのときだってサイの檻の前は素通りだったし、そもそもシロとクロの区別だってつかないのに……クロサイのマネなんて、やれるわけないですっ!」
掲げた決意とは裏腹に、心は意外と折れやすかった。
「ちょっと待ちなさい、あなた……」
「だったらセツ先輩、やってみせてください! 本物のクロサイはこうやるんだって、お手本示してくださいよ!」
恥かしさに目を真っ赤にしながら訴える。
「い、いやよ。やれるわけないじゃない……そんな恥ずかしいこと」
「ほらー、やっぱり出来ないんじゃないですかー! 自分が出来ないことを他人に強要するなんて、わたしセツ先輩のこと──」
──ヒュッ
とても嫌な音が、耳元をかすめる。
鋭利な物体が空を裂く、異様な音を聞いた。
鼻先に、冷たい感覚が宿る。
「え……」
みかげは目を見開き、指先で鼻の頭を拭った。
赤いものがこびりつく。みかげの、血だ。
「ほら。ぼおっとしていると、蚊に刺されるわ……よ!」
つんざくような噪音が、すくそばで轟く。
視線を滑らすと、そこにはスクリーンに映し出された映画のワンシーンのような光景が広がっていた。
錆鬼の向こう面に、羅紗切鋏の柄を叩き込む、猛々しい巫女の姿。
みかげは呆然と、劇的なシーンに魅入った。
「呆けないで、構えなさい!」
セツは大きく踏み込むと、錆鬼の首筋に狙いをつけて、下から斜め上へ逆袈裟に斬りあげる。その瞬間、錆鬼の首がぐにゃりと、ありえない角度で後ろへ折れた。
刃先が空を切り、勢いでセツの身体がコマのように回転する。
そのまま回転の力を利用して、スカートの下から伸びた艶やかな脚を、錆鬼の胴体へ深々とめり込ませた。
回し蹴りを食らった錆鬼は、頭を背中に垂らしたまま千鳥足で後方へと退く。
セツは一定の距離を確保すると、背後のみかげに檄を飛ばした。
「思い出しなさい、あなたは何のために力を手にするのか!」
セツの言葉が心の奥に捻じ込まれる。
握った手を胸に押し当て、己に問う。
(巫女の力を欲する理由……それは、わたしがわたしのままでいるため。わたしは、わたしにならなくちゃいけない。ううん、なりたいんだ。この村の、彩原みかげに)
この森に、山に、大地に満ちる空気を、深く深く吸い込む。
(だからいま、わたしは願う。力よ、来たれ! この手の中に、在れと!)
吸い込んだ空気を、声にして一気に吐き出す。
「来いっ! クロサイ!!」
叫び声はひしめく闇を散らして森にこだまする。
一瞬の静寂の後。
─ コツン
軽く頭を小突かれて目を凝らすと、乾いた音を立てながら、赤茶けた大地を転がる小さな物体が目に留まった。
「これって……」
みかげは、キラキラと光るそれを拾い上げた。
「カバンについてた、アクセサリー?」
みかげのバッグにぶら下っていたアクセサリーの束、そのなかのひとつ、親指の先ほどのクリスタルのキューブが、篝地蔵の灯に照らされてオレンジ色に輝いている。
「どうしてこれが……こんなところに?」
みかげが顔を近づけ、キューブに息がかかったその瞬間。
対峙していた錆鬼が狂ったように雄叫びを上げた。
手にしたクリスタルのキューブが白い光に包まれる。光は指の間を擦り抜け、真白な流砂となって大地に降り積もった。
やがて──視界を取り戻した彼女の前に、それは姿を現した。
一辺が三十センチほどの、漆黒の立方体。写り込む世界を拒むような、純然たる黒。それがいま、みかげの足元にある。
「これが……黒賽」
自然と、その名を口にしていた。
「それがあなたの巫餞、黒賽。求めていた力の源たるもの。そして、あなたが継ぐ巫女名は……『封ジ巫女』」
巫餞を手にしたものに与えられる、巫女名。
みかげは以前、セツが『刻ミ巫女』と名乗っていたことを思い出した。
「これまで辿った道より、さらに長く厳しい道のりが始まるわ。覚悟なさい」
セツは微笑みをもって、みかげの新たな出立を祝う。
「わたしが……封ジ巫女」
みかげは、大きなサイコロのような黒賽に触れると、そのまま静かに持ち上げた。
軽かった。より正しく表現するなら、重さを感じなかった。
このまま手を放し、宙に漂ったとしても不思議ではない。
「よけて!!」
セツの声が飛ぶ。
巫餞に気を取られている隙を突いて、錆鬼が動いた。
腕を長く鋭く、槍の穂先のように変化させると、みかげの胸元めがけて突き立ててきた。
「────!!」
尖端の直撃を食らったみかげの身体は、一気に後方へ持っていかれた。
数メートルか数十メートルか、しばし空を漂った感覚の後、背中から激しく地面に叩きつけられた。
あたりがしんと、静まり返る。
やがて。土から張り出す木の根に爪を掛け、赤い土を掻きながら、みかげは上半身を起こした。
「まだチュートリアルも済んでないうちに攻撃してくるなんて……性根まで錆びてる……」
みかげはしっかりと黒賽を抱きながら、起き上がった。
ふっと、セツは安堵の息を漏らすと。
「それくらい軽口を叩けるなら、いきなり実戦投入でも構わないかしら」
「やめてくださいよ! この黒賽がなければ、また胸に大穴空けてたかもしれないのに」
「それは問題ね。あなたを背負って山道を下るのは想像以上の重労働だったし……」
「わかりました、いいですっ、もう! それで……どう使えばいいんですか、この黒賽」
「積むのだけど」
「は?」
「言葉どおりの意味よ、積むの」
「積むって……この黒賽をですか?」
「そうよ」
そう、といわれたところで、どう見ても目の前の立方体は単数。
重ねる、という意味がわからない。
「口に出しても、心の中で唱えてもいいから『ひとつ』と数えながら置きなさい」
「は、い」
半信半疑のまま、みかげは黒賽を地面に置いた。
「ひとつ」
すると。呼応するかのように、先ほど黒賽が現れた時と同じように白い光が瞬いた。
ストン──みかげの足元に、黒い立方体が転がる。ふたつめの黒賽が。
「え……?」
何が起きたのか分からないといった表情で、セツを見やる。
「積むのよ、それも」
ようやく理解した。つまり、おそらく、たぶん、そういうことだ。
「ふたつ」
みかげは声にしながら、たったいま現れたばかりの黒賽を、ひとつめの上に重ねた。
予想した通り。再び白い光が瞬くと、そこから三つ目の黒賽が転がり出た。
素早く手にすると、それを先ほどと同じように重ねる。
「みっつ」
そしてまた白い光が瞬いて……。
「って、いつまで続けるんですか、これ!!」
四つ目の黒賽を手にしつつも、みかげはツッコまずにはいられなかった。
しかし、セツは至って冷静に返す。
「あとひとつ。全部で五つの黒賽を積み上げるの」
「そんなぁ」
こんな地味な作業を、歴代の封ジ巫女も繰り返していたのかと思うと、なんだか悲しい気持ちになった。少しだけセツの羅紗切鋏が羨ましく思えたが、いまさらそれを言っても仕方がない。
「よっつ」
戦闘中ということも忘れて、枯れた声で真新しい黒賽を積み上げた。
その時だった。それまで行儀よく『待て』をしていた錆鬼が、再び動きをみせた。
槍のように伸ばした腕を、今度は鞭のように変化させると、みかげが積み上げた黒賽に向けて大きく振るった。
──バチィッ!!
「あああああっ!!!」
彼女が苦労して積み上げた黒賽は、わずか一撃で崩されてしまった。
四方に飛び散った黒賽は、最初のひとつを残して跡形もなく消え去った。
うなだれるみかげに、セツは告げる。
「黒賽同士の距離が離れすぎると、最初の黒賽以外は全て消えてしまうから。注意して」
「そういうことは、最初にいってくださいよ。あとひとつだったのに……」
みかげは気を取り直し、再び黒賽を手にすると。
「ひとつ」
数えながら地面に置いた。
白光が煌めき、二つ目の黒賽が現れると、素早くキャッチして最初の黒賽に重ねる。
「ふたつ」
続いて現れた黒賽を、すぐさま重ねる。
「みっつ」
現れた四つ目の黒賽、しかしみかげはそれに手を伸ばすことなく、三つ重なった黒賽の方を持ち上げた。三十センチ角の立方体が縦に三つ、バランスを取るだけでも一苦労なのに視界まで遮られる。
みかげは食膳を重ねて運ぶ仲居さんよろしく、横から顔を覗かせて前方を確認する。
(よし、まだ打ってこないな……)
先ほどのように鞭を打ち込んできたところを上手くかわし、その隙に四つ目の上に抱えた黒賽タワーを重ねる。同時に出現した五つ目を載せれば、一丁上がり。
完璧だよわたし、と。みかげは自分のロジックにほくそ笑んだ。
錆鬼が打ち込みのモーションに入るのが見えた。軌道は頭に入っている。あとは華麗なステップを踏むだけ。
錆鬼の腕が、大きくしなった。
「いまだっ!!」
腕の動きに合わせて、右へジャンプ
── ガッ!!
コケた。
足元に置いた四つ目の黒賽に、思い切り蹴躓いた。
鞭の一撃は辛うじて回避したものの、それ以上のダメージを心に負ってしまった。
みかげの動きを注視してきたセツも、この醜態からはさすがに目を逸らした。
表情のない錆鬼の顔にすら、一抹の憐憫がうかがえる。
みかげは、不様に突っ伏したまま唸った。
「いたい……」
情けなくて哀しくて、それでも顔を上げると……転がった四つの黒賽が眼に飛び込んできた。
(三秒ルールは、有効だよね?)
無言のまま、みかげはいちばん端の黒賽に手を掛ける。
そして力いっぱい、水平方向へ押し出した。
「よっつ!」
黒賽が四つ重なる。縦ではなく、横方向に。
みかげの眼前が白い光に包まれ、最後の黒賽が手の中に落ちた。
躊躇うことなく、手にしたそれを四つ並んだ最後尾に連結する。
「いつつ!!」
すべての黒賽が揃った。もう、セツに次の指示を仰ぐことはしない。
意識を全て、いま起きていることに集中させる。
大気が震え、耳の奥が押されるような圧迫感に見舞われる。
連結した五つの黒賽が鳴動している。
黒賽からは継ぎ目が消え、一本の黒い石柱となってその場に座している。
距離を置いて正対する錆鬼の顔に、あきらかな怖気が見てとれる。
恐れは表情だけに留まらず挙動にも表れ、ジリジリと後ずさりを始めた。
後退という体の良いものではない、本能に突き動かされた逃避行動だ。
低く這う呻き声が、硬いものを掻きむしる爪音が、黒賽の中から聞こえてくる。
音を発するモノが、そこにいる。もがき、這いずり、出口を求めてのたうっている。
音が途切れた。
次の瞬間、地面に伏していた石柱が突然、爆ぜるようにその身を起こした。
そしてみかげは見た────空を奔る、真白な腕を。
黒賽から解き放たれた真っ白な腕、しかしそれは人のものではなかった。
棘の生えた節が連なり、先端に二本の鍵爪を光らせる、まるで異形の生物の一部分……喩えるなら蟲の脚のようでもあった。
腕か、脚か、空を駆ける鍵爪は獲物を求めて突き進む。
錆鬼は動かない。恐怖に打ち据えられたか、逃避そのものが無駄だと悟ったか。
目の前に迫る死に抗う術もなく、ただ呆然と立ち尽くしている。
一瞬の出来事だった。
飛来する二本の爪は両肩を貫き、錆鬼の躰を三つに裂いた。
噴き上げる錆の粉は血飛沫となって降り注ぎ、巨大な爪に、白い節に、赤い流れを刻んでいく。
錆鬼は、もはや人の形を成していなかった。
文字通り、錆となって朽ち果てていた。
だが真白な節はそれでもまだ飽き足らぬかのように、爪を折り、錆の塊を掴むと一気に黒賽の中へ引っ張り込んだ。
爪は赤い帯を引きながら、自身の大きさにそぐわない、あまりに小さく狭いその中へ行儀よく収まった。
再び森に、静寂が訪れる。
みかげは息を呑みながら、沈黙した黒賽にそっと手をのばす。
手が届くより前に、石柱のようだった黒賽は、元の五つの立方体に分かれて四方に散った。足元に残ったのは、みかげが最初に手にした黒賽、ただひとつだった。




