都市伝説の少女2
「はい、注目ですよ~みなさん。今日からこの雛威高等学校に通うことになった、彩原みかげさんです。五月の連休明けからの転入になるけど、急に決まった話だから、皆さんも温かく迎えてあげるようにね。それでは彩原さん、自己紹介を」
みかげは、一年の教室で彫像のように固まっていた。
(うわぁ、やっぱり苦手だこーいうの)
興味と好奇と期待と、その他諸々が入り混じったクラスメイトの視線に晒されながら教壇に立つと、チラリと女性担任の方を見た。
三十代半ばの、ほっそりとした顔立ちの美濃部先生は、リラックスしなさいと、優しく微笑みかけてくる。その優しさが、みかげにとってはどうにも痛い。
登校時間を三十分以上過ぎても現れないみかげを心配して、わざわざ学外まで様子を見に来てくれたのだ。幸い、校門を出てすぐのところで鉢合わせしたため、大事に至らずに済んだ。
「心配したわよ、彩原さん。いくら待っても登校してこないから、もしかして道に迷ったのか、事故に遭ってやしないかと色々考えちゃって。ご自宅に電話をしたけど誰も出ないし」
「すみません、色々ありまして。心配をおかけしました」
「とにかく無事で何より。さぁ、急いで。自己紹介が済んだらすぐに授業に入るから」
「はい」
そんなわけで、とくにこれといったお咎めもなく、自己紹介の場に立つことができたのも、すべて美濃部先生のお陰だった。
みかげはその優しさに報いるべく、緊張のなか自己紹介を始めた。
「はじめまして。本日、雛威高校に転校してきました、彩原みかげ、十六歳です。父の仕事の都合で、こちらの祖母の家にお世話になることになり、矢三上市から越してきました。雛威村には小さいころ何度か訪れたことがあります。自然が美しくて、空気も水も綺麗で、とても素敵なところだなって、思ってました。みなさんのことも、この村のことも、これから知っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします」
一気に喋ると、深く頭を下げた。
パチパチとまばらに起きた拍手は、やがて教室全体を包むように広がっていく。
どこからともなく、男子と女子の「よろしく」「よろしくね」の声が上がる。
第一関門クリア。今日一番の大仕事を成し遂げたみかげは、胸を撫で下ろした。
「彩原さんの席は……窓際の空いている席、そこね」
そういって、美濃部先生は良く日の当たっている席を指さす。あえて落ち着く場所を用意してくれたのだろうか、みかげはクラスメイトの机の間を進むと、窓際の特等席に腰を下ろした。
「なにかわからないことがあったら……そうね、後ろの糸川さんに聞きなさい。彼女、クラスの副委員だから。糸川さん、お願いね」
「はーい、了解です」
後ろの席の、糸川と呼ばれた女子は軽い口調で応えた。
みかげは振り返ると「よろしくお願いします」と小さく頭を下げた。
「それでは授業に入りますよ、いいですねー」
みかげも、真新しい教科書を机の上に重ねる。
少し安心したせいか、周りを見回す余裕も生まれてきた。
村立雛威高等学校。
一学年四十名。全校生徒百二十名の小さな共学校だ。
人口千六百人ほどの自治体が高校を運営するケースは、きわめて稀だ。
学校には、主に雛威村と隣接地区からの生徒が通っている。
過疎化により何度か廃校の危機に陥ったが、そのたびに地域住民の存続を願う熱心な声と地域文化を教科に取り入れたカリキュラムにより、毎年一定数の志願者を確保するまでになった。二階建ての新校舎が十年前に新設され、都市部の高校と遜色ない学習環境が整備されている。
滞りなく授業が進む中、みかげがふと外を見ると、校門を通って歩いてくる人影が目にとまった。それは先ほどみかげを引き止めた、例の……魔女だった。
とくだん悪びれる様子も見せず、それが当たり前であるかのように、堂々と玄関へと入っていく。
(なんだ、やっぱり飛べないじゃない。そりゃそうだよね)
魔女に視線を配るみかげに気付いたのか、後ろの席の糸川が小声で話しかけてきた。
「どうしたの、なにか気になることでもあった? あーあの人、杞紗峰先輩ね。先輩が遅刻するなんて珍しい 」
「きさみね、っていうんだ。ちょっと、変わった感じの人だよね」
「ふふーん、その口調からすると、何かありましたね?」
「あったというか、なかったことにしたいというか」
言いよどむみかげに、糸川は何故か瞳を輝かせる。
「なにか言われた。もしくは、されたとか」
「うん、まぁ」
「なんて、なんて言われたの?」
この手の話題は彼女の好物なのだろう、糸川は興味津々といった感じで身を乗り出してくる。その気さくな態度に、みかげも気を許して椅子の背もたれに体を預けた。
「わたしも、どういった意味なのか分からないんだけど、その……魔法。魔法をね、使えるのかって、聞かれた」
「で、なんと答えました」
「使えません、て」
「…………」
「……言うつもりが」
「言うつもりが?」
「ほんちょっとなら、って」
うわー、という顔をして、糸川は手で顔を覆った。そのうわー、は「やってしまった」なのか「よしきた!」なのか、どちらとも取れるうわーだった。
「だって相手は先輩でしょ? そこで気分を損なうような受け答えして、後々目をつけられることになったら、イヤだもの 」
「それで使えることに、しちゃったんだ」
「この質問に模範解答なんてある? なくない?」
「あのさ」
糸川は急に真面目な口ぶりで。
「杞紗峰先輩のいう、魔法の意味。わかってる?」
みかげはブンブンと、首を振った。
「魔法よ、魔法。年頃の女性が使う魔法といったら、アレでしょう」
「アレ……アレ……」
ウーンと唸って、天を仰ぐ。
(普通に考えれば、メイクとか、コーディネイトとか、ヘアスタイルとか、そっち系よね)
糸川は思案するみかげの肩をぐいと引いて、耳元で囁いた。
「いいかね友よ、よく聞きたまえ。ここでいう魔法とは即ち……」
「すなわち……」
「乙女の○○○○を○○して○○○することなの」
「…………」
「彩原さん? 聞いてます? ここにいますかー?」
「えええええええええええええええええええええ!!!!!?????」
大音量注意。
みかげはまたしても、クラス中の視線を集めることになった。
何度も頭を下げ、その場を取り繕う。
「どーいうこと!? そんな話し、聞いたことないんだけど? それはなに、この地方ならではの風習か何か? 」
「落ち着いて、前を向いて。先生こっち見てるよ」
「あっ、どうも先生」
愛想笑いに苦笑い、さっきから意にそぐわない笑いばかり振りまいている。
次から次へと明かされる衝撃の事実に、もうどれが本当の笑いか分からなくなってきた。
そんなみかげに、さらなる追撃がかかる。
「杞紗峰先輩の二つ名、教えてあげよっか」
糸川はいたずらっぽく笑いながら、たぶんそんな表情を浮かべながら、煽ってくる。
瞑目して、答えを待つ。
ゴクリ。
「青い果実の狩人。君の蜜でボクを満たして──」
変なサブタイまでついている。しかもボクっ娘。
「だからね、魔法が使えるという答えは『私、ウェルカム!! 』と同じことなの」
(ウェルカムって……そんな……ありえない……誰も……呼んでない……)
ぶつぶつと、みかげの口から読経のような音が漏れる。
その眼は完全に精気を失っていた。
「取り返しのつかないこと、しちゃったのかな、わたし」
ハイライトの消えた瞳に、凛とした糸川の声が再び色を与える。
「大丈夫、この『糸川結』を信じて。あなたは私が、守るから」
この村に来て初めてできた親友は、とても頼りになった。
くだけたやり取りをしたせいもあって、体を締めつけていた緊張も解れ、休み時間の質問攻勢にもスムースに応対することができた。とはいえ、矢継ぎ早の質問をテンポよくさばくのは、やはり相当なカロリーを消費する。午前の授業が終わる頃には、みかげの空腹メーターはE(eat)を指していた。
昼休みに入ると、みかげはさっそく祖母の作ってくれた弁当を取り出し、紙パックジュースにストローを差した。とそこへ、でん!と、サンドイッチとペットボトルが割り込んできた。
「どうでしょう、こうしてお近づきになれたのも何かの縁、ご一緒にランチなど」
糸川は自分の昼食をみかげの机に置くと、椅子を運んできて傍に掛けた。
「暇と隙間くらいしかないところですが、どうぞ」
卓上スペースの半分を譲りながら、快く受け入れた。
「それで、彩原さんは、どうしてこの村に引っ越してくることになったの。さっきは親の仕事の都合だっていってたけど。お父さんもこちらに?」
みかげは小さく、首を振る。
「ううん、父はいま海外。先月、急に海外赴任が決まって、それからはもう大騒ぎよ。地元の公立高校への入学も済ませていたし、そのまま残って通学するかずいぶん話し合ったわ。結果、父方の祖母の家にお世話になることに決めたんだけどね」
「お母さんは?」
「あ、ウチは父子家庭だから」
「そうなんだ……」
「でも楽しい家庭よ、ホント。二人でも大家族みたいな賑やかさだったし」
「じゃあ、こっちで暮らすのは、お父さんが帰国するまで?」
「うーん、そのへんはまだよく分からないんだなぁ。でもせっかく転入した学校だし、できれば卒業までいたいと思ってる。わたしはそのつもりで、来たよ」
「嬉しいこと、言ってくれちゃってー。よーし、気分いいからサンドイッチのレタスあげる」
「そんな萎びた葉っぱもらっても、嬉しくない……」
「じゃあ、ビニール袋もつけちゃう」
「捨ててください、いりません」
こうして間近で見る結は、とても人懐こい顔をしていた。
やや吊り目で、尖った感じの顎。全体的にシャープな顔つきで、ともすればキツイ表情に見えがちだが、彼女の浮かべるいたずらぽい笑顔がそれらをすべて魅力へと変えていた。
セミロングにキッチリ揃えた前髪、両サイドからピンと突き出した触角(髪)も、彼女の可愛らしさを引き立てるのに、一役かっていた。
昼食を終えて一息ついていると、急に廊下の方が騒がしくなった。
「ねぇ、彩原さん。彩原みかげさん、います?」
教室に入ってきた女子が、皆に聞こえるように声を張った。みかげの名前を呼ぶ女子の後ろには……例の、あの魔女がいた。とっさに、みかげは糸川の背後へと身を隠す。
「杞紗峰先輩が用事あるみたいなんですけど、いませんかー?」
います。でもいません。いないことにさせて下さい。祈るような思いで、魔女が立ち去ってくれるのを待つ。手には、先ほど糸川から渡されたサンドイッチのヒニールが、お守りのように握られていた。どうか、どうか、どうか……。
「はいはーい、ここにいますよ!」
「えっ?」
小さく縮こまるみかげを、指さしている。 誰が?
はいクラスメイトです。親友です。糸川結です。
(ええええええええええ!!!!)
盾になってくれるはずの糸川は早々に役目を放棄し、敵に身柄を差し出した。
即座に魔女の視線が襲いかかり、みかげを絡め捕る。
前門の魔女、後門にも魔女。魔女に挟まれたみかげは、文字通りサンドウィッチ状態だった。
「自分を信じて。運命を切り開く力は、あなたの手の中にある」
自分を信じる前に糸川さん、あなたを信じたかった……。
そんな心の声も虚しく、みかげは魂を抜かれたように魔女に引き寄せられていった。
(今日できた親友に、三時間で裏切られました──)