棘の真実 5
結と別れたみかげは、とくに目的もなく、足の向くままに村内を散策した。
人影もまばらな道で、たまにすれ違う人たちはきまって、笑顔で挨拶をしてくれた。
次はこちらからしよう、今度こそわたしから、と心に決めてみるものの、それより早く自然に頭を下げてこられるのだから、むしろこちらのほうが恐縮で頭を下げたくなってしまう。
(まだ、ためらいがあるのかな、自分のなかに)
出会う人たちは、誰もが自然なのだ。みかげのことを巫女と認識していても、いなくても、おそらくあの笑顔と挨拶は変わらないだろう。
そこに人がいれば、当たり前に交わされる光景なのだ。
しばらく行くと、道端で腰を屈めて草刈りをしているおばあさんに出会う。
「大変ですね、腰は大丈夫ですか」と、声をかけてみる。
おばあさんは「いつものことだから」そう短く言って微笑むと、すぐに作業に戻ってしまった。
またしばらく行くと、駄菓子屋の店先で新聞を広げている、老眼鏡をかけたおじいさんを見かけた。店主なのか「気持ちのいい陽気ですね」と声をかけると何も言わず、そばにあった保冷ケースからカップアイスを取り出して、手渡してくれた。
「もっていきな。新人さんへのサービスだ」ぶっきらぼうに言うと、その言葉を聞いて店内から出てきた小学生と思しき男子数人が「あっ、巫女さまだ! 巫女さまだ!」と囃したてた。みかげがどうリアクションしていいか、困った顔をしていると、お目当てのキャラカードを引いた男子の雄叫びに、興味は一瞬でそちらへもっていかれた。
そんなやり取りを見て、おじいさんはとてもいい顔をして、笑う。
当たり前の日常のなかに、みかげはいた。景色を彩る、色の一つとなって佇んでいた。
「ただいま、おばあちゃん」
帰宅したみかげは真っ先に居間へ向かうと、そこにいた一重に話しかけた。
一日半ぶりの会話は、それなりに長く重く感じられた。
「あら、みかげちゃん。おかえりなさい」
一重は普段と変わらない穏やかな笑顔で迎えてくれる。
彼女の纏う柔らかな空気は、記憶のそれと何も変わっていない。
きっとこれが、一重という人の本質なのだろう。
「おばあちゃん、昨夜は心配かけてごめんなさい。わたしはもう平気だから……その……心配しないでいいから……」
心配、に含む意味をどう伝えるか迷っていると。
「ちゃんと戻ってこられたのだから、まずはそのことに感謝しないとね。あなたを見守ってくれている、お天道様にもお月様にも、感謝しないとね」
優しく諭すように一重は言った。
「そうだね。うん、みんなに感謝しないと、いけないよね」
なぜだろうか。みかげはそれを聞いて、泣きそうになった。
一重は腰を上げて仏壇の前に移ると、鈴を鳴らして静かに手を合わせた。
「ここにいるのはね、私の旦那さま。とても品のいい人だったのよ。私には子供がいなくてね、あの人をなくしてからずっと独りの時間を過ごしてきたの。それでもご近所さんはみんな優しくてね、声をかけてくれたり暇をみつけてはお茶菓子を持って遊びに来てくれたりと、それでずいぶん寂しさも紛れたわ」
優しい眼差に、今もまだ彼の人がそこにいるかのように思えた。
「足腰も弱って畑仕事もままならなくなって、それでも以前と変わりなく接してくれる。そんな人たちの、村の人たちのために、何か役に立てればと思ったの」
「それでわたしを……」
一重は、その眼差しをみかげへと向ける。
「みかげちゃんは、昔の想い出がどんなふうに作られるのか、知っている?」
いいえと、首を振る。
「私も詳しいことは分からないのだけど、みんなの持ち寄った想い出を紡ぎ合わせて作られるんだって」
「みんなの想い出を、持ち寄って?」
みかげは一重の前に座ると、聞き入った。
「この村には『雛威山』と呼ばれる山があってね、その麓に『雛威神社』という社があるの。新しい巫女さまは、その神社でお生まれになる。人の形をもって現れてからおよそ半年、巫女さまは眠ったまま過ごされるの。そのあいだ、村の人たちは神社を参詣して、目覚める前の巫女さまにお祈りをする。お祈りというより、お報せといったほうがいいかしらね。嬉しかったこと。楽しかったこと。辛かったこと。悲しかったこと。自分が感じたたくさんの思いを、巫女さまに伝えるの。ひとりひとりの思いは、記憶を紡ぐ糸となって、やがてひとつの御衣を織り上げる。外界へ出るための御衣。それは村の人みんなの思いから作られるものなのよ」
不思議だった。偽りだとばかり思っていた記憶が、たくさんの人々の思いから作り出されたものだなんて。
慣れない学園生活に戸惑う自分に、優しく接してくれたクラスメイト。
小さなことでも遠慮なく相談しなさいと言ってくれる先生。
気取ることなく、普通に話しかけてくれる村の人たち。
いつも新鮮な食材を持ってきてくれるご近所さん。
これまで出会った人たち。
これから出会うであろう人ひとたち──
ひとりひとりの思いで、いまの自分はできている。それぞれの願いで、この居場所は作られている。
(そうか。わたしはもう、わたしだったんだ。自分が誰かを知るずっと以前から、わたしでいたんだ)
「ねぇ、おばあちゃん。おばあちゃんもやっぱり願ってくれたのかな……その、わたしに」
みかげはあらためて、一重と向き合う。
「ええ、もちろん」
「何を願ってくれたのか、聞いていい?」
「それは、内緒ね」
「えー」
一重は口許をおさえて小さく笑う。
「いいの、それはもう。話さなくていいの」
「どうして?」
「だってもう、私の願いは叶ってしまったから。ここで、こうして叶えられたから」
そうして、これ以上ないくらいに微笑んで、みかげを見つめてくる。
その瞳には、はっきりとみかげの顔が写っていた。
「おばあちゃん、ありがとう」
みかげは立ち上がると、一重と同じくらい嬉しそうに笑って、言った。
「おばあちゃんは、わたしの本当のおばあちゃんだよ」




