棘の真実 2
むかしむかし、どのくらい昔かも定かでないくらいむかし。
とある山奥にたいそう栄えた村がありました。
近くの山の頂には大きな洞穴が空いていて、いつも赤い霧を噴き出していました。
霧はときおり山を駆け下って村を襲い、水を濁らせ、木を枯らし、田畑を荒らしました。
村人はみな困りはてていましたが、豊かな恵みを与えてくれるこの土地からは離れがたく、赤い霧に怯えながらも住み続けました。
一方で、村を襲う赤い霧を少しでもどうにかできないものかと、皆で知恵をしぼりました。そして強い巫術をもつ巫女に、洞穴を封じてもらうことにしました。
かくして。六人の巫女が集められ、術を施した六本の柱を洞穴の底に建てて、赤い霧を封じました。
それからしばらくは何事もなく、平穏なときが続きました。
村人の中からも、赤い霧のことが忘れ去られようとしたころ。
とつぜん地が震え、洞穴から赤い霧が噴き出したのです。
永きの間、地の底に溜まった赤い霧が、封を破り溢れだしたのです。
六本の柱は無傷のまま残りましたが、洞穴は再び開かれてしまいました。
赤い霧が治まると、村人はいま一度洞穴を封じようと、巫術を使える巫女を探しました。
しかし時は経ち、洞穴を封じた巫女はすでにこの世のものではなくなっていました。
そのとき。悲しみに暮れる村人の前に、一本の光の柱が降りたち、声がしました。
それは洞穴を封じた巫女、その中でも秀でた力を持った巫女のものでした。
ふたたび柱を建てて封じても、いずれまた霧の力に圧され洞穴は開かれるでしょう。
山の中腹に霧の抜け道を作りなさい。
僅かずつ霧を外へ流すことで、洞穴から溢れるまでの時を稼ぐのです。
流れ出た霧は、柱に宿る巫女によって浄めます。
わたしの力のすべてを使い、他の五人の巫女を蘇らせます。
わたしの命はここで果てますが、五人の巫女はそなたたちを護るでしょう。
この地で生きていくことを望むのであれば、永久に在り続けるでしょう。
「これがこの地に古くからある、伝承。意訳すると、こんなかんじかな」
澱みなく話し終えた深山は、みかげの様子をうかがう。
さすがに整理がつかないのか、とりあえず聞くだけは聞いたという顔をしている。
「さらに要約が必要かな?」
「い、いえ、大筋は理解した……つもりです。つまり、赤い霧から村を守るのが巫女であり、その蘇った『柱の巫女』がわたしたち、ということですか?」
「半分正解」
「もう半分は?」
「柱の巫女を『身柱』と呼ぶのだけど、それはずっと代替わりを繰り返しているんだ。初代からどのくらい時が経ったのか、自分が何代目に当たるのか、実のところ定かではない」
「はぁ……」
深山はみかげから視線を外すと。
「けどね。目の前に伏すべき相手がいて、背後に守るべきものがある。だとすれば、そこに居るアタシたちは何をすべきか。結局のところ、人は与えられた状況の中で生きるしかない。たとえ命が有限であれ無限であれ、そこだけは平等なんだ」
言って、自嘲気味に笑った。
「命が……無限」
みかげは、深山の一言に引っかかるものを感じた。
「深山先輩、命が無限って、どういう意味ですか」
「んー。そーいうとこ、やたら鼻が利くよね、みかげちゃん。ま、いずれ分かることだし、ここで話しても構わないかな」
深山は確認するように、杞紗峰に視線を向ける。
サインを受けた杞紗峰は、再び話し始めた。
「それは……私たちは人であって、人でないから」
みかげは思わず目を見開いた。
「私たちは、いうなれば巫女の思念体。物質として存在し、生物としての代謝もある。けれど、どれほど肉体が損傷しても死ぬことはない。無論、ダメージは受けるし痛みも伴うけれど、死に至ることはない」
私たち……その一言には、当然みかげも含まれている。
みかげは、自分の胸に手を押し当て、もう一度あるべき傷跡を探した。
唯一の小さな抵抗も、残酷な現実に押し返される。
「私たちに死が訪れるとすれば、それは巫女の務めを果たせなくなったとき。自ら死を選び取った、そのとき」
杞紗峰の言葉は、真実を告げている。
「私たちは、自分の死期を、自分で決めなければならないの」
たとえそれが、受け入れ難いものだとしても。
「でも……」
みかげが再び口を開いたのは、しばらく経ってからだった。
「でも、わたしには両親がいます。友人もいるし、昔の記憶だってちゃんとある。じっさい今も、祖母の家にご厄介になってます……」
その答えがほしいと、杞紗峰を見やる。
「辛い話しをするけど、聞きなさい」
有無を言わさぬ凄味に、みかげは押し黙った。
「あなたの記憶は、すべて作られたもの。両親も友人も昔の想い出も、すべてフェイク。正確にいうと、あなたがここ雛威村に越してくる以前の記憶はすべて──になるわね」
呆然とするみかげに、事実のみを淡々と語っていく。
「あなたが祖母だと思っている人も……あなたとは何ら血縁関係にない、赤の他人。巫女としてこの村で生活するために必要な、そう、身元引受人とでもいえばいいかしら」
みかげの脳裏に、見慣れた優しい祖母の顔がフラッシュバックする。
祖母との思い出のひとつひとつが、艶やかな色を帯びて鮮明に甦ってくる。
壊れようのない、消しようのない、リアルなこの記憶も全て作りもの……。
「いつからです」
みかげは、声を絞り出した。
「いつからわたしは、わたしになったんですか……」
「この雛威高等学校に転校してきた、あの朝。あなたは目覚めたのよ。彩原みかげとして」
レールは最初から敷かれていた。自分の足で歩いていたつもりが、歩かされていた。
「みんな、知っていたんですね。わたしが巫女だってことを。巫女として目覚めたことを」
「ええ」
「ならどうして、最初にそれを言ってくれなかったんです? すぐじゃなくても、少しずつでも、教えてくれたら気の持ちようも違っていたかもしれないのに!!」
みかげは、ようやく感情を露わにした。もっと早くに、そうしていても良かったはずだ。
「普段であれば、そうしていた。精神への負担を少しでも減らすためにね、徐々に、順を追って、真実を告げていくのが通例だった」
さりげなく深山が、フォローを入れる。
「けどね、そうもいかない事態が起きてしまったんだよ」
「それはどんな……もしかして、わたしになにか問題があって……?」
「いや、そうじゃなく。面目ないことに、主にこちら側の問題でね」
そう言って深山は、はじめて困惑した表情をみせた。
「彩原さん!」
強く、みかげの名を呼んだのは杞紗峰だった。
すぐ目の前にいるみかげは、ビクリとして姿勢を正した。
「あなた、あの時……銅刺の森で訊いたわね。幻の中に出てきた私は、笑っていた。あれは誰に向けて笑いかけたのか、と」
「は、はい」
「あなたの幻を実際に見たわけではないから、確信はもてないけど。たぶんそれは……先代の巫女へ向けたもの、ではないかと思うわ」
「先代の、巫女……?」
「ええ……私の友、水鏡鏡可よ」
落ち着かせるように、杞紗峰は軽く息を吸う。
「彼女は一年ほど前に亡くなってしまったのよ。あることが原因でね。そしてあなたが、次の巫女として生まれてきた」
突然すぎる説明に、みかげはキョトンとした。
先輩の友人が亡くなられて?
自分が生まれてきた?
いったいどこがどう繋がって、その結論にたどりつくのか。
「ホラ、みかげちゃん。さっきの昔話を思い出して。巫女は全部で何人だと言ってた」
深山のフォロー増援部隊が到着する。
「えっと、たしか五人……でしたっけ?」
「ご名答。一度聞いただけでよく覚えていたね。そう、巫女は全部で五人。この人数は、これまでも、そしてこれからも変わることはない。と、思われる。つまり」
ビシリと、みかげを指さして。
「消えた巫女の器は、別の人格をもって、新たに生まれ変わる。これが、身柱の転生システムなのさ。身も蓋もない法則だけどね」
みかげはやっと、合点がいった。
この彩原みかげという存在は。
杞紗峰の友人である、水鏡鏡可の生まれ変わりなのだ。
そして。
幻かどうかも分からぬ、赤い世界で見た光景は。
先代巫女の鏡可が目に映した光景なのだろう。
みかげは、そう確信した。
(そうだ。だからだ。杞紗峰先輩が、あれほど優しく微笑んだのは)
疑問がまたひとつ氷解した。幸せとはいえない真実でも、みかげにとっては自分を知るうえで大切な事柄だった。
しかし、その一方で。
『私たちは、自分の死を、自分で決めなければならないの』
杞紗峰の重い口調が、リフレインする。
もしこれを言葉通りに受け取るなら、水鏡鏡可は巫女としての使命を果たせなくなり、自ら死を選んだことになる……。
杞紗峰が、みかげに鏡可の面影を重ねていたとしたら。
言い出せなかった理由が、そこにあるのかもしれない。
みかげは自分の知り得ない、言葉の裏に潜む因果を汲んだ。
そしてそれ以上、問い質すのを止めた。
「そう……ですか」
その呟きを、最後にして。
しばし、会話のない時が流れる。
押し寄せる情報の波を、ないまぜになった感情を、あるべき場所へ収めるには必要な時間ともいえた。気まずい雰囲気はなく、不穏な空気もない。会話と同等の価値を、各々がそこに見出していた。
「深山先輩も……巫女、なんですよね」
沈黙を閉じたのは、みかげだった。
「なに、いまさらそれを訊く?」
「一応、確認のためです」
「まぁ、そうなるよね。あれだけ偉そうにアレコレ語っていれば。そう、アタシもセツと同じだよ。これでも一応、巫女の中では年長者。あ、年齢についての質問はNGだからね。それともう一人、巫女がいるんだけど……その子、今は合わせる顔がないって、席を外してる」
「合わせる顔がない……ですか」
それだけのヒントがあれば、誰かは推測できる。
(彼女も、同じだったんだ……)
本当なら、もっと驚いてもおかしくはない。
しかし、これだけの極彩色な現実を前にしては、サプライズも色褪せてしまう。
「まだまだ聞きたいことはあると思うけど、あまり無理しないほうがいい。心理面への負担も考慮して、今日はここまでにするけど、いいよね?」
どうやら、話しは一旦幕引きのようだ。
みかげもその提案を、了承した。
「勝手で悪いと思ったけど、ジャージは処分させてもらったわ。代わりは私が調達してなるべく早く渡すから、それで許してもらえる」
みかげのバッグを手にした杞紗峰が歩み寄る。差し出されたバッグは、汚れが綺麗に落とされていた。みかげはそれを受け取ると、ショルダーストラップに付けられたキーホルダーやマスコットキャラ、チェーンの束を確認する。
みんな揃っている。どれひとつ欠けることなく、想い出の品はここにある。
これをくれた人はいないのに、想い出だけは残されている。
「もう遅いわ、今日はお帰りなさい。おばあさまもきっと心配されているはずよ」
どれも作りもののはずなのに、自分を待つ人がそこにいる。
フェイクとリアルをまたぐ存在とどう向き合えばよいのか、みかげの心は揺れた。
「私でよければ、自宅まで行って今日あったことのあらましをお話しさせてもらうけど……」
しかし首を振って、それを断る。
「大丈夫です、わたしもう子供じゃありませんから。代わりにこれ、お借りしていきますね?」
そういって、スウェットの上下を指さす。
「すまないわね、そのくらいしかしてあげられなくて……」
「いえ。とても、心強いです。そばにいてくれるみたいで」
アクセサリーの束を鳴らして、バッグを肩にかける。
「深山先輩、杞紗峰先輩、今日は本当にお世話になりました。明日からも、あらためてよろしくお願いします」
深く、深く頭を下げると、部屋をあとにした。




