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棘の真実 1



  とおりゃんせ  とおりゃんせ

  ここはどこの  ほそみちじゃ

  てんじんさまの  ほそみちじゃ

  ちいととおして  くだしゃんせ

  ごようのないもの  とおしゃせぬ

  このこのななつの  おいわいに

  おふだをおさめに  まいります

  いきはよいよい  かえりはこわい

  こわいながらも

  とおりゃんせ  とおりゃんせ



 みかげの瞳に、再び色のついた世界が映り込む。

 煤けた天井の木目、黄ばんだ蛍光灯、高く積み上げられた焼けたダンボール……。

 どこかで見たことのある、とても落ち着く光景。


「悪夢だ……」


 それが、最初に口にした言葉だった。


 冷たい空気が肺に落ち、体の熱を奪って再び出ていくのが分かる。

 心臓の鼓動は、小さく鼓膜を打ち鳴らし、目覚めの合図を告げている。

 指先に、爪先に、シーツの柔らかい感触がある。

 温かい。生きている。わたしは──ここにいる。


「お目覚めの第一声がそれ? まぁ、それも仕方ないか」


 聞き覚えのあるややハスキーな声に、そちらへと視線を向ける。

 銀色の髪はここでも異彩を放っていた。


「おはよう、みかげちゃん。ご気分はいかがかな?」


 深山はにっこり微笑むと、以前合ったときと変わらぬ口調で話しかけてきた。


「最高に……最悪かもです」

「だろうね。よろしい、至極まっとうな感想だよ」


 無理やり花丸をつけられた気がしなくもないが、おかげで冷静さは保つことはできた。


「あの、深山……先輩」

「うん。なに」

「わたし、生きてますよね」

「どっからみても、そう見えるね」

「死んでませんよね」

「死んでたら、いま会話しているアタシが困る」

「ですよね」


 はあっと息をついて、そろそろと上半身を起こすと、改めて周囲を見回す。思った通り、そこは旧校舎の理科準備室だった。

 室内には制服姿の深山が一人、椅子に掛けてみかげに寄り添い、時折、孫の手でポンポンと自分の肩を叩いている。


「あの、深山先輩」

「ん?」

「わたし、どうなったんですか……」

「覚えてない?」

「途中まで……なら。たしか杞紗峰先輩に、わたしは誰なのか、みたいなことを訊いて、それで……そのあと……」

「無理に思い出さなくていいから。まずは頭に浮かんだものから、順に整理していこう」

「はい」


(あのとき……頭の中にノイズみたいなのが走って、まともに考えることができなくなって……先輩に向かって何かを言ったような記憶はあるんだけど。何を言ったのか……思い出せない……)


 記憶をたどり、意識をたぐり、ようやく目的の映像が見えてきた。


「そうだ……杞紗峰先輩の前に立った、あの後だ。体にすごい衝撃がきて、弾かれて、それで目の前を見たら……見た……ら……」


 有り得ない光景を、どう認識すればいいのか。

 自分の胸に、鋭利な黒い物体が突き刺さったなんて。 

 空を覆うほど噴き出す血液が、自分のものだなんて。

 みかげは、着替えさせてくれたのであろうスウェットシャツの上から、ぎゅっと胸をおさえた。


「えっ……」


 しかし、押し当てた手に『何もない』感触が伝う。

 みかげは慌ててシャツの胸元を引っ張り、あるはずの傷口を探した。


「ない……」


 自らの胸を凝視したまま、ぼそりと呟く。

 すると。


「うーん、それは最初から無かったと思うよ?」


 場の空気をまったく無視して、深山が言った。


「ちっ、ちがいます! あったんです! あったはずなんです! いえ、無いと言われればそうかもしれないけど…………そっちの話しじゃなくて、胸の傷のことですっ!」


 みかげは顔を真っ赤にして反論する。


「あれは思い違いなんかじゃありません、たしかに起きたことなんです。ただ、そのあとの記憶がなくて……どうして今ここに居るのかも、よくわかってないですけど……」


 記憶と意識の混濁を引きずりながらも、起きた事実だけはしっかりと認識できているようだった。


「そうだ先輩……杞紗峰先輩はどこです? わたしをあの場所へ連れて行った、杞紗峰先輩は? 先輩なら、全部知っているはずです」

「まずは少し落ち着こうか。大丈夫、セツも無事だよ。ま、詳しいことは本人から聞くのがいちばんじゃないかな。そのほうが、みかげちゃんも納得するだろうし」


 深山は椅子から立ち上がると、入り口まで移動し、甲で扉を小突いた。


「いいよ入って。姫様がお待ちだよ、落馬したナイトさん」


 扉を開けて、杞紗峰が姿をみせた。

 憔悴したその顔に、みかげは言いようのない不安を覚える。

 杞紗峰は心もとない足取りでみかげの傍まで来ると、膝をついて顔を覗き込んだ。


「体はどう? 気分は? 辛くはない?」


 そう言いながら手を伸ばすが、みかげに触れる前にその手を下ろしてしまった。


「とりあえず、大丈夫みたい……です。でもオカシイですよね、その聞き方も。体はどうか、なんて、普通ならそれどころじゃないです」


 あえて叩いた軽口に、杞紗峰は安堵の息を吐く。


「そうね。その通りだわ。一般的な感覚とは、大分ズレがあるのかもしれない」


 そうして視線を落とす杞紗峰は、銅刺山でみた時よりずっと小さく感じられた。

 誰よりも強く、凛々しく、猛々しくあった……巫女の面影は、ここにはない。


「でも、普通じゃないとしたら……そういう感覚も、おかしくないかなって思います」


 みかげの声は、僅かに震えを伴っていた。

 杞紗峰はあらためてみかげと向き合うと、口調をより固くして話し始めた。


「あのとき、遠回しな言い方をしなければ……勿体つけず答えていれば、あなたがこれほど傷つくことはなかった。私の独断で銅刺の森へ連れて行ったことも含めて、全て私の責任。謝って済むことではないけれど……本当にごめんなさい」


 深々と、杞紗峰は頭を下げた。


「そんな、先輩がそんなことしなくても……本当のことを教えて欲しいと頼んだのは、わたしなんですから。それに、先輩は尋ねましたよね、真に答えを求めるのかと、その覚悟はあるのかと。決断したのは他の誰でもない、このわたしです」


 みかげの言葉にも、しかし杞紗峰は頭を下げたまま、頑なに態度を崩そうとはしなかった。困ったみかげは、しばし考え込んで。


「じゃあ教えてくれますか。わたしは何者なのか──」


 そう、訊いた。


 答えは、分かっていたのかもしれない。

 幻なのか未だ判然としない、赤い世界。

 現実として立ちはだかった、銅刺の森での出来事。

 そして──消失した胸の傷跡。それらがひとつの結論へと導いている。

 だから。杞紗峰の口から、真実を告げられても。


「彩原みかげ。あなたは私たちと同じ、巫女の力を継ぐ者よ」

 

 みかげは、否定しなかった。



「先輩、そもそも巫女ってどんな存在なんですか。なんのために、あんな怪物と闘っているんですか……」


 しばらくして、杞紗峰が口を開いた。


「そうすることが、予め決められているから。そして、求められているから」

「決められている? 求められて? 誰に、どんな理由で」

「それは……」

「そこから先は、アタシが話すよ」


 みかげの矢継ぎ早の質問を遮って、深山が割って入る。


「ここから少し、昔話をしようか。難しい話しじゃないから気を楽にして聞いてて」


 そう言うと、先程まで掛けていた椅子に再び腰を下ろした。




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