都市伝説の少女1
制服姿の少女が、息を切らせて急な坂道を駆け下りてくる。
襟足を綺麗に揃えたショートボブの黒髪が、地面を蹴るリズムに合わせて軽やかに上下する。紺色のセーラーカラーをはためかせ、ひざ丈のスカートを翻し、赤いスカーフが忙しなく靡く姿は、お世辞にも上品とは言い難い。
しかし今の彼女、彩原みかげにとって、見てくれなどどうでもよかった。
坂道を下り終え、目前に迫った標識の支柱に手をかけると、速度を殺さずT字路をターンする。軽快なフットワークに流れるフォルム。クルマのCMナレーションがハマりそうな見事な挙動だったが、しかし現在時刻と照らし合わせると、それは称賛とは程遠い行為だと判る。
「まさか、こんなところにいたなんて……」
噴き出す汗を気にもとめず、息を弾ませながら前だけを見てひた走る。
「転校当日から遅刻して全力疾走する女子なんて、都市伝説だよね。もしいたら、是非お目にかかって『どちらのヒロインさんですか』って聞いてみたい……なんて友達と話してたのに……なのに……」
悔しさからか、恥ずかしさからか、唇を小さく噛むと。
「まさか、こんなところにいたなんて!!」
思わず、大声で叫んでいた。
今はとにかく走るしかない。地面を蹴って蹴って、ひたすら前へ。周囲の景色を振り払いながら駆け抜ける。
と、急に視界が開け、まばゆい光が彼女の瞳を射した。
一面に広がる青と緑の世界。
雛威村へ、一人の少女が飛び出していく。
時刻は午前九時を回っている。
転校当日は八時半までに職員室に来るようにと学校側から指示されていた。
つまりこの瞬間、伝説のヒロインが誕生したわけである。
見事称号を手にし、敗者となったみかげは声援を送るものなどいない農道を、ビクトリーランよろしくスローペースで駆けていく。
(こんなとき、自分が二人いれば片方を先に行かせといたのに……)
妙案だったが、もう一人の自分がいたとして、やはり考えることは同じだろうから、結局のところ遅刻という事実は変わらない。責任が半分になるどころか、むしろ恥が倍になるだけだ。
ふと前を見ると、一人の女性が歩いている。
自分と同じデザインの紺色のセーラー服に、これまた冴えない学校指定の紺色のスクールバッグ。
「同じ学校の生徒かな?」
外見から判断するまでもなく、そもそもこの村に高校は一つしかないのだから、間違えようもない。しかし登校時間は明らかに過ぎている、彼女も遅刻組だろうか。
後姿だけで表情をうかがうことはできないが、背の高いすらりとした体型に、きっちり結ったポニーテールの黒髪が印象的に映った。
(やっぱり、挨拶くらいしておくべきかな?)
このまま進めば、歩いている女性を追い越してしまう。知らんふりのまま素通りするのも、なんだか気が引けた。
(でも転校初日の通過儀礼、自己紹介もまだなのに「おはようございます」なんて馴れ馴れしくないかな? それ以前に、相手だってカンペキ遅刻なのに、ここで声をかけたらお互い気まずくならない?)
お互いの傷を舐め合って「おはよう」「ふふふ」などと微笑みを交わせる間柄では、もちろんない。そうこうしているうちに、前を行く女性との距離は詰まっていく。
(多少、気は咎めるけど……)
あえて気遣いのスルーを決め、速度を上げて女性を追い越そうとした。
その瞬間。
-ガッ
引き止められた。いや、引き戻されたといった方がいい、とにかく強い力だった。
みかげは驚いたように女性を見やる。
真面目を絵に描いたような、とても整った顔立ちをしていた。
美人という言葉がまったく重荷にならない容貌だった。
だからこそ、みかげに向けた険しい眼差しが余計に怖く感じられた。
「ひっ」
みかげは思わず、引きつった声を上げる。
女性は表情を崩すことなく、口許だけを静かに動かした。
「あなた、魔法は使えて?」
どうやら女性は、時間を止める魔法を使えるらしい。
フリーズしたみかげを気にする素振りもみせず、一方的に話しを進めていく。
「魔法は使えるのかと、聞いているの」
「ええと……」
「どうなの、使えるのか使えないのか。知りたいのはそれだけ」
「それは、ですね……」
(なにこれ罰ゲーム? イジメ? 転入生への歓迎ドッキリ? そもそも魔法ってなに!? なにかの比喩? それとも言葉通りの意味!?)
みかげの頭の中で?マークが踊り出す。
とりあえず平常心を胸ポケットに挿して、改めて女性を見ると制服のスカーフが緑色なことに気が付いた。つまり二年生、みかげにとっては先輩にあたる。
だとすれば。
(ここは常識的に「使えません」と答えるのがベストよね、うん。だってそれ以外に答えようがないし……でも、それだと先輩の立場が無くない? あまりそっけない態度を取るのも、これからの学校生活を考えたら避けておくべきだよね)
あれこれ考えを巡らしている間にも、女性は握った手に力を込め、険しい表情で答えを急いてくる。
タイムリミットは近い。みかげは一刻も早くこの状況から脱したい、逃げ出したかった。
「え、えぇ……」
決断の時はきた。
「使えますよ。ほんの、ちょっとなら」
彼女なりに、ライン際ギリギリに落としたつもりだった。
もちろん、イン。辛くもセーフ。
ラインを越えているハズなどない。
「そう、わかったわ」
女性は答えに満足したのか、ようやく力を緩めてくれた。
みかげは大事なものを取り返すように、力任せに腕を引いた。
いったい、何なのだろう。何の意図があって、そんなことを聞くのだろう。疑問と不信は尽きないが、今それを問いただす勇気はない。触らぬ魔女に祟りなし、みかげは早々に退散を決め込んだ。
「それじゃ、わたし急いでますので。お先に」
みかげはそそくさと会釈すると、踵を返す。
が、二三歩歩いたところで、つい振り返って訊いてしまった。
「あの、貴方も雛威高校の生徒さんですよね? 急がなくていいんですか?」
そこにはもう、先ほどまでの眼光鋭い女性の姿はなかった。
「大丈夫、だって私は──」
表情を変えることなく口許だけを動かす。
「飛べるから」
再び時間が止まる。
やはり彼女は、本物の魔女かもしれない。