心葉帖。【番外編】ある晴れた日の街角で
多くの人が行きかう街中で、うーんと伸びる大きな男性。
「ほら紺樹、見てみろよ! 懐かしいなぁ」
「あぁ、そうだな。つーか、あんまり見てると捕まるぞ。変態として」
「俺は年上専門だって!」
太陽の光を受け、きらきらと煌いている黄檗色の髪を軽く束ねた青年が、深縹色の空をうつした短めの髪をした青年の背中を、音を立てながら叩いた。
渋い顔をした青年――紺樹は、蘇芳とは目線を合わせず、盛大な溜息をついた。
「胸張って言うことかよ」
「まぁまぁ! 細かいことは気にするな」
そんな紺樹を見て、蘇芳はのんきな顔で「疲れたなら休憩しようぜ」と辺りの東屋を見渡す。
東屋では、今日も今日とて、街の人々が思い思いにお茶や演奏などを楽しんでいる。茶杯に花びらが浮かんだと和やかに微笑む女性や、音痴だと叱られている老人。父親に碁を習っているのか、眉間に皺を寄せながら碁盤とにらめっこしている少年など、今日もあたたかい空気が満ちていた。
もちろん、紺樹とて蘇芳の言葉が本気ではないと、わかっているが。思わず、紺樹の拳が蘇芳の後頭部に振り下ろされた。
「いってー!!」
「地面にしゃがむな、外套が汚れる」
普段は魔道の力によって地面から浮いている白い外套に、砂埃がついてしまっている。外套自体に魔道の力が織り込まれているのもあるが、継続して裾を浮かせるためには身に着けた者の魔道の力と集中力が必要となる。それが途切れてしまうほど、蘇芳を襲った痛みが強かったということなのだろう。
砂のついた外套を叩きながら、蘇芳は抗議の言葉を紺樹へとぶつけるが。当の紺樹はそ知らぬ顔で歩き始めてしまい、その言葉はただ虚しく響くだけだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
魔道府所属の紺樹と蘇芳。2人はクコ皇国の城下街の見回りをしていた。本来であれば入府したての新人がこなす仕事だったが、本日の当番である後輩が寝込んでしまったため、街へ出る用事があった2人が急遽代わりを果たすことになってしまった。
「しかし、長官もわざわざ俺たちを選ばなくても」
「そう言うなよ、紺樹。いい天気だし、気分転換にいいじゃないか!」
「お前が、魔道府に帰った後、たまっている書類を前にしてもそんな台詞吐けるんだったら、気分転換にもなるだろうけどな」
相変わらず冷静な瞳をしている紺樹に対して、蘇芳はちぇっと子どものように軽く舌を打った。それでも色を変えない紺樹に観念して、ようやく蘇芳も周囲に意識を向けた。
時間帯もあるのか。視界に入ってくるのは魔道学院の制服を身に着けた子どもたちが多い。紺樹と蘇芳も数年前までいた学びや。思い出に浸り、蘇芳は目を細めた。
心なしか、紺樹は足を速める。
「なんだよ、紺樹。そんなに早歩きしてたら見回りにならないだろ」
「うるさい。頭に無駄にたっている電波針でも揺らしておけ」
紺樹は、前を向いたまま、吐き捨てるように言葉を投げつけた。蘇芳は、怯えた様子で揺れている髪をヒト房握りしめる。
「でっ電波針って、お前……これは立派なあほ毛だ!」
「……お前、自分の言葉がいかに馬鹿丸出しかわかってるのかよ?」
「馬鹿と天才は紙一重なんだぞ」
自信満々に、ぴしっと前に突き出された蘇芳の腕をはねよける紺樹。その拍子に蘇芳が身体の体勢を崩すが、やはり、紺樹はお構いなしにと橋を渡ろうと足を動かす。
「じゃあ、蘇芳は紙を超えられない馬鹿な奴ってことだろ」
「あっ、まてって――」
蘇芳は怒っているわけではなかったが、崩れた体勢からもあって、思いのほか大きな声が飛び出た。
「あっ! 蘇芳様だ!」
その声に柔らかく重なったのは、愛らしい声。まだ幼さを残す少女の音だった。紺樹へと向けていた顔をくるりと回すと、魔道学院の制服を身に着けた少女が、肩からかけたかばんを揺らしながら、笑顔で駆け寄ってきているところだった。
淡藤色の長い髪が、走るたびふわふわと踊って綺麗だ。桜の樹から舞い落ちる花びらが彼女の前を通り過ぎると、また一段と栄えた。愛らしい丸い瞳に喜びの色をたたえ、裙子を揺らしながら嬉しそうに小さな手を振ってくる。
記憶にある声と少しばかり違ったせいか、蘇芳はすぐに知っている少女だと気がつくことができなかったが。
「蒼ちゃんじゃないか!」
「こんにちは、蘇芳様!」
しかし、少女が自分のひいきにしている茶葉屋『心葉堂』の娘、蒼月だとわかると、満面の笑みで両の手を広げた。
「久しぶりだなー、随分女の子らしくなっ――いでで!!」
「あっ、紺君も一緒だったんだね」
「あぁ。蒼は学院帰りか?」
「うん!」
蒼を抱きしめる一歩手前の距離で。伸ばされた蘇芳の長い腕が、折れるのではと思われる強さで握られた。掴んだ紺樹の手には白い手袋がはめられており、様子は見えないが。確実に血管が浮くほどの力が込められている悲鳴だ。さらにその負荷は、蒼の声を受け紺樹の口元に浮かんだ笑顔と一緒に、一段階重くなる。
「ちょっ、お前! ついでみたいに言われたからって、八つ当たりするなよ!」
「みっともないから大きな声をあげるな」
「ひどい! 紺君たら!」
「お前に呼ばれると世界の絶望を全て感じた気分になる。やめろ」
本気で気持ち悪いと思ったのか。紺樹は掴んだ時と同じ勢いで、蘇芳を離した。そんな2人のやりとりを見て、蒼は「ほんと、なかいいね」と本当におかしそうに笑う。だから、よしとしよう。どちらともなく、そう思った。
「けど珍しいな、蒼が1人で帰っているなんて」
紺樹は蒼の後方も覗いてみるが、いつも一緒にいる蒼の親友、真赭と浅葱の姿はない。落ち着いている彼女たちのことだから、蒼の後ろからゆっくりと歩いてきているものだとばかり思ったのだが。はてと、浮かんだ紺樹の疑問を察したのか、蒼が、かばんから一冊本を取り出してみせた。古く汚れているが、装丁はかなり上質なものだ。
「昨日ね、蔵をおそうじしてたら、この本が出てきたの。おじいが、まそほが喜びそうだからあげてもいいよってゆったんだけど。まそほってば、そんな貴重な本ただでもらうわけにはいかないって、心葉堂に走っていっちゃったの。ちゃんと手伝いしてからって」
「真赭らしいな。それで、蒼は置いてけぼりをくったんだな」
紺樹が頭を撫でてやると、蒼はふっくらとした頬を緩める。が、すぐ寂しげに眉を垂らした。
「うん。あさぎはおそうじ当番だよ。紺君たちは?」
「蒼ちゃん、俺たちはね、用事ついでに見回りだぞ」
紺樹を押しのけて、蘇芳がやたらと嬉しそうな顔をして説明しだした。すると、蒼はしまったと顔に書いて、大きく目を見開く。白く小さな両の手で口を覆った。
「ごめんなさい! そうだよね、おしごと中だよね!」
「あっ、いや、急ぎでもないしね」
「だって、私と話してて、さぼってると思われたら、たいへんだよ!」
慌てた様子でかばんのとめ金をしめ、その場を去ろうとする蒼。確かに先程から視線を感じるが、大人は子どもと触れ合う魔道府の人間を微笑ましく思っているものだ。先程よりは減ったが、学院帰りの子どもたちの視線の方が興味津々といったところで居心地が悪い。 それは自分たち、というよりはきっと蒼にとっての方が困りの種になるだろう。
けれど蒼の誤解は解いておきたいと、紺樹は柔らかい蒼の髪に手をのせた。ぽんぽんと優しく頭を撫でると、照れくさそうにしながらも「えへへ」とくすぐったそうに口元を緩めた蒼。が、すぐに「紺君!ちがうよ!」と両手をあげて抗議を始める。
「おい! 蒼月! 学院帰りにより道してるんじゃねぇよ!おまえんちは、あっちの橋わたるんだろーばーか!」
「げっ! うるさいなー! お店で買い食いしてるわけじゃないもーん!」
「せんせーにいってやるー!」
案の定。同級生らしき男子たちが、にやりと口元をゆがめて、蒼へからかいの言葉をかけてきた。蒼は紺樹へ向けて振っていた腕をおろし、同級生にあっかんべーと目の下をひっぱって見せた。それを真似するように少年が同じ仕草をすると、今度は口の両端をひっぱり、いーと威嚇するように歯を出す。
微笑ましい子どものけんかを、ほっこりとした気持ちで見つめていた蘇芳だったが、はっと背中を走る冷たい気配を感じて、すっと男子生徒へと近づいた。男子生徒は憧れの魔道府の人間が突然目の前にきたのに緊張したのか、直立不動になってしまう。気を付けの姿勢で指先を地面へとまっすぐに伸ばしたまま、固まった。相手はこの国の皇子でもある蘇芳だ。この年頃の少年が、緊張しない方わけがない。
「少年よ」
どこか切羽詰ったような表情の蘇芳に肩をつかまれ、少年の喉がごくりと唾を飲み込む。
「はっはい!」
「寄り道はしていないよ。どちらの橋を渡っても心葉堂には着くからね」
「へ? はっはい!そうですね! すみません!」
少しどころかだいぶ強引な蘇芳の説明に納得したのか動揺しているのか。少年は風をきる勢いで頭を下げ、「おい、いくぞお前ら!」と実にガキ大将らしい声をあげ、仲間を引き連れて去って行った。
蘇芳としては、後ろで殺気を放っている紺樹を止められたことに、ほっと胸を撫で下ろすのが精一杯で、今自分が口にした意味不明な説明をふり返り、反省する余裕などなかった。こういう時にだけ役立っているような皇族が持つ雰囲気に、今は感謝しようと蘇芳は大きく息を吐いた。
それとほぼ同時に、紺樹から放たれる感情でたっていた鳥肌もすっと引いていったことに、再度、安堵のため息が落ちるのだった。
「ありがとうございます、蘇芳様。あいつ、さいきんよく、つっかかってくるんです」
「いいってことよ。蒼ちゃんが可愛いからちょっかい出してるだけでしょ」
「えー!! ありえないよー! いっつも、いじわるばっかり言うんだもん」
「……本当にありえない話です」
「なっなんで敬語なんですか、紺樹君」
蒼は大きく頭を振り否定をしめす。ついでにと、べーと舌をだして苦いお茶でも飲んだときのように渋い顔をつくってみせた。そんな蒼は紺樹の様子を気に留めていないのかわかっていて流しているのかは不明だが。いつもの意地悪を思い出したのか、桜色の頬をめいっぱい膨らませた。
愛らしい目の前の少女と、隣でどす黒い空気を纏っている親友。2人の差に、蘇芳はひたすらに冷や汗を流し続けたとか。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「じゃあね、紺君、蘇芳様! おしごと、気をつけてがんばってね!」
「蒼ちゃんもまっすぐ帰るんだよー」
「じゃあ、蘇芳お前も気をつけて来いよ。後から」
「って! なんでだよ!」
整った顔をひょうきんに崩して、蘇芳は紺樹の肩に裏手を決めた。すっとそれを跳ね除け、紺樹は涼しい顔で蒼の手をとる。
「こっ紺君?!」
「嫌か?」
「そっそうじゃないけど。うーと」
恥ずかしそうに地面に視線を落してしまった蒼だが、紺樹の手を振りはらうことはなかった。ただ、小さな唇を尖らせ弾ませた。照れくさいのか、頬から耳までほんのりと赤らんでいる。つい最近までは満面の笑みで握り返していたのに。
紺樹はそんな蒼を満足げに見つめ、「よかった」と頬を緩ませた。とろけるように柔らかく細められた瞳が、今日一番の機嫌のよさを示していた。そんな彼を見上げて、蒼も嬉しかったのか、頭を傾け、笑みを返えした。
「そういうわけだ。蘇芳。俺は一足先に師傅の元へ行っておく。お前は一回りしてから来いよ」
「お前は蒼と一緒に心葉堂へ行きたいだけだろ」
「悪いか」
全く悪びれた様子もなく断言した紺樹に、蘇芳は一瞬詰まってしまう。蒼が潤んだ瞳で、紺樹を見上げてきた。
「紺君、おしごと……」
「ほら、お前がぐだぐだ言うから蒼が困っている」
「俺のせいか! ごめんな、蒼ちゃん! 蘇芳様は頑張ってくるんだぞ! 紺樹はちゃんと蒼ちゃん連れて帰るんだぞ!」
蒼の眉毛が不安げに落ちたのを目にして。蘇芳は紺樹をびしっと指でさし。そのまま雄たけびをあげながら、駆け出していった。果たして、あの速さでしっかり見回りが出来ているのかは、はなはだ疑問だったが。おのれから口にした事に関しては責任を持つ蘇芳のことだから、きっと面目が立つ程度の仕事はしてくるだろうと。そう考えながら、「単純だ」と呟き、紺樹は小さく笑った。
「さっ、行こうか蒼」
「うん」
蒼が思い切り頷く。向日葵のように、明るい笑顔だ。
紺樹は、蒼の小さな手をきゅっと握りしめた。子ども特有のぬくもりが、手袋越しに染みてくる。手袋を脱いでしまおうかとも考えてみるが、蒼がとても嬉しそうに鼻歌を流し始めたので。紺樹は微笑みを浮かべただけで、歩き出した。
「今日は学院で何をしたんだ?」
「えーと、今日はねっ!まそほとね――」
それは大きな事件が起きる4年ほど前の日常。