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引き篭り師弟【番外編】引き篭り師弟と、七夕の雨

短いSSです

ほんのりシリアス

「今日は七夕だね」


 暦表カレンダーをなぞる指が、ぴたりと止まりました。大量印刷とは違う、生々しいインクの匂い。不慣れなような、馴染んだみたいな不可思議な香り。

 どうしてでしょう。初めて嗅いだ時分よりも、現在いまのが苦しくなる。


「いい香り。雨のまじって」


 厚いはずの壁の外から聞こえてくる雨音に、苦笑が浮かびます。


「去年は、懐かしいだけ、だったのに。『織り姫』と『彦星』か」


 指の先にあるのは、この世界の暦表。二年近く見慣れてきた数字のはずなのに、心臓がきゅうっとしぼみました。

 なんでだろう。一年前には何も思わなかったのに。南の森で呟いてから、やけに罪悪感が沸いてくる。

 とんとんと、紙を叩く指に。ふにっと、心地よい肉球が重ねられました。優しい。どこまでも柔らかい感触。爪を押すぬくもりに、余計心がささくれる。

 じっと見上げてくる色に、ツキンと心の奥が鳴ります。


「あにみゅ? 七夕ぞ? おほしさまキラキラけど、あにみゅの瞳には、寂しい瞬きぞ。うっと、けどにゃ、七夕悲しいなくて、なんぞ飾るんじゃよな」

「ふぃーね、思い出すでち。うなな。前の前に、あにむちゃ、お星さま、ふぃーねとふぃーにすだけで眺めたとき、教えてくれましたの。おねがーい、おねがいっちぇ!」


 談話室の隣、いつも朝食をとる長机の上。クレヨンでお絵描きしていたフィーネとフィーニスが、ちょこんと首を傾げました。赤ちゃん座りの二人のお尻下にある紙には、お花と月が描かれています。よれよれっとした、でも、愛しい色。

 私自身。どろっとした感情を交えた色の返事に戸惑いつつも。なんとか微笑みを浮かべました。詰まった喉が、ひどく渇いている。


「寂しいないよ。お願いごとかいて、飾る日だからね」


 きっと。誤魔化しの笑みなんて、二人には見透かされています。

 その証拠に。手前の紙に長方形を書いて見せても、フィーネとフィーニスは私だけをじっと見上げてきます。お口を三角にして射抜かれて。熱い息を飲み込んだのは、喉だけじゃない。

 それでも。ささっと、白い紙にハートマークを描いて見せると。二人は、私の心をなぞる様に、桃色の線を両手で叩いてくれました。


「うな。じゃあ、ふぃーにすも書くのじゃ! おねーがい! ふぃーにす、あにみゅ大好きじゃからな!」

「うなな! ふぃーねも! あにむちゃしゅきでしから! ないちょで、かくにょ! お星しゃまに、お願いしゅるでち!」


 元気よく両手を挙げたフィーネとフィーニス。

 無邪気な甘い声に、無理矢理にでも口の端を上げます。二人の言葉はどこまでも私を甘やかしてくれる。

 雫を零さない様に瞬きを繰りかえす私に、フィーネとフィーニスは頭を振ってくれます。


「ん。長方形のね、紙に書くの。ちょっと待ってね」


 ぽっこりお腹を机につけて。楽しげにばたばたと両手足を動かしたフィーネとフィーニス。可愛い二人に視界が蕩けつつも。どうしてか、喉が詰まりました。

 気付かれないように。はしゃぐ二人の背を撫でます。あったかい。指先がくすぐったい。


「はい、どーぞ。ここにね、内緒なお願い、書いて?」


 ウィンクすると。フィーネとフィーニスは、短冊もどきを持って飛んでいきました。満面の笑みで。

 ぷりっけつを眺めつつ。溜め息が落ちました。

 談話室に移ると、窓の外には美しいグラデーションが流れていました。雨と水晶が織り成す光景に、見とれてしまいます。

 ぽすんと腰掛けたソファーは、虚しい音を響かせる。


「どーしてだろう。去年は、なにも、思わなかったのに」


 なのに。今は織り姫と彦星の行く末に泣きたくなる。

 師匠が、私とフィーニスたちを月近くに連れていってくれたことがありました。その際は、ただただ。綺麗な月と、フィーネとフィーニスの甘さに酔ってた。師匠の優しさが嬉しくて、背中を合わせた。


「『織り姫』と『彦星』は、悲しい話。私、一年に一回だけは、嫌だ」


 でも、今ならわかります。アニムさんの存在に胸を痛めている、今なら。

 一年に一度だけ愛する人に会える姫。地上では雨の日は会えないとも、人目につかず逢瀬しているからとも言われている。

 師匠が私の中……ふいにアニムさんを見る視線と重なったんです。彦星だって男性です。一回の逢瀬で満足してるの? 離れてもって道を選んだ織り姫を、想うだけいいの? 織り姫はどうして、がむしゃらに彦星の手を握らなかったの? 彦星の傍に、貴方を思う女性はいなかった?

 お伽噺だってわかってても、悲しい。人を想う気持ちと、身体は異なるから。

 いつだって貴方を見てるのに。想い人が、ふいに見える織り姫だけを求めてるのは。織り姫の立場でも、傍らにいる女性でも。


「なのに。私、南の森で、元の世界の言葉で、呟いた」


 あれは、私と師匠を暗示する言葉だから、零れ落ちたんでしょうか。

 それでも……一年に一回でも会えるのが羨ましい。私と師匠は違う。私が元の世界に戻ってしまえば、永遠に別れるんだ。

 織り姫さんは、それが怖いから。一年に一回でも会える可能性にかけたの? 

 それとも。織り姫には捨てられないほどに守りたいものがあったのでしょうか。彦星よりも。


「私、とっては……なんだろう」


 わかりません。ううん。わかってる。家族と元の世界。

 けれど、それは。師匠や――今の生活を捨ててまで戻りたい世界? 私に織り姫の判断は理解出来ない。うろ覚えだからかな。あーだめだ! 疑問ばかり浮かんできてしまう!


「ししょー。会いたい。ししょ」

「おう。遅くなったな。腹へったか?」


 窓の外の向こう。伸ばした手は、間髪入れず、あっさりと掴れました。心ごと、攫まれた。

 窓を挟んだ外で、夜風に短い髪を靡かせている師匠。欲しいと願ったところで、肌に触れてくれた師匠。

 こみ上げてきたものを堪え切れなくて。はぁっと飛び出していった息は、白い綿毛を作り出しました。

 まどろみの色の向こうにあっても、師匠は霞むことなく、落とした瞼のまま私だけを映してくれる。


「うっ――ばか。ししょーの、ばかぁ」


 飛びついた師匠は、ちゃんとあったかくて。彦星なんかじゃなかった。いつもと、変わらず私を受け止めてくれる。幻なんかじゃない。一日だけのぬくもりじゃない。ずっと傍にあってくれた熱。

 しがみつけば、ぎゅうっと抱きしめ返してくれる腕の力。窓越しなのがもどかしい。早く、全部で触れ合いたい。


「どっどうした、アニム!」

「しら、ない。ししょー、なんて。しらない。なんで。窓越し」

「いや。影の谷から戻ってきてさ。ついでに水晶の状態を確認しておこうかと思ったら、子猫たちのはしゃいだ魔力と――アニムの呼ぶ声が聞こえた気がしたから」


 よけいに、泣かさないで。私の理不尽な責めにも、真摯に答えてくれる師匠が、たまらなく好き。

 異世界なんて隔たりを感じさせないで掴んでくれる師匠は、彦星とは違う。私を手放したりしないって、感じさせてくれる。

 師匠の首に回した腕に、一層の力が込められます。魔力の呼応とか、呟き、どっちでもいいの。師匠が私の声を掴んでくれた。それが、ただ、嬉しいの。


「私、ししょー、大好き」


 だから、一年に一回なんて嫌だ。会えないよりはましなんて思いたくない。

 師匠に大好きだって告白した日から、想いの波はとまらない。


「おっ、おう」

「すき、すき、だいすき」


 ぼろぼろと気持ちを零して告げる私。体を離して向き合っている師匠は、背に満天の星空を背負っています。ほのかな灯りでもわかるくらい染まって、私の世界でいう、天の川を。

 わかってる。私の中にあるのは、人が作り出した物語。空にあるのも、単なる宇宙に広がる星の群れ。けれど――。


「天の川を、隠すは、雨だから。会いたい人を、拒むは、『雨』だから。恋人の逢瀬、いつも、隠すです。雨は……邪魔者なの」


 そう。七夕は大抵雨。単なる季節性の気候だって知っている。たとえ、雨だって、雲の向こうには関係ない。けれど、私たち地上の人には見えない――。

 はっと息を呑みました。こんな意味不明なことわめいたって、師匠には不可解なだけ。

 解いた腕にならうように。師匠の体温も離れていきました。


「って、うぇ?! ししょー?!」

「よいっと!」


 二・三歩、窓から離れた隙間に滑り込んできたのは、他ならぬ師匠でした。

 窓を飛び越えて、見事な着地を決めた師匠は、かっこいい。

 呆然と見つめて数秒。レモンシフォンの綺麗な髪から滴り落ちる雫に気がつきました。タオル! そう焦って踵を返した私の腕が、あっさりと掴まえられました。


「遥か空の上なんてしらねぇ。オレは雨も好きだし。手の届かないとこで輝いている星より、触れられる『雨』のが、比較にならないくらい愛しい」


 私に、直接好きなんてくれないのに。耳元で囁かれた言葉は、どこまでも艶っぽい。ぶるって全身が震えてしまう。私をって口にしてくれない。なのに、それ以上に体が熱くなる。息が、うまくできない。

 背中から染みてくる熱が苦しい。掌に落ちる雨の気にせず、師匠は肩に唇をくれる。


「んっ」

「……外のもだが、オレはオレにだけ降る雨も、恋しい」


 背中に滑ってくる柔らかさに、声が漏れる。

 ずるいの。師匠は私が零す気持ちが、どんなに意味不明なものでも大きな手に受け止めてくれる。言葉にしなくても、汲んでくれる。言葉にしても、笑ってくれる。そして、私ごと抱きしめちゃう。

 幸せな反面、思うのは。私は、いつになったら師匠に追いつけるんだろうって、くすぶり。

 苦さを伴って眼を合わせても。師匠は、ちょっと意地悪に口の端をあげてくれる。


「あのね。私……」


 涙に喉を詰まります。身体を捻って見上げた先の師匠は、少し眉を垂らしていました。困らせちゃったですよね。

 なのに。私のお腹にまわる腕には、倍以上の力が込められる。こそばいような、きゅっと変な部分が締まるような感覚。


「あのね。私はここにいるから。ししょーも、私を、抱きしめていて、くれる?」

「あほアニム。当たり前だ。こんなあったかい身体も――柔らかさも、手放せるか。全部、オレに溶け込んで来い」

「柔らかいは、よけいです!」


 師匠の遠まわしなのに、熱すぎる言葉に全身が燃えていく。変なの。好きだって口にしないくせに、それ以上肌に染みてくる言霊は平気で零すんです。だから私は、泣いちゃうんだ。

 こみ上げてくる熱を堪えて、笑顔で抗議しようと身体を反転させても。くいっと。噛み付かれた唇が邪魔をする。

 私を射抜く熱が怖くて、瞼を閉じます。余計に、流れ込んでくる熱さに苦しくなるだけでした。



*****



「あにみゅー! ふぃーにす、うーぬすに文字教えてもらって書いたのじゃ! これで、織り姫と彦星みたく、ばいばいないのぞ! ありゅじもじゃけど、ふぃーにすたちも、ずっと一緒におねんねなのぞ!」

「あい! ふぃーにすとふぃーね、いっちょ! ずっとずっと、あにむちゃとありゅじちゃまと、いっしょにぬくぬくなんでし! なでなでの魔法ちょーだいなのでち!」


 雨音に交じって。甘い音を鳴らしていた私たちに飛びついてきた、極上の砂糖菓子たち。まるっこくて甘くて、柔らかい存在。

 織り姫や彦星に、子どもがいたのかは覚えていません。異世界にいる今になっては知りようもない。

 でも、いいんです。関係ない。

 分厚い雲に阻まれて、恋人たちの逢瀬は見えないけれど。それでいいんです。私と師匠は、七夕との物語とは違う。

 ただ捨てるだけじゃない。私に教えてくれる悲恋の物語があるからこそ。私は、願う力こそが、人の道を創るって信じられる。

 抱きついた師匠の向こう。窓を打つ雨の中に、水晶が生み出すプリズムを見ました。



現在拍手にあげているSSから繋がってます。こっそり。

もちろん、拍手読んで無くても大丈夫です。

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