引き篭り師弟【拍手SS】夜の体温 ※師匠視点
心地よい夢が途切れ、目が覚めた。いや。夢というよりは、どこかふわついた感覚的な心地よさだろう。
深く呼吸をすると、白い息が視界に広がっていった。
寒い。
半身を起こし暖炉を見ると、すっかり色をなくしていた。冷え切った様子から、かなり前に火が消えてしまったのだろうと推測が出来る。
水晶の森は年のほとんどを雪や雨がしめている。下手をすれば、凍えてしまう気温も珍しくはない。自分で設定した気候とは言え、芯まで響く寒さには肺が痛む。
とは言え、完全に火が消えるまで目が覚めなかったのは、一体どういうわけか。
一瞬、本気で考え込んで。当たり前だと、頬が綻んだ。ベッドについている掌に重ねられた温度が、全てを語っている。
「湯たんぽみてぇだな、お前」
寝ぼけているのか。隣で眠るアニムは手の甲を撫でてくる。
苦笑を投げかけると。穏やかなリズムで肩を動かしている彼女が、へらと笑みを浮かべた。見ようによっては締りのない、間抜けな笑顔なのに。どうしてか、無性に熱いものがこみ上げてきた。
白い頬に指を触れようとした瞬間。アニムがくしゃみをし、宙で止まってしまった。オレの手は冷たいに違いないから。
アニムの肩にシーツをかけなおし、そっと手を抜いた。
「我ながら、単純だったか」
水晶の森にある程度適した気候とはいえ、ほとんどはアニムに縁のあるモノをと考えた結果の調整なのだ。
けれど、裏を返せば。アニムを想ったふりをした自己満足だらけの空間とも言えるだろう。少しでもアニムの体温を感じられるようにという、稚拙な思考がもたらした結果とも言える。
暖炉に薪を投げ入れ、掌を翳す。炎の魔法が、瞬時に暖炉を満たした。
「んー、ししょー? どこ?」
「悪い、起こしたか」
「ううん。だいじょーぶ。さむくて」
何の気なしに火の粉を見つめていると。いつも以上に舌ったらずな甘い声が背中を撫でてきた。寝ぼけ眼なのか、アニムが瞼をこすりながら起き上がっているところだった。
もう一本と。薪を投げ込み、ベッドへと踵を返す。
「今、暖炉の火を起こしたからな。じきにあたたまる」
「ちがくて、ね」
アニムは幼子のように大げさに頭を振った。深い闇色に近い髪が、ふわりと舞った。闇色に似ているが、全く正反対の印象を受ける色。恐怖ではなく、安らぎを持たす濃さだ。
冷やしてしまうのではと躊躇いながらも、吸い寄せられるように指を滑り込ませてしまった。
ぴくりと肩をすくめたアニムだが、一呼吸後には、「はふっ」と息を吐いた。
口づけの後と同じ、心臓をわしづかみにされるような息の吐き方だ。わずかに唇を尖らせる、アニムの癖もおまけにとついてきた。
「ししょーが、となり、いないから、めがさめちゃったの」
「オレ……が?」
「うん。ししょーのたいおん、ぬくぬく、いい夢」
いや、それはないだろう。明らかに、オレよりアニムの方が体温は高い。実際、髪を撫でているだけでも、彼女の温度が伝わってきて、熱く感じられるのだ。
頭を触られて気持ちが良かったのか。アニムはぽすんとベッドに倒れこんでしまった。同じベッドにいるというのに、全く男女の色を醸し出さない様子。思わず苦笑が浮かんだ。
決して嫌なわけではない。むしろ、艶めいた雰囲気になるだけではない関係が、胸を締め付けて仕方がない。
まぁ、オレが一方的に悶々とする夜が大半なのだが。それはこっそり胸に締まっておこう。アニムの気持ちがオレの想いに追いついていない中、無理強いをして嫌われるのだけは、避けたい。アニムに本気で拒絶されるのを想像するだけで、耐えられない。
「ししょー、ほっこり」
「いや。オレに染みこんでくるばっかりで、アニムは奪われる一方だろうが。離れろって」
そんなわけで。あまりの密着状態を避けたいのと、アニムに風邪を引かれてはという危惧からの言葉だったのだが。横向きでオレを見つめてくるアニムの瞳が、潤いを増してしまったから大変だ。
切なげな吐息が、喉元をくすぐって。ごくりと盛大に唾を飲み込んでしまった。
「わたしと、くっつくは、いや?」
「嫌じゃねぇし、オレはあったけぇし、甘いし。けど、アニムは体温奪われるばっかりで、いいことねぇだろう」
軽く額を叩いた手を、そのまま掴れて。関節に口づけが落とされた。
おいおい、待て待て。無意識にしては、っていうか、無意識だからこそ危なすぎる行動だろう! どんだけ無防備なんだよ! 信頼されてるのか、意識されてないのか。むせびないてもいいだろ、オレ。
突っ込むのも忘れて、固まってしまった。くそ。こんな仕草ひとつで動きを止めるなんざ、情けねぇ。だけれど。とろんとまどろんだ瞳と、愛らしい唇に、己の葛藤など、どうでもよくなってしまうから不思議だ。
いやな。さすがに、はむっと柔らかい感触が食いついてきたのには、全身が熱くなったわけだが。
「わたしのが、ししょーにきゅうしゅうされるは、うれしいし。わたしも、ししょーのぬくもり、もらって、しあわせ。はだも、こころもね、なきたくなるくらい、あつい……の……」
まったく、泣きたいのはこっちだ。
胸元にすり寄ってきた頬も。体にまわされた腕も。あまつさえ、無責任に絡んできている足も。全身に感じているアニムの柔らかさに、瞳の奥がどうしようもなく熱くなっていく。匂いも、吐息も、体温も。全てで存在を伝えてくるアニム。
恐る恐る、柔らかい肢体を抱きしめれば。それ以上の強さで、抱きしめ返され……。
「オレさ。やっと――百何十年かけて、実感できた気がする。あの時の言葉を」
それは、耳の奥で鳴り響く、色あせない声。
いつか、アニムにも軽く話せる日がくればいい。けれど、それは二百六十年以上生きてきた中で、最も不確定な『いつか』だという自覚もある。オレ自身が、そうしているのかも知れないが。
静かな寝息を立てている彼女は、いつまで、自分の腕の中で微笑んでくれるのだろうか。召喚術失敗の中身を知ったら、オレにどんな瞳を向けるのだろう。むしろ、オレを見てくれるのか。
「オレって、ひどい師匠だよな。それに、最悪な男だ」
「ししょーは、ひどいししょー。はっきりいわない。けど――」
起きていたのか、浅い眠りから再び覚めたのか。むすりと不機嫌な様子でアニムが睨んできた。正直、可愛いとしか思えない表情で、頬がだらしなく緩んでいく。
「へいへい。すみませんね」
侘びにと額に唇を寄せれば、背中を引っ掛かれてしまった。寝ぼけているとは承知しながらも、拒絶されたような気がして心臓が縮んだ。
けれど、それも束の間のことで。縮んだ以上に、鼓動が跳ねるはめになったのは、ふにっと柔らかい感触が唇に押し付けられたから。それは、絡むというよりも、本当に押し付けられただけの口づけで――。
「けど。わたしは、ししょーがだいすき。そーいうとこも、ぜーんぶ。わたしのゆいいつの、おとこのひとに、なってくれりゅと、しあわせ、なの」
にへら、と。甘いのか幼いのか不明な調子で微笑まれ。
「あほ、アニム」
「うん。わたしは、ししょーばか。ししょーも、ぐっすりがいいの」
「繋がってねぇつーの」
今度こそ。完全に瞼を閉じたアニム。強くて優しい瞳は、瞼の裏に隠れてしまった。耳元に唇を寄せると、「っん」と痺れるような甘声が脳を揺らしてきた。
置いてけぼりだけれど、置いていかれていない。
そんな謎の感覚とアニムの感触に浸りながら、シーツにもぐりこめば。薪が爆ぜる音とアニムの寝息が引き金となり、信じられないくらい瞬時に、意識を手放した。