引き篭り師弟【拍手SS】お嫁さん ※セン視点
地下にある書庫は、随分と肌寒い。魔法によって灯りが灯されているとはいえ、やはり、地上よりは薄暗い室内。長い時間、紙が擦れあう乾いた音と、ここにいる人間の静かな息遣いだけが空気を揺らしている。無音ではない。どこか落ち着く静けさだ。
そんな書庫に、本棚と書物が軽く触れた音が響いた。僕が手に取ったのは、重厚な装丁の本。厚みのある本には、年季の入った埃がこびり付いていた。
被っている、幾分か新しい埃を払うと、乾いた咳が出た。書庫中に広がる紙の匂いが、それをより大きくする。
書庫の持ち主であるウィータは、そんな僕を気遣ってくれる訳でもなく、迷惑そうに眉を顰めただけだった。しかも、だ。ウィータは、地下にある広い書庫の中、やや離れた場所にいる。咳が飛ぶはずもないのに、体の向きを変えた。
親友のそっけない態度は、僕の悪戯心に火をつけた。
「アニム、ちょっと手伝ってもらえるかい?」
ターゲットはウィータ本人ではない。ウィータの正面で、読書にふけっているアニムだ。
なんでウィータまで顔をあげるかなぁ。まぁ、予想の範囲ではあるけれど。
突然声をかけられて驚いたのか。アニムは顔をあげ、愛らしい目を瞬かせた。あどけない仕草が、幼く見える顔立ちをより一層強調している。アニムが手に持っているのが、童話というのも一因かもしれない。
もう一度、そして意識して柔らかい声を作り、アニムを呼ぶ。あっ、ウィータが目を細めた。やばい、もうすでに笑いを堪えられなくなりそうだよ。
「はい、センさん、どうしました?」
本を閉じて首を傾げたアニム。ゆるく編まれた長い髪が、肩に引っかかり揺れた。
言いづらそうに紡がれる敬語に、保護欲が掻き立てられてしまう。本来であれば、弟子であるアニムは、ウィータにも敬語を使うべきなのだろう。けれど、師であるウィータがそれを望んでいない。会話の流れで少し使われる分には流せるみたいだけど、基本的にはアニムには素で接して欲しいというウィータの我侭なのだ。
アニムは意外にも冷静というか突っ込み体質なのだけど、時折してみせる幼さが可愛いんだよね。僕としては、子どもや孫を愛でたりする感覚に似ている。けれど、あからさまに態度で示すと、ウィータがひどく不機嫌になるから「しまった」と思ってしまう。
ウィータは確かな言葉にしないけれど、大切な弟子にちょっかいを出されるのが、非常に気に食わないのだ。特に男が、だ。
「んだよ、セン。気持ちわりぃ視線、向けんな」
頬杖をついていたウィータは、吐き捨てるように悪態をついた。
いいよね、彼のあの表情。僕にあっちの趣味はないけれど(良く疑われはするのだけれど)、ウィータを困らせるのは大好きだ。昔との差が、面白いといったらありゃしない。
緩んでいく口元を、何とか本で隠す。
「センさん、また残念王子。ししょー、センさんに、遊ばれてる」
「うっせぇ。つーか、遊ばれてるってなんだよ、遊ばれてるって」
「知らない、幸せなこと、も、ある」
アニムが、やけに神妙な目つきで頷いた。
僕への突っ込みも気になるけれど、それよりも、眠そうな目をさらに薄くして睨んでいるウィータが愉快だ。睨まれているのは、ウィータと言葉を交わしたアニムではなく、何故だか僕なんだけどね。
ちなみにアニムへのお仕置きは、頭を掴んで左右に振るというモノだったよ。ウィータはどこか楽しそうだし、アニムも嫌がりつつも頬が緩んでいる。
彼らに初めて会った人間に、恋仲じゃないのだと伝えたら、間違いなく驚くだろうね。あぁ、見ているだけでも、甘い熱にあてられてしまいそうだ。
子猫を模した式神たちがいないと、あの師弟は甘ったるい空気をかもし出す。いても何割減になるだけなんだけど。
まぁ、程度は置いておくとしても、ともかく、無意識なのが性質が悪い。
小さくついた溜め息は、むなしく消えていった。
「アニム、この本と同じ背表紙のモノを、一緒に探して欲しいのだけど」
「了解、です。がってん!」
すくっと立ち上がり笑顔で敬礼して見せたアニム。
彼女を見上げたウィータは、呆れながらも優しい目をしている。あのウィータが! 愛しい人を見る目をしているなんて!
ぶほっと、勢いよく息が飛び出して、またウィータの怒りを買ってしまった。アニムが言うところの、悪人面だ。一方、アニムは不機嫌な師匠の様子を気に留めてはいないようだ。
「鳥の紋章、ついてる本。背表紙、金の刺繍、です?」
「ごほっ。そうそう、この棚にあるのは間違いないんだけれど。僕は上を探すから、アニムは中段からお願いしていいかな。一人で探せないこともないのだけど――」
「ふたりで探す、早く見つかるです」
僕が言葉尻を濁らせても、アニムは続きを勘良く察してくれた。おまけにと、拳を握りしめ笑みを浮かべた。素直で良い子だなぁ、本当に。
歳の割りにすれていないと思えるのは、彼女が生きてきた環境のせいだろうか。それとも、世界の構造の違いだろうか。アニムに直接聞いたなら、なんと答えるだろう。
駄目だ。意地の悪い質問をぶつけた日には、アニムが質問の意図を理解しきる前に、ウィータに森から叩き出されてしまうだろう。思わず、笑みが浮かんだ。
「脳に、焼き付けるです。働け、私、の、脳!」
背表紙の模様を目に擦り付ける勢いで、アニムが目を見開いた。
大魔法使いウィータの弟子であるアニムは、一切魔法が使えない。異世界――異なる理を持つ世界の肉体や魂を持つ人間なのだから、当然だ。アニム自身は、それをどう考えているのかはっきり口にはしない。努力家な彼女のことだから、多少なりとも気に病んでいるのは間違いないだろう。
けれど……魔法が使えなくても、一生懸命でまっすぐなアニムは、僕たちの仲間内でも好感度が高い。アニムと直接接したことのある人物はもちろんのこと、一見無責任かと思われる噂話でも、彼女を蔑む話はほとんどない。皆無とは言い切れないけど、それに関しては僕以外に潰す要員がいるから、たいした危惧ではないのだ。
どちらにしろ、ウィータは複雑みたいだけどね。
「アニム、この間あげた焼き菓子は口にあったかい?」
「はい!お芋、甘かったです。とても、美味しかった。食べ過ぎて、ししょーに、太った言われるくらい」
探し物をしている最中に話しかけては、集中力を乱してしまうと心配しながらも。ついつい会話を振れば、アニムは顔を輝かせて満面の笑みを向けてくれた。
可愛く頬を蒸気させてすぐ、ウィータを恨めしそうに見た。血色の良い唇を、つんと尖らせて。
くるくる表情が変わるアニムは、とても愛らしい。アニムを見ていると、長く生き過ぎて忘れてしまった感情が、ふいに蘇ってくる気がする。可愛いと思えるのは、そんなところが、自分の奥さんに似ているせいかもしれない。
不自然にならないようにウィータを見ると、こちらをちらちらと気にして横目に入れているのがわかった。
「それは、ぷっ、ひどいね」
「センさんまで、笑う、しょぼん」
「いや、ちょっとウィータが可笑しくて。アニムは全然太ってないよ。お詫びと言ってはなんだけど、今度は焼き果物の瓶詰めを持ってくるよ」
軽くウィンクしてみせると、アニムは目元を赤くした。初々しいなぁ。残念なことに、すぐにお菓子の話題に移ってしまったので、長くは見られなかった。それに、赤くなったのはときめいたからではなく、ただ単に慣れていないからだとわかる。
手を動かしながらも、お菓子談義に花が咲く。アニムは僕があげたレシピ(僕の奥さんのお手製)で挑戦してみたお菓子や料理のことを、楽しそうに話してくれた。ありがたいことに、ウィータの反応も含めて。
しばらく、まったりとした会話が続く。少し離れた場所で、一人だけ不機嫌に陰を背負っていた人がいたのには、横っ腹が痛んだ。 僕は、途中何度も吹き出してしまったくらい、とてもわかりやすいやきもちだ。けれど、アニムが気づいた様子はなかった。
同情にも似た苦笑を浮かべながら、横に体を動かし、背表紙を叩いていた指を止めた。
「アニム、ありがとう。あったよ」
「良かった、ですっ?!」
僕が本を抜くのとアニムが腰を伸ばすタイミングが重なってしまい、彼女に埃がかかってしまった。
アニムは驚きの声を上げて盛大にむせてしまった。額や目元にも、埃を被ってしまったようだ。白目が赤い線を引いていた。いつもは黒い瞳と白い部分との差が綺麗なだけに、痛々しい。
めったに見ないアニムの苦しそうな表情に慌てて、考えるより先に指が伸びていた。
「アニム、ごめんね! 目、洗わないと痛むだろう?」
「だいじょーぶ、です。平気、です」
「そのまま瞼を閉じててくれるかい? 顔についた埃を取るからさ」
僕の焦った声に、ぎゅっと目を閉じて何度も頷いてみせるアニム。アニムの背後で、ウィータが凄い形相で睨んでるのが見えた。鋭い目つきに加えて、頬が引きつっているよ。今にも魔法を発動させそうなんだけど。
ウィータが怒っている理由、それは埃をかぶらせたことじゃない。ウィータも、そこまで過保護ではない。
原因はただひとつ。僕がアニムに触れているからだ。それも唇近くや、目元を。ウィータの心の声を代弁すると「他の男の前で、無防備に目なんてつぶってんじゃねーよ」ってところかな? 既婚者である僕にさえ触れて欲しくないなんて、この先大丈夫なのかと、本気で心配してしまう嫉妬心だ。……僕としては、面白いから良いんだけど。
アニムの柔らかい頬を指の腹で撫でると、ウィータが椅子を鳴らして立ち上がった。
「おい、アニム!」
「ししょー、どうかした?」
ウィータは口をへの字に歪めて、アニムを手招きする。
アニムは躊躇なく、ウィータへと歩み寄っていった。途中、はっと気がついたように「センさん、ありがとです」とお辞儀をしてくれた。そんな律儀なアニムを、強い語気で呼んだウィータ。
僕はついにしゃがみこんで腹を抱えた。これが爆笑せずにいられるだろうか。いや、無理だろう。
ウィータは、僕の笑い声を気にするわけでもなく、アニムの肩や髪を澄ました様子ではたいている。アニムも平然としているあたり、なかなかだ。
しかしながら、当然、用事があってウィータに呼ばれたと思っているアニムは、不思議そうに首を傾げた。
「ししょー?」
「あー、何言おうとしてたか、忘れた」
「ししょー、ボケ始まった」
アニムに同情の色が浮かぶ。
いまいち、アニムのウィータに対する認識がわからない。ウィータを師匠として敬っているかと思えば、年寄り扱いしてみせるし、かと思いきや男として意識しているようでもあるんだよね。アニムがウィータを憎からず思っているのは、確かだけれど。
道のりは遠そうだと、ウィータに哀れみの視線を送ってしまうのは、仕方がないよね。
「うっせぇ」
「ふぎっ!」
口が裂けても、やきもち妬いて呼びつけたとは言えないウィータ。意地悪く、アニムの頬を引っ張った。アニムの頬は弾力があって掴み心地が良いから、気持ちがわからないでもないけれど。大人気ないよね。
ウィータは。鼻先が触れそうな近距離でアニムを睨んでいる。可哀想に。アニムは真っ赤になって抵抗しているよ。
あぁ、部屋の温度があがっていく。
「ウィータ、わかり易すぎなやきもちだね」
「ばっ! だれが!」
今度はウィータが染まった。彼が色恋沙汰で顔色を変えるなんて、未だに慣れないよ。ウィータの仮面を被った他人なのではと思うこともあるくらい。本当に……面白いったらありゃしない。映写機で撮って、写真集を作りたいくらいだよ。
二冊の本で肩を叩きながら近づくと、物凄く嫌そうな顔を向けられた。
「アニム、口ゆすいで来い」
「え? 埃、口入ってない。平気」
「センが取り出した本、相当古いからなぁ。変な病気にでもなるかもなぁ。一週間、菓子だけ食えなくなるとか」
ウィータは至極愉快そうに、親指の腹でアニムの顎を撫でた。案の定、子ども扱いとアニムは拗ねた様子で部屋を出て行ってしまった。怒りながらも素直に従うのがアニムらしい。
口元を押さえて忍び笑いをしていると、ウィータに鋭い調子で睨まれた。
「ったく。アニムの奴、叩き込んでやった警戒心は、どこに消えやがった」
僕がアニムを呼んだ時は、用件を伝えるまで動かなかった。でも、ウィータが呼んだ時には、なんの躊躇いも警戒心もなく近づいた。というか、自然と体が動いていた。ウィータは、その差に気がついているのだろうか。
ウィータが外堀を埋めるように教え込んだ結果の本能的な反応だと考えていたのだけれど、彼自身も意識していないのかもしれない。だとすれば、無意識レベルの、とんでもない独占欲だ。
「僕としては、信頼されてると嬉しくなるけれどね。大体、僕とウィータに対してじゃ、全然反応が違うだろう?」
大袈裟に肩を竦めてフォローしても、ウィータは腕を組んで仁王立ちのままだ。前半は余計だったのかもしれない。全く、長い人生の中で始めて抱いているかもしれない嫉妬心というのは、厄介だな。不老不死――というよりも、歳を重ねているだけに。
浮かんだのは、柔らかい苦笑だった。隣に並んだウィータの肩を軽く叩く。
「それに、僕が愛妻家なのは、知っているだろう? 安心してよ」
「そういや、ディーバは元気か?」
「うん。アニムの話をしたら、会いたがっていたよ」
懐から写真を取り出してひらつかせると、ようやくウィータは腕を解いた。写真を見せつけようとすると、うっとおしそうに身を引かれてしまった。
数日前に取り直した、新作だっていうのに。
「今度、連れてこいよ。アニムも、同性の知り合いが増えれば、喜ぶだろうし」
机に腰を下ろしたウィータは、微笑んだ。アニムが見たら、あたたかいと表現する、笑みだ。
昔から彼を知る者が見たら、間違いなく腰を抜かすだろう。青天の霹靂だとか、この世の終わりだとか言いかねない、爽やかな笑顔だ。
異性の知り合いは、増やすどころか親しくなるのも嫌なのではと思ったのは、内緒にしておこう。女の姿をしたラスターでさえ、元が男だって理由で会わせるのを渋っているんだからね。ラスターの場合、事情が事情なのだけれど。それに関しては、僕が口を出すことではないと考えているので、あえてどちらの肩も持たないけどね。
「お嫁さんの紹介しあいだね」
「アニムは嫁じゃねぇ! 弟子の紹介と、元弟子現在妻の紹介だろうが!」
冗談めかして口にした言葉に、ウィータは本気で反論してきた。
ただ、首まで赤く染めているので、拒否ではなく照れだとはわかる。色素が薄いとはいえ、ほとんど体温をあげることのなかったウィータ。いやはや、なんとも。
「ということは、君たちの先輩になるのかな。先輩として色々相談にのるよ?」
ウィータが自分の気持ちを言葉にするのが難しいとは承知しているけれど。幸せになって欲しいと願う気持ちは本物だから。
もしかして、口には出さなくても手だけ出している可能性もあるよね。ウィータってむっつりっぽいしさ。
にこりと音をつけて微笑むと、耳を真っ赤にしたウィータが肩を震わせた。もはや言葉も出ないようだ。相変わらず、言霊に弱い。
「外、天気、悪くなってきました」
胸ぐらを掴まれたのと同時、アニムが紅茶を持って戻ってきた。冷たい空気と古い紙の匂いが充満していた書庫にふわりと優しい甘さが漂った。
ありがたい。笑いすぎて喉が痛くなりそうだったからね。アニムがトレイを机に置いたのを確認して、ウィータに耳打ちしてやる。
「手っ取り早く、既成事実でも作っちゃいなよ。僕が言うのもなんだけど、1年間、相当耐えてきたんでしょう?」
「んなっ!!」
大魔法使いウィータらしくない、意味を成さない叫びに近い声が広い書庫に響いた。
案の定、アニムはびくっと大きく体を跳ねさせた。真っ赤を通り越して、茹で上がった師匠を、訝しげに見つめているよ。あれは、心の中で面白い突っ込みを入れているに違いない。後で、こっそり尋ねてみよう。
魚のように口をぱくつかせるウィータを目の前に。僕はついに笑いの関を破った。