翡翠の鼓動、暴走する捕食者
「無命者」との死闘から一夜。
学園の救世主となった俺は、しかし、それどころではない事態に陥っていた。
鏡に映る俺の右腕。
手首から先が、炭のように真っ黒に変色している。触れても感覚がなく、時折、空間そのものを腐食させるような黒い霧が漏れ出していた。
「……測定不能。今のあなたの身体は、存在してはならない『空白』を抱えているわ」
そう告げたのは、資料室で俺の腕を慎重に覗き込むエレインだった。
普段の彼女なら俺を汚らわしいと避けるはずだが、今の俺が放つ「魔力の歪み」は、高潔なエルフの義務感を刺激したらしい。
「いい、シュウ。動かないで。エルフの『内観魔導』で、あなたの体内の時間を調律するわ」
エレインが俺の前に膝をつき、震える指先で俺の黒ずんだ右手に触れた。
彼女の指は驚くほど白く、そして熱かった。
「……っ! なによ、この……熱量は……!」
接触した瞬間、エレインの翠の瞳が大きく見開かれた。
彼女の純粋な魔力が、俺の中にある「喰らった虚無」と衝突する。
エルフの清廉な寿命が、俺の中の底なしの闇に吸い込まれていく感覚。
「エレイン、やめろ! お前の寿命まで吸われるぞ!」
「うるさいわね、黙ってなさい! 私が……私が、あなたを元に戻してあげるんだから……っ!」
エレインの頬が、苦痛と高揚で赤く染まる。
彼女の頭上の【一九〇〇年】という数字が、激しく明滅し始めた。
魔力を注ぎ込むほど、彼女と俺の「境界線」が曖昧になっていく。
その時、俺の【魔物喰い】が、持ち主の意思を無視して暴走を始めた。
目の前にある、膨大で、純粋で、甘美な「エルフの寿命」。
それを欲しがる本能が、黒い霧となってエレインの身体に絡みつく。
「あ、あぁ……っ。なによ、これ……。力が……吸い出されるのに、どうして……こんなに……」
エレインの力が抜け、俺の胸元に倒れ込む。
翠の瞳が潤み、視線が定まらない。
嫌悪していたはずの「略奪者の魔力」に、彼女の魂そのものが共鳴を始めていた。
「……逃げろと言っただろ、エレイン」
俺は残った左手で彼女の肩を掴み、無理やり引き剥がそうとする。
だが、エレインは俺の服を強く握りしめ、顔を上げた。
その耳は、今まで見たことがないほど真っ赤に色づいている。
「……責任、取りなさいよ。私の時間を、こんなにめちゃくちゃにしたんだから……」
王女、狐、猫に加え、ついに高慢なエルフまでもが、シュウの「異常な毒」に侵食され始めた。
それは救済か、それとも破滅へのカウントダウンか。




