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日もだいぶ昇ってきて、お昼の時間になるとエマは「おなかすいた!」と父親の方に走っていった。
「もうお昼だね、そろそろ帰ろっか」
「えーやだ!まだあそぶ!」
「でもお腹空いたんでしょ?」
「そうだけど!まだあそびたい!」
そこでふと、アサは自分が先程買ったパンの存在を思い出した。
「あのう、私パンありますけど、食べますか?……あーでも、知らない人からもらったパンとか怖いか」
「え、いや、というか悪いですよ」
「えま、パン食べたーい」
エマは父親の手を掴んで揺らしながら、上目遣いに首を傾けアサの方を見る。
「私は全然、大丈夫ですよ」
「……じゃあ、すいません、頂いてもいいですか」
アサたちは、エマを挟み、三人で並んでベンチに座った。エマは夢中になってメロンパンを食べている。その欠片が地面に落ちないように、父親は必死に袋を広げている。
その様子を眺めていたら、父親が意を決したように口を開いた。
「……昨日もここでお昼食べてましたよね」
「はい、職場がすぐそこなので。天気がいい日は、公園とか河川敷でお弁当食べるのが好きなんです。あ、今日は休みなんですけど」
その答えに納得したのかしていないのか、父親は表情を変えず、エマがパンをこぼさないように注視している。
「ボールを買ってきたのは、エマと遊ぶためだったんですか?」
「んー、昨日はそこまで考えてなかったな……ただ頭から離れなかったんで、青いボールが。私も欲しくなっちゃって。でも今日ここに来て、エマちゃんと一緒に遊べてすごく楽しかったです」
「えまもたのしかった!」
パンくずをたくさん口に付けながら見上げてそう言われ、「ねー、楽しかったね」と返す。
「でも、エマと初対面でここまで打ち解けられるのはすごいですよ。僕でも、未だに遊んでくれない時があるのに」
「そうですか?……好き嫌いと一緒ですよ」
「え?」
「焼いてダメなら、煮ればいい。それでもダメなら、潰してジュースにすればいい。野菜はこうやって食べるもの、なんて決まりは無いんですから」
ぽかんとしている父親に「試したことあります?」と聞くと、彼は「いや、無いです」と首を振った。
「躓いちゃったら、新しい道を提案してみればいいんじゃないでしょうか。苦手なものを、一度でも『美味しい』って思うことができれば、ちょっとずつ何かが変わると思うんです。そしていつかそれが『好き』に変われば、その分だけ、人生は楽しくなります」
「…………」
「……と、私は思います。エマちゃんメロンパン美味しかった?」
「おいしかった」
「良かった。じゃあクロワッサンもあげちゃおう」
「いいの!? やったあ!」
「それじゃあ私はこれで」
カバンを持ってアサが立ち上がると、慌てたように父親も立ち上がった。
「あっ、あの、色々とありがとうございました。えっと……」
「あ、朝倉明咲です。朝の倉に、明るく咲くと書いてアサです」
「朝倉さん。吉田エマと、父の篤志です」
「吉田さん、今日は親子の時間じゃましちゃってごめんなさい。エマちゃん、またね」
「もうかえっちゃうの?またあそぼうね!」
「うん、また遊ぼう」
ぺこりとお辞儀をして、アサは公園を出た。
少し歩いて、ぐうとお腹が鳴って思わず立ち止まった。そういえば、朝と昼で塩パン一個しか口にしていない。そりゃお腹も空くわけだ。アサはまっすぐ進むつもりだった交差点を、クルッと左に曲がった。
少し進むと、レトロな雰囲気の喫茶店がある。たまに、ゆっくりと時間を過ごしたい時に訪れるここは、席数も客も少なく落ち着いて過ごせる。少し薄暗い店内には珈琲の香りが漂っており、ゆったりとしたジャズが心を穏やかにしてくれる。
カランコロンとベルの音を鳴らして入店し、いつも二人がけのテーブルに着く。店内には、本を読むご婦人や楽しそうに談笑する夫婦、趣味か何かの話で盛り上がっている大学生らしき女の子たち。
そうしたいつもの客の中で、窓際の二人がけのソファ席には、見たことのない少女が一人で座っていた。艶のある黒髪は胸の辺りまで伸び、制服の赤いリボンが白い肌によく映えていた。彼女は頬杖をつきながら、外を見つめていた。テーブルの上のアイスコーヒーは、もうすぐで無くなりそうだった。
アサはいつも通りオリジナルブレンドコーヒー、そして小腹を満たすためホットケーキも注文した。久しぶりに食べたそれは、甘いメープルシロップと溶けたバターがふわふわの生地に染みて、口に入れた瞬間ジュワッと広がる。噛む必要も無いくらい柔らかい生地は口の中であっという間になくなり、またすぐに次の一口が欲しくなる。オリジナルブレンドの深い苦味と程よい酸味との相性も抜群で、アサは至福のひとときを過ごした。そういえばお昼ご飯とおやつの間の時間に食べるご飯には何か名前があるのだろうか、なんてアサが考えている間も、窓際の彼女は残り少ないコーヒーに口を付けることなく、ただ窓の外を眺めているばかりだった。
いつも通り会計しながらマスターと少し話をし、アサは店を出た。のんびりと歩いて家に帰る途中、河川敷では犬の散歩をしている人がいたり、学校帰りの中学生や高校生が座って話をしていたりした。それを横目に見ながら、アサはふと、手元にピンクのボールが無いことを思い出した。そして楽しそうなエマの顔が頭に浮かんだ。
「ま、いっか」
アサは鼻歌を歌いながら、朝より軽くなった腕を大きく振って歩いた。今日の夜は何を食べようか。たくさんの野菜を煮込んでスープにでもしようか。そして余った人参でジュースでも作ろう。美味しくできたら、今度吉田さんに会った時に勧めてみよう。そんなことを考えながら、家までの道を、アサは歩いた。




