四話②
「オロロロロ……」
マグちゃんジェットコースターで体内をシェイクされた私は見事に酔って嘔吐していた。
「ごめんね、ごめんねご主人」
大丈夫だよマグちゃん、こんなのすぐに治るかオロロロロ……。
マグちゃんはスピードを落として、時折私の様子を窺っている。
「ムッ、どうやら私たちはここまでのようです」
嘔吐感を我慢していると、私の後ろに載っていたマタゾウが声をあげた。
「あっ、確かに何か甘い匂いがするね」
気持ち悪さで気づいて無かったけど、注意して嗅いでみると甘い匂いが周囲に立ち込めていた。
なんだろうこの匂い、嗅いだことあるような気もするけど。
私はマグちゃんの背から降りて周囲を見渡した。
どっかに山賊とか居たりしないよね、大丈夫だよね。
「気をつけてね、気をつけてねご主人」
マグちゃんが心配そうに声をかけた。
こんな私を心配してくれるなんて、前世じゃ考えられなかったな。
「大丈夫だよマグちゃん、君たちを残して死ぬようなことは無いから」
私は名残惜しむように、最後にマグちゃんを一吸いしてから問題の場所へと向かった。
近づけば近づく程甘い匂いが段々と強くなっていく。
森の中は驚く程静かで、知らない場所に迷い込んだようだった。
どうしよう、もう帰りたい。
いや、ダメだダメだ!
あの子達を安心させるためにもここで頑張らないと。
ここで帰っちゃったら前世みたいに悲惨な人生になっちゃうぞ!
そのまま少し歩いていくと、急に視界が開けた。
私が初めて森に来たときに、皆が宴を開いてくれた広場だ。
「な、何これ?」
私の目に飛び込んできたのは、唖然としてしまうような光景だった。
マタタビの森の猫ちゃん達が、広場にほぼ全員集まり、変な動きをしているのだ。
体を木に擦り付けている子や転げ回っている子、テンションアゲアゲで飛びはねまくってる子まで行動は様々だけど、明らかに普通じゃない。
想像してた状況とはまた違うけど、これは大変なことが起こってるね。
この鼻につく独特の匂いと猫ちゃん達のこの異常な行動、もしかしてこれって。
「マタタビでおかしくなってる?」
そうだこの反応、昔家で買ってた猫にマタタビボール与えた時と同じ反応だ。
あの時もいつもはクールに決めてるうちの子が、酔っぱらいみたいにふにゃふにゃになってて可愛かったんだよなぁ。
にしても、マタタビでふにゃふにゃの猫ちゃんたちかわいすぎでしょ!
こんな大事件ならいつでもウェルカムだよ。
「心殿!来てくださったのですなぁ~!」
ふにゃふにゃな声で呼ばれ振り返ると、
そこには千鳥足になっているキャスパリーグの姿があった。
「キャスパリーグ!?ふにゃふにゃじゃない!」
「いやいや面目にゃい~、不覚にもマタタビを吸い込んでしまいましてな~?こんな情けない姿になってしまったんですにゃ~……」
いつもしっかりものなキャスパリーグがふにゃふにゃなのカワイイィィー!
……って違う違う、萌えてる場合じゃなかった。
「どうしてこんなことになっちゃったの?」
「それがわからないんですにゃ~、マタタビは我らにとって催眠ガスのようなもの、なのでこの森のマタタビは全て処分したはずなんですにゃ~」
ふにゃふにゃとしながらも、キャスパリーグは理路整然と喋った。
そう言えば何かの本で読んだことある。
マタタビを大量摂取した猫は神経が麻痺して呼吸ができなくなって死んじゃう可能性もあったはず。
この強いマタタビの匂い、キャスパリーグみたいに体の大きな子はまだしも小さな子は耐えられないかもしれない!
「マタタビの匂いが強すぎて匂いの元をたどれないのにゃ、ココロ殿、悪いが探してくれないかにゃ?」
「わ、分かった探してみるよ」
そう言って私は周辺を探し始めた。マタタビの匂いが強くて酔うことはないが、キツイ香水を嗅いだ時みたいに頭がいたくなり始める。
これは早くしないと私までダウンしちゃう。そうなったら皆が……!
強烈な不快感と頭痛を必死に堪えながら散策していると、
パチッ!
と何かが弾けるような音が聞こえた。
今の音は何?不思議に思い音のする方に向かうと、そこには火がつけられた皮袋があった。
中にはマタタビがこんもりと入っていて、火をあげながら独特の匂いを噴出している。
これが匂いのもとか!これが皆をふにゃふにゃにさせた原因。
私はこのマタタビの袋を池に落として匂いの元を断ち切ろうとした。しかし、すぐに違和感を感じて動きを止めた。
皮の袋にこんもり入れたマタタビに火がつけられている。こんなの、人がやったとしか考えられないよね。てことは本当に……。
「ココロ殿!後ろにゃ!」
絞り出すようなキャスパリーグの警告が響いて、私は振り返った。
するとそこには、熊みたいな大男が剣を振りかざして今にも私を切り殺そうとしていた。
そのまま男は剣を横薙ぎに振った。
ブォン!
風切り音を立てて剣が私の頭上を通りすぎた。躱した訳ではなく、驚いて尻餅をついたことで結果的に剣が狙いを外したのだ。
私は茂みから出て皆のいる広場まで逃げた。
何、何あの男!もしかしてこいつがマタタビを使って皆を?
「何でこの森に、俺ら以外の人間がいるんだぁ?」
私を襲った大男の後ろから、四人の男達が姿を現した。一目で悪い奴らと分かるくらいに怪しい格好をした男達だった。
一様にターバンのようなものを顔に巻き、漫画でしか見たことない大きなサーベルを片手に構えている。
私を襲った男は他の奴よりも頭一つ大きく、持っているサーベルには豪華な装飾がついている。口振りからしてもリーダー格だろう。
「あんたたちは何者なの?何でこんなことするの!」
私が絶叫すると、リーダー格の男はフッと鼻で笑った。それに呼応して仲間の男達もクスクスと笑い出す。
「んなもんこいつら拐って売り飛ばすために決まってんだろ、この畜生どもは見た目が良いからな、ペットとして人気が高いんだよ」
ペットするためだけにこんなことを?許せない……!
「じゃあ早速さらっちまうとするかな、おうお前ら!やっちまえ」
「「おう!」」
リーダーの一声で、脇に控えていた男達が一斉に動き出した。まずい、止めないと!
私は咄嗟に男達と皆の間に割って入り、両手を広げて立ちはだかった。
「猫ちゃん達を傷つけるな!」
「なんだお前、邪魔する気かよ?」
そう言うとリーダーの男は剣を持った手を振り上げた。振り上げられるのと同時に、私の脳裏に辛い思い出がよみがえる。
両親から、同級生から、施設の奴らから受けてきた暴力の記憶だ。
体に刻まれた記憶は私の体を硬直させ、汗を噴き出させた。
リーダーの男はそんな私の様子を見て高笑いをした。
「ギャハハハ!剣を振り上げられただけでビクついてやがる、とんだ正義のヒーローだなぁ!」
私をバカにしながらリーダーの男が高笑いし、部下の男達がそれに続いて笑った。
くそ!こんな奴らに猫ちゃん達を傷つけられたくない!動け私の体、動いて!
心ではそう思っていても、私の体はピクリとも動き出してくれない。
悔しい、悔しいよ……。クソみたいな両親とイジメだらけの施設から独り立ちして、クソみたいな環境から逃げ出してきたのに、私はいつまでもあの記憶に縛れなきゃいけないの?
記憶を振り払おうとしても、剣を振り上げる目の前の男と拳を振り上げる父の姿が重なってしまう。
「じゃあ終わらせるか、安心しろよ、お前は慰み物として利用価値があるから殺しはしねぇよ」
そう言って男は剣を振り下ろした。
避けなきゃ!だが依然として私の体は動かない。
前世で何も良いところなく死んで、やっと猫ちゃん達と幸せになれると思ったのにこんなところで終わりなの?
走馬灯のなかゆっくりと近付く剣に死を覚悟した、その時。
ビュン!
私と男の間に黒い影が割って入り、私の代わりに剣を受けたのだ。
黒い影に剣が食い込み、鮮血を噴き出しながら吹き飛ばされるのを、私は呆然として眺めていた。
地に落ちた黒い影の正体は、森の奥で待っていたはずのマタゾウだった。