一話 猫好きの死
闇夜のオフィスで、猫宮 心はパソコンとにらめっこしていた。
クソ部長やクソ同僚が押し付けてきた仕事に追われて、完全に日が沈んだ今もオフィスに残っていた。
終電はとうに逃した。
部長のクソは
「君みたいな無能が成長するためなんだよ、分かってくれるね?」
とか言って仕事を押し付けるし、
同僚に至っては「ごめーん今日合コ……用事があるから私の分もお願い!」
とか抜かして書類を置いて逃げていきやがった。
こんだけ仕事をやっても私に特なんて一つもないのに。
残業代?出ねぇよそんなの。
ようやく仕事が片付き、時計を確認すると午前三時だった。
パソコンをバッグに入れ、オフィスを後にした。
明日は休日だから、一応家には帰れるのだ。
いや日付はとっくに跨いでるから今日か。
気分も天気すらも晴れない状況のなか、私はトボトボと歩き出した。
すると、追い討ちのように首筋にヒヤリとしたものが落ちるのを感じた。
雨だ。
雨はすぐに勢いを増し、私を強く打ち付け始めた。だが私にはもう、焦って走り出す程の余裕すらなかった。
大雨のなかをずぶ濡れになりながら歩いていく。
なんで私がこんな目に合うんだろうか。
ダバコにギャンブル、虐待の三セットが揃った両親のもとに生まれ、六歳で施設に保護された。
しかし、その保護施設と学校の両方でいじめを受け、ボロボロになりながらも高校まで卒業。
高卒でなんとか第一志望の会社に内定が決まるも、就職直前で一方的に内定を取り消されてしまった。
もう一度就活を始めるも上手く行かず、唯一内定をとれたのが今の会社だ。
現状は見ての通り。
社会人になった直後には彼氏もできたが、浮気をされて別れた。
本命はもう一人の方で、私が浮気相手だったんだそうだ。
人も神も信じられなくない、不幸な人生に見えるだろう。いや事実そうなのだが、私には唯一幸せを感じられるものが残っているのだ。
神が作った最高傑作の生き物、猫である。
私は猫好きだ。
猫をモフることが生き甲斐であり、もはや猫に貢ぐために生きていると言ってもいい程である。
猫カフェに通いつめ、店員にドン引きされる程猫を撫でて吸って愛でまくっている。
今日みたいなたまにある休日にはモフりに猫カフェに行っていた。
今日は何がなんでもモフりに行くぞ。
撫でまくって吸いまくって、猫に引っ掛かれて傷だらけになって歴戦の戦士みたいになってやる。
あー早くモフモフしたいなぁ!長毛も短毛もモフモフしまくりたい!モフモフモフモフ!
交差点で不審者ばりの笑顔を浮かべて信号を待っていると、光景が飛び込んできた。
猫が交差点に侵入して今にも車に引かれそうになっていたのだだ!
車の主は気付いていないのか、ブレーキもクラクションも鳴らしていない。
まずい!猫様が轢かれてしまう!
私の体は素早く動き出した。
アラサーとは思えない程のスプリントで交差点に侵入する。
スローモーションになった視界の中で、猫と私の位置関係を把握し、私は理解した。
抱えて逃げる時間がない。
私は猫を掴んで前方に投げた。一瞬猫の毛に触れて気分が和んだ。
ドンッ!
私は車とまともに衝突し吹き飛んだ。
浮遊感を感じながら、私の瞳は必死に猫を視界に捉える。
猫が何事もなかったかのようにトコトコと路地裏の方へ入っていくのが見えた。
良かった、私のどうしようもない命で、猫様を救えたんだ。私の一生に、一片の悔い無し!
猫の無事を見届けた私の意識は、すぐに暗闇の彼方へ消えていった。