第七話 実験の続き、のち解放
施設内時間5日目
目の前に広がる研究施設の空間は、目を覚ました時点で既に異様な熱気に包まれていた。
「あれっ? 何か熱いな」
「おはよう、カイン。今日の実験は“魂の温度差”を測るから、室温を一定にしておきたくて」
「いやいやいや、勝手に始めるなよ!」
昨晩、夢でラーファから警告を受けたばかりだった。
───彼女はまだ、“覚めきっていない”。
しかし、“覚めた”時は、敵になる可能性がある。
だからこそ、この目でしかと観察する必要がある。
「姉ちゃん。観測って何の為にやってるの?」
不意に浮かんだ疑問をそのままぶつける。
いきなりオレの雰囲気が変化したからか、一瞬驚き、すぐに口元を緩める。
「“測る”ことが分かる事に繋がるって、信じてる。私は、無知であることが怖いの」
それは、オレが《アストレイア》の名を得たときに、“理解不可能”こそが最大の恐怖だと知った。
………だからこそ。
(サブ、ミレーユの解析を。)
【了解です。ミレーユ=セラリネ=フォルシオンの解析を開始します。結界展開。】
【観測基準、帝国一般。結果、帝国基準逸脱、精神位相異常】
ミレーユは“魂用サーモグラフィー”の調整をしながら、全く知らない“文字”らしき記号を、ノートに走らせる。
その動きは、地球で高校生だったカインに説明出来るようなレベルではない。
(まさに、研究者の狂気そのものだな。)
【対象ミレーユの状態は、通常状態ではありません】
(要は、覚醒しかけているってことか。)
───ラーファが言っていた、“覚めきっていない”という言葉。
それが、現実になりつつある。
「準備完了! 魂の温度を、位相干渉無しで測るわよ!」
本日も、実験が始まる。
オレにはよく分からない単語───魂共鳴、精神波干渉、異界干渉粒子挿入───のオンパレードが続き、三歳児の身体は限界だった。
ようやく終わった頃、オレは床に座り込み、ぜえぜえと肩で息をしていた。
「今日は……ここまでね。ありがとう、カイン」
「も、もうちょっと、普通の姉弟っぽくできないのかよ……」
「え? 姉弟って、魂波を測ったりしないの?」
「しねぇよ!!」
【補足:常識的にも、観測的にも、その行為は“姉弟的逸脱行為”に該当します】
(お前まで分析すな!)
ミレーユは笑いながら器具を片付けていく。
そのなかで、ふと提案してきた。
「ねぇ、カイン。明日は、外に出てみない?」
「外って……この施設からか?」
「うん。貴方の《魂位相》が安定してきたから、次の段階へ進もうと思って」
次の段階──
それが、さらなる深みに続くことを、オレはまだ知らなかった。
(……サブ、警戒レベル引き上げろ)
【了解。対象ミレーユの観測警戒ランク、AからSに昇格】
──こうして、カインとミレーユの“観測協力関係”は、次なる局面へと歩みを進めていく。
だがその足元には、まだ誰も知らない《神格交差》の深淵が広がっていた。
──────
その日の夕暮れ、観測台の固定具が解かれ、ようやく自由の身になったオレは、大きく息をついた。
「……疲れた」
「ふふ、今日は頑張ったわね。じゃあ、帰りましょっか」
「え、ミレーユ姉ちゃんも一緒に?」
「当然でしょ? “姉弟の仲を深めてくる”って言って家出てきたんだから、ちゃんと一緒に帰らなきゃ」
そう言って、彼女は手を差し出してくる。
(なんか、今日のミレーユ……ちょっとだけ、普通の姉っぽい)
オレはおそるおそるその手を取った。ミレーユはにっこり笑うと、ゆっくりと地下施設の階段を上がっていく。
裏山の木々の間から、ちょうど夕日が差し込んできた。
「カイン。楽しかった?」
「……まあ、命の危険を除けば?」
「ふふ、それなら良かった」
ふたりで並んで歩く帰り道。
草の匂いと、虫の声。
普段とは違う時間が、流れていた。
そして、家の門が見えたとき、ふとミレーユが立ち止まった。
「……カイン」
「ん?」
「貴方のこと、もっと知りたいの。魂名だけじゃなくて──」
彼女はふと真面目な目をして、言葉を続ける。
「“カイン”そのものを、ね」
オレは少しだけ照れくさくなって、わざとそっぽを向いた。
「……じゃあ、まず普通の姉弟からやり直そうな。実験無しで」
「うーん……それは難しいかも?」
「やっぱりか!!」
【補足:実験を強制しない意思表明が確認されましたが、成功率は37.2%です】
(余計なこと言うな!)
そんなやりとりをしながら、ふたりは門をくぐる。
──ただいま、日常。
でも、もう日常は“あの地下”の前とは、少しだけ違っていた。
オレとミレーユの、観測と謎に満ちた日々は、こうして夜へと続いていく──。




