第四話 異世界の家族とその姉。
ヴォーヴナルグ帝国にも、かつては貴族が君臨していた時代があった。だがしかし、彼らは己が責務を果たすことなく、己の権威と利益だけをむさぼり続けた。
その傲慢と腐敗は、真に才ある者たち───
────平民の英知や技術を押し潰し、帝国を内側から蝕んでいった。
やがて、隣国王国の侵攻を招き、帝国は滅亡寸前まで追いつめられる。民は絶望し、軍は混乱し、国家は崩壊の縁に立たされた。
その瀬戸際で立ち上がったのが、第二代皇帝ヴォーヴナルグ二世。
彼は全ての貴族特権を剥奪し、血統ではなく、「力と才覚によって自らの地位を確立せよ」といった、“実力主義国家”への変革を断行したのだった。
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オレが転生した帝国はそうした歴史の末に、実力主義国家になったので、男尊女卑などは一切存在しない。
故に、女性でも能力さえ認められれば、自由に働ける国なのだ。
そんな帝国に籍を置くフォルシオン家には、オレ以外に兄が二人、姉が一人いる。
言っておくが、全員かなり優秀で、フォルシオン商会の将来を担う逸材ばかりだ。
勿論、魔力量&魔法回路測定は全員適正あり。
そんな家に転生したオレは、その末席。末っ子。おまけに適正なし。サブに「どうしても出来ないのか?」と聞いても、【回路が無ければ、私でも発動は不可能です。】ときっぱり言われる始末。
が、その代わり「神の名」という超重量級の肩書を手に入れている。
───さて、兄姉とどう接していくべきか。
下手に接すると、「名ばかりの神の名」として、家庭内ヒエラルキー最下層で生きる羽目に合う。
これは慎重に動かねば………
【それなら、シュミレーションしますか?】
(あぁ、頼む。分析は大事だからな。)
【了解。以下、現地点での家族構成とその分析を展開します!】
数秒もしないうちに、目の前に水色半透明のフィルム視界に浮かび上がる。
そこには──────
フォルシオン家概要
・母:エリィ=フェリシア=フォルシオン(33)
現商会主。鋭い観察眼と堅実な商才を持つ実力者。
かつては“蒼之狐”と呼ばれた、冷徹な判断力で数々の交渉を成功させた人物。
・父:ヴァルド=ジード=フォルシオン(37)
弱小商家を追い出され、路頭に迷っていた時、エリィに一目惚れして、猛烈アプローチをして結婚。
今は彼女の右腕となっている。
・長男:フェリス=セラアミラ=フォルシオン(17)
帝国学園上級コースに通園。冷静沈着な完璧主義者。
カイン様に“アストレイア”の名が付いたことを内心疑っている。
・次男:ルード=フォルシオン(15)
魂名を貰えなかった人。家の影として働く。
長男同様、カイン様に疑問を持っています。
・長女:ミレーユ=セラリネ=フォルシオン(10)
商家の娘なのに、商いに一切合切の興味が無い。
また、魔導技術マニア。神話や異界知識にも詳しく、たまに目が据わっている。
時折、その瞳に理性の光が見えなくなるので要注意。
【──以上が、フォルシオン家の現在構成および人物相関分析となります】
サブの分析は相変わらず的確だ。むしろ、精度が高すぎて少し怖いくらいだ。
浮かび上がった家族構成図の横には、それぞれの発言傾向、行動パターン、交渉耐性、精神的耐久力など、細かすぎる項目が並んでいる。
(……これ、絶対ミスれねぇやつじゃん)
少なくとも、“いきなり兄姉に舐められて、部屋の掃除係にされました”みたいな未来は避けたい。
ここでの初動が、今後のオレの家庭内ポジションを決定づけるのだ。
(まずは長男フェリスは除外だな。あの人、明らかに「俺以外信用してない」タイプだ。)
次男のルードも、目立たず気配を消すような動きが目立つ。こちらも接触は慎重にすべきだ。
となれば──
「……ミレーユ姉ちゃん、だな。」
彼女はまだ十歳。だが、“目が据わる”レベルの技術マニアであり、神話や異界知識への嗜好も強い。
なにより、“商売に興味がない”という属性は、商家の人間としては異色でありながら、オレにとってはチャンスでもある。
(この世界で魔法が使えないオレが活きるには、魔導技術とか、理論の方面に進むしかない)
ならば、まずは彼女の信頼を得るべきだ──そう結論づけた、ちょうどその時だった。
「…………カイン?」
その声に、心臓が跳ねた。
背後に気配なく近づいてきたその主は、まさにその“姉”だった。
ゆるく束ねた銀髪、幼さの残る顔立ちに、不釣り合いなほど鋭い視線。
手には、異界の記号がびっしり書き込まれたノートを抱えている。
「……なに見てたの? それ。」
姉は、もうオレが喋れるのを分かっていたかのように話しかける。
「え、いや、あの、これは……」
下手な嘘は通じないと判断し、あくまで曖昧にごまかす。
ミレーユはオレの正面に回り込むと、水色フィルムに映し出された“家族構成”の項目をまじまじと見つめた。
「ふうん。私、やっぱり“狂気枠”扱いされてるんだ。」
「い、いやいや、そんなつもりは──!」
「別にいいけど? 事実だし。」
淡々とそう言って、彼女はノートをパタンと閉じる。
そして、まっすぐにオレの目を見つめて、こう言った。
「カイン。あなた、“神の名”を持ってるんだよね」
「……そうだけど?」
「その名前、ラーファの系統? それとも、アクロス系統?」
これに関しては、言ってはダメな気がしたので、分からないフリをしておく。
「……………??」
すると、何故かミレーユの目がぱあっと輝く。
「よし、決めた! 今日からあなたは私の“実験体第7号”に任命します!」
「はぁぁっ!?」
「安心して、痛いことはしないから。でも、動かない死体じゃつまらないから、ちゃんと食事と睡眠は保証する。あと、魂の波動も観測させて?」
───待て、話が飛躍しすぎて、追いつけない。
「ちょ、ちょっと待って! オレはそんな実験に──!」
「だって興味あるんだもん。“神の名”を持ってるのに魔法適性ゼロって、最高にイレギュラーだよ?」
「なのに“魔法に似た何か”も使えるみたいだし。」
ぐいぐい詰め寄ってくる彼女から後ずさりしながら、オレはサブに思念を飛ばす。
(サブ!緊急アラートだ!)
【認識しました。姉ミレーユを“最も接触注意すべき対象”に再分類します】
(遅ぇよ!!)
その時、ミレーユの手が、オレの肩に触れる。
冷たくはないが、妙に質量を感じた。意思の圧力だ。
「ねぇ、カイン。あなた、自分の魂の“位相”を測ったことある?」
ちょっと────かなり何を言っているのか分からない。
「“位相”って何?」
「位相──つまり、魂は、ただの“存在情報の核”じゃない。時間軸、精神波形、空間座標──それら全部が、ひとつの周波数帯域に属してる。
あなたのそれ、完全にこの世界の基準からズレてる。だから気になるの。理論上、“侵入者”か、“召喚者”しかありえない構造だもの。」
「……」
その言葉に、思わず背筋が粟立つ。
ミレーユは何も知らないはずだ。あの“転生”のことも、ラーファとの邂逅も、俺が“この世界の住人ではない”ことも。
──それなのに、ここまで核心に近づいている。
(サブ、彼女の観測精度、今どの程度だ?)
【回答:対象ミレーユの観測演算能力、帝国標準比942%。解析モードでは、魂位相偏差の数値モデル化が可能と推定されます】
(数値モデル化って、俺の“正体”をバラされるレベルだろうが……!)
逃げなければ、と頭のどこかが警鐘を鳴らす。
けれど同時に、もうひとつの思考がささやく。
──この姉は、オレの唯一の理解者になる可能性を持っている。
普通の人間では、決して交差することのない“神の干渉”と“転生”という存在の異常性を、彼女は“知識”というスケールで測定しようとしている。
ミレーユは静かに、指を前に突き出した。
「安心して。私はあなたを縛るつもりはない。
ただ……この世界で“理解不能”な存在が現れたなら、それを測るのは、観測者の義務。」
「……オレは観測される側ってことかよ。」
「違うよ。あなたは、“観測者”の名を持つ存在でしょ。なら、自分を含めて測れるはず。私がそれを補助するだけ。」
──観測者、アストレイア。
女神ラーファが与えた名。その意味が、ようやく輪郭を持ちはじめる。
オレは“観測するために”ここにいる。そして、観測されることで、初めて“自分”がこの世界に存在すると証明される。
「……条件がある。」
「なぁに?」
「勝手に魔導具を埋め込むな。あと、寝てる間に魂を解析しようとするな。あと……」
「了解。じゃあまず、“実験体第7号”じゃなくて、“研究協力者第0号”って呼ぶことにする。
あなたが最初の、そして唯一の、“神名持ちの無魔力観測者”だから。」
ミレーユの目が笑った。少しだけ、子供らしく。
──この姉は危険だ。間違いなく。
でも、避けるにはあまりに鋭く、近すぎて、
……そしてなにより、俺の“存在そのもの”に興味を持った最初の他者だった。
サブが静かに告げる。
【解析環境への初回侵入を提案します。
対象からの接触は好意的。協力関係の構築が中長期的な安定をもたらすと推定されます。】
(──ああ、分かってる。覚悟は決めた)
オレは深く息を吸って、彼女に向き直った。
「……協力してやるよ、ミレーユ姉ちゃん。あんたが理不尽なことさえしないならな。」
「理不尽じゃない。これは世界を測る実験。そのための第一歩よ。」
そうして、オレは彼女の手を取った。
《実験》の名のもとに。
《観測》の意味を探すために。
───それが後に“神格交差実験”と呼ばれる、始まりの日だった。
次回へ続く