第一章6 『精霊術の鍛錬』
──リビアス王家に使用人として就職してから、早一週間。
日々は目まぐるしく過ぎ去っていき、ルカはすっかりと王宮の雰囲気にも馴染んでいた。
メイナと共に業務に当たり、仕事を覚え、少しずつではあるがルカも自立しつつある。
その合間にグリードと顔を合わせる機会も時折あり、彼にもたまに面倒を見てもらっていた。
「ルカさん、お仕事の方にも慣れてきましたね……! もう私から教えられることも、すっかり無くなってきましたっ」
──庭に並ぶ花壇に水やりをするルカの横で、メイナは明るい笑顔を向けながらそう話しかける。
そんなメイナからの賛辞に、ルカは「そうかな?」と微笑み返し、花壇に向けて傾けていた如雨露を水平に戻す。
「私一人だけだと、まだあんまり自信はないかも。メイナが傍に居てくれるから、なんとかなってるような状態だし」
「そんなことありませんっ! ルカさんはもう、立派な一人前の使用人ですよ……! もっと自分に自信を持ってください!」
「メイナ……うん、ありがとう」
太陽のように眩しい声音で励ましてくれるメイナ。
そんな彼女に、ルカは安堵の感情を覚えていた。元々ルカは自分に自信がない性格で、だからこそ、誰かに認めてもらったときに嬉しく思える。
改めて、傍に居てくれたのがメイナでよかったと感じるのだった。
「初めの頃は、この水やりもなかなか苦戦してたなぁ……水をあげすぎたせいで、逆に枯れさせちゃったんだよね……」
手に持っていた如雨露を見つめながら、ルカは苦笑混じりにそう呟く。
水不足を危惧し、最初の内は徹底的に水を振り撒いていた。しかしその後日、世話をしていた花が枯れてしまっていたのだ。
メイナ曰く、行き過ぎた水やりは根腐れという現象を起こし、逆に花を枯れさせてしまうという。
だからこそその匙加減が重要になってくるわけだが、これがどうにも難しい。
実を言えば、未だにその調整には慣れていなかった。
「自分はお花のために多くの水を与えているつもりなのに、そのせいで枯れさせてしまうなんて、なんだか悲しいですよね……」
ポツリと、メイナがそう零す。
彼女もまた、同じような経験があったのだろうか。そんなことを考える。
ルカとメイナは二人して、目の前の花壇に咲いた、水滴と陽光を浴びて光り輝く花たちを眺めていた。
と、そのときだった──。
「ルカさん、メイナさん、お疲れ様です」
庭の向こう側から姿を見せたのは、グリードだった。
ルカの隣に立っていたメイナは咄嗟に姿勢を正し、それから慌ただしく一礼する。
「グリードさん、どうかしたの?」
そう尋ねるルカに、グリードは首を縦に振る。
「ええ。少し、ルカさんに要件がありましてね」
「要件? 私に?」
「はい。仕事の方も少しずつ慣れてきたと思うので、ここで一つ、新たにやってもらいたいことがあるのですよ。──あなたに、精霊術を修得してほしいのです」
「せい、れいじゅつ……?」
そのあまりに唐突な申し出と、日常において聞き慣れない単語を受けて、ルカは思わず首を傾げる。
察するに、魔法的な概念を指す単語だろうか。使用人として多忙な日々を過ごしてきてすっかり失念していたが、ここは異世界だ。
そういった超常現象らしい存在があっても、おかしなことではない。
「予想はしていましたが、やはり精霊術も知りませんか。──結構です。まあ一言で言えば、戦術の心得だとでも思ってください」
「戦術って……私は一体、誰と戦わないといけないの?」
「いえ。ただ、このリビアス王家に使用人として勤める以上、精霊術の修得は必須だという話です。大公であるロディア様には、敵対する他国関係者も多い。そういった賊から大公をお護りするため、使用人一同には必ず精霊術を学ばせているのですよ」
ルカの問いに対してそこまでを言い切ると、グリードはちらりとメイナの方を見据える。
「メイナさんにも、ここに来たときにお教えしましたね? これまで使う機会はなかったと思いますが……この先もそうだとは限りません。自己鍛錬は怠らないようにしてください」
「は、はいっ! ロディア様のため、日々精進致しますっ!」
そのメイナからの返事にグリードは頷き、それから再びルカの方に向き直る。
「というわけで、ルカさん。今日からさっそく精霊術の鍛錬に入ってもらいます。鍛錬の間は、メイナさんに仕事を任せるようにしてください」
「でも、その精霊術っていうのは誰が教えてくれるの? まさか、グリードさんが直接?」
小首を傾げて、ルカはそう尋ねる。
戦う気はおろか、戦術を磨きたいなどという意欲は毛頭ないが、ここにきてようやく異世界らしい要素と立ち会えるのは少しだけ高揚してしまう。
魔法や超能力のような非日常的な現象というのは、やはり歳頃の人間としてはどこか惹かれるものがある。
しかし一つだけ憂いの感情を覚えるのは、手解きをしてくれる相手がグリードかもしれないという点だ。
新しいことを教えてくれるのは構わないが、その役が彼だとすると、色々と口うるさそうに思える。
しかしそんなルカの警戒心は、グリードがその首を横に振ったことで振り払われた。
「いえ、私は私でやるべきことがあるので。さすがにそこまでの面倒は見ることができません。──なので、あなたへの精霊術の指導は、ヤクモさんに担当してもらうことにします」
「ヤクモって……たしか、初めてここに来たときに会った人だっけ」
格式張った礼装が印象的な青髪の青年。
まだ詳しくは知らないが、どうやら四大霊座なる肩書きを冠しており、その実力を認められた結果、このリビアス王家の守護者を任せられているらしい。
本人は自身のことを『最強』だと豪語していたが、実際のところは不明である──。
「この件に関しては、彼を指導者にするべきでしょう。精霊術の素養と実力で言えば、このシルフィアで四本指に入る程ですから」
「ルカさん! 精霊術の鍛錬、どうか頑張ってくださいね……! 私も陰ながら応援してます!」
そんなグリードとメイナからの言葉に、ルカは肩を竦めながら小さな溜め息を一つ零す。
「……まあ、私なりに頑張ってみますか」
──そうしてルカの王宮生活は、新たなステップに突入するのだった。
◇
「では、さっそく始めるとするか。そう緊張しなくてもいいぞ。精霊術など、所詮は基礎を固めてしまえば簡単なものじゃからな」
──ルカの微かな緊張を見抜き、ヤクモはからからと笑う。
表情や仕草には出していなかったつもりだが、どうやら彼にはすべてお見通しらしい。
その指摘に思わずハッとさせられるが、それを顔に出すと相手のペースに乗せられてしまうので、ルカはどうにか平静を保とうとする。
そうして誤魔化すように視線を周囲に向け、改めてその光景に目を奪われるのだった。
「……それにしても、王宮の端っこにこんな鍛錬場があったなんて。一週間も生活してたのに、まったく気づけなかった」
ルカの眼前に広がるのは、学校のグラウンドほどの面積を誇る円形の鍛錬場であった。
風に晒され砂埃の立つ地面の先には、人型を模した等身大の藁人形が何体も並んでおり、それらが特訓のために用意されたものなのだと一目で理解できる。
「まあ、この王宮自体無駄に広いからの。その全部を把握できていない使用人など、山のようにいるじゃろう」
「ていうか、なんで王宮に鍛錬場なんてあるの? なんというか、不釣り合いな気がするんだけど……」
「一応は王家じゃからな。衛兵の出入りも頻繁にある。そういった者達の鍛錬のために設けられている、ということじゃ」
「ふぅん……」
──ヤクモに加えて多くの衛兵を雇い、さらには使用人全員に精霊術を教え込んでいるところを見ると、大公であるロディアの身辺警護には徹底的に力を入れているらしい。
グリード曰く、国のトップであるロディアには他国からの敵も多いとのこと。
それを考慮するなら、妥当な防衛策だとは言える。
「これから指導に入る。じゃが、まずそなたには、精霊術とは何かを一から説明しなければならん。グリード殿が言うには、そなたはどうやら精霊術の仕組みすらまともに知らないようじゃからの」
「……ああ、うん。そうしてくれると助かるかな」
ヤクモの配慮にルカは頷く。
算数を知らずに数学ができないように、まずは何事も基礎を知ることから始めなければならない。
ヤクモは「よかろう」と小さな笑みを浮かべると、それから人差し指を立てながら続けるのだった。
「精霊術とは、大気中に存在する不可視の存在──微精霊と心を通わせ、奴らの生命力そのものである、霊力を取り込むことで発動する戦術を指す。霊力は、人間では自力で感じることも吸収することもできぬ物質じゃ。したがって、我らは精霊術を使う際は、必ず微精霊の力を借りなければならん」
「微精霊……そんなものが、この空気の中に混じってるの?」
「ああ。肉眼で見ようとしても無駄じゃぞ。微精霊は人間の眼では決して捉え切れぬものよ。しかしそれでも、奴らと意思疎通を交わし、その根源である霊力を受け取ることはできる」
「受け取るって……どうやって?」
「そうじゃな。我ほどにもなれば、息をするように簡単にできることじゃが……そなたのような初心者であれば、まずは目を閉じて、それからゆっくりと深呼吸をするがよい。──精神を研ぎ澄まし、余計な雑念や波風を鎮めてみせよ」
そう促してくるヤクモに、ルカは思わず困惑してしまう。
いきなりそう言われても、果たして上手くいくかどうか。しかしやってみないことには始まらない。
ルカは言われるがままに目を閉じ、それから取って付けたような深呼吸を繰り返すのだった。
「まだ少し緊張の色が混じっているな。そういった感情は、微精霊との繋がりへの弊害となる。何も余計なことは考えず、無心になるがよい」
「う、うん……やってみるから、もう少し待って」
目を閉じた暗闇の中、そのヤクモからの言葉にルカは頷き、深呼吸を継続してみる。
そうしてだんだんと心の波風が振り払われていき、心臓の鼓動が一定の間隔に落ち着いてくる。
落ち着け、冷静になれと心で念じるのは、逆に自分自身を追い込んでしまう。
故にルカは何も考えないようにし、ただひたすらに無心になることだけを目指すのだった──。
そして、その次の瞬間。
「──ぁ」
何かが、見えた……そんな気がした。
ありえない。こうして目を閉じているというのに、視界に何かが浮かび上がるなど。
しかしルカの瞼の裏側に確立したのは、いくつもの光の集合体であった。
それは赤、青、黄、緑の粒子の集まり。弱々しい輝きを放つそれらは、点滅を繰り返すかのように自身の存在を主張している。
「なに、これは……」
「──まだ目を開けるな。感じ取ったのじゃろう? そやつらが微精霊じゃ。もっとよく感じ取れ。瞼の裏側で、その存在を強く受け取るがよい」
反射的に思わず目を開けようとした矢先、それはヤクモに遮られる。
その声のおかげか、すんでのところでどうにか耐え、ルカは暗闇の中で光の集合体と対面する。
──これが、微精霊。
少しでも気を許せば、あっという間にその姿を見失ってしまいそうだ。それほどまでに彼らという存在は儚く、朧気なものだった。
「……この後は、どうすればいいの?」
「うむ。そのままそやつらに向かって、強く念じてみせよ。お前達の霊力を、こちらに分け与えよ……とな」
「えっ……!? いいのかな……」
「よいもなにも。そうしなければ精霊術の発動に繋がらんじゃろう。微精霊には自我というものがほとんどない。故に、周囲の人間の強い意志に引き寄せられ、霊力を分け与えてしまうという性質を持っておる。何も気にせず、やってみろ」
「……はぁ」
先ほどのヤクモの話では、霊力とは微精霊の生命力そのものらしい。
それを勝手に奪ってしまってよいものなのか、一抹の不安が脳裏を過ぎるが──。
「ごめんなさい、あなた達の力……少しだけ私に分けて……!」
謝罪の言葉を口にし、ルカはヤクモの言う通りに心の中で強く念じてみる。
すると次の瞬間、微精霊の群れの動きに変化が生じた。彼らは暗闇の中で一層強い輝きを示し、眼前のルカに向かって集い始めたのだ。
ルカを中心に乱舞する微精霊の集まり。目を閉じているというのに、何故か背後に回る微精霊の動きまでもが、正確に把握できる。
「──っ」
全身に熱が籠る。
だが、不思議と苦痛ではなかった。むしろその逆──心地良さすら感じられる。
それはさながら、真冬に感じる優しい温もりのような……そんな安堵の感情。
そうしてルカを包み込むのは、今までに感じたことのない万能感であった。
今の自分は、これまでの自分とはまったく違う存在なのだと──思わずそう錯覚してしまう。
微精霊達から『力』を受け取った今ならば、発動できる。それを自分の形にして、放出できる。
そう、強く自分自身を信じた、その次の瞬間。
──ルカの掌から氷の結晶が浮かび上がるように形成され、それは虚空で僅かに留まった後、すぐさま霧散するように掻き消えていた。




