第一章4 『使用人生活の幕開け』
──真城瑠花、十七歳。異世界召喚からの高校中退、その後使用人として王宮に就職。
我ながら、冗談みたいな履歴書の見出しだ。とてもではないが、これではまともな企業に就職などできないだろう。
もっともここは自分の生きてきた日常とは、あまりにもかけ離れた異世界。
受験、進学、就職試験、面接、社会──もう二度と、自分には縁のないものになったのだ。
「……一体どんな気まぐれで、神様はこんな人生にしてくれたんだか」
溜め息混じりにそう呟き、ルカはどうしようもないやるせなさを胸の中に滲ませる。
当然、理不尽だとは思った。悲しさと虚しさだって、等しく頭の中に尾を巻いている。
しかし何より気がかりなのは、やはり残してきた母のことだ。
ルカにとっての唯一の家族──幼い頃に父を亡くしてから、母とはあまり会話をしなくなっていた。
仲が悪いのか、そういうわけではないのか……それさえもよくわからない。
朝と夜、互いに顔を合わせても、特にこれといった話はしない。学校での出来事、新しくできた友達、部活のこと──話そうと思えば、いくらでも話せたはずなのに。
こんなことになるくらいなら、せめてもう少しだけでも──
「ルカさん、聞いていますか?」
「えっ? ああ……ごめん」
考え事に没頭してしまったせいか、グリードの話をまるで聞いていなかった。
それに対して謝ると、グリードは「やれやれ……」と肩を竦めてルカの方を見据えるのだった。
「まさか、本当に先ほどの階段で体力を使い切ったわけではありませんよね? そんなことでは仕事になりません。もっと気を引き締めるように」
「……はいはい、努力します」
気を引き締めろと言われると、緩めたくなるのが人間というもの。
ルカも例に漏れずそういう人種だ。適当な返事でグリードのお小言を聞き流し、彼の背を追いかけながら王宮の無駄に長い廊下を歩く。
──王宮の構造の把握と、関係者への挨拶回り。
今はグリードの率先の下、この二つを滞りなく進めている最中だ。一旦ロディアと別れてから始めたことだが、すでにルカの中には二つの不満があった。
まず一つ。王宮についてだが、とにかく広すぎる。
一体ルカの自宅の何十倍大きいのか、見当がつかない。そして何より厄介なのは、その辺の遊園地の迷路よりも格段に入り組んだ構造をしているのだ。
階段を登っては降りて、突き当たりを右に曲がっては左に曲がって──かと思えばまた階段を登っている。
遠い昔、広い家に住むことを憧れた時期もあったが、今ではそれを全力で拒否したい。
これではストレス増加もいいところだ。軽くお手洗いに行くことすら、相当の努力が必要なのではないだろうか。
住めば都──やはりルカには、一般庶民の狭苦しい家が肌に合うらしい。
そしてもう一つ。王宮関係者についてだが、とにかく多すぎる。
これは薄々予想していたが、やはり王家ほどにもなると、そこに住む人間の数はそれこそ星の数ほど多い。
その大半は使用人で、現時点で挨拶をした人数だけでも、すでに三十人は超えている。
もっともこれだけ巨大な王宮なのだから、そのくらいの使用人がいなければ仕事が回らないのだろう。
そこに今日から自分という新人が加わるのだ。コミュ障のルカには、正直かなり荷が重い。
しかしそれでも、ここが自分にとっての第二の人生──そのスタートラインなのだ。
どれだけ理不尽だろうと、不条理だろうと。なるようになった結果が、目の前の景色なのだ。
それならば、自分にはもう貫き通すことしかできない。中途半端に終わった学生生活も、この場所での新たな生活も、全部全部引っ括めて人生なのだから。
だから──……
「……ごめん、リア。私はここで、生きていくから……」
グリードにも聞こえないくらいの小さな声で、ルカはかつての親友の名前を口にする。
──来栖莉彩。彼女もまた、元の世界に置いてきた未練そのものだった。
小さい頃から家が近所で、そこから幼稚園から高校まで一緒にいた大切な友達──。
二年生に進級してから同じクラスになったときには、お互い無邪気にはしゃぎ合っていた記憶がある。
「……あれ、私……リアとなにか、大切な約束をしてたような気がする。あれは……なんだったっけ……」
頭の片隅に残る、微かな記憶の断片。
その存在を自覚した途端、ルカは思わずその場に立ち止まっていた。またグリードにお小言を言われるかもしれなかったが、そんなことはどうだってよかった。
──いつ、どこでその約束をしたのか。その約束の内容はなんだったのか。
どうしてかはわからないけれど、それを忘れてしまっている自分が、あまりにも罪深く思えて仕方ない。
だから必死にそれを思い出そうとするが、どうにも叶わない。さながら水面に映る月に触れようとするかのように、どれほど手を伸ばしても届かないのだ。
「……ルカさん?」
案の定、立ち止まってこちらに振り返ったグリードの、怪訝な声が耳朶を突く。
しかしその声さえもどこか遠く、ルカはほとんど無意識のままその場に立ち尽くしていた。
そして、
「……ごめん、なんでもない」
数秒の間を置き、ルカは小さく首を横に振って謝るのだった。
今はやるべきことがある。目の前に、はっきりと──。そう頭ではわかっていても、ルカはなかなか割り切ることができなかった。
元の世界に帰れる保証などどこにもない。もしかしたら、もう二度と戻れないかもしれないのだ。
しかしだからと言って、一人残してきた母親や親友のことを忘れて、前を向いて歩いていこうだなんて、簡単に決意を固められるわけもない。人間はそこまで器用にできていないのだ。
「……忘れるわけじゃない。ただ、胸の中にしまっておくだけ──」
どうにかそうやって自分に言い聞かせ、ルカは再び歩き出すグリードの背についていくのだった。
そんなルカを一瞥してから、グリードは咳払いを一つしてから開口する。
「そろそろ挨拶回りも完了します。それが済んだら、ようやく仕事の説明に入るのですが……一つだけ問題がありましてね」
「問題?」
「ええ。本来であれば、その仕事の説明は私が担当する手筈になっていました。しかしながら今の私は通常業務とは別に、片付けなければならない案件を抱えていましてね。そちらの対応をしなければならない分、あなたに割ける時間が限られているのですよ」
肩を竦めながらそう語るグリード。
察するに、どうやらかなり忙しい様子らしい。王家専属の秘書という肩書きの時点で多忙なのがデフォルトのように思えるが、それに加えて別件の仕事も抱えていたとは。
「片付けなければならない案件って……どういう?」
小首を傾げながら尋ねるルカ。
そんな彼女の問いに対し、グリードは辟易したように溜め息を吐いてから、やがてその内容を告げるのだった。
「この王宮から東に位置する、コルトン村という近隣の土地はご存知ですか?」
「いや、知らないけど……」
「でしょうね」
ルカの返答に速攻でそう返すグリード。そんな彼の態度に、ルカは思わずムッとする。
「……わかってるなら、最初から聞かないでくれる?」
「これは失礼。少しでも期待した私が愚かでした」
どうやら一縷の希望に縋っていたらしい。
しかしながら当然、ルカはその期待には応えられない。次から次に人名や国名、固有名詞を叩きつけられて、今にも頭は破裂しそうだった。
そしてここにきて、また新たな地名が出てきた始末。記憶力にはほんの少しだけ自信があるが、それでも完全な把握はまだまだ難しい。
「そのコルトン村で、少しばかり厄介なことが起きていましてね。私と大公で、直々にその対応に回らなければならなくなったんですよ」
「……え、何が起きてるの?」
恐る恐る尋ねるルカに、グリードは数秒の間を置き、それから語った。
「──連続殺人ですよ。それも、少女だけを狙った怪事件です」
「連続、殺人……?」
その物騒極まりない単語に、ルカは思わず目を見開く。
連続殺人はおろか、これまで殺人事件とは無縁の人生を送ってきた。そんなものはフィクションの中でしか起こらない事象。現実で起きたとしても、テレビや新聞の中だけの話で、自分の目には見えない遠い場所での出来事だとしか考えてこなかった。
そんなほとんど空想上の出来事が、この王宮のすぐ近くで巻き起こっているというのか。
「ええ。一ヶ月ほど前からでしょうか。少女達が一人ずつ、次々に村の中で遺体で発見されたんですよ。被害者は現時点で、すでに四人も出ています」
「──。そんなことが……でも、なんで女の子ばかり?」
そのルカからの問いに、グリードは小さく首を横に振る。
「さあ。犯人の目星も、その動機も掴めていません。ただ一つわかっているのは、犯行は必ず夜間に行われているということ。夜の間に少女が失踪し、翌日の朝に遺体で発見される──そのことから村人達はいつしか犯人のことを、暗がり魔……と呼ぶようになったそうです」
「……暗がり魔」
夜の闇の中で蠢く、不気味な殺人鬼。
そんな得体の知れない存在が、その村の中にいるというのか。この王宮から外に出て、東に進んだすぐ先で──。
「今は中枢騎士団が犯人の特定のために、コルトン村に常駐しています。その対応をしなければならないため、私と大公も出向く必要があるんですよ」
「そうなんだ……大変なんだね」
「まったくです。数年前にも、中枢都市アルディオの方で上流階級の人間だけを狙った連続殺人が起きているというのに。治安の乱れというものは、中々改善しませんね」
肩を竦めながらそう語るグリードは、話が逸れたことに気付いて一つの咳払いを挟むのだった。
「なので、あなたへの仕事の説明ですが……私ともう一人、別の人間にも任せることにしました。私も時折は面倒を見ますが、大部分は彼女から仕事を教わるようにしてください」
「彼女……ってことは、同性の人?」
「ええ。少なくとも、あなたよりは歳下の少女ですが……すでに三年は使用人として務めている子です。少しばかり慌ただしい性格ですが、仕事を教わることに関しては差し支えありません。さっそく今日から、私と彼女の二人がかりであなたの面倒を見ますので、そのつもりで」
てきぱきとそう言い終え、グリードは廊下の先を進んでいく。
歳下の少女──果たしてどんな子なのだろう。そもそもルカでさえまだ十七で、そこからさらに歳下にも関わらず、すでに三年も勤務しているとは。なにやら事情がありそうな印象を受けてしまう。
そういえばグリード曰く、ロディアは貧民街の捨て子をできる限りこの王宮に保護し、使用人として職を与えているのだったか。
だとするなら、その少女も例に漏れない人間なのか。
──そんなことをぼんやりと考えながら、ルカはグリードの行く先を目指すのだった。




