第一章3 『運命の人呼ばわり』
「はぁ、はぁ……っ! も、もう無理……! 階段、長すぎ……!」
「この程度で弱音を吐かれては困ります。こんなもの、せいぜい軽い運動でしょう?」
──王宮の玄関前にて、ぜえぜえと肩で息をしながら膝に手をつけるルカに、グリードはそう冷たくあしらう。
とてもではないが、同じ階段を上がってきたとは思えないほどに、二人の姿は対照的に見えた。
ルカは今にも死にそうなほどにスタミナ切れ状態であったが、対するグリードは徒歩で散歩を終えてきた程度にしか見えないほどに余裕がある。
「やれやれ、これでは先が思いやられますね。そんなことでは仕事になりません。まだ移動しかしていないというのに」
「……一体、何が悲しくてこんなにハードモードな段数にしてるわけ? もう一年分は階段を上がった気がする……」
正直言って、ルカからすればあまりにも無駄が過ぎるほどの大階段であった。
文化部はおろか、運動部でも堪えるような段数に違いない。こんなのを日常的に繰り返すなど、悪い冗談もいいところだ。
「休憩している暇はありませんよ。あなたには今日中に、王宮関係者への挨拶回り、宮殿の構造の把握、それから基本的な仕事内容の学習までをやっていただくので。どうぞ、お覚悟を」
「……もしかしてグリードさん、私に死ねって言ってる?」
「死ぬ気でやってはほしいですね」
なんというスパルタ教育。
正直ルカからすれば、今すぐにでも自室か何かに案内されてベッドにダイブしたい気分だった。
だが、やはりそこまで甘い話でもないらしい。あくまでも自分はここで働かなければならない使用人という身分で、郷に入っては郷に従えという言葉があるように、身の程を弁えなければならないのだ。
「はぁ……まぁ、仕方ないか。どうせここ以外に、行く宛てなんてないんだもんね」
溜め息混じりにそう肩を竦め、ルカはいよいよ労働に対する姿勢を固めるのだった。
その姿をグリードが見届けた、次の瞬間──
「──おーい!」
正面の玄関扉が開いたかと思えば、そこから一人の青年が顔を出す。
明るい金髪に、宝石のように輝く緑の瞳、右目の下の黒子が印象的な、恐ろしいくらいに整った顔立ちをしていた。
青年はルカと目が合うと、その瞳をより一層に輝かせながら走り出し、白を基調とした軍服のマントを風に翻しながら、こちら目掛けてやってくる。
「会いたかったよ、僕の運命の人──!」
「えっ? ちょ……!」
ルカは思わず目を丸くする。
青年のその突拍子のない言葉も驚きに値するものだったが、彼はルカの全身に抱きつかんばかりの勢いで空中にダイブしてきたからだ。
そして、予想通りの結末。
すんでのところで押し倒されることはなかったが、青年とルカはダイナミックな抱擁を遂げ、ルカの華奢な体は青年の腕の中に包まれる。
青年から漂う香水の匂いが鼻腔を満たすが、ルカにとってはそれどころではない。
ただでさえ女子校通いで異性との交流は皆無に等しかったというのに、唐突にこのような事態に直面したのだ。
ルカの頬はみるみると紅潮し、心臓の鼓動はより一層に速まっていた。
「やっぱり夢で見た通りだ……こんなに可憐な子と出逢える日が来るなんて。僕はきっと、この日を迎えるために生まれてきたんだね!」
「い、言ってる意味も行動も……わけわからないんだけど……ていうか、急に何なの……!?」
ルカが軽く突き飛ばすと、青年は包んでいた腕を解いて後退する。
彼は少しだけ目を見開いて、それから「ごめんごめん!」と両手を合わせて謝るのだった。
「いきなりびっくりさせちゃったよね……僕の悪いところだ。君っていう運命の人を前にして、少しだけ我を忘れちゃったみたい。反省するよ」
「……いや、そもそも運命の人って何? あなたとはがっつり初対面なんですけど……」
ジト目になりながら呆れ返り、ルカはそう呟く。
当然だが、目の前の青年とは面識なんてこれっぽっちもない。そんな相手から運命の人呼ばわりされていきなり抱きつかれるなど──悪い冗談もいいところだ。
「うん。確かに君と僕は、実際に会うのはこれが初めてだよね。でも僕は、ずっと前に夢を見て知っていたんだ。今日という日、可憐な女の子が使用人としてこの王宮にやってくるって! だから君は間違いなく、僕の運命の人なんだよ!」
「は、はぁ……」
熱が入ったように捲し上げられ、ルカは困惑を隠せない。
なんという暴論、なんというお花畑な思考なのか。捉えようによっては不審者と言っても過言ではない。
初対面の人間に対して、夢の中で会ったことがあるから運命の人だなんて──まだその辺の幼子の方が、現実的な思考を持ち合わせているのではないだろうか。
「……ロディア様。いつも申し上げていますが、大公としての品位に欠けていますよ。もう少し、王家の者としてのご自覚を」
そんなメルヘンチックな理論を展開する青年に対して、グリードがそう窘める。
「ああ、ごめんごめん! 僕としたことが、つい我を忘れちゃったみたい! グリード、僕の代わりに使用人の子を探してきてくれてありがとうね。こんな可憐な子と出逢えたなんて、今日はとても素敵な日になったよ!」
これ以上ないくらいに明るい声色で、青年はグリードに感謝の意を伝える。
それを受けてグリードは「滅相もございません」と一礼すると、今度はルカの方に向き直り、咳払いを一つ挟んでから口を開くのだった。
「改めて紹介させていただきます。こちらはマシロ・ルカさん。貧民街オグルドにて発見、保護した浮浪児の少女です」
「……マシロ・ルカです。グリードさんの言う通り、勝手に浮浪児呼ばわりされて、勝手に保護されました」
グリードの並べる説明に、重ねるようにそう補足するルカ。
それを受けて目の前の青年は「……そうだったんだね」とその表情を悲しげな色に染め、やがて自身の胸に手を置くのだった。
「君みたいな子が、オグルドでの生活を余儀なくされたこと……心の底から胸を痛めるよ。大変な思いをしたんだね……でも、もう大丈夫! なんの心配もいらないよ! たった今から、この王宮が君の家だ。もちろんちゃんとした衣食住は用意するし、この僕がずっと傍についてる!」
「……はぁ、それはどうも」
無邪気な子どものように目を輝かせる青年に、ルカは圧倒されながらも返事をする。
そんなルカに微笑むと、青年は「自己紹介が遅れたね」と高まる感情を自重するのだった。
「僕はロディア・リビアス。シルフィア共和国の一部国家、リビアス王家を統べる大公だよ。──今日からよろしくね、ルカ! 僕のことも、気軽にロディアって呼んでくれると嬉しいな!」
「えっ……じゃあ、よろしく、ロディア……」
まだ会って間もないというのに、いきなり呼び捨てで呼ぶように要求されるとは。
どちらかと言えばコミュ障寄りのルカにとっては、なんともハードルの高い話だったが──相手がそう言っているのだから、ここはお言葉に甘えることにする。
「ルカさん、少しは身の程を弁えてください。あなたのような人間に、大公を呼び捨てにできる権利などありませんよ」
だが、隣に控えるグリードはそれを許さなかった。
彼はただでさえ鋭い眼差しをより一層冷たくし、ルカのそれを咎めるのだった。
「え、でもあなたの慕う大公さんは、私に呼び捨てで呼ぶように要求してるけど……」
一体どちらの言うことを聞けばいいのか、ルカは困惑しながらそう呟くのだった。
するとロディアは少し困ったように微笑みながら、グリードに向かって「相変わらずだなぁ」と零す。
「グリード、いつも言ってるでしょ? 僕は王宮の人間とは、できるだけ親しい関係でありたいんだよ。だからグリードだって、僕のことは呼び捨てにしてくれて構わない。むしろそっちの方が、僕は凄く嬉しいな」
「……ロディア様の命令とはいえ、そういうわけにはいきません。大公に対してそのような無礼など──私の身には許されませんから」
指先で眼鏡を抑えながら、グリードは頑なな意志を示す。
お堅い性格だとは思っていたが、やはり彼はどこまでも真っ直ぐだった。
その愚直なまでにロディアを慕う在り方は、秘書としては百点満点なのだろう。
しかし当のロディアにとっては、それはどうやら面白くないらしい。
「……うーん。僕はそんなに偉い人間なんかじゃないんだけどな。でも、グリードがそう言うなら仕方ないよね。わかったよ、僕は君の意志を尊重する。無理強いしちゃってごめんね?」
「いえ、こちらこそ……ご希望に添えず、申し訳ありません」
どうやら二人の間で、話は丸く収まったらしい。
そこで区切りをつけたロディアは、再びルカの方に向き直る。そうして目と目が合って気づいたが、彼はなんとも純新無垢な瞳をしていた。
見たところの年齢は、おそらくだがルカの少し上──成人はしてそうな印象だった。
にも関わらず彼の瞳は、世界の穢れを一切知らないかのような輝きを秘めていた。
そんな純情が服を着たような存在にも等しい彼は、太陽のように眩しい笑顔を向けたまま、ルカに向かって言葉を紡ぐ。
「話が逸れちゃったね、ルカ。しばらくの間はこのグリードが君に付き添ってくれるから、なにも心配はいらないよ。少しずつ王宮の構造とか、使用人の仕事のやり方とかを覚えていけばいいからね」
「……え、グリードさんが?」
微かに引き攣った苦笑いを浮かべながら、ルカは恐る恐るグリードの方に視線を動かす。
ロディアと違って、グリードはなかなかのスパルタ教育主義だ。日常的にこんなのに付き添われるなど、とてもではないが体が持たない。
しかし当のグリードは涼しげな表情のまま、ルカに向かって「改めてよろしくお願いしますね」と一礼してくる。
「あなたは今日から、この名誉あるリビアス王家の使用人です。その自覚を常日頃から忘れず、日々精進するようにしてください。甘えは許しません。睡眠と食事の時間を削ってでも、覚えるべきことは今日中にすべて頭に叩き込むように」
「ごめんなさい、チェンジで……」
手加減のての字もないグリードからの命令に、ルカは反射的にそう返していた。
しかし当然異世界人である彼らには何のことだかわからない。頭の上に疑問符を浮かべながら首を傾げるロディアとグリードに、ルカは溜め息混じりに「……なんでもないでーす」と肩を竦めるのだった。
──そんなこんなで、マシロ・ルカの使用人生活が今幕を開ける。




