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第一章2  『リビアス王家の守護者』

 ──華やかな都の大通りを抜けた馬車は、一転して整地の施されていない森林の獣道を駆け抜けていた。

 薄暗い森の中、視界を確立させるのは降り注ぐ木漏れ日の小雨のみ。安全のため、森に入った途端に御者は馬の移動速度を落としている。


「そのリビアス王家って、こんな森の先にあるの?」


「ええ。もうすぐ着きますよ。このアリウム森林を抜ければ到着です」


 ルカの質問にそう答え、グリードは馬車の揺れで微かに乱れた眼鏡を指先で直す。

 草を噛む車輪の音に紛れて、森の虫の声が耳朶を打つ。この国の四分の一を支配する王様の本邸が、まさかこんな自然豊かな森の先にあるなんて、ルカはなんだか意外な印象を受けていた。


「──」


 頭の中を揺らす、虫達の静かな合唱。

 ほとんど無意識にぼんやりと感じ取りながら、ルカは今更ながら元の世界のことを考えていた。


 自分が今置かれている状況を理解すればするほどに、残してきた母の顔が脳裏を過ぎる。

 父は幼少の頃に病気のせいで他界している。元々体が弱く、物静かな人だった記憶はなんとなく覚えていた。

 そこからは母と二人暮らしで、今まで一緒の家で過ごしてきた。女手一つで仕事と育児を両立し、自分をここまで育ててくれた母には、心の底から感謝している。


 ──だからこそルカの心は曇り、不安の影が差し込んでいた。

 どうして自分が異世界召喚されたのかはわからないが、一刻でも早く元の世界に帰りたい。

 グリードの提案に乗って王宮を目指しているのはあくまでも、今後の生活の基盤を手に入れるためだ。

 だが本心では、そんなものよりもあの日常へ帰りたい気持ちでいっぱいだった。


「マシロ・ルカさん……でしたか」


「え?」


 唐突にグリードにフルネームで呼ばれ、ルカは俯いていた顔を上げて微かに目を見開く。


「あなたの名前です。確認しておきたくて」


「……ルカでいいよ。適当に、下の名前で呼んで。フルネームはくすぐったい」


「そうですか。では、ルカさんと呼ばせていただきます」


 その黒髪を風に靡かせながら、グリードはルカから視線を逸らし、客席から見える風景に目を向ける。

 そんな彼に、ルカは思わずふっと笑みを零すのだった。


「……あれだけ人のことを見下してたくせに、その敬語は外さないんだね」


 見たところ、グリードの年齢はおそらく二十代後半だ。

 明らかに彼の方が歳上なのに、何故か敬語で接しているのがグリードの方というのが、なんだかおかしかった。


「常日頃から、秘書として大公の傍に控えていますので。気付けば誰に対しても、こういう口調になっていたんですよ」


「ふぅん……」


「私の前ではいいですが、あなたも大公の前では礼節ある言葉遣いを心掛けるようにしてください。あの方に対する無礼は、万死に値するほどの愚行ですから」


「はいはい……誠心誠意込めて努力します。ていうか、グリードさんってその王子様への忠誠心が凄いよね。話聞いてる限り、そういう感じがする」


 肩を竦めながら苦笑するルカに、グリードは「当然です」と短く零してから、指先で眼鏡の位置を調整する。


「あの方に仕えることこそが、今の私にとってのすべてですから。あの方の望みは、そのまま私の望みなのですよ」


「……」


 まるで、身も心もすべて捧げているかのような言いようだった。

 傍目から見れば、それは麗しいほどに輝いた主従関係なのだろう。ルカはまだその大公のことを知らないが、少なくともその人物には、グリードにそう思わせるほどの人間性があるということだ。

 だが、グリードのそれは同時に──


「……なんかそれって、自分の人生を自分で歩めてなくない?」


 グリードに聞こえないくらいの小さな声で、ルカはそう呟いていた。

 誰かに尽くそうとすることも、その人のために何かを成し遂げようとすることも、大いに結構なことだ。

 それはその人の自由であり、他人がどうこう横槍を入れることではない。

 しかしそれでも、自分の人生の全部を誰かのために使うなんて──そんな壮大な自己犠牲は、なんだか割に合わないような気がする。


 少なくともルカは、そう思ってしまう──。


「……まあ、それよりも今は自分の心配だよね。これからどうなっちゃうのかな、私の人生……」


 溜め息混じりにそう零し、ルカは小さくその双眸を細めるのだった。




 ◇

「──さあ、着きましたよ。ここがリビアス王家、王宮本邸です」


「すっご……本当に、おとぎ話に出てくるお城そのものじゃん……」


 馬車から降りたルカを出迎えたのは、絢爛な造形の施された巨大な城塞であった。

 正門前からでは本邸の玄関は見えない。その間には編み込まれたようにいくつもの大理石の大階段が並べられ、壮麗な雰囲気を余すことなく醸し出している。

 海外の写真でしか見たことがないようなその王宮の造形美を前にして、ルカはただただ口を開けたまま、目を奪われて釘付けになっていた。


「貧民街の浮浪児の目には、これ以上ないくらいにもったいない光景でしょう」


「貧民街の浮浪児じゃなくても釘付けになるでしょ……それで? この無駄に長い階段を登らないと、王宮の入口まで辿り着けないってわけ?」


 グリードの余計な煽りにムッとしながら、ルカはそう尋ねる。


「ええ。まあ、それに関しては直に慣れます。いい運動だと思って習慣化してください」


「……こんなの慣れたくないし、運動も嫌いなんだけど……」


 辟易し、そう愚痴を零すルカ。

 中学は吹奏楽部、高校は軽音楽部で通してきた彼女にとって、体を酷使するような真似は三本指に入るほど嫌いなことだ。

 しかも軽音楽部に関しては練習が想像以上にキツくて、途中からほとんど幽霊部員に成り下がった始末──まさか文化部縛りで学生生活を送ってきたツケを、こんな場面で支払うことになるとは予想外だった。


「何か言いましたか?」


「……別になんにも。自分の生活のためだもんね。こればっかりは仕方ないか」


 目の前の現実に対するやるせなさに区切りをつけ、ルカは自身の頬を両手で二度叩く。

 そうして覚悟を決めて、目の前の無駄に長い階段を登ろうとした、その瞬間であった。



「──なんじゃ、グリード殿。そやつは来客か?」



 意を決した矢先に、出鼻を挫かれる。

 見れば石畳の向こう側から、一人の青年がこちらに向かって歩み寄ってくるのが見えた。

 特筆すべきはその佇まい。グリードも馬車の御者も、都を行き交う人々も、誰もがこの世界に適したような西洋的な服装をしていたのに、目の前の彼だけはその例外に走った身なりをしている。


 ──黒を基調とした和服に、灰色の羽織。

 落ち着いた礼装を連想させるその格好は、日本の冠婚葬祭の参加者のように見える。

 大人びた青髪に、威圧感のある鋭い緑の瞳が印象的な人物だった。


「……見慣れぬ珍しい格好じゃな。()()()、一体どこの出身じゃ?」


「え? そ、そなた……? ていうか誰なの、この人……」


 その二人称にも困惑するが、何よりも格好について、この人にだけは言われたくない──ルカはそう思いながら、思わず一歩後退してしまう。

 まさかとは思うが、彼がグリードの話に出てきた大公なのだろうか。そんなことをふっと考えた矢先に、肩を竦めたグリードが小さく息を吐いていた。


「ヤクモさん、人にものを聞くときは、自分から名乗るのが礼儀ですよ。……やれやれ。どうしてこうも、当然の常識を守れない人間ばかりなのか。眩暈がしてきますね」


「……それってもしかして、私のことも含まれてる?」


 グリードの零した愚痴に、ルカはジト目になって引っ掛かる。

 まだ会って間もないが、だんだん彼という人柄がわかってきたような気がする。

 礼儀作法を重んじるグリードにとっては、自分から名乗りを上げない人間は軽蔑の対象、ということなのだろう。


「相変わらずグリード殿はお堅くて仕方ないのう……」


「それは同意。で、あなたは誰なの? 私はマシロ・ルカ。今日からこの王宮で使用人をやらせてもらうから、どうぞよろしく」


 辟易するように溜め息混じりの愚痴を零す青年に、ルカはグリードの仰せのままに自ら名乗りを上げる。

 そんなルカを前にして、青年は訝しげな表情を向けるのだった。


「使用人? そなたが? ……あぁ、もしかしてあれか。ロディア殿が言ってた、貧民街の餓鬼を助けるための」


「ロディア……? もしかして、それがここの王様の名前?」


「なんじゃ、そんなことも知らぬのか。さしもの貧民街の浮浪児とはいえ、流石に論外が過ぎるというものよ」


「……それ、なんかさっきも言われた気がするんだけど」


 そもそも唐突な異世界召喚の直後で、この世界の常識など微塵も知らないのだ。

 そんな状況であれこれ人名や国名を口に出されても、追いつけるわけがない。

 ただでさえ暗記科目は苦手だというのに、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる度に白い目を向けてくるのはやめてほしい。


 しかし青年はそんなルカの事情など露知らず、面白いとでも言わんばかりに小気味よい笑みを浮かべるのだった。


「その奇天烈な格好もそうじゃが、さてはそなた──俗に言うおもしれー女じゃな?」


「は?」


「くっくっく……そういう奴は嫌いじゃない。気に入った、特別に名乗ってやろう。──我はヤクモ・トウゲン。このリビアス王家に仕える守護者の一人じゃ」


 傲慢極まりない態度で自己紹介され、ルカは思わず面食らってしまう。

 しかし何より気になったのは、リビアス王家に仕える守護者、という点。


「彼はこの王宮と大公の守護を務める守護者。リビアス王家と正式に契約を結んだ、四大霊座(よんだいれいざ)の一人です」


 その部分に引っ掛かっているのがバレたのか、そんなルカにグリードが補足を加える。

 だが、その補足の中にもよくわからない単語が紛れ込んでいた。


「えっと……その、よんだいれいざっていうのは?」


 その反応に、再びグリードは驚愕し微かに目を見開く。

 それを受けてルカは、あぁ、また無知扱いされてるんだろうなと悟るのだった。

 もっとも、そろそろそういう反応にも慣れてきたところだが。


「こいつは驚いたのう。まさか四大霊座すら知らぬとは。まあ、この国で誰よりも強い四人の内の一人という認識でよいぞ。──もっとも、『疾風の子』の名を冠する我こそが、誰よりも最強じゃがな」


 益々ルカを気に入ったとでも言わんばかりの好奇の目で、ヤクモはからからと笑いながらそう口にする。

 自分から最強を名乗るのはどうかと思うが、どうやらそういう認識で大丈夫とのことらしい。

 もっとも、強くない人間に王宮や大公の護衛など務まらないだろう。まだあまり理解は深まっていないが、ひとまず彼のことは、王家専属のボディーガードだと思うことにした。


「ちなみに四大霊座を冠する守護者は、各国家に一人ずつ配置されています。その目的は、政治の中心である各大公の護衛のため。その仕来りは、中枢会が決定したものです」


 グリードがそう説明を施す。

 ──四大国家、四大霊座。確かに、その数字は一致する。つまり四大霊座の役割とは、各国家の護衛にあるというわけだ。


「中枢会って、たしか……この国の中央で全体をまとめる組織のことだったよね?」


 習いたての単語をどうにか使い、ルカは確認を取る。

 ここにきて、ようやくこの世界の人間とまともな会話ができそうだった。


「ええ。そして国全体を統治する中枢会には、四大霊座の代わりに()()()()()という組織が護衛としてついています」


「……また新しい単語が出てきた。もうお腹いっぱいなんだけど……それは何?」


 グリードが口にした新たな組織の名前に、ルカは辟易したように肩を竦める。

 流石に脳のキャパシティが限界に近い。できるなら、これ以上の新単語はやめてほしいのだが。

 そんなルカの反応に、グリードは小さく苦笑するのだった。


「そろそろあなたの無知っぷりにも慣れてきたところです。ですが、そう難しいものではありません。シルフィア中枢騎士団──通称、中枢騎士団とはつまり、中枢会に仕えるシルフィア全体の治安維持組織を指します。シルフィアの法の下に秩序を正す彼らは、シルフィアの剣と讃えられていますね」


「……治安維持、ねぇ。要するに、こっちの世界で言う警察的な役割ってことかな」


 どうにか話についていくため、ルカはわかりやすくそう解釈することにする。


「立ち話が過ぎましたね。では、そろそろ向かいましょうか。いい加減、大公に挨拶をしなければなりません」


 そう言って再び歩き出すグリード。

 必要最低限の会話だけを済ませてから動き出すところは、なんだか彼らしい一面であった。

 もっとも、彼らしいと口に出せるほど、まだグリードのことはよくわかっていないのだが。


「では、我もこれで退散するとしようかの。じゃあの、ルカ殿。使用人、一日で辞めないことを祈っておるぞ」


「……はいはい、ありがと。私バイト初日で辞めるほど、非常識じゃないから」


 からからと笑いながら背を向けて歩き出すヤクモに、ルカはそう言葉を投げかけるのだった。

 正直働いたことなんて、近場の本屋で軽くシフトを入れていたくらいだが、そこはまあどうにかなるだろう。


 そんな楽観的な考えを胸に、ルカはグリードの後ろ姿に向かって走り出していた。

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