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エピローグ 『再生の巫女』

「……メイナ殿の傷を治した、とな? そなたがか?」


 ──翌日。

 王宮に帰還した彼らは、休息を挟んだ後で再び一箇所に集まっていた。一階にある大広間に揃ったのはルカ、メイナ、ヤクモ、ロディア、グリードの五人。


 彼らを前にしてルカが打ち明けたのは、昨夜の出来事について。

 フェリアとの死闘にて傷を負ったメイナの出血を、ルカが謎の力で治癒したことだった。

 それを聞いたヤクモは真っ先に反応を示し、素っ頓狂な声を上げる。


「うん。なんでそうしたのかは、自分でもわからないけど……気付いたら無意識の内に、メイナの傷に向かって手を翳してたの。そうしたら出血が止まって、傷が塞がってた」


 ルカがそう補足すると、隣にいたメイナも頷く。


「ま、間違いありません……実際に私も、この目で見ました。あのとき、ルカさんの掌に薄い緑の輝きが零れ落ちて……とても暖かくて、優しい光だったのを覚えてます」


「緑の輝き、か……」


 彼女の証言を加味しながら、ヤクモはその謎の力について考察する。

 精霊術に精通した四大霊座である彼なら、何かしらの心当たりがあるかもしれない。

 そんな希望的観測から、ルカは彼に話を聞くことにしたのだ。


「結論から言ってしまえば、精霊術にそのような力は存在しない。以前も教えたが、精霊術とは四つの属性から構成される神秘の力じゃ。そこに、傷を癒すといった能力は含まれない」


「じゃあ、ルカのそれはやっぱり、式術による力ってことなのかな……?」


 ヤクモの回答に、ロディアが自身の考えを口にする。

 確かに、その可能性は大きい。以前ヤクモから精霊術を教わったとき、彼はこう言っていた。

 式術は精霊術とは異なり、人間が自らの強い意思や目的意識によって引き寄せる、奇跡の力なのだと。

 故にその効果は人それぞれで、あらゆる事象が可能になる。メイナの傷を癒したいというルカの思いが具現化し、あの力を生んだのだとしたら──確かに辻褄は合う。


「精霊術ではない以上、そう考えるのが妥当じゃろうな。ルカ殿にとって、メイナ殿は大切な友人じゃろう。メイナ殿を助けたいという強い思いが、そなたに奇跡の力を授けたんじゃ。──それは、誇っていいことだと思うぞ?」


「ルカさん……」


 ヤクモがそう言うと、メイナは嬉しそうに頬を紅潮させ、ルカを見上げる。

 無垢な眼差しを向けられ、ルカはどこか照れくさそうに目を逸らしてしまった。


「ルカは優しい子だからね。メイナを助けるために式術を発現させたとしても、なにもおかしいことじゃないよ。……うん! やっぱりルカを好きになってよかった! 君のこと、知れば知るほど好きになっちゃうな!」


 ロディアからもそう褒められる。

 悪い気はしないが、そんな風に持ち上げられると恥ずかしさが勝ってしまう。

 ルカは「もう、やめてよ……」と小さく零すが、熱の入ったロディアからの賞賛は、止まることを知らなかった。


「──」


 その光景を、グリードは沈黙を守ったまま、ただ無表情で眺めている。

 先ほどから彼だけが一言も発していない。そんな彼にロディアは、「グリード、どうかしたの?」と話しかける。


「……いえ。私は紅茶を淹れてきます」


「あっ、それなら私も──」


 広間を後にしようとするグリードに、メイナも続こうとする。

 しかしグリードは首を横に振り、「私一人で十分です」と残すのだった。

 部屋を出ていくグリードの背を見届けてから、ヤクモは顎に手をやり口を開く。


「……それにしても、傷を癒す式術か。名前をつけるとしたら、『治癒の式術』、と言ったところかの。中々汎用性の高い能力じゃな」


「……『治癒の式術』、か」


 ヤクモの銘打った式術名を、ルカは復唱する。

 確かに、あの力を自由自在に扱えるのだとしたら、かなり使い勝手の良い能力と言えるだろう。

 傷を治療できるなんて、自分には勿体ないくらいに素晴らしい力だ。


「ありがとう、ヤクモ。おかげでなんだかすっきりした。精霊術の方も式術の方も、私なりに極めてみることにするよ」


「うむ。無理はしないようにな。前にも言ったが、式術は精霊術とは異なり、自身の式素を消費しながら使用することになる。つまり式素切れは、直接自分の体に負担を掛けることになるからの。気をつけることじゃ」


「うん、わかったよ」


 ヤクモの言葉にルカは頷くと、それから三人を見渡しながら続ける。


「皆、怪我したら私に言ってね。まだ一回使っただけで、どこまでできるかはわからないけど……頑張って治療してみるよ」


「うん、そのときはよろしくね! 特にメイナはお世話になるんじゃないかな。慌ただしいから、よく怪我してるでしょ?」


 ロディアがそう言うと、メイナは図星を突かれたように「うぅ!」と俯く。

 そんな彼女に、ヤクモはからからと笑うのだった。


「確かにそうじゃな。ルカ殿が王宮に来る前から、よく花瓶を割って怪我をしていたからのう。危なっかしくて、見てるこっちが冷や汗をかいていたぞ」


「……その節は、本当にごめんなさいぃ……」


「あはは……じゃあ、そのときは私に任せて。メイナにはたくさんお世話になってるし、ちょうどお礼がしたかったから」


 しょんぼりするメイナに、ルカがそう言う。


 ──『治癒の式術』。

 自分にしかできない、特別な力。その存在を強く噛み締めながら、ルカは胸の内の喜びを隠し切れずにいた。

 こんな自分が、初めて誰かの役に立てるかもしれない。そんな一縷の希望を抱いていることに気付く。


 最初はあまりにも唐突な異世界転生に不安しかなかったが、今は違う。

 衣食住があって、大切な人達がいて、そして──自分だけの特別な力がある。


 その喜びを、ルカは確かに感じていた。




 ◇

 ──その日の昼下がり。

 ルカとメイナの二人は、市街地の方に出向いていた。彼女達はそれぞれ大きなバスケットを持っており、その中には今しがた購入したばかりの新鮮な野菜や果物が積まれている。


 一言で言えば、王宮から食材の仕入れのために来ていた。

 こういった買い出しは当番制で使用人達が行っており、今日はルカの番であった。

 しかしルカは初めての調達作業になるので、先輩であるメイナも付き添いとして来てくれている。


「えっと、あと買わなきゃいけないのは……お肉だよね?」


「はい……! お肉は向こうの商店で買えますよ!」


 メイナが指差した方向には、確かにそれらしいお店が見えた。

 定期的に買い出し当番を務めてきたメイナは、やはり市街地に地の利がある。

 こういうときは本当に頼もしい。ルカも可能な限り、すぐに市街地の地形を覚えようと心掛けるのだった。


「メイナ、ありがとう。私の買い出しに付き合ってくれて」


「いえいえ……! ルカさんには昨夜、怪我を治してもらった恩もありますし……これくらいお安い御用です!」


「あはは、それで言ったら、メイナは私のために村まで来てくれたんでしょ? むしろ感謝するのは私の方だよ」


「そんな……結局私なんて、なんの役にも立ちませんでした。それに比べてルカさんは凄いです。最後まで勇敢に暗がり魔と戦っていたんですから……誰にでもできることじゃありません。私は尊敬します」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、あんまり褒められると恥ずかしいかな……それに、私が最後まで戦えたのは、メイナが傍に居てくれたからだよ。メイナが来てくれなかったら、私はあそこまでの覚悟を持てなかったと思う」


 そこまでを言い終えてから、ルカはメイナの方に向き直る。


「だから、メイナには本当に感謝してる。仕事を教えてくれるのもそうだし、いざっていうときに、私に立ち向かう勇気をくれた。──ありがとう。大好きだよ、メイナ」


 そのルカの一言で、メイナの顔がみるみると熱くなって赤くなる。


「ふええ……!? そ、そんな……恥ずかしいです……っ!」


 ルカから目を逸らし、メイナが零す。

 ルカ自身、言い終えてから流石に直球すぎたと感じてしまった。しかしそれがルカの紛れもない本心であり、メイナに伝えたい想いそのものであった。


「……わ、私も……ルカさんのことが……好きです……これからもずっと、こうやって一緒にお仕事がしたいです……」


 数秒の間を置き、やがてメイナはルカに向き直ると、細々とそう口にする。

 今度はルカが顔を熱くする番だった。


「あ、あはは……! 私達、仕事の最中になんでこんなこと言い合ってるんだろうね? 買い出し、再開しよっか!」


「そ、そうですね……! 行きましょう……!」


 二人して照れ隠しをしながら、再び歩き出そうとする。


 ──そのときだった。

 唐突に地響きが聞こえ、足元が大きく揺れ動く。その衝撃は市街地全体を襲ったのではないかと思うほどに激しいもので、周囲の人々もまた驚愕の表情を浮かべていた。


「な、なに……今の……地震……?」


 この世界にも、そういった類の現象があるのか。ルカは微かに震えた声でそう零す。


 その次の瞬間であった。

 今度は向こうの方で唐突な火災が発生し、その余波によって建物が倒壊し、そこから黒煙が空に向かって上がっていた。

 火の手は周囲にも拡がり、次々と被害を拡大している。そして、



「グルォォォオオオオオオオオオオオオオッ!」



 破壊の連鎖を黒く彩るかのように、一つの大きな咆哮が鳴り響く。

 それは今までに聞いたことのない、獰猛性に塗れた獣の唸り声。その邪悪な音色は、市街地にいる全員の耳朶を乱暴に打ちつけていた。


「い、今のは、一体……?」


 周囲の喧騒の中、メイナが震える声で零す。

 わからない。なにもかも──状況の把握が追いつかない。増すばかりの混乱に、頭の中は今にも破裂しそうであった。


 そして、次の衝撃はルカのすぐ傍で発生。

 正面の建物が轟音を響かせて倒壊し、瓦礫の雨がその場に降り注ぐ。土煙が舞う中、ルカは見る。


「ぁ……」


 そこに立ち尽くしていた市民の一人が、崩落した瓦礫に押し潰される瞬間を──確かにその眼で捉えてしまう。

 その瓦礫の下からは赤黒い血溜まりがみるみると拡がり、それを目撃した人々は悲鳴を上げていた。


 ──そして、やがて()()は姿を見せる。


 崩落した建物の向こうに見えたのは、全身を黒い体毛で覆った、二足歩行の巨大な獣。

 狼を連想させる、獰猛性を放つ外見をしているが、それとは比にならないほどの醜悪な姿を施している。

 荒々しい牙の並んだ口腔からは唾液が零れ落ち、黄金色の双眸は獲物を捉えるかのように市民達を見下ろしている。


 そしてそれは、目の前の一体に限った話ではない。視野を広げれば、市街地の各所にて同じような化け物が徘徊していた。


 そのおぞましい異形の化け物の出現に、人々は恐怖に顔を青ざめて絶叫していた。


 やがてその場の誰もが我先にと走り出し、市街地は混乱を極める。

 破壊の余波と人々の悲鳴が織り成すそれは、さながら終末を告げる死神の奏でる音色のよう。

 その悪夢の旋律に相応しい地獄絵図が、確かな現実として目の前にあった。


「メイナ! 私達も逃げよう……っ!」


「は、はい……!」


 互いにその声は震えている。

 暗がり魔と対峙したときと同じ、明確な命の危機が空気を伝って肌を焼く。

 その針を刺すような痛みに呼吸が乱れ、無意識の内に脂汗が浮かんでいた。


 そうして走り出そうとした二人だったが、次の瞬間──至近距離で起きた爆発によって発生した爆風が、彼女達の体躯をその場から吹き飛ばしていた。


「ぁう……!」


 バスケットの中身をぶち撒けながら、地面を転がるようにして二人は距離を離し、倒れ込む。

 その衝撃でルカは全身を強く打ち、腕と膝を擦りむいて血を流していた。

 出血と砂埃がメイド服を汚し、ルカはかつてない痛苦に顔を歪める。そうして徐に立ち上がろうとし、そこで──見た。


「──ッ!」


 先ほどの黒い体毛の獣が、足元に倒れ込むメイナを見下ろしている。メイナもまたその視線に気付き、恐怖と混乱に全身を硬直させていた。


「メイナッ!」


 喉を焼く勢いで、ルカが叫ぶ。

 メイナだってわかっている。一刻も早くその場から離れなければ、自分自身がどうなるか。

 感情の見えない化け物ではあるが、あれが人に危害を加えないわけがない。


「ひ……っ」


 その矢先、メイナが短く悲鳴を上げる。

 獣は伸ばした巨大な掌で彼女の華奢な体躯を軽々と掴み取ると、そのまま上空へと掲げるのだった。


「……ッ!」


 声にならない声を上げ、ルカはどうにか立ち上がる。

 獣は掴み取った獲物を眺めるように見上げ、やがてばっくりとその巨大な口を開いていた。


「っ……ぃ、や……やめ……ッ」


 途切れ途切れの掠れた声を零しながら、メイナは為す術なく涙を浮かべている。

 その矢先、ルカは獣に向かって掌を翳し、勢いよく声を上げていた。


「──レニア・シャルドッ!」


 大気中の霊力が蠢く。

 それらはやがて微精霊を経由してルカの体内に流れ込み、詠唱によって紡がれた精霊術が、虚空に複数の氷の槍を形成する。


「メイナを……離してッ!」


 その叫びに呼応するように、氷の槍が空気を撃ち抜いて獣の脚に突き刺ささった。

 それによって獣の視線が、ゆっくりとルカの方に移り変わる。だが、それまでだ。

 獣は特に体勢を崩すことなく、再びメイナの方に向き直っていた。


「る……かさん……っ、だめ、です……! はや、く……にげて……っ」


「──っ、そんなの! できるわけないでしょ!?」


 そう怒鳴り、ルカは再び獣に向かって掌を翳す。


「レニア・シャルド……! レニア・シャルド……! レニア・シャルド……ッ!」


 次から次に詠唱を繰り返し、その度に何本もの氷の槍が放たれる。それらは獣の体躯を次々に突き刺していくが、そのいずれもが浅く、攻撃手段としてはあまりにも──弱い。


 しかしその現実を到底受け入れることができなくて、ルカは涙目になりながらも精霊術の詠唱を繰り返していた。

 何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も──繰り返す。











 ──そして次の瞬間、獣はその鋭利な牙で、メイナの体を容赦なく噛み潰していた。











 肉と骨を抉る異様な咀嚼音の後、獣の口腔から勢いよく鮮血が迸る。

 それらは紅色の雨となって周囲に降り注ぎ、ルカは全身を血飛沫で汚していた。


「ぇ……?」


 ルカの口元から、掠れた声が零れ落ちる。

 気付けば世界からは、一切の喧騒が掻き消えていた。すべてが無へと収束し、聴覚はその機能を完全に停止している。

 足元を揺らす地響きも、建物を焼き尽くす火災も、それによって倒壊する瓦礫の雨も、周囲の化け物達の咆哮も、人々の悲鳴も──なにも、なにも聴こえない。


 ただルカの眼には、メイナを咀嚼する獣の姿だけが映っていて。そこからどうしても、目を逸らせない。


「──。──。──。──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」


 地に足をつけている感覚がない。


 呼吸をしている感覚がない。


 心臓が脈打つ感覚が、ない。


 メイナを咀嚼した獣は、そんなルカをただ見下ろしていた。

 それから獣はゆっくりとルカに背を向け、あろうことかその場から立ち去っていた。

 次第に遠くなる黒い体毛の背。その輪郭が薄れていく。そして次の瞬間、ルカはその場に両膝を突いていた。


 ──きっと自分は、どこかで勘違いをしていた。


 この世界に落とされて、右も左もわからない中で精霊術を獲得して、その力で暗がり魔の事件を解決して、そうしている内に、内心で感じていたのだ。

 たとえどんな困難や障壁が目の前に立ち塞がったとしても、力を手に入れた自分に、できないことや不可能なことなんてないのだと。


 だがそれは大きな勘違いだった。慢心だった。驕りだった。


 この世界はあまりにも突然に、唐突に、不条理を、理不尽を、現実という形で目の前に突きつけてくる。

 自分一人の力ではどうしようもできないくらいに巨大な悪夢として、仮初の平和で形作られた日常を侵してくるのだ。


 それを今更ながらに理解して、そして、震える歯を力一杯に噛み締める。


 ──初めてだった。これほどまでに、何かを心の底から憎悪したのは。

 胸の内を焦がすのは酷く歪んだ黒い感情。自分でも、渦を巻くその正体が何なのかを、痛いほどに理解できる。

 憎くて憎くて仕方ない。この手で奴らを蹂躙してやりたい。生命の糸を断ち切り、亡き者にしてやりたい。

 そう激しく願ってしまう、その感情。


 人はそれを、『殺意』と呼ぶのだ。


「……る、せない」


 震える声が、ルカの口元から零れ落ちていた。

 それと同時に頬を伝うのは、激情に駆られて流れる涙。憎しみも悲しみも怒りも、全部が滅茶苦茶にごちゃ混ぜになったような──そんな落涙であった。


「──許せない」


 ようやくはっきりと口にできたその言葉を噛み締め、ルカは頬の涙を拭うことも忘れながら、眼前に広がる灼熱に包まれた街を見据える。

 肌を突き刺す熱気の痛みすら、もう何も感じない。あれほど刺激していた黒煙の臭いさえも、もう鼻腔には届かない。


 ただルカは強く願った。──あの子の命を奪ったあいつらを、すべてこの手で殺してやると。


 奴らが目の前で、あの子の命を無慈悲に奪ったように、私だって、なんの慈悲もなく奴らを殺す。

 それがせめてもの、あの子への餞になると信じて。


 だから、



「──絶対に、殺してやる……ぅッ」



 ルカはもう一度だけ呪詛のような怨嗟の声を絞り出し、目の前に広がる地獄に向けて、その憎悪の瞳を向けていた。




 ◇

 ──あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 気付けばルカは変わり果てた市街地を、ただ一人で歩いていた。その全身は血と砂埃で汚れ、乱れた呼吸は鳴り止まない。


 獣達の侵攻によって、美しい景観を誇っていた市街地は、見るも無惨な地獄絵図と化している。

 倒壊した家屋の瓦礫の山、それに潰されて息絶えた市民の死骸、血溜まり、燃え広がる火の手──その惨状の中、ルカはぽつりぽつりと何かを呟きながら、脚を動かしていた。


「……殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す」


 それは、怨嗟。

 燃え盛る憎悪の感情を吐露しながら、それだけを前に進む糧としながら、ルカは壊れたように歩く。


「……殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す」


 もしも殺意が頭の中を蠢くものなのだとしたら、今にも頭蓋骨を割ってしまいそうだった。


「……殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す」


 激情の涙が頬を伝う。きっとそれは透明なだけで、ルカの胸の傷から流れる血に違いなかった。


「……殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す」


 死ね。


 それだけを胸の内に念じながら歩いていたルカの足が、ふとその場に止まる。

 見ればルカの目の前には、一人の青年が立っていた。その顔には見覚えがある。

 だからルカは少しだけ目を見開いて、その人物を凝視した。


 それは、


「……グリード、さん?」


「──」


 王宮に仕える専属秘書、グリード・レイゼルだった。

 一体何故、彼がここにいるのか。わからない。彼はいつものように淡白な無表情を向けたまま、眼鏡越しにただルカを眺めている。


「……なんで、ここに?」


「──。探しましたよ、ルカさん」


 ルカの問いは無視して、グリードはそう零す。

 このような惨状の中、彼は平時と同じような表情と声色のままだ。まるで彼だけが、いつもの日常に生きているような気がして。

 その形容し難い違和感に、ルカはどこか不気味なものを感じ取っていた。


「ねえ、グリードさん……メイナが……メイナが……私の目の前で、あの化け物に襲われて、それで……」


「──」


「あの子は食べられて、死んだ……私がもっと、ちゃんとしてれば……助けられたかもしれないのに……なのに……なのに……」


「──」


 途切れ途切れのルカの言葉を、グリードはただ聴いている。

 メイナの死を耳に入れても、何故かグリードは表情一つ変えることがなかった。

 その彼の在り方に、ルカはいよいよ不審感を覚える。元々感情表現の乏しい青年ではあったが、これほどまでに落ち着いていられるものだろうか。


「……グリードさん?」


「……この市街地を徘徊している異形の化け物は、()()ですよ。聞いたことはありませんか?」


「……れい、じゅう?」


 その単語に、ルカは聞き覚えがあった。

 あれはたしか、ヤクモに精霊術を教わったときだ。彼曰く霊獣とは、大気中の微精霊が突然変異したものだと言う。

 体内に蓄積された霊力量が急激に増加することで、人間の目にも可視化できるほどに体が巨大化するのだと。

 そして霊獣は理性を失った化け物となり、手当たり次第に人を襲うとも言われている。


「それなら、ヤクモから聞いたことがある……理性を失った微精霊の成れの果てを、そう呼ぶんでしょ……?」


「驚きました。あなたに何かを尋ねてまともな答えが返ってきたのは、これが初めてですね」


「──」


 グリードは相変わらずのいつもの様子で、淡々とそう言ってのける。だからルカは、思わず前のめりになって聞いていた。


「なんでその霊獣達が、いきなり市街地に現れたの? 一体だけならまだしも、こんなにたくさんの霊獣が一気に押し寄せてくるなんて、どう考えてもおかしいよ……!」


 そのルカの問いに、グリードは、



「──あなたのせいだと言ったら、どうしますか?」



 予想だにしない回答を口にしていた。

 まるで意味がわからない。霊獣達の出現が、この市街地の惨状が、全部全部──自分のせいだと彼は言っているのか。

 当然ルカにはそんな自覚なんてない。つい先程まで、ルカはメイナと一緒にただ市街地を回っていただけだ。

 それがどうしてこうなるのか。どれだけ思考を積み重ねても、まるでその答えに辿り着くことはない。


「言ってる意味がわからないよ……私のせいって、どういうこと?」


「──。まあ、今のあなたには到底理解できないでしょうね。ですが、それで結構です。あなたはなにも知らない無知でいてくれた方が、こちらとしても都合がいい」


「は……?」


 やっぱりだ。グリードは明らかに様子がおかしい。

 増幅する彼への違和感を、その不審感をどうしても拭えない。そんなルカを置き去りにするかのように、やがてグリードはその指を鳴らしていた。


 市街地に響いたその音は、やがて周囲から別の巨大な音を引き寄せる。

 それは足元を揺らすほどの轟音。見ればグリードの真横から、霊獣の一体が姿を見せていた。

 しかしその霊獣はグリードには一切目をやらず、真っ直ぐとルカだけを見据えている。


「ぇ……どういう、こと……?」


 それはまるで、グリードがその霊獣を従えているかのようにさえ見えた。

 霊獣は主に背を向け、少しずつルカに向かって行進を始める。


「あなたはなにも知らなくていいんです。なにも知らないまま──()()()()()になって頂く」


「待って……待ってよ……こんなの、意味がわからない……」


 一から十まで、何一つ状況が掴めない。

 頭の中はあらゆる疑問で埋め尽くされ、ルカは今にも窒息してしまいそうだった。


 そして気付いたときにはもう、霊獣の開いた口腔が眼前にあって。


 唾液に塗れた牙が、鼻先にあって。


 ルカの視界は、黒一色で塗り潰されていて。



 そこで彼女の意識は──プツンと途切れていた。




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